393 月が満ちる (2)

「ところで……ペトシーについて、他に判ったこととか、ありますか? あの巨大さの理由とか、そのへん」

「特には。頭も解体して調べてみたんですが、大きさ以外には特におかしな所はありませんでした」

「やはり、突然変異、でしょうか?」

「かもしれません。ですが、あのサイズになるまで一度も目撃されていないことを考えると、もしかすると下流から遡ってきたのか、上流から下ってきたのか……」

「この付近で育ったものなら、あそこまでになる前に、気付きますか」

「おそらくは。町の人はともかく、冒険者ならペトラス川に行くこともありますから」

 小遣い稼ぎに、普通のモンスター・イールを捕まえて売りに来るらしい。

 そこまで頻繁にではないが、月一程度には持ち込まれるらしいので、あのサイズになるまでこの近辺で目撃証言がまったくなかったのは、ちょっとおかしい。

 そう考えれば、ケトラさんの予測にも頷ける。

「サイラスに見回りもさせていますが……もしまた見つかったら、ご協力願えますか?」

「俺たちがこの町にいる間であれば」

 対応方法は解ったので、釣り上げることさえできれば斃すのはそう難しくない。

 ギルドからの報酬はあまり高くなかったが、ペトシーの身の売却益を考えれば、一日の稼ぎとしてはそれなりに割の良い依頼だったし。

「この町にはお知り合いの出産で来たんですよね? いつ頃のご予定ですか?」

「今日ですね」

「……え?」

「今日、今現在、お産の真っ最中です」

 俺の言葉が呑み込めなかったのか、不思議そうに小首を傾げたケトラさんに、改めて言葉を足した。

 その意味することを理解したケトラさんは、少し困ったような表情で眉尻を下げる。

「……あの、こんな所にいて良いんですか?」

「俺たち男衆はいても役に立たないですから。旦那の落ち着きのなさに耐えかねて、逃げてきたって感じでしょうか」

「ははぁ、初産だとそうかもしれないですね。でもナオさん、ご自分の奥さんのときは離れない方が良いですよ? 後々まで色々言われることになりますから。お姉さんからの忠告です」

「なるほど。お姉さんは、未だに旦那さんをネチネチと責めている、と?」

「そうそう――って、違いますよ! 私はまだ独身です! 絶賛募集中です。ナオさんぐらい稼ぎの良い旦那様を。どうです、ナオさんは私とか――」

「お邪魔しましたー。そろそろ帰りますね。トーヤもお腹をすかせてそうですから」

 ケトラさんが向けてくる流し目をサックリと切って、俺は背中を向ける。

 ここに知り合いはいないが、下手なことをしてハルカの耳に入ったら怖い。

「あ、ナオさ~ん。お姉さんは待ってますからね~」


 見捨てたトーヤへの罪悪感もあり、彼が好きそうな物を中心に屋台で食べ物を買い込んで戻ってきた俺だったが、食堂の中の状況は出た時と変化がなかった。

 いや、トーヤの目が死んだようになっているのが、変化と言えば変化か。

 うん。ウロウロ、ガタガタ、落ち着きのない男を何時間も見続けていたら、そんな目になるのも仕方ないか。

「……おかえり」

「おう、ただいま。腹減っただろ? 色々買ってきたから、食ってくれ」

 トーヤから少々冷たい視線を向けられ、俺は慌てて、持っていた物をテーブルに並べる。

 そこから漂う良い匂いに、トーヤの目元が少し柔らかくなった。

「朝飯、食う暇もなかったからなぁ。これに免じて、見捨てたことは許してやろう」

「ははぁー、ありがとうございます。――てか、ハルカたち、大丈夫か? あいつらも食べてないだろ?」

「んー、かといって、オレたちが持ち込むわけにもいかねぇしなぁ。腹が減ったら、誰か来るだろ。人数はいるんだから」

「それもそうか」

 少なくとも、ミーティアやメアリは余剰人員。

 必要があればお使いに行かせるなり、俺たちの所に来るなりするだろう。

「おい、チェスター。お前もメシ食ってねぇだろ? 座って食べたらどうだ?」

 少しでも落ち着ければと思ったのだろう。

 トーヤがそう声を掛けたのだが、チェスターはキッと鋭い視線をトーヤに向け、半ば叫ぶような声で応える。

「ヤスエが頑張っているときに、食事なんて喉を通りませんよ!」

「お、おぅ、そうか……」

 チェスターの必死の形相に気圧されるトーヤ。

 血走った目がなんかヤバい。

「アイツが気を揉んでも仕方ないと思うんだがなぁ?」

「逆に言うなら、腹が減って倒れても影響がないとも言える。放っておけば良いだろ」

 少し薄情かもしれないが、無理に食べさせても仕方がない。

 落ち着けば自分で作るなり何なりして食べるだろう。料理人なのだからして。

 かといって、チェスターを無視して二人で楽しく談笑しながら食事、というわけにもいかず、俺たちは黙々と食事を進める。

 そして、テーブルに並んだ料理が半分ほど片付いた時。

 ガチャリと奥へと続く扉が開かれ、そこからミーティアが顔を出した。

「産まれたの」

「――っ!!」

 即座にチェスターが駆けだした。

 ミーティアを押し退けるように奥へと走り込み、それと同時に「ヤスエーー!」というチェスターの声が遠ざかっていく。

「慌てすぎなの」

 少し呆れたようにミーティアは言うが、俺自身、自分のときにどうなるかは判らないので、沈黙を守る。

 俺の子供が生まれるとき、かなりの確率でここにいる二人がいそうだから。

「ま、初めての子供だから仕方ねぇんじゃね?」

「う~ん、そうかも? あ、お兄ちゃんたち、美味しそうなものを食べてるの!」

「ミーティアも食べるか?」

「食べるの!」

 ミーティアは答えるなり、すぐにテーブルについて料理に手を伸ばした。

「それで、問題はなかったのか?」

「問題ないの。元気な男の子だったの。あ、でも、ユキお姉ちゃんはちょっと顔色が悪かったの」

 ふむ。まぁ、顔色ぐらい、悪くなるよな。

 出産に立ち会って、失神する夫とかいるらしいし。

 むしろ、他人事とはいえ、ミーティアの落ち着きようは大物っぽさすら感じさせる。

「結構長かったように思ったんだが、そうでもねぇの?」

「そうでもないの。おばちゃんはむしろ順調だったって言ってたの」

 ミーティアの言うおばちゃんとは、チェスターの母親、つまりヤスエの義母。

 今回のお産はそのおばちゃんと近所の経験豊富なお婆さんを中心に、ハルカたちが手伝う形で行われている。

 専門の医者がいないあたりちょっと怖く感じるが、庶民の出産なんてそんなものらしい。

「お姉ちゃんたちも、すぐに戻ってくるの」

 ミーティアがそう言って程なく、足音が聞こえ始め、扉が開かれた。

「ふぅ~、やっと終わったよ~」

 大きく息を吐きながら、最初に入ってきたのはユキで、その後ろからハルカたちもついて入ってくる。

 ミーティアはユキの顔色が悪かったと言っていたが、既に回復したのか、今見た感じではいつも通りに見える。

「お疲れ」

「ホント、疲れたよ~。あたしは見てただけだけど」

「私たちも、ほとんどそうですよ。実際に取り上げたのはお婆さんで、その後でヤスエさんを回復させたぐらいです」

「お湯を用意したり、『浄化ピュリフィケイト』で綺麗にしたりはしたけど、そのぐらいよね」

「いえ、『浄化ピュリフィケイト』はかなり助かったと思いますよ? 庶民だと、清潔にするのも大変ですから」

 大きな宿ですら風呂がある場所は、かなり限られる。

 当然、ここにも風呂なんて存在せず、やってきたお婆さんも軽く手を洗うだけで済ませようとしたので、ハルカたちが慌てて、お婆さんはもちろん、部屋や使う布なども含め、軒並み『浄化ピュリフィケイト』をかけまくったらしい。

「感染症は怖いものね」

「はい。それが普通と言われても、私たちからすると、ちょっと……」

「後で、赤ちゃんが病気になったとか聞かされたら、嫌だもんね」

「できることはやっておくべきだろうな、そりゃ」

 こっちの常識は知らないが、俺たちの常識からすれば、医療現場の清潔さは最重要。

 それに使える『浄化ピュリフィケイト』という便利な魔法があるのだから、使わないなんて選択肢は取り得ないだろう。

「ま、幸い赤ちゃんは元気に生まれたみたいだし、今日のところは帰りましょうか」

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