016 ステップアップ? (3)

 ディンドルの木は、日本でよく見かける杉やひのきに比べると幹が曲がっていて、枝も多く出ている。

 特別な道具を用意しなくても比較的登りやすいが、それでももしもの時に備え、俺たちは2人で交互にロープを保持しながら登っていく。

「何というか、不思議な感覚だな? 安全な場所が解るというか……」

「そうね、それがエルフって事なんじゃない? さ、そろそろ天辺てっぺんよ」

 さすがにこのあたりになると風がかなり強いが、恐怖心というものがほとんど湧いてこないのがある意味、不思議。

 ざわざわと風に揺れる枝には、しっかりと熟した実がいくつも生っているほか、まだ緑の実や黄色い実もたくさんある。

 ディオラさん曰く、ディンドルのシーズンは半ば過ぎと言うことだが、この木だけでもまだしばらくは採取に困ることはなさそうだ。

「それじゃ、そっちとこっちに分かれて取りましょ。あまり無理はしないようにね?」

 命綱を太い枝にしっかりと結び直したハルカが指さしながら言うのに頷いて、俺も手近なところから収穫を始める。

 リンゴを縦に少し押しつぶしたような形のその実は、思ったよりもずっしりとしている。

 皮は少し厚手で丈夫そうだが、甘酸っぱい何とも良い匂いが漂ってくる。

 俺は色を確認して、しっかりと熟れている物を手当たり次第バックパックに放り込んでいく。

 途中には全く生っていない代わりに、このあたりには取りきれないほどの実があり、ほとんど移動する必要も無い。

 15分もかからなかっただろうか。すぐに俺のバックパックは一杯になった。

 一息ついてハルカの方を見ると、そちらの方はまだ少し余裕がある。

「ハルカ、こっちはそろそろ良いが、手伝おうか?」

「そうね、私も良いかな。一杯にすると、降りるとき危ないし」

 ハルカは自分のバックパックを見て、軽く揺すり、一つ頷く。

「そ、そうだな?」

 ヤバイ、入るだけ入れてしまったぞ……。

 いくつか取り出してコッソリ捨てるか?

 だが、そんなことをするよりも、ハルカが俺の方を振り返る方が早かった。

「……うん、解ってた。私の方に少し移しなさい」

 ちょっと苦笑しながら、自分のバックパックを指さすハルカの言葉に甘え、いくつかディンドルの実を移動させる。

 そして互いのバックパックをしっかりと閉め、バランスを確認する。

「これくらいなら大丈夫かな? さて、下りるわよ。しばらくは通うつもりだから、命綱のロープはここに結んだままにしておきましょ」

「でも、他の奴らが使わないか? 実を取られたら困るだろ?」

 正直、このロープがあれば、かなり登りやすくなる。

 たぶん、エルフじゃなくても不可能では無いだろう。

「うん、だから下まで垂らしたままにはせずに、ある程度までは引っ張り上げておくつもり。それでも上がってくるなら……まぁ、良いんじゃない? 無理に独占しないといけないほど美味しい仕事でもないし」

「そういえば、そうだな?」

 よく考えたら、このディンドル採取、そんなに割の良い仕事でもなかった。

 魔物が出るかも知れないので、完全なルーキーには少し荷が重く、逆に魔物が軽く斃せるようになる頃にはもっと稼げる方法が出てくる。

 だから、俺たちみたいなルーキーから一歩踏み出そうかという冒険者が受ける程度で、ある意味、競合がほとんどいないのだ。

 供給が少なければ値が上がりそうなものだが、それでも果物は果物。必需品でないだけに、上限がある。それが今のラインなのだろう。

 とはいえ、好きな人はかなり好きらしく、市場に流れればほぼ確実に売れ、場合によっては採取依頼が出ることもあるようだ。

 だが、そこまで高い報酬は出ないため、市場に流れる実の殆どは、ディンドル好きな冒険者が採算度外視で採取してきた余りらしい。

「俺たちも、来年はルーキーを卒業して、もっと稼げる仕事をしてる……と良いなぁ」

「それ以前に、生存してないと、ね?」

「不吉なこと言うなよ~。それじゃ下りるぞ?」

 ハルカに一声掛けて先に下り始める。

 下りはロープを使った懸垂降下――っぽいもの。

 ディンドルの木の幹は垂直って感じじゃないから、特殊技能の無い俺でもできる。

 スルスルと下りていくと……妙な物が見えてきたぞ?

 2つの枝の間に張られた、フィールドアスレチックのネットのような物。

 その上に、トーヤが寝っ転がっている。

「おう、ナオ。もう終わったのか?」

「あぁ。かなりたくさんあったからな。それより、これ、なんだ?」

 ネットに足を乗せてみると――かなり丈夫に作ってあるな?

「時間がかかると思って、休憩場所を作ってみたんだが、ちょっと無駄だったか?」

 持っていたロープを使って、せっせと編んでみたらしい。

 さすがに時間がかかって、できあがったのはついさっき。

「で、寝っ転がったところに俺が下りてきた、と」

「一応、ああいう成果もあるぞ?」

 そう言ってトーヤが指さした方を見ると、別の木の枝に締めて内臓を抜かれた猪がぶら下がっていた。

「仕留めたのか」

「おう。もう猪ならほぼ問題ないな」

 最初はハルカに任せっきりだった俺たちだが、さすがに数日で慣れ、簡単な解体ぐらいはできるようになっていた。

 毛皮を剥ぐのだけはまだ難しいので、基本、ハルカに任せるか、その指導の下で練習しているので、ぶら下がっている猪も毛皮は着いたままだ。

「トーヤ、結構余裕があったみたいね?」

 少し後、俺の隣に降り立ったハルカも、ちょっと呆れたようにトーヤを見ている。

「まぁ、明日以降もあるから別に良いと思うけど……あんまり無駄にはしないでね? ロープも安くないし」

「大丈夫だ。切ってないからほどけば再利用できるぞ。あと、こっちも結び直しておいた」

 トーヤが指さしたのは、この枝に登るときに使ったロープ。

 枝に結んであったロープは少し上の場所に、幹を一周するように結び直され、幹に沿って垂れている。

 ふむ。これなら最初にトーヤがやったみたいに、懸垂登攀する必要ないな。

 なるほど、猪を狩った後は、これで登ってきたのか。

「猪も狩ったのね。矢はどれくらい使った?」

「……13本。一応、全部回収はしてる」

 ちょっと気まずげに視線を逸らすトーヤ。

 以前、ハルカが弓だけで斃したときで3本だったことを考えると多いが……初心者なら良い方か?

 あー、でも、俺の槍も使ってるな。ってか、俺の槍でも木の上からは届かないだろ。

 地面に下りたら普通に自分の剣を使えば良いのに。

「まぁ、許容範囲かしら。そのままで再利用できそうなのもあるし」

 トーヤが使った矢を検分しながら鷹揚に頷くハルカ。

 ちなみに、再利用しやすい矢はミスった矢である。

 当たらなければいたみにくい。自明である。

 もちろん、破損した矢も回収して修理する。簡単な物は一応【鍛冶】スキル持ちのトーヤが、難しい物は武器屋に持ち込む。

 真っ直ぐに、きっちり飛ぶ矢は高いのだ。無駄にはできない。

 小さな節約も積み重ねれば大きな額になる。

「他には来なかった?」

「ああ。タスク・ボアーだけだな。ただ、どうも落下したディンドルの実を食べに来たっぽいから、この周辺、魔物の類いも集まりやすい可能性はあるな」

「そっか。危険を避けるなら、今のうちに帰るべきだけど……」

 ハルカがそう言って考え込む。

 ここに来た目的の1つにゴブリンを斃してみる、というのがあるため、どうするべきかと言うことだろう。

 街の近くでゴブリンが出たなら討伐依頼も出るのだが、このあたりのゴブリンを斃しても得られるのは魔石程度。大した金にはならないので、やや微妙ではあるが……。

「せっかくトーヤが猪を狩ったんだ。久しぶりにあれを食べて、帰るまでに遭遇しなければ、またの機会という事で良いんじゃないか?」

「うん……そうね。また明日以降も来るわけだし、急ぐこともないわね」

「おっ! 久しぶりに食べられるのか! 楽しみだな!!」

 初日に食べて以降、焚き火を起こす時間と肉の売り上げを惜しんで、昼食は出来合いの物だったのだ。

 あの時の味を思い出すと……おっと、ヨダレが……。

「じゃあ、私は肉を処理するから、あなたたちは薪を拾ってきて」

「「了解!」」

 俺たちの動きは素早かった。

 すぐさま森に分け入り、木の枝をかき集める。

 このあたりは森の外縁部以上に人が入っていないので、枯れ枝には事欠かない。

 それをディンドルの木から少し離れたところに集め、素早く焚き火を作る。

 だいぶ魔法に慣れた俺にかかれば、この程度、造作も無いのだ。

 え? 当たり前? いやいや、結構加減が難しいんだぞ?

 単なる『着火』だとロウソクレベルでなかなか火が着かないし、強くしすぎると燃え尽きてしまう。

 今はやや太めの枝にすぐに火が着くレベルで調整しているが、今後、すぐに熾火おきびにできるような魔法ができればなお良いんじゃないかな?

 鍋なんかで調理するなら炎が出ていても良いんだけど、直火で焼く場合は、熾火にならないと表面だけが焦げるから、時間がかかるんだよな。

 現地で薪集めせずに炭を持ち歩けば解決だけど、そんな荷物になるようなことできるわけもない。

 そうこうしているうちに、ハルカの下処理も終わり、前回同様、串に刺した肉を各自2つ、いやトーヤには3つ渡してくる。

「おお、さんきゅ。さすがハルカ、解ってるな!」

 トーヤもニコニコと、それを嬉しそうに受け取り、焚き火の周りに刺していく。

「なぁ、ハルカ。これって所謂いわゆるバラ肉だよな? 鍋を用意すれば、スペアリブも食べられるか?」

 バラ肉も美味いが、スペアリブも好きなのだ。

 普段食べる豚肉よりよっぽど美味しいこのタスク・ボアーのスペアリブ、できたら食べたい。

「あ、オレも! オレも食いたい、スペアリブ!」

「串焼きのしやすさで部位を選んでるからね。別に鍋じゃなくて網とかでも構わないけど、調味料が、ね」

「……あぁ、スペアリブならやっぱ醤油とか欲しいよな」

 俺の勝手な印象だが、スペアリブと言えば甘辛い醤油の味付け。

 それ以外でも美味いとは思うのだが、現状持っている塩のみでは如何いかにも勿体ない。

「そうね、少し余裕も出てきたし、調理道具、買っても良いかもね。コッヘルみたいなの、売ってるかしら?」

 コッヘルとは、アウトドア用の鍋やフライパンのことで、携帯しやすいようにコンパクトに収納できるようになっている。

 と言っても、俺自身は使ったことは無いのだが。

 キャンプはしたことあるが、車で行くようなお手軽なもの。わざわざ高価でコンパクトな物を買わずとも、普通の物で十分なのだ。

 ああ言うのはきっと登山が趣味な人なんかが買うのだろう。

「泊まりがけで依頼を熟すようになれば、検討すれば良いんじゃないか? どうしても荷物になるし」

「アイテムボックスとかあれば良いんだがなぁ」

「そこは、ナオに期待、じゃない?」

「うっ、精進します……」

 とはいえ、そういう魔法があるかどうかすら解らないのだが。

 時空魔法自体が珍しいので、どんな魔法があるのかすら一般的にはあまり知られていないのだ。

 そんな中でも知られている魔法としては『空間拡張』があり、これと錬金術を組み合わせることで、通常よりも多く物が入る鞄や箱を作ることができる。呼び方としては、どちらも『マジック』である。

 今のところの本命はこれだろうが、マジックバッグを手に入れるのはかなり難しい。

 まず時空魔法の使い手が少ないだけに非常に希少で、殆ど市場に出回らない。

 仮に出回ったとしても、とても俺たちが手を出せるような額ではない。

 結局は俺の【時空魔法】とハルカの【錬金術】の上達を待ち、何とか自前で作れるようになるしか方法は無いだろう。どちらも未だ、とっかかりすら得られていないのだが。

「ところでさ。肉が焼けるまで時間もかかるし、ディンドル、食べてみないか?」

「賛成! 俺も取りながら何度囓りたくなったか!」

 ちらちらと俺のバックパックに視線を向けるトーヤに俺は一二いちにも無く頷いた。

 採っているときも感じていたが、今もバックパックからはなんとも甘くて良い匂いが漂って来ている。

 この世界、甘味という物がほとんど無いので、こちらに来てから甘い物は全く食べていないのだ。

 それもあって、この匂いはある意味、暴力的ですらある。

「そうね、私も気になっていたし……少しぐらい良いわよね」

 ハルカもそれは同感だったのだろう。特に反対することなく、バックパックから実とナイフを取り出す。

「とりあえずは……切ってみようか?」

 食べ方が判らないので、ひとまず真っ二つにするハルカ。

 その断面を3人でのぞき込む。

「この皮は……たぶん捨てるのよね?」

 周りの皮はオレンジみたいに厚みがあり、食べるには硬そう。赤一色なので、ちょっと不思議な皮だが、パプリカみたいと言えば想像がつくだろうか?

 その内側には少し黄色がかった果肉がみっちりと詰まっている。

 なぜか種が無いので、一見すると、皮の器にゼリーを注ぎ込んだようにも見える。

「不思議な果物だな? 普通、中心部分には種があるよな?」

「そうね……食べやすそうではあるけど。4分の1ずつ食べてみましょ」

 更に半分にカットした物を俺たちに渡すハルカ。

 渡されたそれに早速齧り付いてみると、何ともみずみずしい甘みとほどよい酸味が口の中に広がる。

 歯ごたえは硬めの桃……スモモに近いか?

 皮離れも非常に良く、種も無いので、ペロリと食べられてしまう。

 繊維質が少なく、とても舌触りが良いあたり、単なる果実よりも一手間掛けたスイーツのような印象が強い。

「これ、美味いな!」

「ああ。食べやすいし、人気があるのが解る気がする」

 俺は嬉しそうに言うトーヤと顔を見合わせ、2人してハルカの手に残った残り一切れに目をやる。

「なに? 食べたいの?」

 俺たちみたいにはかぶりつかず、小さくカットして自分の分を上品に食べていたハルカが、俺たちの視線に気付き訊ねる。

 当然のように頷く俺たち。

「そうね……せっかくだし、食べたいだけ食べましょうか?」

「えっ? でも、一つ2、3千円するんだよな?」

「良いのか? 高く売れるのに」

 3つも売れば1日の宿代ぐらいになる。

 売値でそれで、市場価格ではもっと高い。

 位置づけとしては、元の世界での高級マンゴー並み? リンゴより小さいことを考えると、なかなか手の出ないお値段である。

「まぁ、生産者――ではないけど、採取者特権としてこのくらいの贅沢は良いでしょ。節約してばっかりじゃ息が詰まっちゃうし」

 早速カットして渡してくれるハルカに礼を言い、パクパクと食べる。

 うん、美味い。

 単に甘いだけじゃないから、飽きが来ない。

「その代わり、ナオ、もう1回、採ってきて? 予想以上に美味しいから、取れるだけ採って帰りましょ」

 そう言うハルカの視線は、空っぽのトーヤのバックパックに向いている。

 当初の予定では、帰りに適当に狩った獲物や薬草を入れるはずだったのだが、あれもディンドルで一杯にすると言うことか。

「……おう、了解です。行ってくる」

 ハルカは調理、トーヤはそもそも登れないとなれば、俺が行くのが必然だよな。

 まぁ、すでに縄は設置済み。

 何度も命綱を結び直す手間もないし、枝振りなども概ね把握できたから、肉が焼き上がるまでには往復も可能だろう。

 俺は持っていたディンドルをすべて口に放り込むと、トーヤのバックパックを背負って木にとりついた。

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