第22話 迫り来るYの想い 後編

「それって、贅沢すぎんぞ? お前、花城という可愛すぎる彼女と付き合っていながら妹までいるのか? パン仲間の風上にも置けねえな」


「それ、パン関係ないだろ。贅沢に見えるかどうかは個人の感想と見解による」


「テレビ番組のダイエット企画みたいな言い訳してんじゃねえよ! ぼっちの俺らからしたら、健気に兄に尽くす妹の手料理はもはや夢と幻くらいのものなんだよ。くそう、何でお前ばかり……」


「お前らイケメン男子なんだから簡単に作れるだろ?」


「高久に言われると無性に腹が立つ。お前、自分のことを何も分かってねえよ。鏡は持ち歩いてるか? 鏡でお前自身を見つめ直してみろっての!」


 俺はゆかりなさんが作りたがっている手料理の対策を考えていた。何も思い浮かばないので、とりあえず予定通りにコンビニの新作パン食べまくりツアーに参加していた。そこでイケメンなパン仲間たちに手料理のことを相談していた。


 当然だけど妹でもある彼女と一緒に暮らしていることは誰も知らない。彼女という関係だけが知られているだけだった。奴等曰く贅沢過ぎるだとか、鏡を持ち歩いて自分を見つめろだとか、イケメンからそれを言われたら俺はこの先どうやって生きて行けばいいんですかい?


「とりま、受け止めろ! それか、ひたすら外出して外食専門脳にしてしまえ」


「お前ら、俺の財政状況知らないのか? 外食専門に出来るほど富裕層でもないんだぞ」


「知らねーよ! とにかくお前は自分のことを見つめ直せ! そうじゃねえと、来週の新作パン祭りには参加させねえからな」


 へ? 毎週やってたのか! それもいつも参加している……だと!? さ、寂しい奴等だ。


「わ、分かったよ。自分で何とかするから、パン祭りの名簿には名前を残しておいてくれマジで!」


 未だ名前がうろ覚えなパン仲間たちと別れ、色々と画策をしているであろうゆかりなさんの為に、家に帰ることにした。


「おかえりなさい、あなた」


「えっ? あ、あなた……!? そ、それは何の――」


「なにって、わたしのことはわたし。キミのことはあなたって言うじゃん。何か間違ってる?」


「あ、はい。間違っておりませんことよ。てっきり、新婚さんごっこかと思ってしまいまして」


「し、新婚……まだ籍も入れてないのに。で、でも、何かいい響きな気がする」


 まだ? まだって何かな。それはともかく、小悪魔な上に天然なのか? それとも……何かの謀略か? 俺を動揺させて心にすき間を作らせて、そのすき間をお埋めします? な、何て恐ろしいんだ。


「そ、それはそうと、お母さんと親父はまだ帰って来ないのかな?」


「さぁ?」


「いやっ、だって、直接言われたのってゆかりんだろ? 俺は何も分からないんだよ? ゆかりんからじゃないと状況も分からないし、不安だらけになるよ」


「そ、そんなのっ……知らないもん。ど、どうして、そんなこと……言うの? グスッ……」


 うおっとぉー!? やばい、泣く、泣いてしまう。ゆかりなさんを泣かせてしまえば何か恐ろしいことになるのは、実証済みだ。


「い、いやっ、ご、ごめん。そんなこと言うつもりじゃなくて、えと、あ! 悲しい気持ちにさせたのを謝りたい。何か俺にお願いとか頼み事とかしていいよ。何でも聞くから」


「……ホント?」


「おう! 兄に二言なぞあり得んぜ!」


「ふふ……じゃあ、明日から毎日きちんと、夜にはこの部屋に座って待機しててね? もちろん、お昼も食べちゃダメだから」


「は? ど、どういう……あっ!? あぁぁぁぁ」


「うふふっ! 明日から楽しみにしててね」


「ひっ……ひいいいい――」


 やばい……腹が減って死にそうだ。まさかこんな策にハマるなんて思わなかった。まさに、策士策に溺れる。


 策士でもなければ大したこともしていなくて、単にゆかりなさんから逃げていただけである。


「うーうー……は、腹が」


「なんだ、どうした? お前昼パンは持って来てないのか?」


「あ、あぁ……これには深すぎる理由があってだな」


「一口くらい食っとかないと午後の体育とか動けないんじゃね? 分けるか?」


「午後は体育~? 俺は年中体育座りの見学人だから問題ない。一口でもお恵み頂けるなら、遠慮なく頂きたい。さぁ、俺の口の中に突っ込んでくれ! サトル!」


「いや、お前だけ見学とかあり得ねえ。まぁ、とにかく本当に一口分だけでいいんだな? じゃあ口に突っ込むぞ?」


「イエス! イエ……はっ!? い、いいえ、頂けないです。すみませんでした」


「ん? そうか。なら途中で停止した俺の手の行方は、自分の口に行くってことでいいんだな?」


「ハイ」


 空腹過ぎる俺の五感はとてつもなく研ぎ澄まされていた。元々朝も食べないのでそんなでもないが、昼を抜いたことで少なくとも昨日よりは鋭くなっている。まさに仲間からのお恵みパンが俺の口に近付いた時だった。


 どこからか痛々しく、刺々しい視線を放っている御方がいたのだ。


「――キッ! (食べたらどうなるか分かるよね?)」


 ……などと言っていたとしか思えない。ゆかりなさんは俺の席とは結構な距離で離れている。それなのにすぐ近くにいるような感覚だった。


 これで俺も何かの達人になれるのかもしれない。


 お腹を空かせすぎて最初に食べた料理であれば、普段よりも格段に美味しいこと間違いなし。これは世界共通の事項だ。恐らく無意識にその策を発動させたに違いない。恐るべしゆかりなさんだ。


「んーふふふっ! おっかえりー! たかくんっ」


「タダイマー」


 いつになく彼女の笑顔が恐ろしく感じる。すごく嬉しそうなので本来なら俺も笑顔になれるはずなのに、何かのカウントダウンが近づいているという恐怖感が何とも言えない。


「あのね、残念なお知らせがあるの」


「は、はい。な、何かな?」


「帰りにスーパーに寄ったんだけど、タイムセール? とかであっという間に売り切れちゃって買えなかったの。だから、今夜は外に食べに行かないと駄目になっちゃった。ごめんね……せっかくお昼まで抜いて楽しみにしてくれたのに」


「おお! そ、それはなんて残念! じゃ、じゃあ外食に行くのかな?」


「うん……だから、明日は必ず作るようにするから、今夜はファミレスに行こ?」


「イエス! 行きましょう。さぁ、わたくしの手に掴まってお歩き下さい」


「優しいね。せっかく……だけど、明日からはこんな失敗しないから、だからごめんね」


「いやいや、毎日でも失敗しても……」


「……本当にそう思ってる?」


「い、いいえ。本当に残念だね……」


 こ、こわっ。目がマジだった。そして声のトーンがキュートなゆかりんではなかった。あぁ残念だ。今日の夕飯が俺の人生にとっての最後の贅沢かもしれない。


「ふわぁぁ……あれっ? 俺誰だっけ? たか……」


 最近自分の名前や、自分のことを忘れるようになっていた。何故俺は見知らぬ部屋で寝ているのだろうか、とさえ。ただそれも、数時間経つと忘れた事すら忘れてしまう。


「あっ、目が覚めた? おはよ、たかくん」


「……どちらさまでしょう?」


「ひ、ひどい……わ、わたしのこと、そんなに嫌いなの?」


「いや、好きとか嫌いとか以前に、好きって何かな?」


「それは、えと、あなたしか考えられない、あなただけしか見たくない。あなたに夢中ってことで……言わせんな、バカ高久!」


 バシーン! と頬をぶっ叩かれた。そして思い出した。俺は高久。そして、あの子はゆかりな。妹である。


 痛みに加えて、好きという意味を同時に聞かされて俺は正気を取り戻す。これをここ数日ほど繰り返していた。そしてそれは学校の昼休みでも起こるようになっていた。


 何故なら、昼も愛情たっぷり過ぎる手作り弁当を頂くように強制……いや、頂けるようになったからだ。


「い、いただだだ……きます」


「うんうん、召し上がれ」


 教室の中には俺とゆかりなさんとパン仲間しかいない。そこで堂々と「あーん」と恐るべき食べ物の数々が俺の口の中に運ばれてくる……所までは記憶がある。


「おい、高久! おい、おい……返事しろ!」


「はっ!? って、あれ? ここはどこだ? そしてお前らは何者?」


「ま、また記憶を焼失されたのか? どんな味なのか気になるが……というか、焼き物を食べなければいいだけのはずだが、そうも言えないのか。同情するぞマゾすぎて」


「マゾじゃねえよ! って、俺は誰だよ!? お前も!」


「お前は高久。葛城高久かつらぎたかひさだ。そして俺はお前のパン仲間にして、友人のサトルな。現実から逃げたい気持ちは分からないでもないが、お前のことが好きな彼女が作ってんだろ? いい加減逃げてんじゃねえよ! 記憶を失わせて、花城からも逃げるつもりか?」


「……う、くそっ」


 なんてこった。第一の友人にして、いつもパン誘いをするサトルに俺のフルネームを言われてしまうとは、予想出来んかった。逃げてるわけでもなかったが、実際に記憶が飛ぶくらいの味だ。


 彼女には真実も教えなければならないということになる。それが一番酷で、泣かせることにもなるわけだが、これが解決して人並みに作ることが出来れば、毎日作られても苦じゃなくなる。


 つまり俺個人への試練は終わりを告げるわけだ。これ以上は俺の記憶が危ないし、途中で何故か親父にも出会えた。親父、生きてるか? 


「ゆかりな。話があるんだ。ちょっとこっちに来てくれ」


「えっ? あ、うん……」


 俺はクラス連中からの冷やかしと怒声が飛び交う中で、ゆかりなさんを廊下に呼んだ。家だとボコボコにされる危険があったからだ。


「いいか、よく聞いてくれ。お前の手作り料理は俺の命がやばいんだ。お前、きちんと味を確かめてるか? 味覚は平気か? 俺の為を想うなら焼き物は止せ。お前にはまだ向いてない。それはお母さんから習うか、料理教室に通え! マジで。そうじゃないと俺はお前のことが嫌いになりそうだ」


「――や、やだ」


「俺の為を想うなら、料理を上手く……」


「ど、どうして、そんなことを今になって言うの? だって、もう一週間くらい経ってるじゃない! どうしてすぐに言ってくれなかったの? ヒドイよ、それはわたしの為なの? たかくん、ひどい……」


「いや、だから……」


「帰る!」


「って、まだ授業が! お、おい!」


 や、やはり酷だったか? それとも俺の言い方に問題が山ほどありすぎたのか。どう言えば伝わったっていうんだ。


 教室に戻ると痛すぎる視線が飛びまくって来たので、先生に泣きつくことにする。


「先生、花城は具合が悪すぎて早退しました。俺も帰っていいですか?」


「ムコとしては心配だろう。いいぞ、お前も帰れ」


「婿? 違いますヨ……」


 家に帰ると彼女の姿は無かった。これはミステリー? いや、家出させてしまったのだ……俺のせいで。

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