第11話砂漠の歴史
ユンハルトゥラの歴史において、文化的にも神秘学に関するものでも、【砂漠の民】が果たす役割は非常に大きいものだ。
大河や地下水源など、砂漠の割りに豊富な水資源を背景に、ムンレス砂漠では数多く王朝が生まれていた。
その歴史は古く、まだ世界が国家という概念を持つ以前から、力ある個人の下で民衆が集まり、独自の文化を築いていたようだ。
遺跡も数多く残されていて、文字や数学など現在にも用いられている科学の雛形や、砂や石を用いて巨大な建造物を建設する技術さえ、痕跡が見付かっている。
神秘学という観点からは、その独特な魔術体系が挙げられる。
彼らの文化に魔術師が生まれた時点で、そこには神々が存在していたのだ。
王の座には、その一族の内最も魔術に優れた者が選ばれた。彼らは神の血を引いていると言われ、発見された家系図には堂々と、風の女神ユンハルトゥラ、その化身がヒトと交わったと記されている。
実際、彼らの魔力は群を抜いていたようだ。伝説を全て鵜呑みにはできないだろうが、信憑性の高い伝承を抜き出すだけでも、その魔術の才覚は神がかっているとしか、言いようがない。
「特に王――彼らの言葉で言うところの【
クグロフ氏のあとに続いて薄暗い通路を歩きながら、リックは解説する。「その秘術故に彼らは神聖視され、原初的な世界において数少ない王政を確立したのです」
「魔術によって、支配を行ったと?」
「卓越した能力に、民衆が平伏したというべきでしょうね」
少なくとも、始まりにおいては。
王朝も後期になると、王族の秘術は徐々に表舞台から消えていく。
単に披露の場が無くなった、ということかもしれないが、書物から表記が激減するのだ。彼らの主神に生け贄を捧げる重要な儀礼の場でさえ、彼らは秘術を見せることが無くなっていってしまう。
それでも、民は王に従った――滅びの時が来るまで。
「殊勝なことだな」
クグロフ氏は眉を寄せた。「弱体化した王なぞ、即座に切り捨てて然るべきだろうに」
「ただの王ならば、そうでしょうね。ですが、彼ら王族はそうではなく……」
「神の親戚だった。少なくとも、そう主張していたわけだ」
吐き捨てるような調子にリックは、かの異端審問官の提案が正しかったと改めて思った。この場に彼がいたら、まともな話は望めなかっただろう。
「民は王を見捨てることはできなかった。どころか、王の弱体化さえ認識できなかったでしょう。何せ神の親戚ですからね、彼らが万が一力を失ったとしたら、それは世界の危機に他ならないのですから」
「狭く、区切られた世界だな」
一笑に伏し、クグロフ氏は立ち止まった。「いつの世も、神の名前が滅亡の原因だ」
それは暴論だと、流石のリックも思った。
けれど、その暴論に晒される者が皆無なわけではない。神の名前は、時にあらゆる蛮行を正当化してしまう。
「……秘術は薄まったが、しかし消失したわけではありませんでした。何代かに一度、王が秘術を用いて民を救ったそうです」
「眉唾だな」
「そうですね」
リックも頷いた。「こうした伝承は、ムンレス砂漠にユンハルトゥラ連合王国が、その支配の手を伸ばしてきた時に多く見られます」
侵略者を撃退する王というものは、いつだって民衆の夢見る存在だ。
砂漠の民は閉鎖的で、自分たちの領分を死守する性質の生き物だ。いつだって侵入者と戦ってきた――だが時代は代わり、世界は彼らに孤立を許さなくなった。
自分達より遥かに洗練された軍隊を前に、彼らはきっと、神に祈ったのだ。
「しかし一度だけ。たった一度だけですが、秘術の行使が確実だと言える事象があります」
痕跡が、残っていた。
「書物――と言っても、ムンレスでは草を溶かして乾燥させた独特な紙を用いていたんですが――そこに残された記述は、正しく秘術と呼ばれるのに相応しいものでした」
「しかし、書物だろう?」
クグロフ氏が、振り返ることなく尋ねる。恐らく、曲がりくねった自身の角が邪魔なのだろう。「他の、いわゆる伝承とどう違うと言うのかね?」
「記述にある秘術。その詳細の通りの痕跡が、実際に残っているのです」
「どこに? どこかの遺跡かね?」
「そうだとも言えますが、そうではないとも言えますね」
「煮えきらんな、はっきりと言いたまえ」
慎重な動作で、クグロフ氏は振り向いた。その鼻からは激しく息がこぼれている。
これ以上からかったところで、彼の角に貫かれる危険が高まるだけだろう。リックは肩をすくめると、その単純極まりない結論を告げた。
「その日、ムンレス砂漠の面積は20パーセント拡大しました」
「…………」
「『王はその手を天にかざすと、太陽から力を借り、その手に収めた。見る間にその背に黄金の翼が生え、精悍な顔は宝石に彩られた隼に変わった。王が再び手を掲げると地表は燃え立ち、善き者も悪しき者も、大地さえもが灰となった』」
「……そんな馬鹿げたことが、起こったというのか?」
「【化身】の名の由来は、自らを神の似姿とすることです。そして魔術的に言えば、形が似ればその能力も似るものです」
そしてムンレス砂漠の民が信仰する宗教において、隼の顔は太陽神の孫神である。
あとは魔力量さえ補うことが出来れば、不可能ではない。
「そして、その一度。ただ一度だけ公的に認められた秘術行使の際、アヴェルタが挑んだ相手。砂漠を拡大させてまで、善き者も悪しき者も焼き尽くさなければならないほど、強大で凶悪なその敵こそ、【死の女王】であったのです」
「盗まれた、ミイラのことだな」
ミイラ、の辺りで、クグロフ氏は露骨に苦笑した。「確かにあれは、良く燃えそうだ」
「……あまり、脅威とお考えではないようですね」
「全く、と言ってくれても構わんよ。生前どれ程優れていたかは知らんが、今ではただの死体だ。どこぞのモグリ宗教の象徴にするのでなければ、精々薪の代わりになるくらいだろう?」
【魔女の付き人】とさえ言われる
「神秘学においては、ミイラにはもう少し価値があります」
「ほう。煎じて飲めば万病に効く、などといった話かね?」
ハドホルンに言われると、微妙に笑いにくいジョークだ。「そういう言い伝えはありますが、でたらめなことが多い――もちろんご存知でしょうが」
「ご存知だとも。そうした無責任な噂を信じる輩が、それなりな数いるということもな……お陰で、我が種族は酷い目にあった」
因みに。
魔術師たちも、ハドホルンの角を追い求めた加害者のひとりである。
体内の余剰魔力が物質化したその角が、どんな魔術の触媒にもなる万能薬だと、どこかで誰かが囁いたからだ。
「今回の事件もそうした、無責任な噂が一人歩きした結果、という訳ではないのか?」
「そうであれば勿論良いのですが」
或いは薪にしてくれていても、一向に構わないが。「魔術師が犯人で、加えて副葬品まで被害にあっていることから見て、期待するのは無謀だと言わざるを得ません」
「では、何に使う」
「可能性は二つあります。一つは実現の可能性が低く、その代わり危険度も段違いなもの。もう一つはまあまあ危険で、まあまあ成功の可能性が高いものです」
同一視、という手法がある。
対象と同じものを同じだけ、同じ時間に同じように食べ、同じ服を着て、同じ行動をする。
何もかもを同じにすることで、生活習慣以外も同じにする魔術だ。
「ミイラから、彼女の食生活を探ろうというわけか」
クグロフ氏は感心したようだった。「学術的にも興味深い試みだな」
「実際には、それほど気の長い手段を採ることは稀でしょうね。これは時間をかければかけるほど効果が高まる呪いにも近い技術ですが、いかんせん、盗賊たちにそれだけの時間があったかは疑問です」
「ふむ、ではどうしたと?」
「食べるのです」
対象の血肉を取り込み対象の能力を得るというのは、ごく自然な発想だ。
近代の洗練された魔術体系に依らない、いわゆる原初魔術でさえ、勇者の心臓を食べて勇者になる法、という下法の類いは数多い。
さすがに、クグロフ氏は絶句していた――そのまま噛るのとミイラの出汁入りスープとのどちらを想像したかは知らないが、暫く乾物は避けたくなったろう。
魔術師にしてみれば、別段ありふれた思考回路ではある。
だからこそリックは、本心からの自信をもって、クグロフ氏にその選択肢を主張することが出来た――もう一つの可能性を伏せたままで。
「間違いありません。犯人は――【死の女王】になるつもりなのです」
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