ティーガー戦車異世界戦記 ~小さな希望を紡ぐ姫と鋼鉄の王虎を駆る勇者~

ニセ梶原康弘@カクヨムコン参戦

第1話 異世界に現れた重戦車

「みんな走るのよ! 苦しいでしょうけど頑張って!」


 駆けた。

 異世界の夜の森の中を、死に物狂いになって彼等はただひたすらに駆けた。

 黒々した濃い緑の葉を枝一杯に抱えた木々が風に揺れている。

 闇夜の中でそれは妖しく蠢く魑魅魍魎のようにも見えて、逃げ惑う彼等……異世界の魔物達の恐怖を一層煽り立てる。

 だが、彼等が怯え逃げ惑っているのはそんな幻惑の影からではなかった。

 殺意と共に後方から迫り来る別の存在がいたのである。それも「魔物という悪を滅ぼし、この異世界に平和をもたらす」正義の名のもとに。

 逃げ続けた今までの日々の中で魔物達はたくさんの大切なものを失っていた。

 それでも逃げる以外にいま、彼等の生きる術はない。

 だが、逃げた先に明日はあるのだろうか。生きる希望は見つかるのだろうか。ともすれば絶望と悲しみで潤みそうになる瞼の熱さに、彼等は歯を食い縛って耐えた。

 今はただ、夜の闇と森を覆う緑の深さだけが追撃の眼から逃れる隠れ蓑だった。

 と、遅れがちにヨタヨタと走っていた老婆が息を喘がせて、また倒れこんだ。


「お婆ちゃん、しっかりして!」


 彼等の一番後ろで背後を振り返り振り返り走っていた少女が慌てて駆け寄る。


「疲れたでしょうけどもう少しだけ頑張って。さあ、回復魔法をまた掛けてあげるから」

「姫……姫様……」


 気息奄々としている老婆を抱き起こした少女は自分も疲れていたが、それでも発光させた手を押し当てようとする。

 老婆はその手をそっと押し返した。


「わしはもうここでええです。姫様はどうか先をお急ぎ下され」

「お婆ちゃん」


 妖異の老婆は疲れきった顔で弱々しく微笑んだ。


「この婆は、もう足手まといにしかなりません。ならばここであ奴らにせめてもの意地を……」

「だめ」


 姫、と呼ばれた少女は老婆の頭を優しく撫でると、その頬を両手で挟んだ。


「ごめんね。疲れたでしょう。でも……」


 立ち振る舞いにどこか高貴さを感じさせる少女だった。

 薄汚れてボロギレじみたドレスこそ身に纏っていたが、周囲にいる者達の心をそばだたせずにはいられない美しい容姿をしている。

 サクラソウを思わせる淡い色の髪を背中で揺らし老婆を見つめる彼女は、紫に染まったその瞳に慈愛に満ちた優しい光を宿していた。


「お願いだから一緒に生きて……ね?」

「姫様」


 追いたてられている自分の魔族を、一族の長として何とか救おうとする健気な使命感が彼女を懸命に動かしていた。

 しゃがんだ彼女は「おんぶさせて」と、泣き出した老婆をそのまま無理やり背負おうとしたが……


「あーっと! 俺、とうとう見つけちゃいましたぁ!」


 底抜けに明るい声とともに一つの影が飛び出し、彼等の逃げようとする先に立ちふさがった。


「逃げようとしても無駄だぜ、悪の一族。勇者リュード、ここに参上!」


 名乗りと共に、その影はクルクルッと回転すると左足を引いた姿勢で格好良く決めポーズを取り、指を突きつけた。


「異世界リアルリバーに巣食う悪の一族よ。世界に仇なしてきたお前達の歴史に終止符を打つ時が来た!」


 声も高らかにそう宣言したのは、一七歳くらいの人間の少年だった。

 甲冑にも背中に掛けた刀にも、けばけばしいくらい豪華な縁飾りや紋章が打ってある。肩からは真っ赤な裏地のマントを垂らしていた。

 如何にも「剣と魔法のファンタジー冒険譚」に登場する英雄といった出で立ちだった。

 だが。


「……てな訳で、悪ィけど瞬殺すんね」


 それまでのわざとらしい動作がアクション映画の撮影だった、とでもいうように、構えを解いたその表情は下卑た笑みで緩んでいた。


「まったりライフにさっさと戻りたいから、サクッと死んでね。お城じゃ巨乳エルフとツンデレメイドとお転婆お姫様が『自分こそオレの嫁』って、三つ巴で掴み合いしてるしー」


 へらへらしながら告げられた死の宣告。

 真っ青になって立ちすくんだ少女の周囲へ、魔物達は寄り集まった。

 追いつかれてしまった今は、もう戦うしかない。一行を護る尖兵ともいうべき三つ首の番犬ケルベロスが獰猛に歯を剥き出して唸り、数匹のドワーフや小鬼のようなゴブリン達が棍棒をしごいて構えた。

 三角帽子を目深に被った魔法使いのドルイドは呪文を唱え始め、巨大熊のグリズリー、石人形のゴーレムも身構えた。

 彼等の背後には震えている少女やオークの子供達、まだ目だけが大きい小さな子を背中におぶった母ゴブリン達がいる。

 子や母や妻を何としても守り抜かねばならない。彼等の顔は悲壮な決意に満ちていた。


「あれー、もしかしてこのオレ様と戦うつもりなの? ははははは、こりゃいいや。じゃあ瞬殺する前に遊んであげるからさ、悪者らしくせいぜい頑張ってくれよ」


 魔物達に取り囲まれながら勇者はゲラゲラ笑った。対峙する数が多かろうと所詮は無力な烏合の衆と侮っているので、歯牙にもかけていない。


「黙れ、下郎!」


 姫に手当てされていた妖異の老婆が思わず叫んだ。

 遠い過去の罪業と異形の容姿を理由に自分達をどこまでも悪として殺戮する。それも、罪悪感すらない遊び感覚で……その傲慢さに堪忍袋の緒が切れたのだ。


「誇り高き魔族を嘲笑しおって。ここまで愚弄され、我等が黙って貴様の手に掛かると思うてか!」


 その老婆……いや、彼女をただの老婆と呼称しては憚りがあるだろう。その瞳の色は蛇のように黄色く、皺だらけの手に生やした鋭い爪は赤黒く染まっていた。不気味にのたうつ毒蛇が彼女の頭髪を模っている。老婆は「メデューサ」だった。睨んだ者を石へ変えてしまう力を持つ神話の妖異である。


「皆の者、かかれ!」


 メデューサ婆は疲れきった身体を奮い立たせ、勇者を取り囲んだ魔物達へ下知を飛ばしながらカッと目を光らせ、その恐るべき魔力で石化させようと睨みつけた。

 だが、あざ笑う勇者にその魔力はまったく通じない。

 メデューサ婆の檄に飛び掛かった魔物達も、勇者の腕の一振りから放たれる魔法を前に一筋の傷すらつけられなかった。棍棒はへし折れ、牙は砕かれ、己の身を肉弾とした者も弾き飛ばされた。


「おのれ、おのれ!」


 メデューサ婆は歯噛みして悔しがったがどうしようもなかった。

 叩きのめされた魔物はそれでも諦めない。立ち上がった傍からチート勇者へ飛び掛ったが、勇者は笑いながら彼等の攻撃を軽くあしらうばかり。

 圧倒的な力の差に、魔物達は手も足も出ない。戦いは一方的だった。

 振り払われたオークがメデューサ婆へぶつかり諸共に倒れた時には他の魔物達も力尽き、うめき声をあげるばかりで立ち上がることがもう出来なかった。


「なんだ、もう終わり? つまんねーの。みんな気が済んだ? 」


 鼻で笑った勇者リュードはブツブツと呪文を唱え始めた。刻印を打った左手の手甲の上に光の玉が現れ、ユラユラ浮きながら次第に大きさと輝きを増してゆく。

 倒れ伏した魔物達を庇うように、「姫」と呼ばれていた少女が震えながら進み出た。

 怯えきった声で、懸命に防御呪文を唱え始める。


「母なる地よ、リアルリバーの大地よ、どうか我が願いに応えたまえ。悪しき力より我が身を守る力をこの手に貸し与えたまえ……」


 空中に透明なバリアが現れる。倒れていた魔物達、今まで後ろで守られていた魔物達も各々の持つ魔力で少女に加勢した。懸命に手を伸ばし、残った己の魔力の全てを差し出し、力を合わせる。


「バーカ、無駄だからそんなの。瞬殺するって言ってるじゃん」


 リュードは笑ったが「おっと、少しは勇者らしく格好つけなきゃ」と、我に返って威儀を正した。


「異世界リアルリバーの闇は今より滅びる。邪悪な一族よ、忘却の彼方へと消え去るがいい」


 真剣に装って勇者っぽく見得を切ったが、少女は威光を感じた様子もなく瞳に涙を浮かべ、一心不乱に呪文を唱え続けている。

 痛快な魔物退治のつもりだったリュードは、後ろめたさを感じてチッと舌打ちした。


(こんな不快な一幕、さっさと終わらせちまえ)


 魔法弾を一気に膨らませる。彼等が消えれば証拠も何も残らない。ここであったことを知る者は誰もいなくなると思ったのだ。


 だが、実はそうではなかった。すぐ傍の木の陰から見ている者がいたのだ。

 いた、といっても見ているだけだった……それまでは。

 魔物達を助けたい、と思いながら自分の非力さ故に、飛び出す勇気がなかったのだ。

 しかし。


「じゃあな、クソザコナメクジども」


 勇者リュードが嘲笑しながら魔物達を消し去ろうと手を上げたそのとき、怖じ気づいていた彼の中にあった何かがついに弾け飛んだ。

 もうこれ以上黙って見ていられない! そんな激しい衝動が、彼を突き動かしたのだ。


「やめろーーっ!」


 震えを帯びた、だが真剣な叫びがほとばしる。


「だ、誰だ?」

 ぎょっとなって勇者リュードが振り返ると、森の茂みを掻き分けて一人の少年が転がり出るように現われた。

 年の頃は一六歳くらい、汚れた服の上にボロのようなマントを纏っている。武具らしいものは何も帯びておらず、一見貧しげな旅人のようだった。

 リュードは眉をひそめた。自分の圧倒的なチート能力を目の当たりにしながら現われた彼は一体……


(魔族の仲間か? それともオレ様と同じチート勇者なのに空気を読まないバカか?)


 見れば、半ば泣きそうな顔でへっぴり腰、足もガクガクと震えている。なけなしの勇気を振り絞って飛び出したのが見た目に丸わかりだった。その姿は山を崩す剣戟の持ち主にも空を砕く強大な魔法を駆る持ち主にも見えない。


「サーチステータス!」


 それでもリュードは一応警戒した。一見、気弱で非力そうなモブキャラもどきが実はチートスキルを持っていたなんてこともままあるのだ……彼の知っている異世界の「設定」では。

 呪文を唱えると空中にガラス板のようなウィンドゥが現われ、少年の能力が数値で表示された。


「体力四二、マジックポイント〇、レベル〇、特殊スキルなし、カテゴリーは人間……ぷげらっ、こいつイキがってるだけのザコじゃん!」


 単なる杞憂だったと安心したリュードは、巨大化させた魔法弾をすいっと消して少年に向き直った。アゴを上げ、余裕たっぷりに問い質す。


「んでさ、お前誰に向かって口をきいてるつもりなの?」

「お、お前に向かってだ、勇者リュード。この異形達はこんな風に殺されなければならないほどの罪を犯したのか?」


 震え声で、それでも少年は勇者へ懸命に対峙する姿勢を崩さなかった。


「ぎゃっははははは、尋問きましたー! 異世界で検察官でも始めるの? それで異世界ラノベでも書くつもりか? 売れるかなぁ? ハイ、発売後二週間で打ち切り宣告確定おめでとーっ!」

「かわいそうだとは思わないのか。それも遊び半分みたいにおふざけで殺そうとする……それが勇者のすることか? それでも勇者のつもりなのか?」

「おいおい、そんな風に正義の勇者様を糾弾しないでくれよー」

「正義だと? お前のどこに正義と勇気があるんだ。言ってみろ!」

「言ってみろ、だとさ。身ほど知らずが」


 嘲笑するチート勇者は相手になろうともしない。

 肩をすくめ、デコピンでもするような仕草で軽く虚空を弾くと、少年は目に見えない何かに殴られたように弾け飛んだ。


「ハハハ、正義の味方を気取るんなら百億光年早かったな」


 傲慢な勇者は唇の端を歪めて笑う。

 嘲笑を浴びた少年はむくりと起き上がるとマントで鼻血をぬぐい、彼を睨みつけた。


(同じだ。現実の世界で僕がいじめられた時と……)


 飲み込んだ鼻血の味覚に、異世界ここに来る前までいた世界で散々痛めつけられた思い出が少年の脳裏に蘇った。

 理由もなく毎日殴られ蹴られ、お金を奪い取られ、抗えば容赦ない制裁を受け……自分の無力が悔しくて泣いた夕暮れ。そのとき飲み込んだ涙と鼻血の味。


(畜生……畜生……!)


 この異世界でも結局同じなのか、というやり切れない怒りが少年の胸にこみあげた。

 世界が違っても、所詮弱い者は悔しさを抱きかかえながらどこまでも耐えるしかないのか。強い者の気の向くまま足蹴にされるだけなのか。

 立ち上がった少年のすぐ傍で虚空が揺らめき微かに鉄の軋む音がしたが、誰も気づかなかった。


「な、何か反撃するの? ねえ、キミ死ぬの?」

「何がチート勇者だ! お前のやってることはただの弱い者いじめじゃねえか!」


 おどけてオロオロする勇者に向かって、少年は絶叫と共にコブシを握り締めて飛びかかる。

 チート勇者リュードは顎を上げ、少年を見下ろした。


「弱い者いじめじゃねえよ。チート勇者はこの異世界の正義なんだから。だから君、死んでね」


 嘲笑の言葉を、少年は聞いてなどいなかった。

 心の中にあったのは、目の前でチート勇者に悪者扱いされ、殺されようとしている弱者をただ救いたいという思いだった。


(僕に力があったら! 弱い者を助ける力があったら!)


 少年の真横の空間が大きく歪んだ。

 鉄と鉄がかち合い擦れ合う音。太鼓の連打にも似た排気音。マイバッハエンジン独特のエンジン音が少年の想いに呼応して咆哮する。

 次の瞬間、閃光と共に「それ」は撓んだ空間から躍り出るようにその巨体を現し、地響きと共に異世界の大地へと降り立った。

 七〇トンの鋼鉄を受け止めた大地が震え、車体を支えるトーションバー・サスペンションが着地のオーバーアクションに耐えかねて撓み、鉄の悲鳴をあげた。


――この力を、弱き者を救う為に捧げたい!


 声にならぬ叫びを聞いたような気がして少年は振り向き、勇者リュードは突然の闖入者に「何だこいつ、どこから出てきやがった!」と、息を呑んだ。


「タ、タイガー戦車だとぉ?」


 見上げるほどの巨体は砂色に緑と茶の迷彩を施され、車体と砲塔は余すところなく斜めに切りたてられている。その威容は虎というよりも動く城を思わせた。

 鋼鉄の王虎は、対峙する二人の間に割って入ると、急制動をかけながらリュードを弾き飛ばして停止した。

 突き転がされ土塗れになったチート勇者はポカンとなって立ち上がったが、我に返って喚き散らした。


「剣と魔法の異世界に時代遅れの戦車が突然何の用だ……失せろ!」


 リュードは「鋼裂光覇!」という絶叫と共に、目に見えぬほどの速さで背中の大剣を振るった。魔法の力で剣は七色に輝き、巨大化する。それは鋼鉄の装甲を切り裂く、虹色の一閃……のはずだった。

 だが、迷彩を施された装甲は鈍い音を立て、如何なる敵も切り裂くはずの大剣を弾き返してしまった。


「オ、オレの魔法剣が効かない?」


 手にした剣を弾かれてよろめいたリュードは刃こぼれした己の剣を見て、信じられないという表情を浮かべた。


「バカな! こんなことが……」


 リュードと対峙していた少年は、突然現われた鋼鉄の王虎を見ても驚かなかった。

 少年はいつも「彼」と共に戦っていたのだ……かつていた世界で、理不尽な暴力を振われながら「想像の中」で。

 その想像の中の自分と同じように、少年はリュードに向かって高く掲げた右手を振り下ろした。


撃てフォイエル!」


 砲口から閃光がひらめいた。雷鳴にも似た砲声が轟き、叩きつけるような風が走る。

 対するリュードは慌てて「剛毅塞陣!」と叫んだ。


「ふっ、オレの絶対防……」


 言い終わらぬうちに、如何なる攻撃も寄せ付けないはずの障壁は卵の殻のように叩き割られた。砲弾の直撃を受けた勇者の姿はその場から掻き消え、彼方にあった岩山が直線上に幾つも砕け散る。

 遥か遠方で「おごわあああああッ!」という絶叫と共に爆発が起こった。


「……」


 爆発音の余韻が消えると、森に元の静けさが戻った。

 少年はしばらくの間、ぼう然となって動けずにいる。

 魔物達を助けようとして命懸けでチート勇者へ挑み、殺されかけ、そこに戦車が突然現われ……無我夢中で何が起こったのか、思考が追いつかなかったのだ。

 だが。


「やった……やったぞ……やっつけたぞ!」


 ティーガーのエンジンが停止した頃、ようやく彼は自分が勝ったことを悟って叫んだ。

 鋼鉄の王虎を振り返る。それは彼の傍らに厳然と存在していた。

 夢ではない。分厚い鋼鉄に鎧われた威容は、まさしく「王虎」の貫禄に満ちていた。


「ティーガー……ケーニヒス・ティーガー。鋼鉄の王虎……」


 その装甲を何度も撫でさすると、少年は閉ざされたハッチへ顔を向けた。

 自分を助けてくれた救世主がそこから現われるはずである。心からありがとうと言いたかった。

 だが、いくら待ってもハッチが開く気配はなく、少年は怪訝そうに声をかけた。


「あの……出てきてくれませんか? 僕、お礼を……」


 応えはなく、戦車の中からは物音ひとつしなかった。

 少年は操縦席へよじ登り、おそるおそるドライバーズハッチを開けた。鋼鉄の分厚いハッチを苦労して何とか開け、「あの……」と、中を覗き込む。

 砲弾を発射した後の煙がもうもうとたち込めているだけで、中には誰もいなかった。

 無人だったのである。

 驚愕と同時に恐怖を感じて少年は思わず後ずさったが、その恐怖を具現化したものは何も現れなかった。


「……」


 しばらくして少年はようやく、王虎が無人のまま動いていたのだと悟った。


「お前なのか?」


 知性を持った生き物へ語りかけるように彼はささやいた。


「……お前が僕を助けてくれたのか? ティーガー」


 応えはない。

 だが、そうだったのかと悟った少年の頬を涙が伝った。


「いじめられるたび、何度も何度も想像していた。お前が現われて悪い奴をやっつけてくれたらって。ありがとう……出てきてくれて。助けてくれて」


 涙を拭うと、彼は照れたように笑う。

 長年ずっと会いたかった友達のように少年は鋼鉄の王虎へ腰掛け、語り続けた。

 自分が本屋に所狭しと並んでいる異世界英雄譚の「現実世界から異世界へ転生したチート勇者」ではないことを。イジメに抗って事故に遭い、気がつけばこの異世界にいたこと。この異世界の何も分からず、行くあてもなく、元の世界へ還る為の手がかりがどこかにないかと彷徨っていたことを。

 ティーガーへ向かってそんなことを一人でしゃべり続けていた少年はそんな自分が恥ずかしくなったのか、やがて照れ笑いしながら立ち上がった。


「さて、一緒に行きたいんだけど、お前をどうすればいいのかな……」


 少年はハタと困った。

 自分以外に要員のいないこのティーガーを一体どう扱えばいいのだろう。エンジンを始動するだけでも大の大人が二人がかりで重いクランクを回す必要があるのだ。


(そういえば、僕が撃てと叫んだ時、こいつは……)


 思い返した少年は、ためいがちに「エ、エンジン始動」と、呼びかけた。

 すると……

 その言葉で起き出したようにエンジンが咳き込んだような音を立て、始動した。まるで目に見えないスターターでもついていたかのように。


「動いた……ぼ、僕の言葉で!」


 最初は低調だった鉄の鼓動は、一定のリズムで安定すると次第に荒々しさを含んだ響きへと強く、大きくなってゆく。

 自分の言葉に呼応した鋼鉄の王虎に、少年は身震いするほど感動した。


「お前は僕の言葉が分かるのか? こんな僕に従ってくれるのか?」


 言葉の応えはない。ただ、空気を振るわせるほどの鼓動を響かせ、鋼鉄の王虎は次の命令を待っている。胸がいっぱいになった。

 今まで幾度となく彼は空想の中で「戦車前へパンツァー・フォー!」と叫んでいた。

 ここで同じ言葉を告げれば、この王虎は進みだすだろう。行く手を遮るものを蹴散らし、きっとどこまでも。地の果てまでも。

 その先に元の世界へ戻れる手がかりだって掴めるかも知れない……


「一緒に行こう、ティーガー」


 ふと、背後に何者かの気配を感じて少年は振り返った。

 離れた木々の間や草むらから自分とティーガーを見つめている視線がある。

 それは虎視眈々と生命を狙う視線ではなかった。


「誰かそこにいるのか?」


 声を掛けると、自分達に敵意はないというように彼等は恐る恐る顔を出した。


「……」


 それは少年が庇った魔物達だった。

 自分が勇者と対峙していた間にどこかへ逃げ散ったと少年は思っていたが、彼等は戦いの行方と……そして少年の身を心配して遠巻きに見守っていたのである。

 少年の頬に思わず微笑が浮かんだ。

 やがて彼等の中から「姫」と呼ばれていた少女がおずおずと姿を現わした。

 夜目にもその麗しさが際立った美少女である。彫りの深い顔立ちに凛とした気品を感じさせた。清楚でしとやかそうな佇まいの中に、探るような視線でこちらをじっと伺っている。

 背後から見つめている魑魅魍魎のような魔物達の視線にも敵意はなく、初めて目にした戦車への好奇心に満ちていた。

 少年と少女は黙ったまま、互いにしばらく見つめ合っていた。

 少女は自分達が何者か誰何されるであろうと思って待ったが、少年の方はといえば少女の美しさに見惚れてぼんやりしていた。

 結局先に沈黙を破ったのは、首を傾げた少女の方だった。

 どう話しかけていいものか分からぬまま、それでも感謝を伝えようとささやくような声で。


「こんにちは……助けて下さってありがとう……」



……それが、異世界リアルリバーで滅亡に瀕していた魔物の一族が後に『鋼鉄の王虎を駆る勇者』として後世に語り継ぐ、少年との出会いだった……

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