第38話 焦り

「……おかしい」


 まだ目を覚まさないミウちゃんに付き添い、不安そうな表情を浮かべるリナさんを励まして部屋を出たのが、二十分程前の事だ。

 リナさんの部屋に居る事にして、琴姉ちゃんに見つからないように自分の部屋で大人しくして居るけれど、一向に明日香からメッセージが返って来ない。

 もう九時を過ぎているし、起きていないなんて事はないと思う。

 明日香と両想いだから、簡単に元の関係に戻ると喜んでいたけれど、先ずは会って話をしなければ、流石に何も進展しない。

 朝早くにメッセージを送ってしまったから、気付いていないのだろうか。

 もう一回送っておいた方が良いかな? と、スマホを手に取ると、


「え!? 嘘……明日香が既読スルー!?」


 僕が送ったメッセージに、しっかりと既読マークが付いていた。

 今まで、明日香がメッセージに気付かなくて返事がなかった事はあっても、気付いているのに何も返して来ないのは初めての事だ。


「あ、あれ? 僕と明日香は、両想いだよ……ね?」


 あれほど余裕ぶってはしゃいでいたのが嘘だったかのように、僕の心がざわつきだす。


「きっと、何かで忙しいんだよね。あと十分。十分だけ待ってみよう」


 親から何か頼まれているとか、ゴールデンウィークで親戚が訪ねて来たとか。

 そうだ、きっとそうに違いない。決して、僕が明日香に避けられている何て事は無いはず……だ。

 神様に祈るかのように、明日香の事を考えながら、スマホにメッセージが届くのを待つが、やはり来ない。

 このままだとミウちゃんが……


「って、違う! 未来が変わってしまっているという事は、僕と明日香の関係も変わっているという事じゃないかっ!」


 今更ながらに、自分の間抜けっぷりに気付く。

 ミウちゃんの姿が変わったのは、何らかの原因で僕の息子、川村優太が生まれていないから。それはつまり、僕と明日香が結婚していないって可能性が十二分にあるじゃないかっ!

 それはつまり明日香が僕に愛想を尽かしている訳で、正にメッセージを既読スルーされている今の現状そのものだ。


「この大バカ野郎っ!」


 このままでは、僕と明日香は結婚どころか仲違いしたまま、接点が無くなってしまう事だってあり得る。

 それから、ミウちゃんはミウちゃんで無い事が確定してしまうし、未来から来たと言うリナさんだって、どうなるか想像も出来ない。

 未だにメッセージの来ないスマホを掴むと、慌てて明日香に電話を掛ける。


『只今電話に出ることができません……』


 だけど、スマホから流れてくるのは明日香の凛とした声ではなく、僕を絶望の淵へ叩き落とすかのような声だった。

 浮かれていた状態から、現実への落差で目の前が真っ暗になる。

 思わず、ベッドに突っ伏しそうになった所で、


「明日香……を、こんな事で諦めないっ!」


 何とか堪えて、部屋を飛び出す。

 玄関を出て、唯一の移動手段である自転車に跨ると、


「明日香ぁぁぁっ!」


 山道を全速力で掛け抜け、見慣れた二階建ての家――明日香の家へとやって来た。

 息を整え、インターフォンを押そうとした所で、


「あら? 優斗君じゃない。お久しぶり」

「あ、おばさん。お久しぶりです」


 庭で洗濯物を干していた、明日香のお母さんに声を掛けられた。

 明日香を家の前まで送ったりはしていたけれど、中へ入った訳ではないので、お母さんに会うのは数ヶ月ぶりだろうか。


「あの、明日香さんは?」

「明日香? 今は珍しく自分の部屋に居るんじゃないかしら」

「そうですか。あの、会わせていただいてもよろしいですか?」

「どうしたの? そんなに改まっちゃって。ゴールデンウィークは、ずっと一緒に居たんでしょ?」

「え? えぇ、まぁ」


 ずっと一緒という訳ではないけれど、お母さんに話を合わせて返事をしていると、


「で、優斗君。そろそろ、明日香と付き合ったりしないの? それとも久々に家へ来たって事は、もう付き合い始めたって事なのかしら?」


 唐突にとんでもない事をぶっこんで来た。

 この言葉を数日早く聞いていたら心の底から喜べたのだろうけど、今はチクリと胸の奥が痛む。

 お母さんは未だ気付いていないみたいだけど、明日香の心は今、僕に向けられていないんだ。


「いえ、僕と明日香さんは友達というか、ただの幼馴染なので」

「そんなの知っているわよ。でも、ただの幼馴染が、ご両親が留守で大変だからって、家の掃除を手伝いに行ったりするかしら? 幼馴染というだけでは、ちょっとやり過ぎじゃない?」

「明日香は面倒見が良いですから……って、家の掃除?」


 掃除とは何の事だろう。

 一緒に食料の買い出しに行ったり、食事の準備を手伝って貰った覚えはあるけれど、家の掃除までしてもらった覚えはないのだけれど。


「そう、家の掃除。二日前に、朝からわざわざ掃除道具を持って、優斗君の家に明日香が行ったでしょ?」

「え? 掃除道具?」

「えぇ。白いトートバッグに、ゴム手袋とか洗剤とかを詰めていた気がするけど。私に似て、家事も出来るしスタイルも良いし、どうかしら? まぁ胸が無い所まで似ちゃったけど」


 お母さんが冗談っぽく、両手で胸を隠す。

 四十代とは思えない綺麗な女性だけど……いや、そんな事より二日前で、白いトートバッグって、あのキスを見られた日じゃないかっ!

 どうして僕と明日香は、こうもボタンの掛け違いが続くのだろう。

 いや、だからこそ、その掛け違いを終わらせるんだ!

 僕はお母さんに了承を得て、明日香の部屋へと向かった。

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