第20話 幸せなクイズ

 東名高速を俺のミニで飛ばして、箱根に向かう。


 運転するのは俺、助手席に景都、そして、後席には杏奈さんと荷物が納まっている。

 荷物は撮影機材と、一泊分の支度したくだ。

 そしてその中には当然、先週二人が買った新しい水着が入ってる。


 オフショルダーの白いブラウスに、紺のキュロットスカートの景都は、すっかりバカンス気分だった。

 鼻歌交じりに流れる風景を眺めている。

 当然、彼女は首にF3を提げていた。


 一方の杏奈さんは、ぼんやりと車窓を見ている。

 黒いハイネックのノースリーブで、花柄のフレアスカートの杏奈さん。

 ルームミラーの端に映っている彼女は、終始、仏頂面ぶっしょうづらだった。



 お姉ちゃんの水着のポートレートを撮るって譲らない景都に、杏奈さんが根負けしたのだ。

 結局、あのショッピングモールで水着を買ったし、撮影にも同意した。

 けれど、人目がある海やプールでの撮影を断固拒否した杏奈さんは、代案として、貸別荘を借りた。

 箱根にある別荘で、杏奈さんが以前、締切前に自分を追い込むために山ごもりした場所らしい。


「でも、お姉ちゃん、そこでは全然書けなくて、最後までぼーっとしてただけなんですよ」

 景都がそんなエピソードを教えてくれる。


 晴れて日差しが強くて、今日も暑くなりそうだった。

 水着になるには、丁度いい天気ではあるのかもしれない。



 渋滞に巻き込まれることもなく、仙石原せんごくばらの貸別荘には、午前10時過ぎに着いた。

 木々に囲まれていて、少しがけに張り出した二階建てのコテージがその場所だ。


 玄関を抜けた長細いリビングの向こうに広大なウッドデッキがあった。

 崖方向に伸びるそのウッドデッキには、五メートル四方のプールがある。

 プールには水がなみなみとたたえてあって、山裾を吹き抜ける風でさざ波が立っていた。


「うん、いいロケーションですね」

 景都がウッドデッキに出て、プールの水を触りながら辺りを見渡す。

 ウッドデッキの先が空に向かって伸びていて、プールが宙に浮かんでいるように見えた。


「ここなら、プールで水とたわむれるお姉ちゃんが撮れるし、ウッドデッキに寝そべるお姉ちゃんも撮れるし、女豹めひょうのポーズをするお姉ちゃんも撮れるね」

 F3のファインダーを覗いて、構図を考える景都。


「私はそんなことしないから!」

 杏奈さんが向きになって抗議する。


 暖炉だんろがあるリビング、対面式のキッチンに、サウナが付いているバスルーム、天井が抜けていて木漏れ日が入るトイレ。

 コテージの中を一回り確認したら、ひとまず二階の寝室に荷物を置いた。

 景都と杏奈さんが二人で一部屋、俺が一部屋で部屋割りをする。


 車からクーラーボックスを出して、買ってきた食材をキッチンの冷蔵庫に移した。

 中身は主に、バーベキュー用の肉と、俺と杏奈さん用のビールだ。



「よし、お姉ちゃん、お昼ご飯食べてお腹がぽっこりする前に、さっそく写真撮ろう」

「…………本当に撮るの?」

「ここまで来て何言ってるの。綺麗なお姉ちゃんを写真に残そうよ」

 杏奈さん、下唇を噛んでいて、まだ、決心がつかないようだ。

「ほら、ここには私と師匠しかいないでしょ?」

 その「師匠」の方が問題で、杏奈さんは戸惑っているんだと思う。


「師匠、二人で水着に着替えて来るので、楽しみにしていてくださいね」

 景都がウインクした。

「ああ、うん」

 この場合、すごく楽しみだっていうのも変だし、楽しみじゃないっていうのも失礼だし、どう答えていいのか困る。


「景都ちゃんも、水着になるの?」

「はい。お姉ちゃんが一人だと恥ずかしいっていうので、撮る側の私も水着になります! 水着で撮ります!」

 景都が胸を張って言った。


 杏奈さんは、景都に背中を押されながらバスルームの脱衣所に入っていった。

 脱衣所から、はしゃいでいる景都の声と戸惑っている杏奈さんの声が聞こえる。


 俺は、心を穏やかに保ちつつ、持ってきた機材を確認しながら二人を待った。


 今日の撮影用に持ってきたレンズは、Carl Zeissカールツァイス Planarプラナー 85mm F1.4 ZFと、Ai Nikkorニッコール 135mm F2Sの二本。

 俺が、ポートレート撮影に厳選したレンズだ。

 それと、景都のF3に付いている50㎜の三本で撮影をしようと思っている。


 俺がレンズキャップを外して前玉にブロアーをかけていると、脱衣所のドアが開いて、先に景都が出てきた。


「師匠、どうですか?」

 ちょっと頬を赤らめて俺の前に現れるビキニの景都。

 まぶしいくらい鮮やかなオレンジのビキニ。


 景都が、俺の前でくるっと一回転する。


 オレンジの布の中に、ぎゅっと詰まった胸。

 引き締まった小ぶりなお尻。

 一生懸命腹を引っ込めようとしてる感じの、恥ずかしがっているようなおへそが可愛い。

 いつも着ている半袖のセーラー服から出ている腕の部分だけが少し焼けていて、白い肌のとの対比が生々しかった。


「うん、よく似合ってる」

 派手なオレンジ色のその水着が、彼女のキャラクターにぴったりだと思う。

「そうですか?」

 って、景都はもう一周、俺の前で回る。


 手にしているレンズを、今すぐ彼女に向けたくなった。


「ほら、お姉ちゃんも、出ておいで」

 景都が脱衣所のドアに呼びかける。

 けれど、杏奈さんは中々出てこない。

「もう、お姉ちゃん。師匠は、お姉ちゃんのこと、エッチな目で見たりしないよ」

 そこまで信用されても困る。


 景都が呼びかけてから、二分くらいして、うつむいた杏奈さんが出てきた。


 杏奈さんは、黄色いパーカーを着ていて、それをいっぱいに下まで伸ばして太股ふとももを隠そうとしている。


「お姉ちゃん、らすねえ」

 景都が意地悪く言った。

「もう、馬鹿なこと言わないの!」

 杏奈さんが景都をにらんだ。


「師匠、お姉ちゃんの水着、ワンピースだと思います? それとも、ビキニだと思います?」

 景都が訊いた。


 なんだその、答えがどっちでも幸せになれるクイズは。


「じゃあお姉ちゃん、正解をどうぞ」

 景都が言って、杏奈さんが、ゆっくりと、パーカーのファスナーを下ろした。

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