ラスト・デイズ

狭山ハル

1− Ⅰ 炎の記憶

 その場所は、死に満ち溢れていた。コンクリートが破壊され、塵が風に舞う。瓦礫が其処彼処に散逸し、そのコンクリート塊の下には人間だったものが押し潰されていた。もう、それらに生存の可能性は無いだろう。青年は生命を消された肉塊を一瞥し、目の前の瓦礫へと視線を落とす。その瓦礫には一人の男が挟まれ、男のダークブルーの瞳は強い意志を持って青年を見つめていた。

「何で……」

 怪我の一つも無い青年は、それでも苦しみに喘ぐようにその一言だけを彼へと吐き出す。その言葉に男は少し困ったように笑い、次の瞬間コンクリートに挟まれた下肢が痛むのだろう苦しげに眉根を寄せて青年へと「それはこっちのセリフだな」と出来るだけ優しい声で彼へと語りかける。「お前、今日は実家だろ」重ねられた男の言葉に青年は怒りを隠す事無く声を荒げた。「シュンメと年を越したかったから! 家に帰ってもいないから、こっちにいると思ってっ……!」荒げられた声は、この現実を否定したいという青年の感情がありありと込められたもので、周りで燃える炎の赤に染められただけでは無い紅潮が青年の頬を染めていた。「何で、こんな事に!」青年がこの場所に足を踏み入れたのは、爆破が起きた後であった。研究所の爆発に集まった野次馬や消防士、そして彼らの同僚たちを振り切りこの地に足を踏み入れた青年は幸運にも呼吸を続けていた男の前ではらり、と涙を落とす。科学技術が一部の過激派から疎まれるこの世で、こんな事件が起こる事は稀ではなかった。しかし、彼らはそれでもその道を走るしかなかった。熱病に突き動かされるように宇宙を目指した男達は、その人生の最期を炎と瓦礫の中で潰されていく。明るいライトブルーの瞳をキッと釣り上げ青年は叫ぶ「今ならまだ間に合う! 早く此処から出ないと……っ!」涙を零しながら悲痛とも言える懇願の色が混じる青年の叫び声に、男は静かに微笑む。

「お前は早く戻れ、俺はもういいんだ」

 男は青年に言い聞かせるように優しく声をかける。炎の勢いは増し、このままでは燃料に引火して青年も共に焼かれるだろう。今ならまだ間に合う、という言葉は青年にも言えるものだった。「でも……!」男を引き摺り出そうとその身体に手を伸ばす青年を制するように男は青年を押し返す。「いいんだ」男はもう一度同じ言葉を青年に掛ける。

「生き残ったって、この身体じゃぁ

 静かに告げられた男の言葉に、青年はハッとしたように男の顔を見詰めた。男は、幼い頃から宇宙に行く事だけを願い生きていた事を思い出したのだ。それを是としない彼の生家と訣別し、遠く離れた海の向こうまで来た男は様々な障害を乗り越え、やっと宇宙へと向かうチケットを手に入れた事を青年も知っていた。男と青年は同僚であると同時に、恋人同士であったのだ。無理矢理始まったものであったが、青年は男を愛しており、男もまた青年を大切にしていた。その男の望みを短い間であっても嫌という程知っていた青年は深く息を吐き出す。そして、男の胸倉を掴み引き寄せその唇を青年自身のそれで奪う。たっぷり数秒間、男の口腔を犯した青年は瞳に哀しげな色を浮かべ、それでも笑みを浮かべてみせた。それは、彼らの最後の接吻であった。

「泣くなヴィン。俺はお前と逢えて幸せだったよ。いつもみたいに笑ってろ」

 青年からの口付けに驚いたように目を見開いた男は、青年がその唇を離し彼の美しい眼に焦点が合ったタイミングで優しく笑いながら告げる。「怨むな。憎むな。憎しみからは何も生まれない」そう言って優しくその胸を押した男は青年へ逃げるよう再び告げる。

「愛してる、お前は俺にとっての北極星ポラリスだった」

 ふらり、と蹌踉めきながらも立ち上がった青年に、男は最期の愛の言葉を囁く。その言葉に青年は静かに笑みを浮かべる。精巧に作られた人形のような美しい青年の姿は、炎と瓦礫の中であっても一片の曇りもないままであった。そして、青年はポケットの中から一つの鉄の塊を取り出す。

「シュンメ、愛してる。これまでも――これからも」

 その鉄塊は小さな銃であった。青年が護身用に作ったそれは、小さなボディに似つかわない威力を持ち、人を殺す事が出来る代物であった。御守り代りに持ち歩いていたそれが使われる事は今までなかったが、彼は今それを取り出し男へと向ける。その意図に男は気付き、小さく笑って「ありがとう、ごめんな」と呟くように青年へと言葉を投げる。その小さな声が青年に届いたかは定かでは無い。しかし、青年は美しい顔に笑みを浮かべたままでその引鉄を引いた。

 宇宙を目指した男は、青年の放った弾丸によって炎と瓦礫の中でその人生を終えたのだ。

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