五話・病は気から
5-1
「はぁ……」
リビングに戻ってきて、溜息を一つ。
さすがに依恋も疲れてしまった。やることもやったし、もう寝よう――と思っていたところだったのに、こんなことになればそれも当然。
ぶつぶつとうわ言を呟くカルディアから、隣室の鍵を半ばもぎ取りながら、彼の身体を脱衣所に押し込んだ。
それから、隣室へと鍵を使って入り、リビングに畳まれて積み重ねられていた――カルディアに、箪笥に衣服をしまうという文化は無いらしい――衣服をひっつかんで自室に戻る。
で、カルディアが風呂から出てくるのを待っていたわけだけれども――
――正直、なんか寒い。
自分の肩を抱いて、ぞくりとした寒気に耐える。
まぁ、これくらいは大したことは無いだろう。それよりも、カルディアの事のほうが、依恋には気になっていた。
負けた、やら何やら。どうにも今までと様子が違い過ぎる。
負けたにしても、幾ら何でも気にしすぎと言うか、メンタルにダメージを負いすぎじゃないだろうか――と、依恋には思えて仕方がない。
――一体全体、なんでそこまで……
と――
脱衣所の扉を開けて、カルディアがリビングに戻ってきた。脱衣所の前に置いておいた着替え――何時も通りの、学生服だ――を、きっちりと着込んではいるものの、その目は虚ろだし、何より、髪が濡れたままだった。
「あー! もー!」
――本当に世話が焼ける……!
「そんなところに立ってないの!」
脱衣所から出てきたまま、ぼぅっと立ち尽くすカルディアを引っ張って、先まで自分が座っていた席の向かいに座らせる。
その間、まるで糸の切れた
借りてきた猫でも、まだ少しは何かを返そうというものだけれども。
そんな事を考えながら、依恋は脱衣所からタオルを取ってくると、座らせたカルディアの後ろに立った。
「髪の毛、ちゃんと拭かないででちゃ駄目でしょ」
言いながら、カルディアの髪をタオルで覆う。
絶対にそんな事をカルディアが気にかけているわけがないのだけれども、カルディアの白髪はさらさらと流れるような滑らかさだった。
間違いなく、依恋よりも髪質が良い。
――綺麗に作ってある……って事なのかな、これ。
カルディアの肉体は、人造物――というか、デザインされたものなのだろうし、そうなるべくしてなっている、ということなのだろう。
髪を拭きながら、依恋はその髪に手櫛を入れてみる。その艷やかさ、滑らかさは、今まで依恋が触れたことが無いものだった。
左手で髪を拭きながら、右手で手櫛を入れ、或いは髪を撫ぜ続けてしまう。
――これはなんか良くない気がする……
と、依恋も思いはするものの、手は止まらない。心地よい暖かさの清流に手指を浸して遊ばせているみたいな心地になってしまう。
しかし、やはり気になる。こうまで弄られても、やはりカルディアは無反応だ。さすがに、どうしてこんな事をするのか、を聞いてきそうなものだけれども。
「……何が有ったの?」
静かに、依恋は問う。それに対して、大きく間を開けて依恋と同じくらい静かに、カルディアは言う。
「……負けた」
「うん」
答えながら、兎に角話を聞こう、と依恋は考えていた。
他人に話をすれば、そのために自分の中で物事を整理する事にも繋がるし、そうでなくても、ただ吐き出すだけでも、気は楽にはなるものだし。
――なるのかな、カルディアも……
人間ではない、都市機構の一部である、ということを自認しているっぽいカルディアが、どこまで人間的な感性を持ち合わせているのか……それを、依恋には推し量りきることは出来ない。
でも、辛そうに見えるということは、楽になるって事も有るんじゃないかな? 有ると良いよね……と思い、依恋はカルディアの言葉を待つ。
少年の綺麗な髪を撫でていると、カルディアが静かに、また言葉を出した。
「僕は……〈卵〉を送り出してきた、敵を落としに行った」
「うん」
「敵の場所は分かっていたし、そこを狙撃すれば問題はない――はずだった」
はず、ということは、そうはならなかったのだろうか。依恋はカルディアの次の言葉を待った。
虚ろな声音でカルディアは続けた。
「けれども、駄目だった。敵の護衛機――らしきものが出撃して、それにパラディオンの狙撃は弾かれた」
「うん」
「そのまま、護衛機――
気の抜けた言葉が、カルディアが受けた心の損傷をそのまま表しているようだった。
炭酸の抜けたコーラみたいに、何か大事なものが抜け落ちてしまったような……
「そのまま、破壊されるのだと思った。思ったけれども、そうはならなかった。あの機体は、僕を見逃して、こう言ったんだ」
それが恐怖だ――と。
その言葉に、依恋思わず手を止めた。
――怖がった……ってこと? カルディアが?
意外、というか、予想も出来なかった。この、戦うことに躊躇いの一つも見せない、それだけは間違いない頑なさを見せたカルディアが、戦うことに恐怖を覚えた、なんて。
感情自体をほぼ見せない、基本論理だけで動いているかのようなカルディアが、恐れを覚えた、なんて。
「違うと、言いたかった。あいつに、反撃したかった。でも――動かなかった。絶対に勝てない、完全に破壊しつくされる。そう考えたら、手を上げることが出来なくなった」
「それは……」
そうじゃないだろうか、と依恋には思える。
意図してかしないでか、カルディアは死という単語を使わなかったけれども、それは要するに、死ぬのが怖くなった、というだけのことだ。
そんな事は――
「死ぬのが怖い、なんて、当たり前なんじゃないの?」
自分だってそうだし。それは持っていて当然の感情ではないのだろうか。依恋にはそう思えて仕方がない。
だが、髪を拭かれながら、カルディアはゆるゆると首を横に振った。
「僕は、機械だ。自己保存を完全に軽視しているわけではないけれども、重要視もしていない。僕にとって一番大事なのは、製造目的を果たすことだ」
「製造目的って……」
「僕は、この第一〇六八コロニーを守護する攻勢防御システムだ。この都市を脅かす存在を討ち倒すために存在する機械だ。依恋、君とは違う。なのに……」
言って、カルディアが僅かに俯いた。
「そっか……」
カルディアがなんでそんなに傷付いたのか、依恋はやっと分かったような気がした。
依恋はタオルをカルディアの頭から離して、代わりに自分の手で、彼の頭を撫でた。髪の滑らかさを愛でるような動きではなく、純粋に頭を撫でてやる。
いいこ、いいこ。
そう、言葉にしているつもりで、優しく。
「自分がなんだか分からなくなっちゃったんだね」
なんだっけ……と、倫理か何かで習った言葉を、頭の中に有る引き出しから探していく。
「アイデンティティの問題、って奴なのかな」
自分が自分であること、自分を確立する要素。カルディアは、戦いの中でそれが揺らいでしまったのだろう。
「君が言う通り――なのだろうな」
「でも、良いんじゃないかな」
「……何故だ」
依恋の言葉に、静かな、でも確実に意思を感じる言葉を、カルディアは返してきた。
――少し、良くなったのかな。
そんな事を思いながら、依恋はカルディアに言う。
「だって、カルディアは、人間のことを知るために、ここで生活してるんでしょ? だったら、死ぬのが怖い、なんて思うのは、当然っていうか……人間に近付いた結果、なんじゃないの?」
そういうことになるはずだろう、と依恋には思える。
つまり、カルディアはなるべくしてそうなっているんだし、良いんじゃないだろうか? 都市防衛機構、パラディオン・システィマが予定したとおりの結果、ということで。
そんな依恋の言葉に、カルディアはやはり首を横に振った。
「それで結局、製造目的を果たせなくなっては意味がない。僕はあの時、戦うべきだった。その筈なのに」
ぎゅっ、とカルディアは右手を握りしめて、震わせていた。
「でも、そのとき戦ってたら、カルディアは死んでたんでしょ?」
「機械は自己保存よりも、製造目的をこそ果たすべきだ。何より、機械に死は無い。なのに、僕は違ってしまった。製造目的を果たせなくなるために、僕は何をやっているっていうんだ? 人間に近付く必要なんてあったのか? パラディオン・システィマの目的は間違っていたのではないか?」
カルディアは、印刷機が紙を吐き出すかのように、正確に手早く言葉を並べ立てる。
依恋に言っているのか、自問自答して思考を整理しているのか。どちらでもないような、どちらでもあるような。
混乱しているみたいでも有るし、理性的であるような気もする。カルディアの状態はどうなっているんだろう? 依恋には、その事を正確に把握することは出来ないでいた。
――人間になっても、良いと思うんだけどな。
「良いじゃない、人間みたいに死ぬのが怖くなっても」
「その結果、第一〇六八コロニーへの危害を防ぐことが出来なくなったとしても、か?」
「それは……」
依恋は言葉に詰まった。
だって、それで別にいい、戦う必要なんて無い、なんて言うことが出来るわけが無かったからだ。
このコロニーは攻撃を受けている。そして、それと戦うことが出来るのは、都市の防衛機構――つまり、パラディオンだけだ。
――戦わなくていいから、なんて、言えない……
それはつまり、このコロニーなんて滅んで構わない。自分だって死んでも構わないというのと一緒だ。
だからといって、怖がっているカルディアに、戦え、とも言えない。
依恋はそこで停止するしか無くなってしまう。
手が止まった依恋に向かって、カルディアは言う。
「機械は、製造目的を果たせないのだったら、存在する意味がない。存在すること、良く有ることだけが目的の人間とは違う」
「それって、どういう事?」
「……人は目的を与えられて存在するわけではない。ならば、人は生きること、生き続ける事。それも出来ることならば、幸せに生きること……それだけが目的のはずだ」
僕とは、違う。
そう、カルディアは言った。
「……そっか」
カルディアの言葉を聞いて、依恋はまた彼の頭を撫で始めた。
そして、カルディアの言っていることを考えてみる。考えた所で、カルディアが何か、自分の問題を解決できるかと言うと、その辺りは……なんとも言えないけれども。
――でも、もしかしたら、何か役に立つかもしれないし。
カルディアが頼れるのは、実質自分だけなのだから。
結局、依恋がカルディアの面倒を見なくては、なんて考える理由はそれだけなのかもしれない。
自分に頼るしか無い、捨てられた子犬みたいな、奇妙な隣人。
――出来るだけ、最後まで面倒を見ないとね。
そうじゃないと私は……という、考えを、依恋は軽く心の中で打ち消した。
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