第二十九話 ラブコメの波動を感じる……!!

 こんこん。

 返事はない。


 だが、そこには誰かがいる確実な気配が俺にも感じ取れた。




 ここから俺はやって来たのだ。

 過去と今を繋ぐ《次元扉》。


 とは言え、拉致され気を失っていた俺はここがそうだとはついさっきまで知らなかった。部屋の入口の人工的で無機質なスライドドアの脇には、施錠中であることを示す赤いランプが灯っていた。




 無言で頷き、入れ替わるように一歩退しりぞくみこみこさん。俺は歩み出て、もう一度スライドドアを拳で叩きつけながら、精一杯声を張り上げた。



「凛音ちゃん、俺です! 多田野です! ここを開けてくださいっ!」



 やがて――。



「嫌……です! ここから出る訳にはいきません!」



 か細い声が震えていた。



「どうして!?」


「だって……明日になったらセンセーは、ここから元いた世界へと帰ってしまうじゃないですか! そんなの……そんなの絶っ対嫌なんです!」


「じゃあ聞いてくれ、凛音ちゃん! そのままでいいから!」



 下手な嘘は吐かない、そう決めた。凛音お嬢様の、いや、凛音ちゃんの決意には、真正面から向き合わないといけないのだ。


 やべえ……。

 握り締めた手が汗でぬるぬるする。


 が、ここで怯む訳にはいかない。



「俺はね……。凛音ちゃんのこと、大好きだよ。本当だ。嘘じゃない」



 自分でも不思議なくらい、すんなりとその素直なフレーズは出てきた。



「凛音ちゃんは大切な生徒だし――俺、兄弟いないからさ――可愛い妹ができたみたいで凄く嬉しかったんだ。だから、君と過ごした日々は毎日が楽しくて、いつかこれが終わってしまうなんてちっとも考えてなかったんだ。でもね――」



 そこで息を吸い、



「――俺は、凛音ちゃんの恋人にはなれないよ。なっちゃいけないんだ。ずっとそばにいてあげたい。本気でそう思ってる。……それでもさ、俺は凛音ちゃんの恋人にはなれない。凄く勝手なことを言ってるのは分かってる。とんだ勘違いだったら大笑いしてくれてもいい。それでもね、俺と凛音ちゃんの関係は、そういうんじゃないと思うんだ」


「でも、私は……私にとっては――!!」



 その悲鳴に似た悲痛な叫びに、俺の心はきしみを上げた。



「駄目だよ、凛音ちゃん。俺より良い奴なんて、この世界にはいくらでもいるんだぜ。俺は過去から来た、ただのオタク。それだけの男だ。凛音ちゃんはまだ知らないだけなんだ。この世界はもっともっと広くて、もっともっといろんな奴がいる。それを知らなきゃダメだよ」






「でも、私にとっては、初めて好きになった人なのです、センセーは!」






 気付けば視界がぐにゃりと歪んでいた。

 自然と涙が溢れて、声が頼りなく震えた。



「うん……それだけで良いよ、俺は。それだけで良い。もう凄く幸せで、誇らしい気分だ!」


「センセーは……ずるいです……」


「そう、狡いんだ、俺は。たったそれだけで満足しちゃってる狡い奴なんだ。二十八年間生きてきて、そんな台詞をいつか言われてみたいなあ、なんて思ってた。そんな凄い夢が叶っちゃったらさ、あとはもういいや、って思ってるんだから。ねえ、出てきてよ、凛音ちゃん?」



 しばしの沈黙。


 だが、待つのは苦じゃなかった。

 やがて聴こえる。



「……嫌です」


「どうして?」


「泣いている顔を……センセーに見られたくないから」


「じゃ、待ってるよ、ここで」



 言いたいことは言えた。あとは待つしかない。ふと振り返ってみると、みこみこさんの姿はなかった。さすがにやりとりを聞くのは忍びないと思ったのだろう。俺の方もそうしてくれて助かった気分だった。






 それからどのくらい経ったのだろうか。


 ふおん、と軽い空電音が響いたかと思ったら、部屋のランプが開錠を示す緑に変化した。そして、音もなくドアがスライドする。そこには憔悴しきった凛音お嬢様の姿があった。



「………………ずっと待っていてくれたんですか?」


「言っただろ? センセーは嘘は吐かない主義なんだ」



 凛音お嬢様の目元は赤く腫れぼったかったが、そこにはもう、涙はなかった。

 と、俺の視線を避けるように、つい、とその瞳が逸らされる。



「私のこと……嫌いになりましたか?」


「な、何でよ!? 嫌いになんてなる訳ないじゃない。俺にとって、凛音ちゃんは凛音ちゃんさ。それはこれまでも、この先も、ずっと変わらない。それは約束する。絶っ対だ」


「良かった……」


「あとね――」



 はにかんだような凛音お嬢様の笑みに心が揺らぎそうになったけれど、これだけはきちんと言っておかなければいけない。



「やっぱり『宅検』は受けなきゃダメだ。そのために二人で頑張ってきたんじゃないか。凛音ちゃんの実力、皆に見せつけてやろうぜ! 俺はそうしたい! それが見てみたいんだ!」


「やっぱり……帰りたいから……ですか?」


「違う、違うよ。俺は決めたんだ」



 失望の色を僅かに覗かせた凛音お嬢様の瞳から目をそらさずに俺は首を振った。



「もうしばらく、この世界にいることに決めた。『宅検』に受かっただけじゃ、それだけじゃ、やっぱり凛音ちゃんのこと心配になっちゃうんだよ。それだけじゃ安心して戻れない。それにさ、家庭教師ってのにもようやく慣れてきたところなんだ。もし凛音ちゃんが良いと言ってくれるなら、俺はこれからも君の家庭教師を続けてみたいんだ。ダメ……かな?」


「ほ、本当ですか!?」


「こんな可愛い女の子に気軽に嘘言えるほど器用じゃないって」



 次の瞬間、凛音お嬢様は俺目がけて飛びついてきた。

 大慌てで全身全霊で受け止める。


 その温もりが俺の中の感情を揺さぶり、脳裏には何度も涙しては幾度となく繰り返し見続けていたあの名作アニメの名台詞が浮かび上がっていた。俺はそれを確信をもって口にする。



「俺と凛音ちゃんは、一人一人では単なる火だけれど、二人合わされば炎となる。炎となった俺たちは無敵だ!」


「……それって『トップをねらえ!』の名台詞ですよね?」


「当たり! 俺が一番好きなアニメなんだ。今の俺たちにぴったりだと思わない?」


「まったく……ホント、ダメなオタクですね、センセーは! 乙女心が分かってません!」



 呆れたように目を回してから、凛音お嬢様は俺の腕の中でくすくすと笑う。




 それから、


「こういう時は……こうするんです」


 悪戯っぽく言うと、俺の頬にそっと口付けた。




 びっくりして見返すと、見る間に凛音お嬢様は熟れたトマトのように真っ赤になる。



「こ、こんなことしたの、初めてです。……驚きました?」


「お――驚くに決まってるでしょ! 安売りはダメです!」



 慌てて抱擁を解き、少し距離を置いたところで凛音お嬢様はこう尋ねた。



「一応、聞いてみたいんですけど。良いですか、センセー?」


「な、何です?」


「私の恋人にはなれない、って……ずっと、ですか?」


「ええと……」



 嘘は吐かないと決めたから、だからこそ、答えに迷う。



「今は、かな」


「良かった!」



 へ?と突然のリアクションに固まっている俺をその場に残し、すぐ横を通り過ぎた凛音お嬢様は振り返り、こう続けた。



「まだ私にもチャンスがある、ってことですよね。だから、良かった、って言ったんです!」


「え………………えええー?」



 やっぱダメだな、俺って。

 乙女心って奴は、ちっとも分からないんだけど……。




 ◆◆◆




【今日の一問】


 次は、荒木飛呂彦の『ジョジョの奇妙な冒険』より、第四部の登場人物のスピンオフとして描かれた『デッドマンズQ』についての説明文です。()内にふさわしい人物名を埋めなさい。


    主人公は、第四部に登場する(   )で、

    幽霊になった彼が奇妙な体験に

    巻き込まれていく物語である。


    (私立中学校入試問題より抜粋)




【凛音ちゃんの回答】

 『吉良吉影』。

 とても印象的なキャラクターなので覚えています。




【先生より】

 正解です。ちなみに、タイトル『デッドマンズQ』の『Q』は、『キュー』ではなく『クエスチョンズ』と読みます。このあたりも出題されそうな箇所なので、ぜひ覚えておいてくださいね。他にも、同じく第四部の登場人物である作中の有名漫画家『岸辺露伴』先生のスピンオフ作品が非常に人気です。ちなみに先生もスタンドを持っていますが、『ヤコブの梯子ジェイコブズ・ラダー』と言う名で、『階段の一段目を高確率で踏み外すだけの能力』しかありません。使えませんね。



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