第37話 噂話

「たくさん写真撮りましたね」

 景都が言った。

 プリントした写真が、ダイニングテーブルの上に広げてある。


 俺の実家で撮った写真や、夏祭りの写真、花火の写真。

 景都がバイト先で撮った写真には、東子が被写体になったオフショットもあった。

 テーブルに積み上がった写真の束は、景都のこの夏の成果だ。


「あっ、これ七海ちゃんに送ってあげよう」

 夏を振り返りながら、景都と杏奈さんと三人であれこれ言いながら写真を眺める。

 杏奈さんとビールで乾杯するのに、写真がいいさかなになった。


 これは別に贔屓目ひいきめではなく、景都の写真のセンスはかなりのものだと思う。

 特に人物の写真が上手くて、杏奈さんを撮った写真や、東子を撮った写真、それにおっさんの俺を撮った写真さえ、様になって見えた。


「ところで景都ちゃん。夏休みの宿題、全部終わったの?」

 写真を見ていた杏奈さんが何気なく訊く。


 今日は九月二日で、月曜日の明日から景都は学校だ。


「うん……」

 景都の返事は、写真の話をしているときと違って歯切れが悪い。

「それで、本当は?」

 俺が突っ込んで訊いた。

「はい、えっと…………まだ、かなりの部分、手を付けてません」

 上目遣いの景都が白状する。


 今日は九月二日で、月曜日の明日から景都は学校だ。


 正確に言うと、今は九月二日の午後八時二十四分だ。


「景都ちゃん、宿題やろうか」

 杏奈さんが言った。

「だ、大丈夫。こういうのは、新学期が始まって、二週間くらいで提出すればいいんだから」

 景都が謎理論を展開した。

 けれど、それはかつて俺も使っていた手だから、無下むげに注意できない。


「ダメだよ。アルバイトとカメラは勉強に支障ししょうがないようにって、お姉ちゃんと約束したよね」

 杏奈さんが、いつになく強い口調で言った。

 杏奈さん、こういうことには厳しいらしい。


「はい。ごめんなさん」

 景都が項垂うなだれる。


「ほら、お姉ちゃんも手伝うから、宿題やろう」

「よし、俺も手伝うよ」


 平和に写真を見ていたダイニングテーブルが、急遽きゅうきょ、景都の宿題対策本部に変わった。


 俺と杏奈さんで景都の宿題を手伝う。


「今の高校生は、こんな勉強してるのか……」

 俺は、はるか昔の知識を引っ張り出したけれど、お手上げだ。

 国語関係、歴史関係に関しては、杏奈さんがいるから心強いけれど。


 仕方なく、俺は自由研究を手伝った。

 「カメラのF値とシャッタースピードの関係」という景都が選んだテーマで、持ち合わせの知識を役立てる。


 夏休み最終日の父親って、こんな感じなんだろうか。


 それは朝方まで続いた。





「先輩、どうしたんですか? 眠そうな顔して」

 出社すると、姫宮が第一声で訊く。

 俺は、姫宮が一目で分かるくらい眠そうな顔をしているらしい。


「おかしいですね。昨日の夜は私と過ごしてないのに、先輩、夜遅くまで何してたんですか?」

 眠いところに、姫宮の軽口は結構胃にもたれた。


「あ、あの。先輩は、私と一夜を過ごしてました!」

 知世ちゃんが言う。


 言ってから、ほっぺたを真っ赤にして両手で顔をおおう知世ちゃん。


「うん、知ちゃんも、中々切れがある返しが出来るようになってきたよね。でも、照れちゃダメ。こういうのは、照れたら相手も恥ずかしくなっちゃうの。次は、それを照れずに言えるように頑張りましょう」

 姫宮が言って、知世ちゃんが手で顔を覆ったままで頷いた。


 姫宮の奴、知世ちゃんに何を教えようとしてるんだ…………



 俺達がそんなやり取りをしていたら、部屋のドアがノックされた。

 総務の同期、松本さんが顔を出す。

 いつも通り、髪をぴっちりとまとめて、制服を羽織ってシャツを腕まくりしている松本さん。


「大沢君、いい?」

 彼女に呼ばれた。

「ああ、うん」

 俺は席を立つ。


 松本さんは、俺を無人の給湯室に連れていった。

 総務に呼ぶわけでもなく、俺達の部署で話すわけでもなく、こんなところに連れ込まれて、嫌な予感がする。


「ちょっと、小耳にはさんだんだけどね」

 松本さんが声を潜めた。

「情報源は訊かないで」

 彼女がこんなに前置きをするなんて、ますます警戒する。


「あのね、大沢君の部署、年度末で整理の対象になるような話があるよ」

「えっ?」

 寝耳に水だった。


「まだ、噂レベルの話だけどさ。うちは、そういうの伝わって来るのが早いから」

 社内の様々な場所に出入りしている総務だ。

 そこを実質仕切ってる松本さんのところには、いろんな情報が入るんだろう。


「設計に新しい部署を作ろうっていう動きもあるらしくて、そっちとのからみの話だから、まだなんとも言えないんだけどね。君には、いち早く伝えたほうがいいと思って」

 松本さんはそう言って口の前に人差し指を立てた。

 ここ以外では他言無用、ってことなんだろう。 


「大沢君、この前も応接室占拠せんきょしたりして、派手に暴れてたからね」

 松本さんが苦笑いしながら言った。

「いや、あれは」

 そうしないと仕事にならなかったのだ。


「うん、分かってる。分かってる人には分かってるんだけど。分かってない人が上にいるからね」

 彼女が肩を竦めた。


「あれで余計に目を付けられちゃったね」

 俺達が暑さで焼かれるのを楽しんでいた奴がいるってことだろうか。


「もう少しなんか分かったらすぐに教えるけど、そういうことだから、なにかと気を付けて足元すくわれないようにして。あまり目立つことはしないように」

 姉御あねごはだの彼女は、姉のように忠告してくれた。


「うん、ありがとう」

 松本さんに礼を言って、時間差で給湯室を出る。



「先輩、どうしたんですか?」

 部屋に戻るなり姫宮が訊いた。


「使い込みでもバレました? 200万までなら貸しますよ。その代わり、利息は体で払ってもらいますけど」

 姫宮がニヤニヤしならが言う。


「わ、私は、えーと、ご、1億5000万までならなんとかできます!」

 知世ちゃんが言った。


「知ちゃん、それ、ギャグだよね」

 姫宮が訊く。

「いえ、貯金と車と、お爺様から相続した土地や有価証券を処分すれば、それくらい……父に頼めば、もう少し……」


「ああ……」

 姫宮がドン引きしている。



 ともかく、こんなふうに気心が知れた三人のチームがなくなるのは避けたかった。


 松本さんが言う通り、しばらくは目立つことをせずに、静かにしておくべきなのかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る