第54話
十八.[甘煮と梅酒]
翌日、タパの廟堂でツフガの会合があり、アオイは出席しなかったが、そこに出す料理をユタと作った。作ったと言うより、手伝った。
竃風の調理台の前でユタは言った。
「アオイさまはコエの甘煮を作ったことはありますか?」
「さあ。多分あると思うけど」
「憶えてらっしゃらないのですね?」
アオイが「うん」と答えると、ユタは物知り顔で説明を始めた。
「コエは川魚ですから、熱湯をかけて臭みを抜きます。それからお酒やショウガやお砂糖をたっぷり入れたお鍋でコトコト煮込み、頃合いを見てお醤油を入れます。昨日、輪切りにした身を近所の漁師さんがわけて下さいました。実はもう煮込んであります。朝、アオイさまが起きる前から煮込み、アオイさまが後片付けに行ってらっしゃる間もずっと煮込んでいたのです」
「え? じゃあもう出来てるの?」
「いいえ。まだです。これから最後の仕上げ、一番楽しい作業です」
「楽しい?」
「はい」
ユタはいかにも楽しげな顔附きで、二つ並んでいる大きな浅鍋に向かい合うと、落としぶたを取った。吹きこぼれそうに泡立っていた煮汁が、すうっと引いて、魚の輪切りが顔を出した。アオイがのぞき込むと、輪切りはそれぞれの鍋に五切れずつ。煮汁から顔を出している。生前のコエの姿が偲ばれた。丸々と身が肥えていた。
「本当は半日から一日かけて骨まで柔らかく煮るのですが、」ユタは塩の隣の小瓶を取り、中の粉をパッパッとかけた。「これがあればそこまで煮なくても大丈夫。これをかけると骨が柔らかくなるのです」
「へぇ……調味料?」そんな便利なモノがあったっけ? 不思議に思っていると、ユタは鍋に向かって呪文を唱えた。
なるほどね––。
「で、俺は何をすれば?」
「これから煮詰めます」ユタは匙をアオイに手渡した。「この匙で煮汁をすくってコエの身にかけます」
「ふーん……」何処が楽しいのか分からない。
「どんどん煮汁が少なくなりますから、最後の方は鍋を傾けてやります。コエの身は崩れやすいので、匙をあてて崩さないように気を附けてください。火加減は僕が調節します。それから、隣の火口を使って、今からリュウが羮(あつもの)を作りますから、邪魔にならないように気を附けてください」
「ふーん……。分かった」
アオイは真面目な顔で鍋に向き合った。ユタも隣で真面目な顔をして作業に取りかかった。あつものって何かな––、気になり隣に目をやっていると、リュウ少年が作っているのはお吸い物だった。
匙で煮汁をすくってはかけ、すくってはかけ。アオイもユタもいつしか無口になっていた。黙ってやるのがごく自然な感じがしたが、ふと気になり。「なあ……」訊いてみた。「お客って、十五・六人いるんだろ?」朝、彼が聞いた話ではそうだった。
「はい。そうですけど……」鍋から目を離さずユタは答えた。若干、話しかけないで欲しい、声にそんな色が滲んでいた。
「数が足りなくないか?」
「いえ。巫術師の方はお肉を食べないので。お野菜の煮物を用意しています」
「そうか……」お廟の少年達に抜かりはなかった。
その後もずっと、煮汁をすくってはかけ、すくってはかけ。アオイもその作業が気に入った。かければかけるほど、魚の身においしそうな照りが出てきた。ずっと黙って作業していた彼だが、思わずこう口にしてしまい。「美味そうになってきたな」。いつものようにユタにたしなめられた。
その後、出来上がった料理を人数分の箱膳に並べた。アオイが並べ、仕上がったお膳をユタとリュウ少年が次々運んだ。最後のお膳を運び終わって戻ってきた二人の少年。ハッと顔を見合わせた。
「あ、梅酒をつけ忘れてた!」
「大変!」
アオイも慌てた。
「梅酒は何処にあるんだ?」
「アオイさまの後ろの壺が全部梅酒です」
振り返ると壁に沿って蓋附きの壺が並んでいる。「分かった。俺が注ぐ。どれから注げばいいんだ?」
「左からです。右の方が新しくて左の方が古いものです」
アオイは一番左の壺を開けた。「俺が注ぐから、リュウは俺にコップを渡してくれ。俺が注いだらユタが受け取ってくれ」小さなヒシャクを手にした。リュウ少年が素早く手渡した小さな足付きコップに、素早く梅酒を注ぎ、ユタに渡した。
一瞬、二人の少年は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。キョドッて顔を見合わせた。「どうした?」何か変か––? アオイが訊くと、二人の少年は我に返り。「いえ。何でも」と同時に答えた。
アオイは次々手渡されるコップに梅酒を注いでユタに渡した。ユタは二つのお盆の上にそれを並べた。十杯目くらいで梅の実が邪魔になり、壺を傾けないとヒシャクにすくえなくなった。
「頑張ってください。アオイさま。あと少しです」
「ああ……」
最後には壺がほとんど空っぽになった。壺の中には梅の実ばかりゴロゴロ。この梅の実はどうするのかな––、思わないでもなかったが、最後の一杯まで注いだ。
「良かった。じゃあ、僕とリュウは急いでこれを運んできますね」
「ああ」答えながら、ふぅっと息をついた。
二人の少年が梅酒を運んでいった後、アオイもゆっくり厨房を後にした。もう、用事はない筈だった。梅の実だけ残ったけど……⁇ 少し気になったが自分の部屋に戻った。
厨房に戻った二人の少年は、梅の実がどっちゃり入った壺を前に思案顔で相談した。
「これは……、どうしたら良いと思う?」
「仕方ないよ。余っちゃったんだもの。僕たちで食べなきゃ」
「そうだね。みんなを呼んでこよう」
「先ずはお皿の上に出してみようよ。どのくらいあるのか」
「そうだね」
二人の少年は大皿を置いて、壺の中の梅の実を箸でつまんで並べていった。数を数えながら。「すごいよ。もう二十だよ」「一人何個食べられるんだろう」
そこにラナイ少年が入ってきた。
「え?」二人の前の大皿を見て目を丸くし、二人に促されて壺の中をのぞいてさらに目を丸くした。「これは」
「ええっと……アオイさまが梅の実を入れるのを忘れてお注ぎになったので……」
「です」
ラナイ少年は始め口をぽかんと開けて吃驚していたが、ほどもなく、いつもの冷静さを取り戻した。
「仕方ない。だったら僕たちで食べなきゃ。二人でみんなを呼んでおいで。私が壺から上げておくから」
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