第6話 別れ道

「待てッ、お前達!」


 甲高い雄叫びが空にこだました。

 驚いて見上げると、切り立った高い崖の上に七つの人影が立っている。


「どこへ行く、悪の一族!」


 見下ろす彼等の手には豪華な装飾を施した長剣や槍、竪琴に似た奇妙な弓、宝石を嵌め込んだ杖など、それぞれ趣向を凝らした得物が握られている。

 新手のチート勇者達だった。


「やはり、ここへ来たか。お前たちのことだ、新しい魔王城へでも向かうつもりだったのだろうがそうはさせん!」


 彼等は、魔族の一行がこの峡谷を必ず通るだろうと先回りして待ち伏せていたのだ。呼びかけたのは七人の中央に位置した勇者でリーダーらしい。二刀流の使い手らしく背中に細身のロングソードをぶっ違いに差している。


「チ、チート勇者だぁ!」


 魔物達は悲鳴にも似た声を上げ、ティーガーは急停止した。

 アリスティアは真っ青な顔で立ち上がり「みんな、ティーガーの後ろへ!」と叫ぶ。

 そして、震えながら防御魔法の呪文を唱えようとしたが、少年が「僕が出る。皆と一緒に後ろに下がってて」と彼女を庇って決然、勇者達の前に進み出た。

 決然といってもアリスティアと同じくらい真っ青な顔をしている。声も緊張で上ずっていた。ティーガーが強大な力を持っているといっても、彼自身はまったくの無力なのだ。


――それでも、彼等を庇って戦えるのは自分しかいない


 少年は勇敢にもティーガーの砲塔の前で仁王立ちになり、崖の上の勇者達と対峙した。彼に言われるまま背後に下がったアリスティアは、彼の足が小さく震えているのを見た。


「み、見知らぬ相手に勝手に悪者呼ばわりされる謂れはないぞ。お前らこそ何者だ!」


 もし、問答すら面倒くさがって攻撃されたら生命はない。

 そんな怯えを悟られないよう、さっきまで魔物達に夢中になって聞かせていた伝説の戦車兵、ヴィットマンになったつもりで少年は胸を張り、相手を睨みつけた。


「悪に名乗る名などないが……フッ、冥途の土産に聞かせてやろう。我らは異世界リアルリバーに平和をもたらす為召喚された七人の戦士」


 もったいぶった口調と共に勇者がさっと手を挙げると、並んでいた六人のうち四人が声を合わせて叫んだ。


「シークェード・グリフォン!」


 まるで舞台劇のような名乗りにあっけにとられた少年へ向かって、見栄を切った勇者は指を突きつけ、どうだと言わんばかりの顔をした。


「し、しーくぇ……なんだって?」

「オレの名はアルト。邪悪な魔族の手先よ、忌まわしきナチの戦車をこの異世界へ召喚し魔王の復活を目論むお前達の野望、俺達が今ここで打ち砕く!」

「召喚?」


 魔法や剣技どころか特殊スキルのひとつも持っていない自分がティーガーをこの世界へ召喚したものと彼等は勘違いしているのだ。

 そればかりか、魔王を復活させるつもりだと勝手に決めつけている。そんなつもりも、そんな力もないのに。

 少年はチート勇者アルトの勝手な設定にポカンとして、反駁するのも一瞬忘れてしまった。

 だが、チート勇者よりももっと激しい思い違いをした者がいた。

 彼を横から押しのけるようにして身を乗り出したアリスティアが、アルトへ向かって叫んだのだ。


「『魔王の復活』と口にするあなた方は、お父様を生き返らせることが出来るのですか?」

「えっ?」


 投げられた質問に「は? 何言ってんのコイツ」という顔をしたアルトへ向かって、アリスティアは「お願い!」と叫んだ。


「お父様を生き返らせてください!」

「生き返……何だって?」


 思いがけない言葉にアルトは目を白黒させた。

 自分の正義を主張するために「こんなはずだ」と決めつけた設定から懇願されるとは思ってもいなかったのだ。

 だが、そうと気が付かないアリスティアは目に涙を浮かべ、崖上の勇者たちへ訴えかける。


「生き返らせることが出来るなら何でもします! 悪いことなんかしないと誓いを立ててもいい。今までもずっとしてこなかったんだもの、喜んでします。だから……」


 必死に懇願する魔族の王姫を「いや、復活させようとしているのはお前達で……」とアルトは懸命に遮った。

 予想外の成り行きに、他の勇者達も困惑した顔を見合わせる。

 相手は世界を再び暗黒に染めようとする一族で、普通はここで「叩きつけられた啖呵に逆上し、己の邪悪な力を過信して襲い掛かって来る」ところなのだ。

 そして、それを圧倒的なチート力で叩き潰す痛快な戦いが始まる。

 ……そんな展開のはずが「悪事はもう働かない」、「働いていない」と言われてしまっては、戦う意義がなくなる。それを無視して戦いを始めれば、それこそ正義のチート勇者が「戦う意思はないと手を挙げた者を殺そうとする卑怯者」になってしまう。

 だが、彼等は戦いたいのだ。己の力を過信して襲い掛かる傲慢な悪を瞬殺する爽快感の為に。


(くそ……魔物なら悪役らしく振舞えよ!)


 自分の思い通りにならない展開に苛ついたアルトの顔が歪んだ。それは正義を語る者が持つもののそれではなく……


「魔族はもうここにいるだけです。世界を支配する力なんて、もうありません。どうかお願いしま……」

「はっ、騙されるものか!」

 

 アリスティアの言葉を遮ったアルトは芝居がかった声で叫んだ。


「なるほど、そうやって同情を買う演技力で今まで何度もチート勇者の仲間達を油断させ、騙し討ちにしてた訳か……」

「ち、違います!」

「お前達の浅はかな企みに我等が気が付かなかったとでも思うか? フッ、見通しが甘かったな」

「そんな! 私は……」


 チート勇者アルトは顎をあげ、まるで必死に言い訳する小物を鼻で笑うように格好つけた。


「幾ら嘘を重ねても無駄だ。観念するんだな」


 それでも「聞いて、お願い!」と、なおも必死に言い縋ろうとするアリスティアの肩を、少年がそっと引き戻した。


「テツオ?」


 痛ましげな顔で少年は顔を横に振る。


「アリスティア。残酷なことを言うけど……奪われた生命は戻らないよ。お父さんが生き返ることはない」

「そんなことないわ。あの人たちが言うからには……」

「誰にも出来ない。チート勇者にも」

「で、でも」

「アイツらは、僕らを悪者にして恰好をつけたいためだけに出鱈目なことを言っただけなんだ」

「でも……でも……」


 少年の顔をしばらくの間見つめたアリスティアはようやく真実を悟った。

 チート勇者の詭弁に自分がもしかしたらと我を忘れてしまった、それだけだったことを。

 王姫はふいに顔を歪めると両手で覆い、わっと泣き崩れた。


「お父様……お父様はもう戻ってこない……!」


 指の隙間から、悲痛な声と嗚咽が漏れる。

 虚言に思わず縋りついたといって、それを誰が笑えるだろう。ある日突然両親を奪われて家族をなくし一人ぼっちになった少女なのだ。

 少年は震えるその肩を優しく抱くと、肩越しにチート勇者の一団へ視線を向けた。

 これがお前達を偽る演技に見えるのか……と、その瞳は無言で非難している。


「そ、そんな猿芝居に騙されると思ったか……」


 思わぬ成り行きに鼻白んだアルトは、懸命に虚勢を張った。

 だが、その声は震えている。彼の目にも王姫の涙が偽りだとは思えなかったが、それを認める訳にはいかなかった。「正義のチート勇者が心ない言葉で弱者を傷つける」などということは、絶対あってはならないのだ。

 だから「弱者の振りをした偽りの演技」だと、どこまでも言い張るしかなかった。


「涙をみせて叫べば真実っぽく聞こえるもんな。策士め、おおかたお前の入れ知恵だろう。この異世界へ戦車を持ち込んだ上に手の込んだ策略まで企むとは」

「……」

「だが、あいにくだったな。この異世界リアルリバーに悪の帝国を再興させるなど、そんな真似は断じてさせない」

「……」

「シークェード・グリフォンがさせない!」


 少年は無言のまま睨み続ける。チート勇者のアルトが必死に重ねる強弁だけが白々しく響いた。


「なんだ。怯えて声も出ないのか。大それたことを企む割には気の小さな奴等だな、はは……」


 牽強附会けんきょうふかい。強引だろうが何だろうが魔族達を「悪の一味」と決め付け、自分達が正義の勇者だと敵味方に誇示したいのだ、と少年は察した。それでこそ勧善懲悪の戦いが出来るのだから。

 と、すると戦いそのものを避けることは、どうしても出来ないらしい。

 だが、相手はどんな力を持っているのだろう。果たしてティーガーで勝てるのだろうか。


(僕とティーガーだけなら戦いようがあるかも知れないけど……)


 だが、アリスティアと魔族達が一緒にいる。巻き添えを避ける為に、チート勇者達から彼等への眼を逸らし、出来るだけ離れた場所で戦わねばならないのだ。


(正義の味方を気取りたいアイツらの気持ちを利用して、どこかへ誘導する方法はないだろうか……)


 その為には戦う切っ掛けを安易に与えずに、こちらが戦場を選べるような言い回しが要る。チート勇者の言い訳じみた啖呵を冷ややかに聞く振りをしながら、少年は必死に考えを巡らせた。

 一方、勇者達の中には奇妙な不協和音が起きていた。


「おい、この間はよくもオレの仲間を痛い目に遭わせてくれたな! だが見ろ、この通り助っ人を連れてきたぞ!」


 並んだ顔ぶれの一番端から喚いたのは、魔王城の戦いで最後に残って逃げ出した勇者だった。


「今度こそお前らもおしまいだな、ハハッ」


 彼の隣にはリュードがいた。魔族の隊列を追跡していて彼等に声を掛けられ、そのまま成り行きでメンバーに加わっていたのだ。

 だが。


「……」


 リュードの顔色は冴えなかった。この世界で正義を叫ぶ主役はオレだ! と言わんばかりの勇者がこの間までの自分と同じに思えたのだ。

 そして、いいようのない嫌悪感を感じた。

 相手の悲しみには知らぬ振り、勝手な理屈で卑下する。それが傍目にどんなに下劣に見えるのかを目の当たりにして……

 だが、隣で虎の威を借りるように快哉を叫ぶ同僚の勇者は、羞恥心などまったくないようだった。


「何だよリュード、お前ノリが悪いなぁ。またチートハーレムの日々を堪能すんだろ? 景気良く行こうぜ!」

「あ、ああ……」

「まずは奴を血祭りだ! へっ、黙って瞬殺されてりゃいいものを……」


 口の端を歪ませて嘯くチート勇者の横顔を見たリュードは、その顔を「醜い」と感じた。

 ティーガー戦車に吹き飛ばされボロボロになって自分が戻って来たとき、彼は心配するどころか小馬鹿にして散々笑いものにしたのだ。その癖、同じような目に遭うと怒り狂い、報復出来そうになると今度は笑いものにした自分へ共感を求めている。

 平気な顔で他者をチートで痛めつけ嗤いものには出来るのに、自分が同じように笑われ痛い目に遭うのは許せないのだ。

 戦車の上からこちらを睨んでいる少年を見たとき、リュードの心の中にあの時浴びせられた言葉が再び思い浮かんだ。


(遊び半分みたいにおふざけで殺そうとする。それが勇者のすることか?)


「う、うるせえ……」


 反発するリュードの小さなつぶやきは力なく、彼自身以外の誰にも聞こえなかった……


 一方、正義の英雄ヒーローを気取っていたチート勇者アルトは振り返ると、せっかく取り繕おうとした空気を賤しい台詞で台無しにするメンバーへ「おい、悪の三下みたいなことを言うな。勇者らしく出来ないなら黙ってろ!」と、小声で叱りつける。


「うっせえ! てめーこそリーダー気取りで命令してんじゃねえ。何様のつもりだ!」


 周囲に隠れてチッと舌打ちしたアルトは冷ややかな表情を作ると、逆ギレした相手を憐れむように見た。


「ほぅ、助けを求めてきた情けない勇者が偉そうにそんなことを抜かすとはな」

「なんだと?」

「正義の力も誇りもない奴を勇者とは呼ばぬ。嫌なら追放される前にこのパーティーからとっとと出てゆくがいい!」

「ぐっ……」


 睨み返しながら渋々黙り込んだメンバーへ蔑みの一瞥をくれると、アルトはフンと鼻を鳴らす。

 悔しさにギリギリと歯を鳴らす傍らの同僚とそれを冷笑するアルトを見て、リュードは構えていた剣をそっと降ろした。

 戦う気が萎えてしまったのだ。


「何が正義だ、バカバカしい。こんなクソみたいな茶番劇」

「そうね……」

「えっ?」


 思わず吐き捨てた言葉を肯定する小さな応え。リュードが驚いて顔を上げると 静かに自分を見つめる瞳と目が合った。

 それは魔王城に滞在していたあの少女だった。今はパーティーの紅一点のようだが、その前はチート勇者と関わり合うこともなくその場にただ居ただけの不思議な少女である。アンティークドールのような色褪せた赤いドレスの裾とツインテールの髪を風に揺らしている。ふらりと消えた魔王城からどういう経緯で彼等の一行に加わったのだろう。

 アルトが手を挙げたときも、パーティーの名前を叫ぶことなく押し黙っていたのは、リュードと彼女の二人だけだった。

 何が共感を呼んだのか、今まで虚ろで焦点の合っていなかった彼女の瞳にはやり切れない彼の気持ちを理解した色がハッキリと浮かんでいる。

 リュードが初めて見た、少女の感情だった。


「お前……」


 ぼう然となってつぶやいたリュードの向こうでは、アルトが対峙している少年を挑発し、何とか戦いの切っ掛けを掴もうと躍起になっていた。


「沈黙が優位に立っている余裕とでも思っているようだな。選ばれし勇者の力をこれから見せてやるが、今のうちに命乞いとかしておかなくていいのか?」

「……」

「いつまで黙っている? 魔王の復活を企む強大な悪らしく尊大に構えたい訳か」


 そこまで言うと「いや……」と、アルトは思わずニヤリと笑った。


「それとも、お前自身が取って代わって魔王になるつもりか」

「何?」

「おや? 黙っていられなくなるとは……その狼狽え振りでは図星だったようだな」

「ふ、ふざけんな!」


 沈黙を破り、少年は思わず叫んでしまった。

 親の死を語ってアリスティアを傷つけたばかりか、彼女が悲しむ様を目の当たりしながら、そんなことなど知ったことかと言わんばかりにまた勝手な話を作ろうとしている。

 その言い草に、とうとう我慢しきれなくなったのだ。


「何が図星だ。勝手なことばっかり言いやがって!」

「勝手は貴様だ! 異世界のあるべきことわりを破った戦車なんて邪道を持ち込みやがって」


 どこまでも傲慢な物言いに怒りで肩を震わせた少年は、これ以上言われるまま黙って時間稼ぎすることが出来なかった。


「おい、選ばれし勇者! 貴様達がこの世界でやりたい放題するのは邪道じゃないのか? そんなことをして欲しいと誰に願われて選ばれたというのか?」

「な、何だと?」


 手厳しい糾弾を真っ向から受け、アルトの顔色が変わった。

 勇者といっても本当は誰から呼ばれた訳でもない。誰から選ばれた訳でもない。

 魔物を好き放題に瞬殺しながら悦に浸っているのも「正義」の名を借りれば後ろめたさなど感じずに済むからだった。

 それを糾弾する者など誰もいなかった。この瞬間までは。


「お、おい、ちょっと待て……」

「お前らが瞬殺していい気になった裏で、怯えて逃げ回るこの異形達の気持ちを少しだって考えたことがあったか!」


 少年は、震えながら涙を拭っているアリスティアに目をやるとアルトへ鋭く問い詰める。


「仲間や家族を殺されてゆく異形の悲しみを、お前らチート勇者が思いやったことが一度だってあったか!」


 思いがけない言葉の反撃に痛いところを衝かれ、アルトは真っ青になった。


「いや、だってそれはそっちが悪だから……」


 弁解じみた身勝手な主張に少年は容赦しなかった。叩きつけるように彼は叫ぶ。


「悪だと? 悪いことをしたのはいつの話だ!」

「そ、それは……」

「遠い過去の罪を今も悪だと決めつけ、逃げても追って殺して……それも狩りの獲物みたいに遊び感覚のなぶり殺しで……その、どこが正義だ!」

「だ……黙れ!」

「そうやってお前達チート勇者は魔物を今まで何匹殺めてきた! 少しだってかわいそうと思わなかったのか! お前らの心は痛まなかったのか!」

「黙れ! 黙れェェェェ!」

「テツオ、危ない!」


 アリスティアが叫び、思わず少年の袖を引き寄せた。

 頭に血がのぼってキレた勇者アルトが、逆上の余り火炎弾を投げつけたのだ。

 アリスティアが少年を引き倒すような形で二人はもつれあうようにティーガーの車体の上に転がり倒れた。火炎弾は二人をかすめてティーガーの砲塔に当たり、激しい衝撃音と共に砕け散った。


「……」


 思わず真っ青な顔を見合わせた二人の向こうでは、激昂の余り卑怯な騙し討ちをしてしまったアルトが弁解も出来ずに喚きたてている。


「オ、オレは悪くない。挑発したお前が悪いんだぞ! オレが正義なのに勝手なことをホザきやがって!」


 アリスティアを助け起こしながら、必死に自己を正当化する相手へ少年は叫び返した。


「好き放題言って卑怯な真似をした挙句『勝手なことを抜かすな』か! それがお前の正義か!」


 羞恥心で顔を真っ赤にした勇者は思わず背中の剣に手を回しかけた。それでも少年は一歩も引こうとしない。

 傍らで見守るアリスティアはハラハラした。激昂した勇者からまた魔法を受けたら今度はどうなるか……

 だが、少年の身を案じた彼女は、負け惜しみで叫んだチート勇者アルトの次の一言に凍り付いた。


「黙れ! お前だって……お前だってオレ達とから転生して来た癖に! 偉そうに!」

「えっ……?」


 驚愕したアリスティアは、助け起こしてくれたばかりの少年を……思わず突き飛ばしてしまった。


「あっ!」

「え?」


 ずっとチート勇者に怯え、迫害されて染み付いた恐怖がそうさせてしまったのだ。

 アリスティアは自分が無意識に何をしたのか、一瞬分からなかった。つんのめる様に軽くよろけた少年も、たった今自分が何をされたのか分からなかった。

 だが。


「……」


 少年はアリスティアの怯えた顔を見て自分が拒絶されたことを知り、黙って俯いた。

 それは次の瞬間、アリスティアの心に激しい痛みとなって、突き刺さった。


(私いま、何を……!?)


 アリスティアは自分がしてしまったことが信じられなかった。

 魔族の中に受け入れた筈の少年。もしかして……と、ふと疑念を持ったことはあったが、まさかそんなはずがないと思っていたのだ。それが、チート勇者と同じ残忍な種族の人間だと知って……

 うなだれた少年は、静かな声で告白した。


「そうだよ。隠すつもりじゃなかったけど」


 戦車の影から驚愕の眼で見つめる魔物達へ彼は「ごめん……」と、つぶやいた。

 俯いた彼の顔は前髪に隠れている。アリスティアからその表情は窺えなかった。


「僕、ここで別れるよ。ほんの短い間だったけど楽しかった」

「テ、テツオ……私は……あの……」

「いいんだ。元いた世界でも僕、クズ呼ばわりされていたし。ずっと一人だったし」


 アリスティアはハッとした。


(僕の名前はクズウ……テツオです……)

(僕は勇者じゃない。勇者なんかじゃない……)


 蚊の鳴くような自己紹介の声。卑屈なくらい否定した、勇気あるはずの行為。

 どこか暗い翳りに染まっていたテツオの瞳の裏側にあったものをアリスティアはこのとき、ようやく知ったのだった。


「みんな、僕がお芝居してここから離れる。その間に先へ進むんだ。いいね」


 そんなつもりじゃなかったの……と言いかけたアリスティアに、少年はにこりと微笑みかけた。

 わかってるよ、と言うような優しい笑顔。それが相手を傷つけまいとして悲しみを隠した訣別の微笑みであることをアリスティアは知っていた。

 一度だけ、彼女は見たことがあったのだ。両親が殺されたあの日……


「ごめんなさ……」

「さよなら」


 彼女が誤解を解こうとする前に、少年はさっきのお返しとばかりにそっと肩を押した。


「あ……!」


 後ろへよろけた彼女はティーガーの車体から足を踏み外し、バランスを失って転げ落ちてしまった。

 ティーガーの下に控えていたグリズリーが、ふわりと落ちてきたアリスティアを慌てて抱きとめる。彼女は怪我一つしなかった。少年はそうなると知って突き落としたのだ。

 彼はまだ喚きたてているチート勇者へ顔を向け、彼の怒りを煽り立てるように挑発した。


「自称『選ばれし勇者』ご一行の皆様! お前ら、かわいそうだからチャンスを恵んでやる。正義がどっちか、決闘だ!」

「かわいそうだと? 決闘だと?」


 顔を真っ赤にしたアルトとチート勇者達を一瞥したテツオは「七対一か。ニセ勇者揃いじゃハンデにもなんねーな」と、口の端を吊り上げた。


「野郎、調子こいてんじゃねーぞ! その決闘受けてやる。オレ達が正義だと証明してやる!」


 逆上する悪を余裕でいなす正義の勇者という仮面ペルソナがすっかり剥がれてしまったアルトが口汚く罵るのを、少年は「はいはい、分かった分かった」と軽く流し、肩をすくめた。


魔物達こいつらはここで待たせておく。この先に決闘にふさわしい場所があるからそこで決着をつけよう。逃げるなよ」

「ふざけんな! てめえ、自分こそ正義の味方でございなんて顔してんじゃねーぞ!」


 怒鳴りつけたアルトは、並んだ他の勇者達へ「みんな、いいな?」と半ば強制するように同意を取り付けた。


「じゃあ付いて来い。まさか正義のチート勇者様が移動中に後ろから切りつけたり、待たせてるこいつらに手を出すなんて卑怯な真似なんかしないだろうな?」

「手前じゃあるまいし、そんな真似誰がするか! さっさと場所を変えろ!」


 少年は内心ほくそ笑んだ。侮辱するように煽ったせいで怒りは全て自分へ向けられ、魔物達とアリスティアは完全に彼等の眼中にない。


「あの先に闘技場代わりにちょうどいい平原がある。そこが手前らの墓場だ」

「ほざけ、それはこっちの台詞だ!」


 さもそれらしく背後の適当な方向を指し示した少年はティーガーへ「旋回、一七〇度!」と告げる。ティーガーは左右のキャタピラを互いに逆方向に回転させた。地面を削り取るようにして信地旋回し、車体の方向を斜め後ろへ向ける。


「全速前進。戦車前パンツァー・フォーへ!」


 砲塔のキューポラに駆け上がって乗り込んだ少年は、憎しみを滾らせた崖上のチート勇者達へ「臆病風に吹かれてなかったらついて来い!」と、声を張り上げた。


「待て、そのまま逃げるつもりじゃないのか? おい、待てったら!」


 崖から次々と飛び降りたチート勇者達はアルトを先頭に駆けだした。全速力で走りだしたティーガーを慌てて追ってゆく。

 だが、そんな勇者達の中でリュードは足が動かなかった。


(追って、戦って……それで何になる?)


 負ければさぞかしみじめだろうが、勝っても今までのような満足感が得られると思えなかった。だからといって、このままここにいても何にもならないのに。

 虚無感に囚われて立ち尽くす彼をそのとき、あの少女が静かに促した。


「行きましょう」

「……」

「無理に戦って自分を貶める必要はないわ。でも、浅ましいと思ったら、醜いと思ったら、そんな彼らの行き着く先に何があるのかを見届けましょう」

「見届ける?」

「ええ。今どうしたらいいのか分からない貴方がどうあるべきか、彼等が教えてくれるかも知れない」


 ぼんやりと見たリュードを見返した少女は、かすかに頷いて見せた。


「……ああ、行こう」


 心を決めたリュードは大剣をクルリと回して背中の鞘に納めると、身のこなしも軽く崖から飛び降りて駆け出した。彼の後ろで少女もふわりと降り立つ。彼女はささやくように呪文を唱え、呼び出した魔法陣の上に乗ると滑るように追いかけてゆく。

 置き去りにされた魔物達には、誰も一顧だにしなかった。

 全速で遁走するティーガーとその後を追う勇者達の罵倒の応酬が、遠くからかすかに聞こえてきた。


「待てって言うのが聞こえないのか、おい!」

「情けないチート勇者だな。ティーガーの鈍足に泣き言を言うくらい足が遅いのか」

「だ、黙れ!」


 魔物達の視界の向こうへ彼等は遠く離れてゆく。ティーガーのエンジン音も喧騒も次第に小さくなり、そしてとうとう聞こえなくなった。


「……」


 アリスティアは塑像のように、なおもそこに立ち尽くしている。ティーガーが動き出さず、少年もそばにいるかのように。


(元いた世界でも僕、クズ呼ばわりされてずっと一人だったし)

(さよなら……)


 少年の言葉が何度も頭の中でこだましている。

 たまりかねたメデューサ婆が、アリスティアの肩を抱くようにして言った。


「姫様。行きましょう」


 アリスティアは、黙っていやいやと首を振った。メデューサ婆は彼女がどんな気持ちなのか分かっていたが、叱るように言った。


「テツオ様の気持ちを無碍に為さるのですか? 何の為にあの方がチート勇者を惹き付けて下さったのか、分かっておいででしょう」

「でも、私……」


 脇からドルイド爺も厳しい声でたしなめた。


「一刻の猶予もなりません。さあ」

「私、テツオに酷いことをしてしまった。一瞬だけ、あの人をチート勇者と同じように拒んでしまった。なのに、テツオは私達を護るために……」


 悲しそうに微笑んだ少年の顔を思い出し、アリスティアの瞳から涙が滲んだ。


「テツオ……私、テツオにあやまりたい……せめて一言、ごめんなさいって……」

「駄目です。謝りたいとお思いなら、彼の作ってくれた時間を一分一秒だって無駄にしてはなりませんぞ」


 ドルイド爺は叱りつけると、一行へ「さあ、すぐに出発じゃ!」と告げた。

 後ろめたい思いではあったが魔物達は動き始め、峡谷の入り口から枯れた谷底へ入っていった。泣き崩れかけたアリスティアも、メデューサ婆に肩を抱かれるようにしてふらふらと歩き出した。


「テツオは私達と同じだった。酷いことを言われて、誰も分かってくれなくて……だから私達を助けてくれた。なのに、私……」

「姫様」

「彼の眼……最後にお母様を見た時と同じ目だった。お城が大混乱で叫び声や悲鳴や轟音で私の声も届かなくて、遠くから黙って私を見つめた目。優しくて、でも寂しそうな目で私にお別れを言っていた……」

「姫様、歩いて下さい。お辛いでしょうけど、今はどうか……」


 アリスティアは泣きながら歩いた。

 後ろ髪を引かれる思いに時折立ち止まってはメデューサ婆やドルイド爺に叱られ、また歩き出した。

 そして、歩き出してはまた泣いた。


(テツオ……テツオ……)


 振り返っては彼方を見る。

 だが切り立った崖に阻まれ、峡谷の入り口の向こうはもう見えなかった……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る