308 落下 (2)

「さて、どこか落ち着ける場所を探さないといけないわけだが……ナツキ、上流と下流、どちらに向かうべきだと思う?」

「難しいところですね……。ハルカたちのいる場所に近づくのなら、当然上流ですが、落ち着ける場所となると、下流に向かった方が可能性があるんですよね」

「川、だからなぁ……」

 一般的に川は下流に向かうほど流れが緩やかになり、岩が石になって、砂になる。

 身体を休められる場所と考えれば、『下流に向かった方が』というナツキの言葉には一理ある。

「それに、上流に向かうと、このまま切り立った崖が続きそうですし、鉄砲水が流れてきたら、危険ですよね? そんな罠、無いとも言えませんし」

「……うん、それは死ねるな。ただでさえ、かなりの急流なのに」

 以前、渓谷で有名な、とある観光地に行った時に聞いた話だが、その渓谷では大雨が降ると、一〇メートル以上も水嵩が増し、深い谷が水面下に沈むのだとか。

 そしてその話通り、下から見上げるような位置に、しっかりと増水の跡が残っていた。

 渓谷という物は、それだけ水を集めてしまうのだ。

 それを考えれば多少雨が降っただけでも、俺たちが今いるような岩など、簡単に水没してしまうだろう。

 そんな川で水泳とか、避けたい経験である。

 もっとも、ダンジョン内で雨が降るのかは不明なのだが。

 だが、雨が降らなくても、罠の方は十分にあり得る危険性である。

「さっき崖が崩れたのも、今思えば罠だったんじゃないかとも思うんですよね。気付くことはできませんでしたが……」

「だよなぁ。問題無さそうに見えたんだが……」

 地面に杭を打ってロープを垂らす以上、毎回、大丈夫そうかはきちんと確認していたし、先ほども同様。

 間違っても罅なんて入っていなかったし、簡単に崩落するほど脆い地面でもなかった。

 しかし、罠を仕掛けるという点に於いては、如何にも『下に降りられますよ』というような岩棚の上というのは、ベストポイントであったことは間違いない。

 しかも、数回無事に降りることができていたのだから、警戒も緩む。

 俺たちの警戒が緩んでいたとは思いたくないが、現実にこの状況になっているわけで……う~む。

「……下流、向かうか」

「はい。どちらが安全かと考えれば、そうなりますよね」

 川の中州にテントを張る事があり得ないように、こんな場所で一晩過ごす事なんて、更にあり得ない。

 俺とナツキは岩を飛び移りながら、下流へ向かって移動を始める。

 少々神経は使うが、バランス感覚も跳躍力も大幅に上がっている俺たちからすれば、困難と言うほどではない。

 そして、一時間ほどは移動を続けただろうか。

 俺のちょっぴり高性能な耳に、何やら気になる音が聞こえてきた。

 何というか、腹に響くような重低音。

 滝からの落水が響かせる音はずっと聞こえていたのだが、それ以上に激しさを感じさせ、それはだんだんと近づいているようにも思える。

 その原因はあまり考えたくないが、無視できるはずもない。

「……なぁ、ナツキ。なんだか、不穏な音が聞こえてくるんだが、俺の気のせいか?」

「奇遇ですね。私も先ほどから、足元が気になっていたんです。微妙に、水量が増えていませんか?」

「やっぱ、そう思うか?」

 踏み石としている岩。

 最初の頃は俺たち二人が十分に立てるスペースがある岩も多かったのだが、段々と小ぶりな物、そして岩と岩の間隔も広がってきた気がする。

 これって、良い感じの岩が減ってきた、わけでは無く、水没しているって事だよな、やっぱり。

「ナツキ、一応、互いをロープで結んでおくか? これが正解なのかは判らないが」

「はぐれるよりは良い、と考えましょう。ロープはできるだけ短くして」

 流された時、ロープが長ければ首に絡んでしまうと言う危険性もあるし、変な場所に引っかかってしまえば、水面に浮上することができず、溺死という事すら考えられる。

 かといって、一人はぐれてしまうのも危険なわけで。

 俺とナツキは、少し広い岩の上で足を止めると、ロープを取りだして互いを結ぶように――。

「――っ! ナオくん! 急いでください!!」

「げっ!?」

 ナツキの視線を追えば、そこにあったのは、水の壁。

 水煙を押しのけるようにして迫っていた。

「ヤバい、ヤバい!」

 ある程度の余裕を持って、なんて言っていられる状況では無かった。

 俺は慌ててナツキを抱き寄せると、俺とナツキの胴をまとめてグルグルとロープを回す。

 そして、力を込めてギュッと結ぶと、ナツキが「ぐぅっ」と息を漏らしたが、そんな事を言っていられる状況では無い。

「き、来ます!」

「『隔離領域アイソレーション・フィールド』!」

 俺にできたのは、僅かに回復した魔力を使い、何とか補助になりそうな魔法を唱えることだけ。

 もちろん、それで濁流を止めるなんて事は期待していない。

 僅かでも生存確率が上がることを望む、ただそれだけ。

 球状の障壁を発生させるように魔法が発動したその直後、弾き飛ばされるように水面に叩きつけられた俺たちは、その一瞬後には大量の水に飲み込まれたのだった。


    ◇    ◇    ◇


「ぶはっ! ゲホッ、エホッ! ……ふぅ、ふぅ。ナ、ナツキ、大丈夫か?」

「は、はい。何とか。コホッ、コホッ……!」

 俺たちを押し流した濁流は一気に川を流れ下った。

 その流れに翻弄された俺の『隔離領域』は、水中にある岩や左右の岩壁にガンガンとぶつかり、俺の精神と魔力はガリガリと削られた。

 だが、水流が速かったことが幸いだったと言うべきなのか、比較的短時間で水量は元に戻っていた。

 しかし、それでも川の流れがかなり速いことに違いはない。

 かなりギリギリまで頑張っていた俺も、魔力の使いすぎで気分が悪くなる前に障壁を解除。

 ナツキと抱き合ったまま水に流され続け、やがて左右の岩壁が無くなり、砂地の岸辺が見えてきたところで、からくも川から這い上がることに成功していた。

「あ~、気持ち悪い」

「お疲れ様でした。でも、ナオくんの魔法のおかげで、怪我をせずに済みましたね」

「なんとかな」

「服、乾かしますね」

 水流に揺さぶられたことと、魔力消費のダブルパンチでかなりグロッキーになった俺だったが、ナツキの魔法で多少回復、膝に手を置いて立ち上がり、周囲を見回した。

「森……か。今更、ダンジョン内なのに、なんて言うつもりは無いが……」

「はい。あちらから流れてきたみたいですね」

 川の上流を見れば、巨大な岩山がそびえ立ち、そこに鉈を振り下ろしたかのような裂け目が見える。

 俺たちが流されてきたのは、その裂け目から流れ出ている川。

 目視でも、そこまでかなりの距離がある事が判る。

「……まぁ、今は生きていることを喜ぶか」

「ですね。正直、ナオくんの『隔離領域アイソレーション・フィールド』が無ければ、かなり危なかったと思います」

「再び、魔力は空になったわけだがな」

 体感的にはかなりの時間、川を流されたように感じたが、冷静に考えればせいぜい数分と言ったところだろう。

 本来は場所固定で使う『隔離領域』を、自分の場所を基点に全周に発動させた上に、川に流されながらもその状態をキープするのは、大量の魔力を消費する。

 一時間ほどで回復した魔力で発動可能な時間など、高が知れているのだ。

「まずは、野営をできる場所を探しましょう。川の傍は色々と危ない気もしますし。かと言って、森に入るのも、それはそれで不安はありますが……どうですか?」

「近くには、【索敵】に反応する物はいないな。動物などを除いて」

 一部の動物は襲いかかってくることもあるが、基本的には無害。

 一年前ならともかく、今となっては脅威と言うほどではない。

 もちろん、『俺たちが知る動物であれば』であるし、それらに関しても、寝込みを襲われれば危険なので、対処が不要というわけでは無いのだが。

「では、森ですね。野営に適した場所を探しましょう」

 ナツキの言葉に俺も頷き、川岸を離れて森の中へ。

 そこは一見するとごく普通の森――俺たちが普段入っている森と比較するなら、サールスタットの上流の森と似た感じだった。

 もっとも、森の植生に大して詳しくない俺が感じるだけなので、実際にどうなのかは判らないのだが。

「早めに休んでおきたいところだが……この辺りで良いか?」

「そうですね。安全かどうかなんて、判りませんしね。初めての場所ですから」

 川岸や崖の傍など、明確に危ない場所を避ける事ぐらいは出来るが、そもそもどんな敵が出るかも判らないのだ。

 何時までも歩き回っていたところで、疲れが溜まるだけ。

 俺たちはある程度で区切りを付けると、やや大きめの木の根元を野営場所と定めた。

 そこで焚き火を熾すと、折りたたみの寝台を一つ取り出し、二人でそこに腰を下ろす。

「はぁ~」

「ふぅ……」

 揃って大きく息を吐いた俺たちは顔を見合わせると、少し頬を緩めた。

「さすがに疲れましたね……?」

「だなぁ。崖から落ちて、川に流され……」

「無事に上がったと思ったら、また流され、ですからね」

 うん、良く無事だったものだ。

 今更ながら、ではあるが、この階層には、もう少し鍛えてから来るべきだったかもしれない。

 見方によっては、現時点で大きな怪我もせずに生きているのだから、適正レベルからそう外れていないとも考えられるが……う~む。

 楽に戦える場所にしか行かないのであれば、冒険者としての成長が無いとも考えられるしなぁ。

「ナオくん。今日は食事をして、早めに休みましょう。出来合いの物で良いですよね?」

「あぁ、もちろん。ただ、温かい物が食べたいな。今日は二回も水泳をする事になったし」

「ですね。私もそれは同じです。豚汁にしましょう」

 豚汁とは言っても、豚ではなくボアの肉なのだが、それは問題ではない。

 野菜とお肉たっぷりの熱々のお汁で身体を温め、おにぎりでお腹を満たせば、ピリピリしていた神経も、少し安らぐ。

 豚汁にはご飯。

 そして、温かい食事はやはり重要だな。

「それでは、ナオくん、先に寝てください。私が警戒しておきますから」

「良いのか?」

「魔力、回復してもらわないといけませんから。……魔力を移すような魔法、あれば良かったんですけど」

「あぁ、それは仕方ないよなぁ……」

 光魔法には『精神回復リカバー・メンタル・ストレングス』の様な、回復の補助をする魔法があるが、直接的に魔力を譲渡するような魔法は存在していない。

 魔力が回復するポーションは存在するのだが、こちらはこちらで、今の俺たちが入手できるような、そして作れるようなレベルの物では、焼け石に水――とまでは言わないが、少々効力に乏しい。

 少なくとも、転移魔法のような大量の魔力を消費する魔法を使うためには、回復量がまったく足りないのだ。

「それじゃ、ナツキ、頼んだ」

「はい、お任せください」

 俺は、寝台の上に敷き布団と毛布、掛け布団を敷くと、その中に潜り込む。

 俺たちの野営では、これが最近の標準スタイル。

 雰囲気はぶち壊しだが、それよりも快適さ優先。

 敢えて寝袋にはしていない。

 万が一の際、飛び起きられないからな、寝袋だと。

 その点、布団なら跳ね飛ばして即座に対応が可能。

 難点は汚れることだが、俺たちには『浄化』があるので、問題は無い。

「それじゃ、おやすみ」

「はい、ゆっくり休んでください。『精神回復』」

 微笑んで魔法を掛けてくれたナツキに、俺は「ありがとう」と口にして、目を閉じた。

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