攻撃力0の格闘士
竹雀 綾人
第1話
女はベッドから上半身を跳ね上げた。
外で半鐘の音が鳴り響いている。
シーツが跳ねのけられると、引き締まった少し上向きの乳房があらわになり軽く揺れる。
脇に置いてあった細い革ひもに手を伸ばすと、錆色の髪を無造作に後ろで束ねる。
「んん……」
脇では裸の少年が、シーツがはねのけられたせいで少し寒いのか、うめき声をあげて丸くなった。
「おきなさい」
女は少年をゆする。
「どうしたの? 姉さん」
目をこすりながら少年が体を起こす。少し癖のあるくすんだ金色の髪が軽く跳ねていた。
「準備して」
女は短くそう告げ、ベッドから飛び降りると、逞しくも丸みのある裸体が柔らかく震える。
そしてベッドのふちにかけてあった服を身に着け始めた。
少年も半鐘の音に気がついたのか、慌ててベッドから飛び降り服を着だした。
女は革の鎧に革のズボン、つま先を金属で覆った革の長靴を履くと、左腕のみを金属製の鎧で覆う。
そして立てかけてあった自身の身長ほどの槍を手に取った。
少年の方も革の鎧を身に着け、その上からローブを羽織る。そして腰にポーチや薬瓶が沢山つけられたベルトをまく。
最後に木製と思しき頑丈そうな箱笈を背負った。
女はドアを開けると部屋を出て階段を駆け下りる。その後を跳ねた髪を少し気にしながら少年が追った。
「なにがあったの?!」
騒然となっている階下で女が声を上げた。
「襲撃だ!」
どこからともなく怒号が上がる。
「襲撃って、どこからなんです!」
少年も声を上げた。
「わからん! オークの襲撃らしい!」
「オークの?!」
女は大声で答えながら騒然とする酒場を横切り、その出口へと向かう。少年も後を追う。
「襲撃を抑えるために野営地には討伐隊が向かったんじゃないの!」
「知るか! だが襲撃を受けてるのは事実だ!」
「とにかく! 状況を把握しないと!」
女の声に酒場にいた面々は、頷いて女に続いて酒場の外へと向かう。
女は酒場の扉を押し開くと表に飛び出る。
そして薄暗い、異変に気がついた人々が不安そうに立ち並ぶ通りの真ん中まで出ると、ぐるりとあたりを見渡す。
日の出前にもかかわらず、西の空が赤い。
「西門がやばそうだぞ!」
隣に立った手に弓を携えた男が声を上げる。
「門が破られたのか?」
別の男が叫ぶ。
「いや、あの半鐘ではまだ破られてはいないな」
そういったのは右目に眼帯をした禿げ頭の男、酒場兼宿屋、そしてこの街の冒険者組合の長だった。
「しかし時間の問題かもしれん」
「どうすりゃいいオヤジ?」
「自分の身の振り方は自分で考えろ!」
一喝する長。
「考えるまでもないわ!」
女は声を上げ、槍を構えて、赤く染まる西に向かって走り出す。
「名を上げたい奴はついてきて!」
「ま、まってよ姉さん!」
少年も慌てて後を追う。
さらに数人がその後を追う。
しかしすべてがすべて、そうというわけでもなかった。
「オヤジ。悪いが俺たちはずらかるぜ」
「わかった。気にするな」
長は腕を組んで鷹揚にうなずく。
「無事に逃げろよ。ここが残ってたらまた来てくれ」
「わかった。じゃあな」
その集団は女たちとは逆の方向に駆け出した。
西門右手の櫓がすでに燃え落ちていた。
左手の櫓にもすでに人はいない。
街を囲む木製の塀の上の通路には、まだ兵士がとどまり、弓兵が矢を放って入るが、その数は明らかに少ない。
そして馬車が通れるほどの大きさの、鉄板で補強された重厚な門が、激しく揺れ大きな音を響かせている。
「破られるぞ!」
どこからともなく大きな叫び声。
「
女は周りの面々を見渡しながら叫ぶ。
しかし周りに立つ面々はそのほとんどが弓を携え、残りも軽装だ。
「仕方ない。護手はあたしがやる!」
「姉さん!」
少年が叫び声をあげる。
「大丈夫! 初めてってわけじゃないわ。反応促進薬!」
「う、うん!」
少年はベルトから小瓶を取り出すと女に渡す。
女はそれを飲み干すと空瓶を少年に返す。
そして短槍を脇にはさみ、両手で自分の頬を数回たたくと改めて短槍を構え直した。
「いける、やれる」
女はそうつぶやくと大きくひしゃげはじめた門の前へと駆ける。
その両脇に男が四人飛び出した。いずれも手に弓を構えている。
「あなたたち!」
「まずは俺たちが抑える。こぼれたのを引き付けてくれ!」
「わかったわ!」
女はそのまま走って門の脇に身をひそめた。
門の前には弓を構えた男が四人、二段に並んで矢を番える。
その後ろに少年が立つと、手に持ったランプに似た器具の上部のスリットを開け、小瓶の液体を流し込み、その中に細い棒状のものを落とした。
光り始める器具を少年は掲げると、それについた遮光板を操作して光を前方の射手へと集める。その光が次第にまばゆいばかりに輝き始め、射手を包み込む。
「抗魔の光か! ありがたい」
光の加護を受け、射手たちがその弓を引き絞る。
それと同時に門の閂がはじけ飛び、門扉がなぎ倒された。
緑色の肌をした巨漢が大きな斧を身体の前に押し立て、倒された門扉を踏み越えてくる。
そこに少年の放つ光が照らされた。
顔をそむけ、足が止まる異形の巨漢。
その途端に射手の射る矢が次々と襲う。
二本の矢が刺さったところで身体が揺らぎ、四本目で膝をつき、八本目で前のめりに倒れた。
その巨漢を踏み越えるように、次の巨漢が現れる。
その巨漢も幾本もの矢を受けて倒れる。
それを踏み越え次が。
さらに踏み越え次が。
門の前が倒れた巨漢で埋まると、倒れた巨漢を蹴散らして次が。
つぎつぎと、まるでその身に矢を受けるのが目的のように門の中に飛び込んでくる。
「オークの死兵どもめ!」
矢継ぎ早に矢を射りながら射手が叫ぶ。
オークの死骸が積み重なり、防塁のごとく射手の矢を防ぐ。
その隙間から矢を全身に受けたオークが一体飛び出した。
死したオークが自分で動いたわけではない。
死したオークをつかみ上げ、それを盾に別のオークが飛び込んできたのである。
射手の矢は死したオークにさらに突き刺さる。しかしその歩みが止まることは無論ない。
煙燻ぶる門櫓の下を抜けて、門前の広場へ足を踏み出したその時、オークの身体が斜めに傾く。
門の脇に潜んだ女の短槍が、オークの頭を顎からこめかみに向けて貫き、そして素早く引き抜かれる。
オークは顎に開いた穴から粘り気のある血を吹き出すと、自身の血だまりの中に崩れ落ちた。
短槍を引き抜いた女は、その槍を構え直すよりも先に後ろに飛んだ。
女のいた場所が激しい土煙を上げる。
それは別のオークが振り下ろした斧が巻き起こした土煙。
女が倒したオークに並ぶようにして、入り込んだもう一人が再び斧を振り上げる。
そこに射手が放った矢が飛来する。
しかしオークは斧とは逆の手に持った戦槌で、飛来した矢を叩き落した。
オークの顔が射手の方へと向く。
その顔が少し後ろに退く。
退いたその場所を突いたのは女の短槍。
女は空振りに終わったその一撃を、素早く引いて立て直す。
「あなたの相手はあたしよ!」
啖呵を切って短槍を構える。
オークは振り向きざまに斧を大きく薙ぎ払う。
女はその斧を一歩引いて避けると素早く短槍突き入れる。
突き入れた短槍をオークは戦槌で払う。
女は払われた短槍の動きに身体を乗せるように回転させると、そのまま短槍をオークの首筋に叩きつけた。
よろけるオーク。
すかさず突き入れられた穂先がオークの右目を貫く。
オークはよろけながらも斧を下から振り上げる。
素早く退く女。
しかし退いた瞬間には再び踏み込む。
次の一撃はオークの左目を突き、間髪入れずに喉を突き、顔が下がったところで眉間を貫いた。
倒れるオークを避けるように、素早く飛びのく女。
鋭い突きと素早い身のこなし。
それゆえに彼女は『
倒れたオークの後ろから別のオークが現れる。
しかも一人ではない、二人、三人と数が増え始める。
門はすでにオークの手に落ちていた。
射手はすでに陣形を失い、ちりじりとなりながらもそれぞれが応戦しているが、攻撃が仕事となる攻手の中でも弓を扱う彼らは打たれ弱く、このままでは個別に倒されるのが目に見えていた。
「こっちよ!」
『雀蜂』は大声を上げると侵入してきたオークの真ん中へと突き進む。
そして槍を大きく振り回すと鋭く突きを繰り出しながらオークの間を駆け巡った。
その姿は巣を守ろうと縦横無尽に飛び回る蜂のそれにそっくりだった。
オークの間を跳び回る『雀蜂』。
次第にオークたちの注目が『雀蜂』に集まり始める。
『雀蜂』の短槍がオークの視線を執拗に弄る。
その注目が次第に不快に、その不快が憎悪に、憎悪は簡単に敵意へと変わっていく。
『雀蜂』はオークの中に突き入ってはすぐに引き、しかし少しづつ歩をずらし、オークを自分の前面へ、そして攻手の射手たちと挟むように誘導していく。
護手の『雀蜂』とオーク、そして
ふたりのオークは前のめりに倒れる。のこりふたりのオークは飛び退く『雀蜂』を追う。しかしもうひとりは『雀蜂』に背を向けると攻手に向かって走り始めた。
「しまった! 一人跳ねた!」
迫るオークに射手は後退しながらも矢を放つ。
しかしその矢はオークの籠手に薙ぎ払われ、オークは矢を払うと同時に大きく踏み出し跳躍した。
「あぶない!」
少年は叫び声を上げながら手に掲げていたランプ状の器具の底に手をかけ、レバーを外す。
底が外れ中の液体が吐き出されると、少年は再び底を閉める。
そして今度は上部のスリットを開け、腰の小瓶の中身を素早く注ぎ混ぜ合わせた。
再び器具が光り始めると遮光版を操作し、その光をオークの迫る射手へと向けた。
オークの持つ巨大な鉄の板を引き延ばしたような剣が、射手に向かって振り下ろされる。
その鈍った刃が射手を叩き潰さんとしたその時、射手を覆った淡い光と、オークの剣の刃が触れ合う、その境界が激しく光る。
その光に押し込まれるように、刃の動きがほんの一瞬押しとどめられた。
射手はその隙をついて、後ろに転がるようにしてその身を逃す。次の瞬間に射手を逃した刃が、その地面に振り下ろされ土煙を巻き起こした。
「間に合った……」
少年が肩を下し息を吐く。そこに激が飛んだ。
「『
顔を上げる少年。その眼前には先ほどまで射手を狙っていたオークが迫っていた。
「わ! わ!」
少年は慌てて後ずさる。
しかしオークの歩みのほうが俄然早い。
見る間に少年の目前へと迫るオーク。
少年は声にならない声を上げながら、器具のレバーに手をかける。
そしてオークに向けて振り払った。
薄青色の液体がオークに向かって飛散する。
饐えた臭いと共に白い煙が立ち上ると、オークは姿勢を崩し、それでも剣を大きく振りぬいた。
「うわっぷ!」
しかし狙いを外した剣は、転がり逃げる少年の上を掠めるにとどまった。
「そのまま伏せて!」
そこに叫びながら『雀蜂』が飛び込む。
『雀蜂』は体勢を大きく崩したオークの喉元に短槍を突き立てると、引き抜かずに横に払った。
短槍の穂先を追うように、赤黒い血がオークの喉元から弧を描く。
そしてオークは膝をつき、そのまま前のめりに地に伏した。
「大丈夫?」
「助かった。ありがとう姉さん」
「なんとか第一波はしのいだわね」
『雀蜂』は少年を助け起こしながら辺りを見渡す。
警戒しているのか門から入るオークの気配はない。
「やったのか?」
周りに他の射手も集まってくる。
「姉さん! 血が!」
「ああ、大したことないわ。ちょっと額を切っただけよ」
そういうと『雀蜂』は血がこびりついた頭髪を軽く拭う。
「ちょっと待って」
少年は器具を地面に置くと、取り出した複数の小瓶の中身を注ぎ、最後に懐から取り出した碧い小石を器具の中に落とした。
器具の中で小石が淡く輝く。
「癒しの光か。助かるよ」
「見る間に疲れが取れていくな。さすが『薬屋』、良い仕事をする」
「えへへ」
嬉しそうに頭をかく少年。
少年は辺境では貴重な
しばしの休息をとる面々に向かって蹄音と小さい嘶きが迫る。
それは小規模な騎馬隊だった。
先頭の騎兵が声を上げる。
「西門は無事か!」
「ひとまずは何とかね」
顔を上げた『雀蜂』が簡単にそう答えた。
「良くやった」
隊長らしきその男が馬を降りると大きくうなずく。
「しかし駐留部隊の留守を狙うとは」
「討伐隊が帰ってきたの?」
「いや」
隊長は首を横に振る。
「本隊はもう少しかかる。思った以上に粘られている。野営地に足止めされた状態だ。そこで我らが先遣で派遣された」
「オークどもの罠にはまったんじゃない?」
『雀蜂』の言葉に隊長は顔を顰めた。
「忌々しいオークどもめ。しかしともかくここを守れたのは僥倖だ。まずは開かれた門を固め、確保せよ!……なんだ?」
騎馬の兵士が門に向かって馬を走らせようとしたそのとき、地響きのような音があたりに響き渡った。
「破城槌か?」
隊長は首をかしげる。すでに門は破られている。いまさら破城槌を使う必要などない。
「塀が揺れてるぞ!」
射手の一人が塀を指さす。
大きく揺さぶられるように塀が揺れている。音の出どころも塀で間違いなさそうだった。
「そう簡単に破れるものか」
隊長は落ち着いた口調でそう告げた。
「鉄木で土壁を挟んだ、ちょっとした城壁にも引けを取らない代物だぞ。今のうちに上から射かけろ!」
「しかしなんで塀を狙う?」
「オークの考えることなど知るか。理由はどうあれを破ろうとしている事実はかわらん。ならそれを排除するまで」
隊長の言葉に射手は頷くと、塀に向かって走り出す。
と、その時、ひと際大きな音が地面を揺らし、塀が土煙の中に消えた。
「なんだ?!」
土煙の中から地響きが近づいてくる。
「ばかな……」
隊長が身を引きながらつぶやいた。
土煙の中なら現れたそれは巨大だった。
オークの優に二倍はあろうかという巨体。
手には丸太を削り出し、そこに鉄の輪と鋲を撃ち込んだ巨大な棍棒。
錨型の肩の上の、埋もれたような太い首と大きな顔。
大きな顔にあるのは乱杭歯の大きな口、膨れ上がった鼻、血走った眼。
そしてその血走った眼が、本来なら眉間に当たる場所に、大きくひとつだけ鈍く光る。
「サイクロプス……」
誰ともなく言葉が漏れた。
一つ目の巨人、サイクロプス。
それが塀を崩し、巨大な足を踏み鳴らし、咆哮を上げ、塀の瓦礫を踏み越えて、街の中へと侵入する。
侵入するなり手にした棍棒を地面を払うように一閃した。
ゆっくりした動きに見えた。
しかしそれは、その大きさがあまりに大きいための錯覚に過ぎない。
巻き上がる土煙は砂嵐のように辺り一面を覆う。
「なんだ?」
隊長は生暖かい水のようなものが顔に当たるのを感じ、無意識にそれを拭った。
手が赤く染まる。
しかし隊長がそれがなんであるのか認識することはなかった。
土煙を叩き斬る重い疾風。
隊長は自身の顔に降り注いだ赤い生ぬるい液体をまき散らし、金属が紙屑のように潰される音を立てながら、生理的な恐怖と忌避を呼び起こす、ある種滑稽ともいえる血肉の塊と化した。
「速い!」
『雀蜂』は砂煙に巻き込まれまいと後ろに飛ぶ。
しかし地響きのごときサイクロプスの足音はゆっくりとしているにもかかわらず早く、それが歩幅の差なのは考えるに易い。
足音と共に巻き上がる土煙。
下手に離れるよりも、懐に入り込んだ方が得策か。
『雀蜂』はそう考えを巡らせるが、すぐにその考えを否定する。
近づけばオークの餌食だ。
離れればサイクロプスの間合い。
近づけばオークの群れの間合い。
逃れるには大きく離れるしかないが、大きく離れれば、攻撃する機会は完全に失われる。
少しでも時間が稼げれば駐留部隊本隊が帰ってくるだろう。
そこまで凌げるか。
『雀蜂』はもう一歩飛びのくと短槍を構え直し、声を上げる。
「弟! 援護!」
「無茶だ! 姉さん!」
弟と呼ばれた『薬屋』が負けず劣らずの声で応える。
その視線は姉と呼ぶ『雀蜂』からは離れず、しかし手元では器具に薬剤を注ぎ始める。
「しっかりして! 『薬屋』!」
『雀蜂』が檄を飛ばす。
彼女が彼を二つ名で呼ぶとき、それは覚悟を決める様促す時だった。
「いつもいつも無茶を言うんだ姉さんは!」
『薬屋』は涙声になりながらも器具の中に薬剤を詰め込み、軽く振ると高く掲げる。
淡い光が次第に強くなり、しかしその光は強いにもかかわらず、眩しいことはなく、遮光板で放射状に『雀蜂』を包み込む。
「いざとなったら爆炎薬を!」
「ええっ!」
『薬屋』の反論を待たずして『雀蜂』がサイクロプスに向かって飛びかかる。
振りぬかれる棍棒の下を掻い潜り、サイクロプスの足元に滑り込むと、短槍をその木の根のような小指に突き立てる。
サイクロプスは咆哮を上げ、刺された足を持ち上げると、力いっぱいに踏みつけた。
『雀蜂』はサイクロプスが足を上げた瞬間に、その股下を抜けて後ろに出る。
そのまま『雀蜂』はサイクロプスの後ろに陣取っていたオークの群れにつき進む。
オークにとっては完全な奇襲。
『雀蜂』は浮足立つオークの中で一人の喉を突き、一人の眼を抉る。
そして身をひるがえしオークに背を向ける。
追いすがろうとするオークの足が止まった。
そこに立っていたのはこちらに向き直ったサイクロプスだった。
その手にした棍棒を大きく振り上げている。
さらに浮足立ち四方八方へとに逃げるオーク。
そんな中、『雀蜂』だけは棍棒を振り上げたサイクロプスへと突き進む。
そして振り上げられた棍棒が地面に振り下ろされるその瞬間、再びサイクロプスの股下をすり抜けた。
そして背面よりサイクロプスの脹脛に短槍を突き立てる。
咆哮を上げるサイクロプス。そして刺された足を踏み鳴らす。
地面が大きく揺れる。その揺れに足を取られ『雀蜂』の体制が崩れた。
サイクロプスが振り向きざまに棍棒を薙ぎ払う。
足を取られ飛びのくのが遅れた『雀蜂』は、咄嗟にその身を地面に伏せた。
ギリギリのところで棍棒をやり過ごすと、両手で身体を地面から突き放し、その勢いで跳ね起きると体勢を立て直す。
しかし足を取られたその一瞬の隙が、『雀蜂』を追い込む。
それまでサイクロプスを盾代わりに、その背後に陣取っていたオークの群れが、サイクロプスの左右から『雀蜂』を囲みこもうと乗り出してきたのである。
前をサイクロプス、左右をオーク。
『雀蜂』は周囲をけん制しながら、唯一の退路である後方に少しづつ後退る。
しかしそこに付け込むように左右のオークが踏み込む。
『雀蜂』が再び前に踏み出すと、オークは左右に退き、そこにサイクロプスが踏み込んできた。
完全にサイクロプスの間合いに誘いこまれた『雀蜂』。
その巨木のごとき棍棒が、恐ろしくも静かに持ち上がる。
左右のオークは死兵なのだろうか、サイクロプスの攻撃に巻き込まれるのを承知しているように『雀蜂』を牽制する。
『雀蜂』は短槍を構え直すと少し目を伏せ、それから口元を小さくゆがめた。
『雀蜂』を囲んで敵がこじんまりとまとまっている。
これはある意味好機でもあった。
「爆炎薬!」
「嫌だよ!」
『雀蜂』の叫び声に『薬屋』は絶叫で拒絶した。
「姉さんも巻き込んじゃう!」
「あたしごと焼き尽くして! それしかない!」
「嫌だ!」
「『薬屋』!」
「イヤダ!」
「やれば弟は生き残れる! 手柄にもなる! あたし無しでもやっていける! このままじゃあたしは犬死だ!」
『薬屋』は首を大きく振りながら、器具の中に薬剤を流し込む。
そして頭上高く掲げた。
激しい光。
その光は眩しく、刺々しく、冷たく、熱く、突き抜けていく。
サイクロプスの大きな目が、少し細まると、その視線が『雀蜂』から外れる。
オークたちの視線も『雀蜂』から外れた。
その視線の先は自身たちを貫く光の元。
「こっちだ!」
声を上げる『薬屋』。
サイクロプスたちの姿勢が『薬屋』に向かって動き出す。
「バカ! 癒手が注目集めてどうするのよ!」
『雀蜂』は視線の外れたオークに向けて槍を突き入れる。その矛先はオークの頸動脈に突き刺さる。
首から血を吹き出しながらオークの視線が『雀蜂』を見る。
しかしその視線はすぐに『薬屋』に。
そしてそのままそのオークは倒れた。
「光を強くし過ぎたぁ!」
叫びながら『薬屋』は器具の遮光板を閉じるとオークたちから離れようと逃げ始める。
しかしオークたちの標的は今だ『薬屋』に向く。
焦る『薬屋』は足を縺れさせ、土煙を上げて転倒する。
急いで顔を上げる『薬屋』。
その目の前に小ぶりな斧が突き刺さる。
「ひぇぇ!」
『薬屋』は立ち上がろうと後ろをのぞき見、再び頭を抱えて地面に伏せる。
小ぶりな斧が二つ三つと『薬屋』の周りに突き刺さる。
「早く逃げて!」
『雀蜂』が叫ぶ。
しかし『薬屋』は立ち上がれずにいる。
その背後にオークはおろかサイクロプスまでが迫りつつあった。
動かない『薬屋』。
『雀蜂』が駆ける。
オークが『薬屋』を囲い込む。
サイクロプスが足を大きく持ち上げた。
「くっ!」
『雀蜂』は駆けながら短槍を振りかぶると、勢いをつけて鋭く投げる。
短槍はサイクロプスの首の後ろ、延髄のあたりに突き刺さるが、サイクロプスは気にもせず持ち上げた足を踏み下ろした。
「弟!」
『雀蜂』が絶叫する。
踏み下ろされたサイクロプスの足はそのまま『薬屋』を踏み潰す。
踏み潰す、かに思われた。
しかし踏み下ろしたその足は、『薬屋』を踏みつけるその少し手前で止まっていた。
銀色に輝く器具を抱きかかえるようにして『薬屋』が縮こまる。
サイクロプスが足に力を入れると光は強さを増し、その足を押し返すと再び光は淡くなる。
「速くそこから逃げて!」
『雀蜂』は腰のベルトから短剣を抜き放ちながら叫ぶ。
しかし『薬屋』は『雀蜂』に顔を向けると力無く首を横に振った。
「動けない。僕が囮になっているうちに姉さんが逃げて」
つぶやくような声が、いやに大きく『雀蜂』の耳に届いた。
強弱を繰り返す『薬屋』を包む光が、次第に淡く落ち着いていく。
「嫌よ!」
今度は『雀蜂』が叫んだ。
短剣を手にオークの中に切り込んでいく。
しかしそれは、余りにも無謀だった。
『雀蜂』はオークの群れの中でナイフを振り回し、サイクロプスの注意を引こうとその足に斬りつける。
しかしいかな鋭く砥がれた短剣といえども、サイクロプスの巨体を支えるその足に傷をつけることはかなわず、オークに対しても正面切っての戦いでは牽制以上のものにはならず、次第次第に追い込まれていく。
『薬屋』を包む淡い光も翳りはじめ、『雀蜂』の針も鈍り始めたその時、それは鳴り響いた。
WoWWoWWoWoooooowwwwww!
突如奇怪な音があたり一面を支配する。
獣の遠吠えのような、しかし無機質な、無視したくても無視できず、強制的に割り込み、そしてその存在を無遠慮に誇示してくる、そんな音だった。
自然と視線が音の元へと向く。
それは誰彼関係なく、すべての視線。
オークは振り上げた斧を止め、
『雀蜂』は構えた短剣を小さく下げ、
サイクロプスは上げていた足を静かに下ろし、
『薬屋』は下ろされた足の脇で、抱えた頭をわずかに上げ、
それぞれがその視線を、ひとつの方向へと向けた。
そこに立っていたのは土色をした、ところどころ黒い染みがあり、裾が破けた厚手だが粗末なマントをまとった人物。
フードは目深にかぶられ顔を見ることはできないが、その影形から兜をかぶっているのがわかる。
右手は掌を広げて前に突き出している。武器は見当たらない。左手は腰のあたりに添えている。
差し出した右腕は武骨で重厚な籠手と鎧に包まれている。腰に添えられた左手も同様だ。
そして仁王立ちする両脚も、同じような武骨で重厚な鎧に包まれている。
それに反してすこし前の開いたマントから見える胴体は、四肢に比べると簡素で軽装だった。
そしてその姿の中で、一番に目を引くのは左の腰のあたり。
左手の添えられたそこには奇妙なものが見えた。
一見して喇叭のような形状をしたそれには、クランクのようなものがついており、左手はそのクランクをつかんでいる。
その彼は間合いを測るかのように右手を突き出したまま、間合いを測るというにはあまりにも無造作に前へと歩み出す。
その隙に『雀蜂』は素早く『薬屋』に近づくと、彼を引き起こす。
それから落ちていた短槍を蹴り上げて器用に拾い上げると、踵を返し走り出した。
その動きにオークが反応し、逃すまいと手にした武器を振り上げ、『雀蜂』と『薬屋』のふたりに向けて足を踏み出す。
WoWWoWWoWoooooowwwwww!
マントの人物の左手がクランクを回す。
再びあの奇妙な音が鳴り響く。
オークの視線が再びそちらへと向く。
そしてその口を大きく開き、牙をのぞかせながら咆哮した。
WoWWoWWoWoooooowwwwww!
マントの人物はさらに無造作にオークたちに近づいていく。
左手は腰のクランク。
ダメ押しとばかりに鳴り響く音。
オークたちが武器を振り上げマントの人物に走り寄る。
サイクロプスもマントの男を見下ろし、肩を怒らせて咆哮を上げる。
敵意を一身に受けたマントの男はさらに腰のクランクを回した。
WoWWoWWoWoooooowwwwww!
「助かった……」
異音の響く中、大きく息を吐く『薬屋』。
「でも、誰だろう?」
『薬屋』の視線がオークたちと対峙するマントの人物に向けられる。
マントの人物はあれだけの敵を前に、全く動じた風を見せない。
しかも武器も持たずに、だ。手足を得物とする格闘士なのかもしれない。
『薬屋』はさぞ名の知られた冒険者ではないかと思ったのだが、彼の記憶の中にはあんな特殊な音を鳴らす器具を使う人物が思い当たらない。
「……あ、え? あいつ?! ひょっとして『
『雀蜂』も初めは首をかしげていたが、はたと思い当たった。
そう、それは昨日のことだった……
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