間章
《忘却》の剣
大きな黒い毛玉と白い毛玉が玉座の間へと入ってきた。
人を呼び出しておいて、当然のように遅れてやって来る。
普通なら俺を舐めているのかと脅してやりたいところではあるのだが、常識など路傍の石程度にしか考えていない連中にそんなことはやるだけ無駄、エネルギーの浪費に過ぎないから、玉座からじっと睨むだけで済ましてやる。
白衣を着た黒い毛玉と、黒い白衣を着た白い毛玉――双子幼女のグヴェルとガヴェルは、玉座の前にある小さな階段の前で横に並ぶと、その全身を包み込むような、もふもふと波打つ長い髪の毛の間から顔を覗かせて、遅れたことを詫びる心にもない言葉を言う。
「で?」
と、俺は足を組み直しながら水を向ける。
「今度はどんなガラクタを作った。さっさと説明をしろ」
「ガ、ガラクタなんかじゃないかな!?」
「そ、そうだよ! ガラクタなんかじゃないよ! グヴェルたちはいつも一生懸命だよ!」
「確かに失敗することもあるかな? だけど、どれだけ保存しても腐らない食料を作ったのも、魔力の才能のない間抜け共にも魔法を使えるようにする装置を作ったのも――」
「そんなことはどうでもいい。いいから早く説明しろ」
このバカ共のピーチクパーチクやかましい声を聞いていると、この城ごとコイツらを消し飛ばしたい衝動に駆られる。
だが、そんな疲れることはしたくないからどうにかそれを堪えると、二人はようやく本題に入る。
「あの兜のことかな?」
「あの兜のことだよ」
「兜……?」
なんの話だ?
「王は忘れたのかな? あの、《学習》のスキルを持った兜のこと」
「王はグヴェルたちに言ったよ。『あの空に飛んでいった兜をどうするつもりだ』って。だから、グヴェルたちはその対策となるものを発明したよ」
……ああ、あれか。当然、憶えている。今の今まで忘れてはいたが。
「なるほど。それで、その『対策となるもの』とは?」
「これかな? ――あれ?」
「これだよ。――あら?」
二人は背後を振り向いて、それから同じような声を上げる。
「どこに行ったのかな? ちゃんと後ろについてきてるのをグヴェルが見てたはずなのに」
「どこかに行ったよ? ちゃんと後ろについてきてるのをガヴェルが見てたはずなのに」
「見てたのはガヴェルじゃなくてグヴェルかな?」
「見てたのはグヴェルじゃなくてガヴェルだよ」
「ガヴェルじゃないかな、グヴェルかな!」
「グヴェルじゃないよ、ガヴェルだよ!」
「グヴェル!」
「ガヴェル!」
「グヴェ――」
俺の溜息に、二人はギクリとこちらを見上げる。
コイツらでも、そろそろ流石にマズいと思い始めたらしい。二人で目を見合わせてから、逃げるように駆け出して玉座の間を出て行った。
が、すぐにまた姿を見せる。
一人の少女の両手を二人で引っ張って俺の前へと連れてくると、息切れしながら言う。
「こ、これかな?」
「そ、そうだよ。これだよ」
「これは、本当はあの兜とほとんど同時進行で作ってたものかな?」
「そうだよ。でも研究に夢中で、王に装備なんて必要ないことを忘れてしまってたよ」
「だから反省して、この装備をコアとする自動人形(オートマトン)を作ったのかな?」
「作ったよ。だから、あれから少し時間がかかったよ」
「自動人形(オートマトン)?」
俺は二人に挟まれた――十代半ばあたりの年頃に見える少女を見る。
髪は黒く真っ直ぐで、腰まで届くほど長い。顔立ちは端正だが、その焦げ茶色の瞳に感情の色はなく、どこか冷たさというか、影を感じさせる。
黒く、やけにフリルの多いドレスを纏ったその身体はほっそりとして華奢。しかし、その背中には少女が扱えるとは思えないほど大きな――少女の身長とほとんど変わらないような長さの剣が剥き出しで背負われている。両刃の、対ドラゴン用に作られたような分厚い大剣である。
――あれが本体か。
俺がそう思うと、
「流石は王、もうお見通しかな?」
「お見通しだよ。この自動人形(オートマトン)は背中の剣がコアだよ」
「兜を破壊するための剣、ということか?」
「破壊ではないかな?」
「破壊ではないよ。あの兜を破壊することは、たぶんほとんど不可能だよ。壊そうとすればするほど、あれは逆に強くなっていってしまうよ」
「ならば……?」
「この剣には、《忘却》のスキルをつけてみたのかな?」
「つけてみたよ。この剣は斬ったものから知識や記憶も一緒に削り取るよ。攻撃をされたことさえ《忘却》させてしまえば、《学習》のしようもないよ」
「…………」
また面倒なものを作ってくれたな、このアホ共は。
そう俺は頭を痛めるが、二人はそんなことお構いなしにベラベラと楽しそうに喋り始める――のかと思いきや、珍しく反省の色を窺わせるような顔で黙り込んだ。
「……どうした?」
「実は、ちょっと問題があるのかな?」
「ちょっと問題があるよ。この剣には、あの男――兜に封じた男とほぼ同時に死んだ人間の意識を入れてみたんだけど、この人間が……」
そう言葉を窄めて、二人は真ん中に立つ、二人よりもずっと背の高い少女を見上げる。
その少女は――まるで恐れというものを感じさせない、氷のように鋭い目で真っ直ぐに俺を見つめている。いや、睨んでいる。
その少女を怯えたように見上げながら、二人は続ける。
「この女が、ガヴェルたちの手に負える人間じゃなかったのかな?」
「手に負える人間じゃなかったよ。グヴェルたちは命の恩人なのに、これまで何度も殺されかけたよ」
「なんの意味もないのに、顔と身体を徹底的に作り直させられたのかな?」
「作り直させられたよ。なんにも変わらないのに、鼻だけで何十回も――アイタッ!」
グヴェルの頭に、少女が拳を叩きつける。
「あんな豚のような鼻と今の私の鼻が『なんにも変わりない』なんて、やはりあなた方の目は節穴ですね。これでもまだ我慢してあげているというのに」
言いながらも、少女は決して俺から目を放さない。
……この、俺の中身を値踏みしようとするような目。こういう目をするから、俺は女が苦手なんだ。
早々に話を進めて切り上げよう。俺はそう決めて、
「お前は《忘却》のスキルを持っているようだな」
「そのようですね」
「なら、その証拠を見せてみろ」
「なぜですか?」
「……なぜ、とは?」
「私があなたに指図される筋合いはありません」
「…………」
俺はグヴェルとガヴェルを睨み下ろす。俺の言うことも聞かないような自動人形(オートマトン)を作って、一体なんの役に立つというんだ?
……なんて、訊くだけ無駄か。このアホ共が、後先考えて何かを作った試しなど一度もないんだからな。
だが、コイツらにもそろそろ何かしらの処罰を――。
と思っていた矢先だった。少女が大きく一歩下がりながら大剣の柄を握り、その華奢な腕でそれを一気に横へ振るった。
背中を斬られたグヴェルとガヴェルは吹き飛びながら前へ倒れて――しかし奇妙なことに、その身体からは一滴の血も流れていない。
刃の先が見えるほど深く――つまり完全に胴体を分断されたはずなのに、傷ひとつない様子でひょっこり起き上がる。
「な、何するのかな!?」
「何するんだよ!?」
「何もしていませんが?」
既に大剣を背中にしまい直して、少女は平然と言う。
そんな少女をグヴェルとガヴェルはポカンと見上げて、
「……なんだったかな?」
「……なんだったよ?」
「何が……なんだったかな?」
「何が……なんだったよ?」
「というか、君は誰だったかな?」
「君こそ誰だったよ?」
「おい、お前たち」
俺が口を開くと、二人はキョトンとこちらを見上げる。そして同時に、
「「王?」」
どうやら自分の名前は忘れても、主である俺の名は忘れなかったらしい。なんと忠
実で殊勝な……というものではないだろう。おそらくこの少女が、意図的に、部分的に《忘却》をさせなかったのだ。
「お前たちに、俺は謝らねばならない。俺は今までお前たちのことを散々アホだのマヌケだのと言ってきたが、どうやらそうではなかったようだ。お前たちも、ついに俺が永らく求めていたものを作ってくれた」
「……な、何を作ったんだったかな?」
「何を作ったんだったよ?」
「もういい。お前たちは下がれ」
これから先、グヴェルとガヴェルが暴走し始めても、この少女を使えば、即座にそれをやめさせることができるわけだ。……一歩間違えれば、俺にとっても脅威となりかねない厄介なヤツではあるが。
戸惑った様子で玉座の間を後にしていくグヴェルとガヴェルへと向けていた目を、俺は少女の暗い茶色の瞳へと向け直す。
「俺が命令するまでもないか?」
「はい。私は彼のもとへと行きます」
「お前はあの男とはどういう間柄だ?」
「……あなたには関係ありません」
と、少女はその首に巻いていた、真冬に身につけるような白い襟巻きに口元を埋める。
「私がなぜここにいるのか、何をするべきなのかは、あの二人からもう何度も聞かされています。だから説明は結構です。……私はやります、言われなくても。いや、やらないといけません」
少女の表情は追い詰められたように深刻だ。何か、余程あの男に深い恨みがあるのか、あるいは……。
……まあ、そんなことは俺には関係ないか。
「ならば、俺から言うことは何もない。『あれ』は放置すればするほど厄介な存在になりかねん。可能な限り早く全てを忘れさせろ」
「『忘れさせろ』?」
少女は繰り返し、その鋭い双眸をさらに鋭くさせる。
「忘れさせるだけじゃ足りません。私は彼を殺します。いえ、壊します。壊さないと気が済まないので」
「……方法は?」
「あなただって不可能だとは思っていないんですよね? 私も同じです。色々やりようはありますから」
そう言って、少女はフリルスカートを揺らしてこちらへ背を向け、玉座の間を後にしていく。
俺はその背中を見送りながら、深く嘆息をつく。
何か酷く面倒なことが起ころうとしているような――そんな予感がするのだった。
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