第17話 松永家

 初めてコカゲの家の前に立ったヒナタは唖然とした。児童相談所までコカゲの父・勝重が立派な車で迎えに来てくれて、それもキティちゃんのステッカーなんて貼っていないピッカピカの外国の車で、乗り込んだ時点でヒナタは呑まれていた。

 コカゲの家は栂西中学から10分ほどの場所にあった。周辺は邸宅が並んでいるのだが、その中でもひと際大きい。門扉なんてユニバにありそうなしつらえだ。車庫には車があと2台並んでいる。一人一台ってマジか?ヒナタは驚きながら車を降りた。勝重が荷物を持ってくれる。


「ヒナちゃん。朝からコカゲが大変なんよ。今日は歓迎会やから何食べるとか、サプライズはどうするとか大騒ぎ」

「え?有難うございます。でもお客さんじゃないし」


 莉が玄関から出て来た。


「ヒナちゃん、ようこそいらしゃい。今日からよろしくね。なんも心配要らんからね」

「はい、私こそよろしくお願いします」


 ヒナタは深々とお辞儀をした。後ろから勝重が言った。


流石さすがは剣道部やなあ。お辞儀もきちっと決まってるわ。あれ?コカゲは?」

「あの子、玄関で待ってるって、何か照れてるみたい」


 三人は玄関に入る。正面に大きな紙を持ってはにかむコカゲがいた。


『ヒナ ようこそ!』


 凝った字体と色で、コカゲが時間をかけて書いたのだろう。ヒナタは少しうるっと来た。どちらかと言うと大人しいコカゲが精一杯張り切っている。


「お帰りヒナ」


 コカゲはそう言うと突然泣き出した。ヒナタはびっくりして、


「え?どうしたんコカゲ、いや、困るなあ、あたしが嬉しくて泣く方やのに、コカゲが泣いてどうすんの」

「うん、うん、ごめん。ヒナ、辛かったやろな思たら、何かこみ上げてきた。ごめん」


 莉がコカゲの肩をさすっている。


「でもほんまにヒナちゃん辛かったやろなって思うたらね、コカゲじゃなくても涙出るわ」


 後から勝重が


「あのな、ヒナちゃんの再出発の日やねんから明るくしてくれよ。コカゲ、サプライズはどうした?」

「うん・・・思いつかへんかった」

「何やそれは・・・」

「さ、ヒナちゃん上がって。コカゲお部屋に案内してあげて」


 ヒナタの部屋は二階の一室。コカゲの隣だった。家は洋館で室内もヨーロッパ風。階段の手擦りに至るまで凝っている。部屋には机と椅子、本棚にクローゼット、ベッドに花台が置かれていた。お姫様の部屋みたい・・・ヒナタは圧倒された。畳の部屋しかなかった団地とは雲泥の差だ。窓は出窓になっていて、レースのカーテンが弧に沿って下がっている。


 ヒナタの荷物はあらかじめ搬入されていた。


「ヒナの荷物、一応自分で収納した方がええかなって思って、来たそのままやねん。もし入りきらへんかったら言うてね。チェストみたいなんとか持って来れるから」

「うん。有難う。コカゲ、まだピンと来てへんけどよろしくね」

「ううん、こちらこそ。いろいろヒナの家と違うと思うけど、ヒナが思うようにしたらいいと思うから、なんか言いにくい事とかあったら私に言うてね。えっとトイレとシャワー案内するわ。二階にあるからいちいち降りんでも済むから」


 持って来た荷物を部屋に置いたヒナタはコカゲについて家の中を回った。1階に広々としたリビング、ダイニング、家事室、バスルームにトイレ、ゲスト用の和室と洋室があった。二階には両親の寝室と父の書斎、ウォークインクローゼット、コカゲとヒナタの部屋と更に洋室が1室、それにシャワールームと洗面、トイレがあった。単純に数えると9LDKになる。ヒナタの家が優に3つ分入りそうな広さだった。


 ヒナタの荷物の量は知れている。キャリーケースに入った日々の日用品・学用品と段ボール3つ分の衣類と文房具類が全てだ。松永家が用意してくれたクローゼットや本棚はガラガラだった。コカゲの部屋を見せてもらったヒナタは柄にもなく恥ずかしくなった。コカゲの本棚には参考書や楽譜が並び、クローゼットにも服がギュウ詰めにぶら下がっている。様子を見に来た莉は


「すぐ大きくなるからどんどんお洋服が替って、増えていくんよ。捨てるのも勿体ないしね」


 と気を遣ってくれた。


 莉はヒナタもコカゲの学校に転校をと考えたらしいが、既に3年生だし、市役所の渡辺さんとの話し合いで学校はそのままとなり、剣道も続けさせてもらえた。こうして多少ぎこちないながらも松永様方掛川ヒナタの生活は始まった。


 しかし、家庭によってこうもいろんなことが違うものなのかとヒナタは驚いた。ヒナタの家では父が植木職人と言う事もあり朝は早かった。朝食はテーブルに用意されたトーストとゆで卵を勝手に取って、飲み物は自分で用意し、10分程度でさっさと済ませた。しかし松永家では全員が揃って、勝重は新聞を片手に、莉はエンタメニュースを見ながらのんびり食べた。勝重の出勤が遅く、また自分の事務所である事から比較的時間を自由にできる事もあっただろう。シャキシャキ型だったカオリのペースもあって掛川家はスピーディだったのに対し、松永家では時間がゆったり流れていた。登校時にはコカゲもヒナタも両親に見送られて家を出た。見送られるなんて小学校1年生以来のヒナタは何だか恥ずかしかった。


 帰宅する時間は部活のあるヒナタの方が大抵遅かった。コカゲは週一回、フルートの練習に出掛けたがそれ以外は授業が終わり次第帰ってきている。しかし週に一度、家庭教師がやってきた。国立大学の大学生で、莉はヒナちゃんもどう?と勧めてくれたが、定期テストの結果を見せてからは何も言われなくなった。ヒナタが帰宅すると大抵コカゲが部屋にやって来る。これまで一人っ子で喋る相手がなかったことからコカゲはヒナタの存在がwelcomeだった。


 成績が良いヒナタの元へ、宿題を持って来ることも多かった。相手にされなくなった莉が2階へ上がってきて、二人をリビングに連行することもしばしばあった。総じて言えば、松永家は賑やかになっていた。


 しかしヒナタには馴染なじめない習慣も多々あった。まず家の中ではスリッパを履かねばならない。ヒナタが住んでいた団地はダイニング以外は全て和室だったのでスリッパがそもそもなかった。更に剣道の習慣で一年の大半は素足。玄関からそのまま上がってしまうヒナタを莉がスリッパ持って追いかけたことも一度や二度ではない。そして就寝時間。夜の11時には全員寝てしまう。毎晩日付が変わるまで起きて音楽を聴いていたヒナタは、最初こそ見習ってベッドに入ったが、寝付けない。結局起き出して夜中までスマホで音楽を聴いていた。


 最初は緊張しながら暮らしていたヒナタだったが、次第に松永家のペースに慣れてきた。

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