ヴァルキュリア
歩兵
第一話 神に魅せられた女
それは明らかに巨大だった。
「あ、ああああ……」
誰かが悲鳴とも分からぬ
そんな
やがてフッと頬に何か伝った感触がしたが、私はそれを拭うために手を上げることができなかった。その感触は一つ、二つ、三つと増えていき、段々と流れる感覚が短くなり最後にはとめどなく流れ続けた。
巨大な生物はまるで人のような姿をしており二本足で立っている。
彼の足と腕は細く、体も細い。しかし、それと相反するように顔面の部分は空を覆う雲を
また、その腕たちは
そして、何よりも目を惹くのは背中に生えたひと際大きく太い一本の腕。もし、彼がそれを振るうことがあるのなら、私や蜘蛛の子の命は一瞬で消え去ってしまうのだろう。
先ほどから彼の周りに
一匹の羽蟻が高層ビルに激突すると、ふんだんに使われていたガラスを飛散させながら大きな爆発音を立てた。
あぁ。
彼に似合うのは
その間に流れる音楽は無であり、静寂でなければならない。
なぜ、あの羽蟻共はそんな大事なことが分からないのだろうか。
わからない。
だが、私がどうするまでもなく、彼は羽蟻共の命の
やがて、そのうちの一つが近くで粗相をしている女学生に伸びてきた。大きな手を開き、五本の指で彼女の胴体を握りしめてゆっくり、ゆっくりと愛しい我が子の首を絞めるように緩やかに握る力を強めて、女学生の体を潰した。
ああああ、なんと
彼の行動の一つ一つにはたしかに私たちの命に対して最大限の敬意が払われていた。それをあの羽蟻共が台無しにしたというのに――彼は初めと何ら変わらぬ様子で儀式を続けているように見えた。
一体、彼は何のために私たちの命を摘みとるのだろうか。
ああああッ、私はなんておこがましい。
私が彼の行動を推し量るなど――なんて、なんて、おこがましいのか。
ああああ……こんなに
ネクタイを外し、眼鏡を外し、ヘアゴムをほどき、靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、下着を脱ぎ、スカートを脱ぎ、下着を外し、シャツを脱ぎましょう。
羽蟻共は刈り取られ、ビルの崩壊も止まり、蜘蛛の悲鳴も止み、辺りにはようやく静寂が訪れていた。
そして、彼の腕の一つが私にゆっくりと近づいてきた。伸ばされた腕を受け入れるように私は両腕を大きく広げ、目を
……だが、いつまで経っても私の胴体を包み込んでくれるはずの衝撃は訪れなかった。
……ただ待っていた。静寂は次第に大きくなり、彼の足音も近くまで聞こえる。
……だというのに、未だに彼の腕は私を掴んでくれなかった。
ついに耐えかねた私が目を開けると、そこには彼の大きな瞳があった。闇より
私の感情はそこで決壊した。流していたはずの涙は枯れきってしまっていたのか、私は瞳から血を流しながら彼に対して
「ッ! 申し訳ございません! 貴方様のことを一度だけでも疑ってしまいました。それが故に瞑っていた目を開けてしまったこの私をどうかッ! どうかッ! お許しいただけないでしょうか? 貴方様のためならばどんなことでも致してみせます。ですから、どうか私もかの者たちと同じ様に貴方様の手で摘み取ってはいただけないでしょうか?」
彼の前で両膝を地面につけて、胸の前で手を組み彼に
ああああ、私はなんて醜いのでしょうか。
泣きながら喚き、自分で静寂こそが彼に似合うなどとほざいておきながら自分でもそれを守れないのです。きっと彼はそんな醜い私の内面を鋭く見抜いていたのでしょう。
彼は顔を上げて再び立つと背中に生えた巨大な腕を天高くに掲げ、今まさに振り下ろさんという姿でした。
ああああ、なんてひどい仕打ちなのでしょう。愛した彼に私が最も嫌っている方法で別れを言い渡されるなんて……こんなことなら私も羽蟻のように飛ぶか、蜘蛛の子のように一目散に逃げるふりをした方がよかったのでしょうか。
しかし、せっかくの最後です。涙を拭き、自分の足で立ち、静かに最後の時を待つとしましょう。
彼の無慈悲な拳が東京に振り下ろされたその瞬間――私は死にました。
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