鬼哭抄

秋月忍

過疎の村

 澄み渡る青い空。

 朝晩の気温は冷え込むようになり、山の木々が色づき始めている。

 二時間に一本という乗り合いバスは、乗るのが困難なこともあるのだろう。乗客は、病院通いと思われる老人が数人乗っているだけだった。

 風光明媚なところなどないこんなド田舎では、訪れる観光客を見かけることはほぼない。田舎と一言で言っても、寂れる一方の田舎と、観光地を持つ田舎は別物である。

 そんな中、バスの中で異彩を放つ女性の乗客が一人いた。大きな荷物を抱えている様子は、明らかに旅行客を思わせる。無造作に束ねられた髪は、やや赤みを帯びているが染めているという感じではない。

 化粧っけはあまりないが、大きな瞳に彫りの深い顔つきなので派手さがある。服装はシンプルな長袖のTシャツにジーンズ。

 本人はいたって目立たないようにしているつもりなのだが、そもそもこんな田舎の乗り合いバスによそ者が乗れば目立ってしまう。遠巻きに眺める老人たちの好奇の視線を感じながらも、女性、鬼柳楓きりゅうかえでは、誰一人待っていない小さな停留所で降りた。

 集落の入り口にある、その停留所の前には、寂れた寺の門がある。

 過疎と時代の変化で、檀家の数が減り、経営が苦しくなった見本のような貧乏寺だ。

 門扉をくぐると正面に小さな寺の本堂が見えた。戸をあけ放たれ、読経の声が流れている。

 楓は、遠慮がちに本堂に入って行った。

「ああ、楓さん」

 読経を止めて顔をあげたのは、老いた僧侶だった。

「遠路はるばる申し訳なかったです。拙僧の力では、いかんともしがたいモノがございまして」

「それは、また一大事ですね」

 楓は美しい眉をよせる。

 僧侶は立ち上がり、楓に座布団を勧めた。

「この村のはずれにある空き家なのですが、悪いモノが溜まっております」

「空き家、ですか」

「さよう。住んでいた住人が亡くなって、五年。親類縁者とも連絡が取れない。所有者不明のままの空き家となっております」

「なるほど」

「めったに人の通らない場所にある家ではありますが、夜中に明かりがついているのを見たなる報告が後を絶たないとか」

「明かり」

 のっぴきならぬ状況になっていることが、うかがえる。

「つきましては、こちらをお返しいたします」

 差し出された三方の上には、ふくさの上に黒い艶やかな光を放つ横笛が置かれている。

「これは……」

「もはや、拙僧にはこの地を守る力は無くなってしまいました」

 僧侶は、苦々しく笑う。彼の力の源はこの地に住む人々の信仰であった。人が去り、信仰が薄れていけば、力が弱くなってしまうのも、世のことわりである。

「これは鬼柳家より賜った、この地の護り人としての証。力のない人間が持っていても致し方ないもの」

「しかし」

「この寺は、私の代で閉めるつもりです。お気遣いなく」

「寺を……」

 丁寧に手入れはされてはいるものの、この寺はこのまま朽ちていくのだろうか。

 楓は言葉を失う。だが、その決意を止めることはできない。選ぶのは楓ではないからだ。

「承知いたしました」

 楓が頷くと、僧侶はほっとしたように微笑んだ。



 寺の門扉から出ると、男が一人、楓を待っていた。白い上下のつなぎの服を着ている。端正だが、細い切れ長の目がキツイ印象を受ける。

いつきか」

 楓に声をかけられて、男はにこりと微笑んだ。

「一人で来るなんて、水臭いなあ、楓」

「頼まれたのは私。謝礼も山分けは不可能だ」

 楓は言い放ち、一人で歩き始める。

「相変わらず、つれないね」

 素っ気ない楓の態度にも気にした様子はなく、樹は楓の脇を歩く。

「俺たち、一応、婚約者だろう?」

「鬼柳の家が欲しくば、くれてやると前から言っている」

「むしろ、鬼柳の家はいらんのだが」

 楓は大きな民家の前で、足を止めた。

 道路に大きく張り出した枝に、柿がたわわに実っている。庭、と思しき場所はすでに藪のようになっており、玄関までの敷石の隙間には大きな草が生えていた。

 時代を感じさせる引き戸の玄関には、しっかりと施錠がしてある。

 楓はもってきたカバンから筆を取り出した。

 それを見て、樹は藪の中に手を突っ込む。

 くるりと手を動かして、黒いモヤモヤした塊のようなものを捕まえる。

「俺がいると便利だろう?」

 言いながら、塊を楓の前に差し出した。

「そうだな」

 楓は否定せず、黒の塊の中に筆を浸した。墨をつけたかのように筆が染まる。楓はゆっくりと宙に文字を描く。


『鍵』


 宙にかいた文字が発光し、ころんと楓の手に金属のカギが転げ落ちた。

 楓は、手にしたカギをカギ穴に差し込み、きしむ扉を開く。

 湿っぽい臭いが鼻をついた。

「うーん。既に『名』が付いてしまっているようだな」

「ああ。手間取りそうだ」

 暗い玄関に立ち、楓は思わずため息をついた。

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