海難

秋風ススキ

本文

 江戸時代中期のお話

 山陰地方のある所に比較的大きな漁村があった。そこの網元は、その村を所領に含んでいる大名から正式に、その辺りの海で漁業を行う排他的な権利を与えられていた。代わりに、金銭による税を収めるのに加えて、お城で大名やその一族が食べるための魚を定期的に献上するのであった。お城は少し遠い上に、網元といえども武士でもない領民が直接、大名や家老クラスの武士に会うことはできないので、献上する魚はその漁村の近くに住んでいる郷士に手渡すのであった。郷士というのは、いわゆる兵農分離以前の武士の状態に近い武士であり、城勤めではなく、城下町からは離れた場所で畑仕事などもしながら暮らしている武士のことである。武士であるから帯刀も許されている。その漁村の近くに住んでいる郷士は1人というか1つの家だけであったから、網元が魚を届けるのはいつもそこであった。郷士はその受け取った魚を城下町まで持って行き、城勤めのそれなりに格のある武士に手渡し、それがまた数名の手を経て最終的には殿様や一族の口に入るのであった。

 さて、網元には若い息子がいた。子供の時から泳ぎが得意で、力も強かった。初めて漁に同行した時には船酔いもせず、船の上で大いに働いた。そういうタイプは向こう見ずであることが多いが、その息子は親や古老の言いつけをよく守り、風や潮の変化に敏感、意味も無く危険な真似はしなかった。それでいて仲間が溺れた時には助けるために率先して海に飛び込むのであった。

 郷士の家に魚を届ける役は網元がやっていたが、加齢と長年の漁師仕事によって、漁の後でまた歩いて出掛けるというのがきつくなったのと、跡取りを早い内から郷士たちと親しくさせるという意図もあって、息子に行かせることにした。息子はその仕事をちゃんと務めた。そして郷士の家に魚を届けるのも3回目という日、息子はたまたま、郷士の家の娘と出くわした。普段は屋敷の中で繕い物をしたり本を読んだりして過ごしていたが、その日はちょっと庭の木の様子でも見ようと、庭に出て来ていたのであった。

 魚をお届けに来ました、うちの者を呼んで来ます、というような簡潔な会話しか交わさなかったが、相互に好意を抱いた。だが、それだけのことであった。郷士とはいえ武士であり、網元とはいえ領民なのであった。ただ、それ以降、網元の息子が魚を届けに行く時には、郷士の娘の方でタイミングを見計らっていて、できるだけ自然な形で庭に出て来て、2人は挨拶に毛が生えた程度の会話を交わすのであった。

 網元の息子よりも郷士の娘の方が少し年下であった。

 初めて会ってから1年ほどが経過した頃、網元の息子と郷士の娘、それぞれに縁談が持ち上がった。網元の息子の方は城下町で魚問屋を営んでいて、仕事の上で親しくしている家の娘さんが相手であり、郷士の娘の方は城勤めの、親が奉行を務めたこともある若い武士が相手であった。どちらも良い縁談であったのであるが、2人とも気分は優れなかった。

 気分が優れないとは言っても、網元の息子の方は、まあ仕方がない、城下町から村へ嫁いで来てくれるのであるから有り難い話ではないかと思っていて、親や周囲の人に勧められるままに、事を進めていた。郷士の娘のことは考えないようにしていた。

 もうすぐ祝言という時に、郷士の娘の訃報を知った。噂好きで情報通の知り合いが仕入れて来た話を、自分は別に興味が無い風に装いながら聞いたところによると、縁談を知らされた頃から塞ぎ込みがちになり、食べ物もあまり咽喉を通らなくなり、そうやって身体が弱っている時に風邪をひき、そのまま他界したとのことであった。

 網元の息子は深い後悔の念に圧し潰された。初めて自分が、あの娘のことを本当に好きであったことに気付き、同時に、行動にも移さないような、相手の心の苦しみにも思い至らないような、不実な愛であったことも思い知らされた。

 娘の死を知った数日後。網元の息子は1人で海に出た。訃報に接して以来、ほとんど眠っていなかった。不審に思い、理由を聞いたり止めようとしたりしてくる人たちを、祝言のために大きな魚を獲って来る、と言って振り払いながら。

 風や潮の具合が悪いと分かっていながら沖へ沖へと船を進めたのは初めてのことであった。自分でも何がしたいのか分からなかった。

 やがて嵐に巻き込まれ、操っていた小さな船は大きく軋み始めた。波に揺られる。船から砕けた木片が手足を傷つける。その時、網元の息子は目の前に大きな船が現れたことに気付いた。白くて、それまでに見たことが無い形の船であった。そしてその甲板から縄が下りてきていることに網元の息子は気付いた。船がついに壊れる。網元の息子は必死に泳いで、その縄の先を掴んだ。

 気が付くと、今まで触ったことも無いような、柔らかくて厚い布団の上で仰向けになっていた。自分の手足に少し痛みを感じた。見ると、誰かが手当てしてくれたらしく、白い布が巻かれていた。今までに嗅いだことの無い匂いが、そこからほんのりとしていた。

 網元の息子が目覚めた時、そこは彼以外誰の姿も見えない部屋であったが、やがて扉を開けて1人の男性が現れた。若者であったが、自分よりは年上であるように網元の息子は感じた。その人は少し話し方が変であったが、その人が手当てしてくれた人であること、網元の息子は2日間ほど眠り込んでいたことを教えられた。

 傷の治るのを速めるという薬をもらい、網元の息子は飲んだ。その後で料理も食べさせてもらった。

 網元の息子は、相手が自分の知らない、それどころか城の侍たちでさえ知らないような、優れた知識と道具を持っているらしいと気付いた。そこで、助けてもらったお礼を述べた上で、自分の状況について、郷士の娘の死について説明し、どうにか助けてもらえないかと頼んだ。

 相手は承諾した上で、そのためにはもうしばらく、この船の上で過ごさないといけないと言った。網元の息子はこの時初めて、波の上にいる時に感じる揺れを、今も感じていることに気付いた。それくらい軽微な揺れであった。そうか、これが宝船かと網元の息子は思った。

 この薬とこの薬が病を治す薬、こちらは元気をつける飲み物、そしてこれは小さいけど頑丈な船。網元の息子はそういう風に教わりながら物をもらった。使った後の船や薬の入れ物は、人には見つからないように、燃やしてしまうようにとも言われた。燃やしてしまった後ならば、このことを人に話しても良いとも。

 いよいよ別れの時が来た。網元の息子の怪我はすっかり治っていた。廊下を案内されて進んでいると壁の一部が開いて、向こうに嵐の海が見えた。何日も待ったのにまだ嵐か、とは思ったが、さあ、行くのですと言われて、網元の息子は素直に船出した。きちんとお礼を言ってから。

 船を進めると、段々と嵐が弱くなり、いつの間にか青空の下で船をこいでいた。そして見慣れた海岸の景色が見えた。網元の息子は元気づいて、こぐペースを上げた。いつもの場所に上陸しようかと思ったが、その船は他人に見られないようにしてほしいという言葉を思い出し、木々の生い茂っている場所へ向かった。こっそりと上陸。太陽が高く昇っていた。

 自分がいなくなって騒ぎになっているだろうなと思いつつ村へと歩む。知り合いのお年寄りが、村から少し離れた場所で、果物の木の世話をしていた。その老人は網元の息子に気付くと、驚いた顔で、

「おやまぁ? 網元の家の」

 と、言った。さらに、あなたは今朝早く、親御さんと一緒に町へ出掛けたはずでは? と、不思議そうな顔で尋ねて来た。ほら、魚問屋の人たちと色々と話をするために、と。

 網元の息子は当惑しつつも、ええと、わたしはここの人間ではないのです、おそらく他人の空似でしょう、と言って誤魔化し、逃げるように歩き去った。

 亀に連れられて海の中の城へ行った人が、戻って来てみたら数百年が流れていて、知り合いが誰もいなくなっていた、という内容の話は聞いたことがあった。

 自分が家族と一緒に魚問屋の家へ行ったのは何日も前のこと、そう、郷士の娘の死を知る10日も前のことであった。

 事態をしっかり認識できているという自信は本人にも無かったが、網元の息子の行動は早かった。人目につかないように気を付けながら郷士の屋敷へ急いだ。そして、屋敷の中に忍び込むように入った。屋敷に上がったことはあったが、娘の部屋へ行くのは初めてであった。咳の音が聞こえる。

「失礼いたします」

「あら」

 娘は布団の上であり、その母親が傍らにいたが、母親も憔悴している様子であった。事前の約束も無しに若い男が入り込んできたのにも関わらず、特に大声をたてたりもしなかった。

 詳しい事情は言えないが、良い薬を持ってきた、飲んでいただきたい、という意を言葉で伝える。娘は嬉しそうであり、母親も反対しなかった。

 薬の後しばらくしてから、元気をつける飲み物も飲ませる。娘は心の上でも元気を取り戻している様子であった。眠るように網元の息子は勧め、郷士の娘はそれに従った。母親に口止めした上で、網元の息子はその場を立ち去った。

10日以上、山林に身を隠し、木の実や山菜を食べて過ごした後で、網元の息子は村に戻った。

「心配したのだぞ。1人で海に出るから」

 という父親の叱責の言葉に謝罪の意を示しつつ、自分の認識が正しかったという確信を得る。

父親などに対しては、船が流されて、ここから少し離れた海岸に打ち上げられた、ということにした。

 この奇妙な振舞いが伝わったのか、魚問屋の方で縁談を考え直したいという動きになった。網元の息子は父に対して申し訳なく思ったが、父はそれほど気にしていないようにも見えた。なんとなれば、この辺りで魚を獲ろうと思えば網元の許可が必要なのであり、獲った魚を他の商人に売ることはできる一方で、魚問屋が勝手に人を雇って漁を行うということはできないのである。

 しばらくして、郷士から網元に対して縁談の申し入れがあった。自分の娘を網元の息子に嫁がせたいという申し入れである。網本は初めの内は恐れ多いことであると恐縮したが結局、受け入れることになった。

網元の息子と郷士の娘は結婚し、子宝にも恵まれ、末永く幸せに暮らした。


 以上、おれの家に伝わる物語である。荒唐無稽ではあるが、我が一族が網元の地位を長く手にしていたことは事実である。家系図を調べると、江戸中期に武士階級の女性が嫁入りしてきたというのも事実であるらしい。明治維新や戦後の改革を経て、網元の家系が漁についての権利を独占するという仕組みは無くなったが、その時代の先祖が上手いこと立ち回ってくれたり努力してくれたりしたおかげで、一族は今でも裕福である。地方の中小企業という規模ではあるが、養殖業や造船業の会社を経営していて、それから所有する土地を駐車場やアパート用に貸し出すこともしている。地元では名家と認識されている。

 おれは東京の私立大学へ進み、東京で就職もしたが、その会社は数年で辞めて地元に戻って来た。一族で経営している会社の1つに社員として入れてもらい、のんびりと働いていた。休日に地元の議会や銀行の偉い人、中小企業の経営者の人たちとゴルフに出かけて親睦を深めるのが、むしろメインの仕事みたいな感じであった。

 接待ばかりでは、もてなす側にしても、もてなされる側にしても退屈になってくる。おれは親族の遺産や生前贈与としてもらったお金を使ってクルーザーを購入した。一応、造船業の参考にするため自ら消費者になるという理屈もつけて、一部の親族にはそういう風に言っておいた。おれが勤めているのは造船業の会社ではないし、その会社にしても造っているのは小形の漁船や貨物船であって遊びのための船ではないのだが。

 緊急脱出用のゴムボートが備え付けられていて、それが出るための扉が船の側面にあり、スイッチを押すと開くようになっているクルーザーである。

 気持ちの良い陽光が海を照らしている日であった。連休の初日。おれは船出した。とりあえず1人で楽しんで、翌日には友人や親族の中でも若い子たちを招く予定であった。10人以上が来ることになっていたので、気の早いことではあるが、既に船内には沢山の酒や食料を載せてあった。急病人や怪我人が出た時のために医薬品の類も。

 港を出てしばらくは最高の気分であったが、しばらくすると雲行きが怪しくなってきた。文字通り、黒い雲が空に現れたのである。天気予報では晴れだと言っていたのに酷いな、と思いながら、おれは針路を港に向けた。だが、いつまで経っても港が見えてこない。自分の船がどこにいるかも分からなくなった。

 慌てて無線機を使ったが応答は得られなかった。暗雲がまるでおれの船に張り付いているかのようというか、おれの船を中心として広がっているかのようでさえあった。風にあおられ、波に押され、揺れ続ける船。

 船の揺れには強く、船酔いしにくい性質なので、とりあえず食事をとることにした。幸い様々な種類のものを持参している。食べて、少し寝た。寝ている間に嵐の静まっていることを期待して。

 それ以来ずっと嵐の中である。

 何日も、いや何年も、何十年も経過しているはずなのに、食べ物は減らない。たしかに食べていて、その時は減るのを確かめているのであるが、いつのまにか補充されている。そしておれは老化しない。ずっと暗雲の下にいて、太陽も月も星空も見ていないから実感しづらいが、もうずっと長い時間を船の中で過ごしている。

 幽霊船の船長にでもなった気分。

 時々、他の船などと遭遇することがある。タンカーが視界に入って、こっちから無線を打ったことがあるが、応答は無かった。電波を受信することはたまにあって、途切れ途切れではあるがラジオで音楽を聞くことができた。はじめの頃は現代の歌謡曲も昭和の歌謡曲も聞くことができたのに、途中から昭和の曲ばかりになった。それすら最近は受信できていない。

 甲板に出ることによって外の景色を見ることができるのであるが、雨に打たれて風に吹かれながらである。写真やテレビ番組でしか見たことの無い戦艦のような姿を、遠くに見たこともある。

 船から飛び下りればきっと解放されると思うのだが、それをする気にもなれない。美味しい食べ物と飲み物が、種類は最初におれが持ち込んだ物に限られるが、無尽蔵なのである。死に急ぐこともないだろう。そう自分に説く。

 ごく稀にではあるが、魚が甲板に打ち上げられたリ、鳥が落ちたりする。新鮮な食料である。ある時など伝書鳩を見つけた。ぐったりしていたので船内に連れて行き、持っていた手紙を調べてみると、レースとして手紙を運んでいる鳩であるようであった。鳩の飼い主の名前や飛ばした、つまりレース開始の日付が記載されていたが、1900年代の初頭の日付になっていた。鳩に食べ物を細かくしたものを与えると元気になり、また飛び立ちそうにしていたので、手紙を元に戻してから甲板へ連れて行き、嵐の中へと飛び立たせた。元気よく飛んで行ったから、きっと役目を果たすことができるであろう。船内には数日いたから、数日休むどころか数日分を稼ぐことになり、レースで良い結果を残したかもしれない。ちょっとズルだけど。

 誰かの役に立つことができるというのは嬉しいことだ。ずっと1人で、何も生み出さずに生きていると特にそう思う。

 小舟で難破している漁師の若者と遭遇するのは、まだしばらく先のことになるであろう。ロープはクルーザーに備え付けのものがあるので、人間1人を引き上げるために、腕力と握力を鍛えておきたいと思う。

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