第31話 打ち上げ花火

「ほら、ちゃんと並んで」

 じゃれている七海と景都をさとした。


 浴衣ゆかたに着替えた七海と景都、杏奈さんを、玄関の前で写真に撮ろうとしたら、二人がいつまでもキャッキャウフフしていて、中々シャッターが切れない。


 七海は撫子なでしこがらの浴衣にピンクの帯。

 景都は、ちょうが舞う桜の柄に黄色い帯。

 杏奈さんは、あい色の牡丹ぼたんの柄に、群青ぐんじょう色の帯。


 母が直した浴衣は、三人によく似合っている。

 景都と杏奈さんは髪をアップにしていて、うなじが見えていた。

 いつもと違って、二人とも妙に色っぽい。


「ほら、あなた達、ちゃんとしなさい」

 母が言って、ようやく二人は大人しくなった。

 杏奈さんを真ん中にして、その両側に景都と七海が並んだ写真を撮る。


「景都ちゃんも杏奈さんも楽しんできて」

 姉が言った。

 俺はこのまま、三人を連れて祭に行く。

 母は公民館で婦人会の集まり、姉は青年団の集まりという名の飲み会に行くから、家には鍵をかけて戸締まりをした。


「和君、浴衣の美女三人に囲まれて、ハーレムだね」

 七海が生意気を言う。

 いつも男の子みたいな七海も、浴衣を着るとそれなりに見えて、美女三人、って言えないこともない。


 浴衣姿でも、景都は首からF3を提げていた。

 景都が花火の撮影をしたいっていうから、俺も三脚を背負う。



 神社に向かって三人で歩いていると、お囃子はやしが聞こえてきた。

 七海と景都がそれに合わせて謎の踊りして、それを見た俺と杏奈さんが大笑いする。


 暗くなって、家々の前に飾られた提灯ちょうちんが目立つようになった。

 普段静かな田舎町が、今日は活気に満ちている。

 浴衣姿で歩く人の姿が多く見られた。

 そこここの家から宴会をする声が聞こえるし、商店の店先は臨時の夜店になっていて、焼き鳥やお好み焼きを焼くいい匂いがする。



 歩いているうちに、ドーンと花火の音が響いた。

 それが、山々に跳ね返って何重にも聞こえる。

 午後7時を過ぎて、花火の打ち上げが始まったらしい。


 打ち上げ場所が見渡せる川の土手には、大勢の観客が集まっていた。

 レジャーシートを敷いて座る家族連れの姿もある。

 花火は、川の対岸の休耕田きゅうこうでんから打ち上げられていた。


「写真撮るなら、花火がよく見えるところに行こう」

 七海が景都の手を引っ張る。

 中学校の通学路になっている坂道が穴場で、七海がそこに案内した。

 同じようにここが穴場だと知っている地元の数組が、ガードレールに寄りかかって花火を見上げている。


 邪魔にならないよう、俺は坂の途中に三脚を立てた。

 景都がその上にF3を据える。

 レンズは35㎜ F1.4を選んだ。


「花火を撮るときは、シャッタースピードダイヤルをBに合わせよう。Bっていうのは、バルブのBだね。これに合わせると、シャッターボタンを押しているあいだ、ずっとシャッターが開いてるんだ。花火を捉えるために、長い時間シャッターを開いておく必要があるんだね。だから、三脚とレリーズは必須ひっすだよ。カメラをぶらさないようにしよう」

「はい、師匠」

 景都が、シャッタボタンにレリーズをつけた。


「絞りは、F11くらいかな。ピントは、直前の花火でだいたいの位置を掴んで先に合わせておこうか」

「はい」

 景都がファインダーを覗き込む。

 打ち上がる花火を見ながら、ピントリングを回して調整した。


「花火が上がる音が聞こえたくらいでシャッターを開けて、空の上で開ききったところで閉じる、そういう感じで撮ろう」

「はい」

 景都がレリーズを握って、言われた通り、音を合図に何度もシャッターを切る。

 デジタルカメラと違って確認出来ないから、撮れているかは分からない。


「玉屋ー!」

「鍵屋ー!」

 七海がふざけて繰り返した。


 三十分ほどで第一部の打ち上げが終わる。

 それまでに、景都はフィルム一本、24枚を取り終えた。


「じゃあさ、屋台でなんか食べようよ」

 七海が言う。

 結局七海は、花火よりも団子だんごのほうらしい。



 神社の参道には、三十軒ほどの屋台が並んでいた。

 食べ物の屋台の他に、金魚すくいやお面の屋台など、昔ながらの屋台もある。

 花火客も合わせて参道は大賑わいだ。


 景都も七海も、目をキラキラさせながら屋台を見て回った。

 二人共、子供に戻ったような表情をしている。

 俺と杏奈さんは、二人の後をついて歩いて顔を見合わせた。


 しばらく、そうして歩いていたら、

「七海!」

 後ろから声が聞こえて、浴衣の女の子が駆けて来る。

 七海が、同年代の五、六人の女の子に囲まれた。

 みんな七海の学校の友達らしい。


「こちら、親戚の景都ちゃん」

 七海が景都を紹介した。

 って、七海は面倒な説明をそれで全部片付ける。


「ねえ、行こう」

 友達が七海を誘った。

「景都ちゃんも行こう」

 七海に誘われて、景都は俺と杏奈さんの方を見る。

 杏奈さんが頷くと、景都が「うん」って返事をした。

 景都は、七海達と一緒に行ってしまう。


 俺と杏奈さんがその場に残された。


「みんな元気ですね」

 俺が言って、杏奈さんが頷く。

「それじゃあ、こっちも何か食べましょうか?」

「はい」

 杏奈さんも目を輝かせた。


 数件の屋台を見て回って、焼きそばとイカ焼きを買う。


「杏奈さん、ビール飲みたいんじゃないですか?」

 俺が訊くと、

「それは否定しません」

 杏奈さんが正直に言った。


 よく冷えた缶ビールを買って、イカ焼きと焼きそばをつまみに二人で飲む。

 屋台や提灯が放つオレンジの光の中、杏奈さんはリラックスしているように見えた。

 俺達の最悪の出会いからすれば、随分と進歩したと思う。


 結局、杏奈さんが350㎖の缶ビールを三本空けて、俺は二本を空けた。


 屋台を冷やかしながら参道を境内まで登って、社殿で披露されている神楽かぐらを見る。

 五人の中学生の女の子達が、巫女みこ装束しょうぞくで鈴を持って、優雅に舞っていた。

 澄んだ鈴の音が、夜の里山に響く。


 お祭りの喧噪けんそうの中で、ここだけ静かでおごそかな空気が流れていた。

 そういえば、昔、姉も巫女に選ばれて神楽を舞ったことを思い出す。

 普段、弟の俺に対して口が悪い姉が、ツンと澄ましてたおやかにしているのが可笑しかったっけ。


 杏奈さんは、神楽を食い入るように見ていた。

 何か作品に対するインスピレーションでも浮かんだんだろうか。

 時々頷きながら、真剣な表情で見詰めている。


 だから俺も黙って、しばらく神楽を眺めた。



 境内から九時前の第二部の花火を見たあと、家まで来た道を二人で歩いて帰る。

 道々、合う知人に「彼女か」とか、「結婚したのか」とか訊かれて、杏奈さんに申し訳なかった。


 家に着くと、まだ誰も戻っていない。


「疲れましたね」

 土間で靴を脱いで上がろうとしたら、杏奈さんがその場に立ち尽くして動かなくなった。

 杏奈さんのその目がうるんでいる。

 今にも涙がこぼれ落ちそうだ。


「どうしました?」

 俺は訊いた。


 次の瞬間、杏奈さんがすっと俺のふところに入って、もたれかかってくる。

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