第72話 門外

「【雷撃】!」


 アンドレの手から放たれた魔術が黒いスライムを打ち倒す。その隙にフラードの町の住民は大きく黒いスライムから距離を取った。


「あ、ありがとう!」

「どうもー! 今の内に逃げなよ~!」


 住民に感謝されながら町を動き回るアンドレ。その後ろではマリウスが次の黒いスライムの居る位置を報告していた。


「次はあっち、かな……」

「りょーかいっと!」


 体に雷を纏いながら高速で移動する二人。今度の目的地は町の南西部。レインスたちと会った森がある門の周辺だった。そして、そこは今まさに地獄に侵蝕されつつある場所だった。


「ガキが! 何しに来た! 逃げろ!」


 黒いスライムたちが密集する中で戦いながら怒鳴る見知らぬ冒険者。腕は立つのだろう。見事な槍捌きでスライムを薙ぎ払い、その間合いの中だけは黒に犯されていなかった。そんな門の様子を見てアンドレは少し引いていた。


「げ……黒いスライムがたくさん……」

「あ、アンドレ……逃げようよ……」


 黒に侵蝕されつつある町の入口を見てアンドレの服の裾を引っ張り、撤退を促すマリウス。しかし、アンドレはマリウスの頭を叩くと言い返した。


「何言ってんだ。ここで戦って皆が逃げられるようにするのがアニマート遊撃隊長の俺の役目だろ!」

「いつの間に隊長になったの……?」

「一々細けーんだよ! 行くぞ! 【雷撃】!」

「ら、【雷撃】ー!」


 二つの雷が黒いスライムを焼き、道を作る。アンドレは優先して黒いスライムの波に飲まれかけている冒険者たちを助けに行った。すぐ近くに居た屈強そうな冒険者を助けるとアンドレはマリウスの方を確認して告げる。


「へへーん! らっくしょーだっての! おい、おっさん。大丈夫かよ」

「ダメだ……お前ら、すぐに逃げるぞ……! この町はもうおしまいだ……」

「何言ってんだ。こんな奴らチョロイチョロイ。俺に任せろって」


 得意気にそう言って周囲に【雷撃】を見舞うアンドレ。黒いスライムはなす術もなく死んでいく。だが、それでも黒の波は収まらなかった。


「おらおらー! 死にたくなけりゃ退いてろっての!」

「た、立てますか?」

「くっ……助けてもらって悪いが俺は逃げるぞ! こんな奴ら相手に勝ち目なんてねぇ!」

「おーおー、逃げろ逃げろ! 足手纏いは要らねぇ!」


 大口をたたいて余裕で更に進んで行くアンドレ。彼らは黒の波をかき分けて門の外にまでやって来た。しかし、外にいて生き残っていたのは数名のみ。アンドレ達が救出出来そうな冒険者たちはすぐにいなくなった。


「チッ……あれだけしか助けられなかったか……まぁいいや。これでも上々! 後は騎士団とかに任せて……」

「アンドレ、すぐに逃げよう! もうここがどこだかわかんなくなってきてる!」

「わかってるよ。うっせーな……」


 来るときにそうしたように屍の道を戻ればいい。そう思いながら後方へと戻ろうとする二人。しかし、そう簡単に撤退は許されなかった。


「な……俺たちが通って来た道がない……」

「アンドレ! 後ろ!」

「わーってるよ! 【雷撃】、【雷撃】!」


 今も尚迫り来る新手のスライムたち。しかし問題は律義に門を通ろうとして密集しているスライムたちだった。足の踏み場もないどころか人間の大人の腰のあたりの高さまでひしめき合って流れるように門を通っていく。


「くっそ……面倒臭いな! 【雷撃】! 【雷撃】!」


 何とかそこを通り抜けられるように雷撃を放ち、何体かのスライムを屠っていくアンドレだが、雷撃の被害を免れた数多くのスライムはお構いなしに進んで行く。

その上、門の方に掛かり切りになると後方から新たなスライムが襲い掛かって来るという始末だ。突破は難しそうだった。


「ど、どうしよう!」

「こんな時に騎士団はなにやってんだよ! くっそぉ……こうなったらここで騎士団が来るまで耐えるしか……」


 アンドレが怒りながら腹を括る。マリウスは涙目になりながら自分の周囲にいる黒いスライムに雷撃を見舞った。必死になっている弟の姿を見ながらアンドレは歯を食いしばる。


(くそ……考えが甘かった……悪ぃマリウス! でも、こんなところで終われるかよ……! やっとあの最低な生活から抜け出せたってのに!)


 思い出すのは魔族の誘惑に負けて魔の子を孕んでしまった無責任な母親によってスラム街に捨てられ、様々な犯罪に手を染めながら生きて来た短い半生。そして、そこから救い出してくれたメグミ、溜息をつきながら面倒を看てくれたデビッド、受け入れてくれたアニマートの劇団員たちの顔だった。


「アンドレ!」

「わかってる!」


 迫り来るスライムの波の前に雷撃を使い続け、息が上がり視界が狭くなる。魔力の量もそろそろ心もとなくなっていた。


「まだかよ! まだ来ねえのかよ!」

「ねぇ、僕たち見捨てられたんじゃ……」

「んなこと言うんじゃねぇ!」


 感情に任せて雷撃を放つ。数十体は屠ったというのにその数が減ったという実感は全くわかなかった。それもそうだろう。彼らが倒したはずの黒いスライムは復活してその場に現れるのだから。彼らが黒いスライムを倒せば倒すだけ、その場に現れるスライムの数は増えていく。


「くそっ! くそォッ!」


 増える敵。目減りする魔力。先に限界が来たのは……アンドレだった。いかに悪魔の血を引いているといえども、彼はまだ子どもだった。


「【雷撃】……ぁ……」


 魔力不足での魔術行使による酷い頭痛の中で見えたのはか細い雷。それ程までに自身の魔力は枯渇していたのか。そう思い、力なく笑ってしまった次の瞬間。彼の身体を強い衝撃が襲う。


「ってぇな……!」


 よろめきながらその場を離れるアンドレ。だが、彼の視界に入った光景を見るやすぐに意識を覚醒させた。


「マリウス!」


 スローモーションに見える目前の光景。飛び掛かって来た黒いスライム相手に身を丸めながらこちらを見ている弟。彼と目が合う。マリウスは泣きそうな顔で言った。


「兄さ……生きて……」

「マリウスッ!」


 無情に押し倒されるマリウス。群がる黒いスライム。アンドレはすぐに黒いスライムを引き剥がそうとするが彼の力ではびくともしない。


「っざっけんな! 退けよ! 退けぇッ!」


 半狂乱になりながら涙を溢し、黒いスライムに必死の抵抗をするアンドレ。だが黒いスライムはびくともしない。それどころかマリウスを下敷きにしている別個体の上に折り重なるように飛び乗り、動かなくなった。


「何やってんだ! 俺の弟の上で! 退けよ!」


 アンドレは激高して蹴りを入れるがそのスライム柱はびくともしない。その代わりというのか、周囲のスライムがマリウスに群がるのを止め、アンドレの方に襲い掛かって来た。


「ぐあッ……ぐ……」


 なす術もなく押し倒されるアンドレ。一応、必死で抵抗を試みるが彼の細腕では黒いスライムを退かすことは出来なかった。


(こ、ここまでか……すまねぇ。みんな……)


 薄れゆく意識。アンドレが諦めかけたその時だった。不意に彼に折り重なるように圧し掛かっていたスライムたちが凍てつく。


「冷たっ!」


 あまりの冷たさに意識が再び覚醒する。次の瞬間、アンドレの上に圧し掛かっていたスライムたちは粉々に砕け散った。そして彼の耳に凛とした声が聞こえる。


「……まったく、手間がかかる子たちね」

「べ、ベル姉ぇ!」

「話は後よ。すぐにこれを飲みなさい」


 投げ渡されたのはアンプルだった。アンドレがそれを一気に飲み干すと失われていた魔力が回復する。


「っしゃあ! ベル姉ぇ! 助かった、ありがとう!」

「……まだ助かってないわ。それにお礼ならあなたの保護者に言いなさい。分かったらマリウスを担いでここから逃げるわよ」

「了解!」


 魔力を全身に纏い、ベルベットが倒したスライムの氷片の中央で気を失っているマリウスを背負うアンドレ。彼はすぐにベルベットが来た道から引き返そうと後ろを見るが、そこに道はすでになかった。


「ベル姉! もっかいこっちに来た時の技やってくれ!」

「……【凍れる世界フローズンワールド】は一日一回。それが精霊との契約よ」

「え! じゃあどうすんの!?」


 焦るアンドレにベルベットは告げる。


「スライムのボスを倒すわ」



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