風希は行く、風希たちと静かな海へ




 本日の仕事のスケジュールを無事終えて、四人は民宿へと赴いた。

 八畳間の和室だ。一般家庭ならどこでもありそうな、ありふれた部屋である。ところどころ破けてたのか、窓の障子は花形に切った紙が貼られている。

「こんなところで寝ろっていうの? 三人で」

 いま桔実は席を空けているから、厳密には四人でここに泊まることにはなっているのだが。

「三人って、いちおう四人いるんだけど?」

「波来、あなたは廊下で寝なさい。男子禁制だから」

「そんな……」

 風希本人の自分勝手さがまた現れ始めた。

「まぁまぁ、波来くんは迷惑かけないほうだから。ねっ?」

「あ、うん」

 風希のフォローでそこは空気読んで波来は素直に答える。

 だが蚊帳の外に閉め出された気分になった。いけないと思いつつ、自分のネガティブさを外に追い出すように、首をぶるぶると振る。

「しかし、疲れたなぁ」

「疲れたわね、ほんとたくさん働いたわ」

 風希本人は仕事を嫌がってたほうではあるが、それでも積極的に口を出したから、それなりに働いたことは否めない。

 明日も海の家で働くということになっている。

「みなさーん」

 やにわに襖が開き、この場にいなかった桔実が姿を現す。

「海辺へ夕涼みに行こう!」

「え? いまから?」

 波来は桔実の提案に突然過ぎて、当然のことながら驚いた。

「何を言ってるですか、波来くん。わたしたちの遊山はいまからですよー」

「遊山って……。そもそも海だったら遊山って言わないような」

「じゃあ、遊海ゆうみで」

「いや、言葉の問題じゃなくて」

「細かいこと気にする波来くんですね。いまから遊びに行くのに、どうしてはしゃごうとしないんですか。本当空気読めてないですよ」

 確かに今日は一回も遊んではいないし、遊びに行くというのは賛同できるところではある。しかし、波来はどうしても気乗りしない。風希本人がいるから。

「それに、これから夕ご飯だし」

「そこは後藤さん夫妻がちゃんと時間を見計らって用意してくれるですよ」

 とりあえず食事の心配はしなくていいようだが。

「というわけで皆さん、早く仕度をするです。みんなで海に行きましょう!」

「私、パス」

 風希本人が拒絶の意思を露骨に示しながら、手をあげる。

「三人で行ってきて、私は気乗りしない」

「何を言ってるの? 風希ちゃん。波来くんも空気読んでこうやって行こうとしてるんだよ。風希ちゃんまでが空気を読まないなんておかしいよ」

「こいつと一緒にしないで、私は場の空気を読んでいるつもりよ。その上で私が嫌だと言ってるのよ」

 なんかさりげなくこの二人は波来のことを馬鹿にしてるような気がする。彼は少しだけかちんと来たが、その怒りはなんとか飲み込んで我慢する。

「私は行きたくないから行かないの」

「風希ちゃん……」

 桔実はその場でしばらく考え込んだ様子を見せてから、手を叩いてからこう言った。

「わかった。じゃあ波来くん二人で行きましょう」

「え、あ、うん」

 桔実が波来の手を引っ張って、部屋から出ようとする。

「というわけで、二人は留守番していてください」

「ふた……え? ちょっと待て!」

 風希本人が声を上げた。

「二人で留守番って、私とこいつで二人っきりでいろってこと!?」

 何気に風希のことをこいつ呼ばわりしていることが、波来はどうにも気に入らない。

「そうだよ、風希ちゃんが風希ちゃんと向き合うのがこの旅行の目的だから。これぐらいタイミングのいいことはないでしょ?」

「うぐぐ」と言いながら風希は苦悶に満ちた表情を浮かべた。

 なるほど、桔実も策士だ。気乗りしない風希を見事にはめてやったと、波来は感心した。

「わ、わかったわよ。行けばいいんでしょ? 行けば!」

 頬を真っ赤にしながら、風希は立ち上がった。

「そうこなくっちゃです、というわけで四人で夕涼みに行きましょう」

 どっちにしても風希二人は一緒に同行することになるが、そこは風希も黙って我慢しているようだ。二人きりになるよりも四人で行くほうが気が楽なのかもしれない。

 むかつきを押さえた顔をしながら風希はしぶしぶついていくことにする。


 紫色に近い青だった。太平洋側の海を正面にして、太陽は後ろに沈んでいく。いつもの夕焼けはそこにはないが、それがかえって神秘的な雰囲気を醸し出していた。

 海は静かだった、波は打っていたけれどそれも穏やかな気持ちにさせてくれるので、静かな雰囲気を一段と強調していた。

「静かだね、波来くん」

「そうだね風希」

 二人並んで、波打ち際に対面し、波来と風希が語り合う。

 この静かさに心穏やかな気持ちにさせてくれる。風希がそのまま消えてしまいそうな、淡い雰囲気を漂わせている。それくらい穏やかな時間だった。

「本当に、昼間のやかましさが嘘のようね」

 風希本人もきつい顔をして、そんなことを言う。

「みんなお待たせー」

 桔実が何かを背負ってここまでやってきた。さっき準備があるとかで、席を空けていたのだ。

「ここで焚き火しましょう」

 そういいながら、海辺にセッティングする。

 焚き火禁止という立て札はない。羽目外しすぎない程度にと後藤夫妻からの通達のもと、桔実は焚き火をやるとのことだった。

 背後にあった夕焼けはすでに消えかけていた。いまからこの焚き火が夕焼けになるのだろうか、と賛同するには難しいノスタルジックに駆られる波来。もしかしたら詩人になれるかもしれない。

 波来も手伝いながら、焚き火をセッティングする。

 そして気になるものがあった。さっき桔実が背負っていたものをさっき砂の地面に下ろしたのだが。黒いバッグで被せられていて、長方形に長細いものである。琴くらいの大きさだった。特別、波来が琴を知っているわけでもないが直感的に波来はそう思った。

 風希が本人と一緒に波打ち際で佇んでいた。

 何か会話を交わしているようである。風希本人はここにいたくないような感じを見せていたけれど、それでも真面目に振る舞っている。

 何をもって真面目というのかわからないけれど、風希本人もこの旅行の目的をちゃんとわかっているようだ。

 風希が風希と向き合う。それがこの旅行の目的。何度も言うがただの遊びではない。

「よし、できたです。あとは火をつけて」

 炭とか着火剤とか工程が難しいけれど、桔実の知識のおかげでなんとか火を熾すまでそう時間はかからなかった。

 そして、焚き火は完成した。

「風希ちゃーん、用意できたよ!」

 そう声を上げて、四人は焚き火を囲んだ。

 この雰囲気は嫌いではない。波の音を聞きながら、火がパチパチと音を立てるのを耳にする。気持ちを穏和にしてくれる。

「これから何をするんだ?」

「花火に、ジュースに、おつまみに、いろいろあるですよ? マシュマロとか焼きますか?」

 さすがにアルコール類はない。波来がそれを勧める気は毛頭ないが、風希本人はカラオケ店で酒を飲んでいたから。もしかして持ってきやしてないか心配になった。だがどうやら風希本人は手ぶらのようだ。

「なんか盛り上がらないですね、波来くん何か余興はないですか?」

「しりとりでもする?」

「空気読んでください、どうしてこの場でしりとりしなきゃいけないですか」

 波来は自身の余興のレパートリーのなさを反省するよう、頭をもたげる。

 これから何をしようかと考えてもいない。

 でも、ここにいるだけで心地がいいのだ。

 このまま囲んだまま時間を過ごすのも悪くはない。

 桔実が用意したおつまみを手渡す。柿の種、ポテトチップス、スルメ、いろいろと用意が万端で助かる。

 それを口にしながら、サイダーを飲んだ。

「なんか、盛り上がりに欠けるわね」

 風希本人が不平を言い始めた。

「風希ちゃんは盛り上がりたい?」

 その言葉にはっとした。いままで風希本人は旅行を楽しもうとはしなかった。けれど、ここで盛り上がらないことに不平を言い出すのは、一歩前進したと言えよう。

「風希ちゃんから、その言葉を待ってたよ」

 そう言いながら、桔実が持ってきた例の黒いバッグを手に取り、ジッパーを開いてそれが姿を現した。

「キーボード!」

 八十八鍵盤のピアノキーボードが姿を現した。

 そこで波来は思い出した。風希本人の夢、ピアノを弾けたらいいなということ。

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