196 ネーナス子爵との交渉
1日あまりピニングの街中で遊び、ネーナス子爵との約束の日。
今日はメアリとミーティアは宿で留守番である。
危険性は無いだろうが、さすがに俺たちのパーティーに入っていない彼女たちを連れてくるわけにはいかない。
先日届けられた招待状を門番に示すと、そのまま館の中に通され、応接間でしばらく待つことになった。
今回の交渉の担当は俺なので、少々緊張気味。
単純な向き不向きで言えば、ナツキが一番向いているし、前回の代官との交渉では彼女に任せてしまったのだが、これはあまり一般的ではないので、ちょっと頑張ってみたのだ。
この国の場合、男尊女卑とまでは言わずとも、男がいるのに女が交渉を担当していると疑問に思われる程度には性差がある。
対等に交渉できる立場なら大した問題にならないほどの違いだが、今回の場合は立場の違いもあり、交渉なんてできる余地はほぼ無いだろう。
多少の金銭のために貴族、それも暮らしている地域の領主、その不興を買うとか、リスクが高すぎる。
物語なんかでは貴族と対等に喋っていたりする主人公がいるが、武力を以て潰せるほどのチートでも無ければ対等なんて到底あり得ない話である。
であるならば、普通に男が担当する方が良い。
そうなると俺かトーヤなのだが、その二者択一なら満場一致で俺に決まった。
これは単純に外見の問題。
ネーナス子爵が獣人好きでもなければ、俺の方が見てくれが良いので好感度は高いだろう、という単純な理由である。
逆に外見に嫉妬される可能性もあるが、その時はその時と思うしか無い。
応接間で待つこと数十分ほど。
扉が開いて入ってきたのは、ネーナス子爵らしき壮年の男性と、執事っぽい初老の男性、それに護衛と思われる人が3人。
俺たちは全員で立ち上がり、それを迎える。
「待たせてすまないな」
「とんでもございません。お時間を頂き、ありがとうございます」
実際、待ち時間としては少ない方ではないだろうか。
約束の時間は午前中という曖昧な物だったが、これは正確な時計を持つ人が少ない中では、仕方の無いところ。
俺たちは朝食を済ませてからすぐにここを訪れたのだが、そんな事情を考えれば結構早く時間を空けてくれたと言えるだろう。
「私が、ヨアヒム・ネーナスだ。まあ座ってくれ」
「はい」
俺たちが言われるまま、ネーナス子爵の対面に腰を下ろすと、彼は観察するように順番に顔を見て、意外そうに首を捻った。
「ふむ、お前たちが“明鏡止水”か。思ったよりも若いな?」
「あー、はい。まだまだ若輩者で……」
こういう時、なんと答えれば良いんだ?
まさか無言というわけにもいかないだろうが、かといって実際若いのだから、「若くない」なんて言えるはずも無い。
もちろん、「若いからと言って侮るな」なども論外だろう。
必然、返した言葉はなんとも曖昧な物だった。
そんな俺の困った様子をネーナス子爵も理解したのか、苦笑しつつ首を振った。
「あぁ、別にそれが悪いわけでも、疑っているわけでも無い。冒険者ギルドからはしっかりと連絡が来ているからな。それで、当家の依頼していた剣だが?」
「はい。こちらが、発見した剣になります」
俺がマジックバッグから取り出したのは、スケルトン・キングから手に入れた、細かな装飾の施された剣。
それをテーブルの上に置こうとしたところで、手を止める。
――このまま置いたら、テーブルに傷が付くよな?
そんな俺の躊躇いに気付いたのか、すぐにサッと前に出てきた執事が、俺の手から剣を受け取ってくれた。
良かった。
さすがに家具で有名な領地だけあり、俺たちの前に置かれているテーブルもなかなかに高価そうな代物。
下手に剣など置いて傷つけてしまっては、少々マズい。
「ほう……確かに当家の物、に見える。……どうだ?」
執事から渡された剣をしばらく検分した後、ネーナス子爵はそれを再び執事へと戻す。
執事はその剣を引き抜き、刀身も含めて確認した後、ネーナス子爵に対して頷いた。
もしかすると、彼が爵位を継いだ経緯などを考えると、本人はこの剣を見たことが無かったのかもしれない。
対して、初老の執事の方は、昔からネーナス子爵家へと仕えてる使用人だろうか。
すぐに判断ができたところを見ると、多分、彼の方は見たことがあるのだろう。
「間違いないようだ。依頼していた物と認めよう」
「ありがとうございます。では、こちらの方に署名をお願い致します」
俺がテーブルの上に広げたのは、ギルドから預かっていた依頼票。
こちらにサインをもらうことで、運搬費用に加えて本来の依頼料、金貨300枚も受け取れるようになるのだ。
「良かろう」
ネーナス子爵は傍に控えていた執事が差し出したペンを手に取り、依頼票にさらさらっとサインを書き入れ、こちらに差し出した。
「確かに。お預かり致します」
依頼票を受け取り、バッグへ収める。
これで1つめの目的は完了。
ふぅ……。
そっと息を吐く。
「こちらこそ助かった。もう戻ってこない物と、ほぼ諦めていたのだが……」
「はい、運が良かったようです」
「はっはっは。運だけでは無かろう? それだけで回収できるなら、うちの兵を向かわせている」
なかなか答えづらいことを。
仮に事実であったとしても、「あなたの所の兵士より、俺たちの方が強いから」とか、答えられるはずも無い。もちろん、実際の強さは知らないのだが。
「……であれば、アドヴァストリス様のご加護があったのかと」
「ほう? お前たちはアドヴァストリス様の信者か? ならば、うちの兵たちにも信仰するように言うべきかも知れないな?」
「信者と言うほどではありませんが、時々、神殿には祈りを捧げに通っております」
「ほうほう、なるほどなぁ」
日本であれば嫌われることも多い宗教関連の話だが、こちらでは神が実在し、それなりに重視されている。
故にそれっぽいことを言ってみたのだが……これは成功? 失敗?
チラチラッと左右に座っているトーヤとハルカを見てみたのだが……トーヤは聞いているのかいないのかよく解らない、ぼけーっとした顔だし、ハルカの方は微笑を顔に貼り付けたまま、表情を変えていない。
くっ、やはり、ナツキに担当してもらうべきだったかっ!
「おっと、あまり困らせるな、と言われていたな……。それで、他にも売りたい件があるとのことだったが?」
「あ、はい。こちらに出してもよろしいですか?」
「ああ。構わない」
ネーナス子爵が頷いたのを確認し、トーヤがマジックバッグからネーナス子爵家の紋章入りの剣を取り出して、テーブルの横の床に積み上げていく。
最初こそ「ほう、マジックバッグか」などと余裕のあったネーナス子爵だが、その数が10本を超えると表情がやや引きつり、20本を超える頃には顔色もやや悪くなっていた。
「こちらの剣、すべてネーナス子爵家の紋章入りの剣になります」
「……確認させてもらうぞ?」
「もちろんです。どうぞ、ご確認ください」
「あぁ。おい」
ネーナス子爵に促され、今度は控えていた護衛3人が1本ずつ確認していく。
確認とは言っても、見るべき場所は決まっている。
紋章の有無を確認するだけであり、さほど待つこともなくすべての確認が終わる。
もちろんすべて紋章入り。
トーヤが間違えて別の剣を出したりしない限り、弾かれる物が出るはずも無い。
俺たちからすれば当然なのだが、ネーナス子爵は少し困ったように息を吐く。
「確かにすべて、当家の剣に間違いないようだ。それで、これをいくらで引き取って欲しい?」
「これら、すべて白鉄製で普通の武器屋で買えば、どんなに安くとも金貨50枚は下らないでしょう。ですが、ネーナス子爵様も今は色々ご入り用な時期と思われます。ですので、1本あたり金貨40枚でいかがでしょう?」
これはハルカたちはもちろん、ディオラさんにも相談した上で決めた価格。
貴族家の紋章が入っているという付加価値を考えると、少し安めではあるが、これでも十分に利益は出る。
そんな提示価格に対し、ネーナス子爵は少し驚いたように眉を上げた。
「随分安いな。お前たち、冒険者だろう? もっとふっかけると思ったが……?」
「状況を鑑みて、ですね」
古い剣だけに握りの部分などはかなり傷んでいるのだが、刀身に関しては錆びない白鉄を使っている上に、スケルトンになった後は使用する機会も無かったのか、多少手入れすれば十分に使える状態。
単純な剣の価値だけを言うなら、中古として武器屋に売却すれば金貨30枚ぐらいから。
だが、子爵家の紋章入りという付加価値と、子爵の体面を考えると、ディオラさん曰く「最低でも金貨50枚は出す」とは言われていたのだが、数が数である。
それに加え、俺たちの話し合いで「ケルグの復興を考えると、あまり現金を引き出すのもマズいのではないか」という結論に達したのだ。
“状況”という言葉に、言外に含ませた俺たちの意図を感じたのか、ネーナス子爵は納得したように頷く。
「なるほど、ケルグを通ってきたわけだな。その心意気、悪くない。解った。それで引き取ろう」
「ありがとうございます」
1ヶ月以上ダンジョンに閉じ込められた事を考えると、もっと欲しい気がしないでもないのだが、1本金貨40枚でも利益は出ているし、ここで暮らしていくのなら、領主の覚えがめでたい方が何かと良いはず。
金銭的価値以外の部分を考慮すれば、大幅な黒字と思っても良いんじゃないんだろうか。
お礼を言って頭を下げる俺たちを改めて見回し、ネーナス子爵は少し面白そうな表情を浮かべた。
「お前たち、なかなかに特徴的なパーティーではないか。腕も悪くない。覚えておこう」
「恐れ入ります」
特徴的とは、パーティー構成のことだろうか。
まぁ、エルフと獣人、珍しいよな。
そんな事を言って部屋を出て行くネーナス子爵に、俺たちは再び立ち上がって、頭を下げて見送る。
護衛も同時に出て行き、残ったのは執事の男性。
「それでは、代金を用意してきますので、少々お待ちください」
「はい」
さほど待たされることもなく、革袋入りの金貨を渡された俺たちは、足早にネーナス子爵の館を後にしたのだった。
◇ ◇ ◇
「よっしゃー、帰るか! 自宅のベッドが恋しい!」
「そうだな。すっかり自宅になったな、あの家」
戻って来るとホッとできる家。
俺にとって、あの家はすでにそうなっている。
どんなに良い宿でも、やはり自宅とは違うんだよな、安心感が。
「それじゃ、すぐに出発する? ちょっと暑いけど」
「そうだな。ケルグで1泊、明日ラファンに帰還というスケジュールで良いか」
ネーナス子爵邸での用事がスムーズに終わったので、未だ午前中。
今から出発すれば、少し遅い昼食をケルグで食べられるだろう。
尤も、別に急ぐ旅でもなし、暑くなる前にどこかの木陰で昼食兼昼寝でもして、夕方にケルグに到着するというプランでも良い。
さすがに今日中にラファンまで帰還するというのは、俺たちはともかく、背負われているメアリとミーティアにとってキツすぎるだろう。
「それじゃ、町を出ましょう」
「だね」
昨日の空き時間で、ピニングの気になる箇所は訪問済み。
一応、有名というエールも、お土産として買っている。
俺たちは宿でメアリたちと合流し、そのまま門の方へ。
その途中、メアリが振り返って、ふと足を止めた。
「……エールの醸造所、どうなったんでしょうか?」
「ちょっと気になるの」
メアリの視線の先にあったのは、冒険者ギルドの建物。
ミーティアも賛同するようにそう言って、俺たちの顔を見上げてくる。
その表情を見て、ハルカが少し困ったように苦笑する。
「まだ数日だし、動いていない確率が高いと思うけど……気になるなら、冒険者ギルドで話を訊いてみましょうか? 教えてくれるかは判らないけど」
「良いんですか?」
「ちょっと入って訊いてくるだけだからね。忙しそうだったら、その時は諦めて」
「はい、もちろんです」
嬉しそうに頷いたメアリたちも連れ、冒険者ギルドに入ると、ちょうど都合良くと言うべきか、あの時依頼を持ってきた受付嬢が暇そうにカウンターに座っていた。
依頼主に関することだけに話してくれないかとも思ったのだが、あまり問題の無い内容なのか、挨拶をして軽く話を振ってみると素直に話してくれた。
「あれですか。あれは、領主様から調査が入るみたいですね」
「素早いですね……」
俺たちが報告をしてまだ2日ほど。
領主も忙しいだろうに、なかなかに行動が早い。
「領主様自身もあそこのエールはお好きなようでして。ただ、同時にあそこの経営状態の悪さも知ることになりましたから、領主様から人が派遣されることになりそうです」
簡単に言うなら、「特権を認めてやっているのに、まともに経営できないとは何事か」という話である。
「結果的に、あそこのエールの値段は上がるでしょうが……仕方ないでしょうね。これまでが安すぎましたから」
「その職人は納得するんですか? それで」
「逆に喜んでいるみたいですよ? 好きな事だけに専念できる、と」
むしろ醸造以外に手を取られることを煩わしく思っていたようで、そのあたりを一手に任せられる人材をよこしてくれるなら、むしろ願ったり叶ったり。
受付嬢によると、喜んで受け入れるだろう、とのこと。
「なら、上手く落ち着いたんですね」
「はい。おかげさまで。妙なところに買収されたりしなくて良かったです。尤も、領主様の調査次第ではお取り潰しになる醸造所も出てくるかもしれませんが……恐らく問題は無いでしょう。やり手ですからね、ネーナス子爵は」
他と比べてどうかは俺には判らないが、少なくとも1年間住んだ限りに於いては、そう悪い統治者ではないのだろう。
ケルグで騒乱は起こったが、あれはちょっと特殊事例だろうし、それ以外であればラファンも、このピニングも概ね治安が良い。
不条理な話も耳にしないし、真面目に仕事をすれば問題なく生活ができる領地ではないだろうか。
アドヴァストリス様は、地味に良い仕事をしている。
「皆さんは……ラファンに戻られるんですか?」
「ええ。あえてここで仕事をする必要性も無いし」
俺たちがラファンを拠点にしていることを覚えていたらしく、そう訊ねてきた受付嬢に、ハルカが肯定する。
「そうですか。今日は護衛依頼を探しに? ランク5の冒険者からすれば、あまり依頼料は高くないですけど……」
「やっぱり安いの?」
「はい。ネーナス子爵のおかげで、比較的治安が良いですからね、この領内は。必然的に、護衛の人数も依頼料も安くなるんです。……あ、少し前にケルグとラファンの間で盗賊騒ぎがありましたが、あれもすぐに片付きましたし」
「……そうだったわね」
俺たちが片付けたからな。
そう言って曖昧に頷く俺たちに、受付嬢はちょっと周囲を見回し、声を潜める。
「ここだけの話、あれって冒険者が関わってたみたいなんです。うちの
「そうね、ギルドの評判は重要よね」
さすがに俺たちが討伐したとは、知らないのだろう。
受付嬢の言葉に俺たちは頷きつつ、顔を見合わせて苦笑する。
そんな俺たちの様子に、受付嬢は不思議そうに少し首を捻る。
「どうかしましたか?」
「いえ。ギルドも大変だな、と思って」
「そうなんですよ! 冒険者ギルドの評判、延いては冒険者の評判を守るため、私たちは日夜努力しているんです! でも、それを解ってくれない人が多くて。
やれ、ランクを上げろとか、やれ、買い取り価格が安いとか、やれ、もっと良い依頼をよこせだとか好き勝手言ってくれて……。
そんなんだからランクも上がらないし、良い仕事もまわせないんですよっ!
いえね? ハルカさんたちみたいに解ってくれる人は良いんですよ? だからこそランクも上がってるわけですし。
でも大多数はそうじゃないんです!
冒険者って、どうしてもその仕事の関係上、荒くれ者って多いじゃないですか。
頭が残念だから理解できないんでしょうが、そんなんだからっ――!!」
受付嬢のなにか押してはいけないボタンを、押してしまったようだ。
バンバン、とカウンターを叩きつつ、怒濤の如くあふれ出る愚痴。
依頼とは直接関係ない情報を訊きに来たこともあり、「知りたいことは訊いたから、さよなら」とも言いづらい。
結局、今度は暇な時間帯だったことが災いして、俺たちは結構な時間、その愚痴に付き合うことになる。
最後には受付嬢の上司がやって来て、彼女の頭にげんこつが入ることで話は中断することになったのだが……ギルドを出た後、ミーティアがポツリと口にした「大人って大変なの」という言葉が、妙に耳に残ったのだった。
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