お金返してください、から始まる恋

藤原マキシ

第1話 お金返してください

「お金、返してください!」

 目の前に立った女子高生が、そう言って俺をにらみ付けた。

 夕暮れ時の混み合ったファミレスで、周りの客が、まるで犯罪者でも見るような目で俺を見る。


だますなんてひどいです! 私、一生懸命貯めたお金なんです! すぐに返してください!」


 女子高生は目に涙を浮かべていた。

 女子高生、なんだと思う。

 初めて会う相手だけれど、セーラー服を着て、学校指定っぽいぼつデザインな紺のバックを肩にかけてるし、多分間違いない。


 黒髪、ショートボブの女子高生が、大きな目を吊り上げて俺を睨み付けていた。


「返してください!」

 彼女が繰り返す。


 透明感がある真っ白な肌。

 薄くチークを入れたみたいにピンクの頬。

 すっと高い鼻に、控え目な唇。


 スカートを短くして穿いていて、ハイソックスとの間に見える太股がまぶしい。

 俺が彼女と同年代の高校生だったら、絶対、恋していたと思う。

 彼女に恋いがれて、夜ごと苦しい想いをしてたはずだ。


「落ち着いて。とりあえず座ったらどうだろう?」

 俺は、静かに言った。


 周囲の席の客は圧倒的に彼女の味方だ。

 素直そうな女子高生と、俺のようなむさ苦しいおっさんなら、彼女を応援するのが当然だろう。

 しかも、相手は大声で金返せって言っている。

 通報される前に、どうにか彼女を落ち着かせる必要があった。


「まあ座って。私は逃げも隠れもしないから」

 俺はスーツのポケットからスマートフォンを取り出して、テーブルの上に置く。

 これは、個人情報がたっぷりと詰まったスマホを置いて消えるわけないでしょ、っていうサインのつもりだった。

 俺に逃げる気がないことを、態度で示したのだ。


 それで彼女も少しだけ冷静になってくれた。

 辺りを見渡して、店内で自分が目立っていたことに気付くと、渋々、俺の前の席に座る。


「何か頼む?」

 俺がくと、彼女は黙ったまま首を振った。


「何か頼んだら? ご馳走ちそうするから」

「はぐらかすつもりですか? もうこれ以上だまされませんよ!」

 彼女は赤くなるほどにこぶしをぎゅっと握っていて、徹底抗戦の構えだ。


「いや、どういうことか分からないけれど、君に迷惑をかけたようだし、お詫びのしるしと思って」

 俺が言うと、女子高生はテーブルの上のメニューを乱暴につかんだ。

 そして、メニューのページをめくりながら、五分くらいかけて真剣に悩む。

 怒ってるわりに、こんなところはじっくり吟味ぎんみするのが面白かった。

 けれど、迂闊うかつにそれを顔に出すと、また彼女の機嫌をそこねそうだから、俺は涼しい顔をしている。


「それじゃあ、この、抹茶まっちゃ苺パフェで。あと、ふわとろフレンチトーストも追加していいですか?」

 彼女は俺をにらみながら言った。

 なんだ、怒ってた割にはがっつり食べるらしい。

 彼女、俺に騙されて金を取られた分、取り返してやろうとでも考えているんだろうか?


「それと、ドリンクバーも頼みたいです」

「うん、どうぞ」

 俺は、こみ上げる笑いをこらえてウエイトレスを呼ぶ。



「それで、何か不具合があったのかな?」

 未だ俺を睨み付けている女子高生に訊いた。

 それなりに人生経験を重ねた俺でも、こうやって無垢むくな敵意を向けられるのはつらい。


「はい、酷いじゃないですか!」

 彼女はバッグを開けて、中から一台のカメラを取り出した。

 それをテーブルに置く。


 使い込まれた一眼レフカメラだ。


 俺はもちろんそのカメラに見覚えがあった。

 先日、ネットのオークションサイトで俺が売ったカメラだ。


 ボディの特徴的な傷と、塗装が剥げて真鍮しんちゅうが剥き出しになった部分を見れば分かる。

 俺が長年愛用していたカメラに間違いなかった。


「これ、どういうことですか?」

 彼女が指でカメラをコツコツ叩く。


「送る前に点検したときには、ちゃんと動いてたんだけれど、故障してたかな?」

 発送する段階では、小気味よくシャッターが切れていた。

 露出計もほぼ正確に動いていたと思う。

 他も念入りに点検したけれど、機能に問題はなかったはずだ。

 長年使ったカメラで、外観がへたっていることはオークションの備考欄に明記していたし、写真もたくさん載せていた。

 緩衝材かんしょうざいで厳重に保護して、梱包こんぽうも丁寧にしたつもりだ。

 こちらに不手際はないと思う。


「いえ、ふざけないでください。このカメラ、中身が空っぽです!」


 んっ?


「後ろに液晶画面がないし、USBも繋げないじゃないですか」

 彼女が続けた。


「なんの冗談ですか? こんな『オモチャ』を送ってきて、人として、恥ずかしくないんですか?」

 彼女はそう言って腕組みをする。


 オモチャか……


 それには我慢できず、とうとう俺は吹き出してしまった。

 彼女には悪いけれど大笑いしてしまう。


「なにがおかしいんですか!」

 顔を真っ赤にする彼女。


「ふざけないでください!」

 彼女は腕組みを解いて、バンっと、テーブルに手をついた。

 周囲の客が、再び俺達に注目する。


「ああ、ごめんごめん」

 笑いをこらえようとすると余計に可笑しくなった。

 緊張が解けたこともあって、俺は豪快に笑ってしまう。


「私が高校生だと思って、馬鹿にしないでください!」

 眉間にしわを作って俺を睨み付ける彼女(やっぱり彼女は高校生だった)。

 このままだと、平手打ちでも食らいそうだ。

 いや、彼女の拳を見ていると、グーパンチが飛んでくるかもしれない。


「申し訳ない、馬鹿にするとか、そういうつもりじゃないんだ」

 俺はどうにか顔から笑いを追いやって、息を整えた。

 彼女が来る前に頼んで飲んでいたアイスコーヒーで喉を湿らせる。


「なにがおかしいって、それを端的たんてきに説明すると、これ、フィルムカメラなんだ」

 俺は言った。


「えっ?」

 面食らった彼女の顔から怒りが消える。


「ニコンのF3って、銀塩ぎんえんカメラなんだよ、それ」

「はい?」


「フィルムカメラって、知らないかな?」

 俺は、彼女の大きな瞳を覗き込んで訊いた。


「えっと、噂では、なんとなく……聞いたこと……あるかも……です……」

 女子高生が、消え入りそうな声で言う。

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