それは、ホントに不可抗力で。
いつきさと
嵐の前のひと騒ぎ。
01
「あーっ! 私の出目ちゃん死んじゃったぁ!」
甲高い叫び声にイラっとする。
斜め向かいで額を寄せ合い携帯電話を覗き込んでいるのは、自称総務部の花、
カタカタとキーを打つ音とカサカサ紙の擦れる音、そしてときたま鳴る電話のベルと淡々とした話し声が響く静かな総務部のオフィスに、声のトーンを多少落としてはいるが、クスクスコソコソと愉しげにゲームに興じる彼女たち二人の声が、異様に響いている。
出目金と戯れるのは別に構わない。ましてや課金して売り上げに貢献してくれるのだから、ゲームのオーナーとしてはありがたい話である。だが、いまはまだ終業時間前。残業までしろとは言わないが、せめて時間内くらいちゃんと仕事をしてほしい。
夜は約束があるし、明日からは年休消化名目の海外旅行だというのに、私のデスクにはいまだ手つかずの書類が、山積みになっている。
あんたたちはそんなに暇なのかと、顔を上げモニタの隙間から島の斜め向かいに位置する彼女たちのデスクをチラと見やれば、まあなんとスッキリ片付いていること。
なるほど、そういうことですか。
今日は午後から、総務課の篠塚課長と総務部全体の影の実力者と噂される田中先輩が留守なのをいいことに、人に仕事を押し付けて自分たちはゲーム三昧。いい根性しているじゃないの。
オフィス内に居る他の面々はどうかといえば、自分の部下でもあるまいし、誰も注意する気は無いのだろう。時折、チラチラと彼女たちの様子を窺いはするが、黙々と自分の仕事をしている。
彼女たちの行動を気にしている時間は無い。私はため息をつきつつモニタに視線を戻し、なにがなんでも六時までには終わらせてやると、キーを叩く指の動きを速めた。
一心不乱にキーを打ち続けて、どれくらい時間が経っただろう。突然背後に気配がしてフーッと耳に吹きかけられた生温かいこれは、人の息。
「関口さん、悪いけどこれ……」
ギョッとして声にならない悲鳴をあげ、のけぞった真横にあったのは、容姿端麗成績優秀将来有望、生まれも育ちもお坊ちゃん、営業部の王子と呼ばれる
大沢は、なぜだか知らないが取り巻く女子を見向きもせず、私に懐いてくる面倒な年下男。素っ気なくあしらう言葉にすら喜びを感じている様子に、近頃ではすっかり諦め、適当に相手をしている。こいつの思う壺と言えなくもないが。
「な、なんですか? 突然?」
「ゴメンナサイ。驚いちゃいました? あの、関口さんにこれ、お願いできないかなぁと思って」
「え?」
ニッコリと華麗なスマイルを作り、デスクにドサッとファイルの束を置く大沢の顔を見なかったことにして、その一番上に置かれたメモを一瞥した後、指先でつまんで脇へ避け、おもむろにファイルを手に取った。
「そのメモの感じでまとめてほしいんっすよね。ざっとでいいんで」
パラパラとファイルをめくり、何を求められているのかはすぐに理解したが、なぜ私にとの疑問が湧く。
「これって……企画書ですよね? 営業の方でやる仕事じゃないんですか? 事務の方いらっしゃるでしょう?」
「いやあ、これ、急ぎで必要なんっすけど、俺なんかの仕事じゃ忙しいからって相手にされないんっすよ。頼んでもいつできるかわかんないし……。お願いしますよ、お礼にメシ、奢りますから」
困った顔を作り両手を合わせ拝み倒せば、かわいい王子の頼みごとを聞き、デートもできて一石二鳥と。幸いなことに私は、男の美醜に興味は無いのだ残念でした。
それにしても、向こうで相手にされないから私ってそれ、むちゃくちゃ失礼だろう。
さて、どうするか、と、顔を上げれば、さっきまで出目金の死を嘆いていたはずのふたりが、貪欲さを丸出しにして近寄ってくる。これだけ大きな声で話しをしているのだ。聞こえていないはずがなかった。
「大沢さん、お困りでしたら、私がお手伝いしますー」
「私もやります。よかったら、お手伝いさせてください」
両側から大沢の腕を掴み、甘い声で品を作るふたりを、キミはどう躱すのか、とくと見物させてもらおう。
「ごめんね、ふたりとも。気持ちはありがたいんだけど、これは、関口さんにお願いしたいんだ」
「ええー? どうしてですかぁ?」
「関口さんにできる仕事だったら、私たちにだってできますよ?」
「そうよねー。それにさ、関口さん、いま、手いっぱいだし。これ以上仕事押し付けちゃ気の毒よ」
その手いっぱいの原因は、どこのどなたでしたか。
まあ、良いタイミングだったことは、認めてあげましょう。
「大沢さん、ごめんなさい。私、これ全部六時までに終わらせなくてはいけないんです。ですから、本当に申しわけないんですが……」
「いや、でも……」
「それに、このあと私、佐々木さんと約束があるんですよ」
「え? 佐々木さんっすか?」
佐々木の名を出したとたんに、大沢の顔色が変わった。
営業部に所属する佳恵は、大沢含む若手男子から、ちょっと怖れられている美貌の魔女。
まあ、当然だ。
隙の無い容姿と荒い気性、さらに、理詰めでガンガン説教されるのは、私でも時々怖いと思うのだから。
「わかりました。無理言ってすみませんっした……」
資料の束を掴みうなだれて背を向ける大沢は、まるで叱られた大型犬。
ちょっと可哀想なことをしたかなとは思うけれど、こちらも暇なわけではないし、甘い顔を見せたら最後、つけあがる隙を与えるだけ。油断は禁物だ。
そのガックリした様子をわかっているのかいないのか、美香とエリカのふたりが後を追いかけていく。
やっと静かになった。急いで終わらせてしまわねば、それこそ今度はこちらが叱られる番になる。
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