痴漢冤罪業
あがつま ゆい
痴漢冤罪業
通勤時間帯の山手線の電車内で、OLが良く着るレディーススーツ姿に動きやすいよう髪を束ねた女は、同じようにスーツ姿をした男の腕をつかむ。その眼は男を心底軽蔑するようなものだった。
「次の駅で降りましょう」
彼女に促されるまま、男と一緒に駅で降りる。彼女は一方的に語りだした。
「あなた、今私のお尻触ったでしょ?」
「ちょっと待て! 俺はそんなことしてないぞ!」
「あなたの事なんてどうでもいいよ。知らないの? 痴漢は女が痴漢と思ったものなら全部痴漢になるのよ。目と目が合っただけでも痴漢にすることだってできるわ。駅員さんに言われたくなければ1万出して」
駅員に言われたくなければ示談金を払え。彼女はそう要求する。その眼は、本気だ。
「ちょ、ちょっと待て! そんな言い方は無いだろ!」
「あっそう。んじゃあ痴漢がばれて失業して刑務所行きね。それにあなた指輪してるから結婚もしてるんでしょうけど離婚の危機ね。別にいいよ、それでも。あったばかりの男の人生なんて私にとってはどうでもいいことだし」
女は駅員に向かって歩き出す。慌てて男が財布から1万円札をとりだし、止めさせる。
「分かった! 分かったから! ほら1万やるから!」
「分かった。駅員さんには言わないでおくわ……じゃあ警察に通報されるのが嫌ならあと3万ね。1万払えるなら3万くらい安いでしょ?」
「ふ、ふざけんな!」
「あっそう」
彼女は手慣れた手つきでスマホをいじり、電話をかける。
「もしもし、上野警察署ですか? ちょっと相談したいことがあるんですけどよろしいでしょうか?」
「待て! 待て! わかった! 払うから!」
結局男はコンビニのATMでクレジットカードから金を引き落とし、女に渡した。
これは彼女の日常だ。「痴漢冤罪のプロフェッショナル」としての。痴漢冤罪を男に吹っ掛け、「示談金」を貰う事を生業としている。
大抵は素直にカネを渡すが従わなければもちろん法の下で裁くことになる。痴漢というのは世間では100%絶対悪なので必ず彼女が勝つのだ。
警察の厄介になるメンツの常連だが、彼女は法律と世間の目、そしてか弱い存在である女性というボディガードに守られていて、警察ですらうかつに手を出せない。
その彼女が夜中のファミレスでドリンクバーの紅茶を飲んで待ち合わせしていると、世間に擦れきった中年のサラリーマンがやってきた。
彼の目は憎しみの色で満たされていた。
「
男は彼女に問う。無論、偽名だ。彼はスマホの画像を見せながら口を動かす。
「担当直入に言いましょう。この男を痴漢冤罪で社会的に殺して欲しいんです。名前は
彼女の仕事の内容は何も男相手に痴漢冤罪を吹っ掛けて小銭を稼ぐだけではない。依頼を受けてターゲットを痴漢冤罪で破滅させる仕事も請け負っている。
彼女自身が被害者のフリをすることもあれば「雇用」している「社員」に被害者のフリをしてもらう事もある。言ってみれば彼女は「痴漢冤罪請負業者」の社長だ。
無論足がつかないように振り込め詐欺の組織同様、正式な会社にしているわけではないのだが。
「わかりました。150万円で請け負いましょう。現金一括払いでお願いしますね。もし仮想通貨があればそっちの方がいいですけどね」
「分かりました。お願いいたします」
この時は言い値だ。
男もたった150万で目の上のタンコブを潰せると知ってお得な買い物だと大喜びだ。
電車の中でターゲットがどこにいるかを探し当てるのに1週間、さらに他のメンバーとの段取りを決めることで3日かけ、ついに本番の朝を迎えた。
確実に抹殺したい相手には3人で挑む。1人が相手の手にわざと尻を当て、残りの2人がその様子をスマホで写真と動画を撮影する。
カシャ、カシャ、というスマホのシャッターを切る音が車内に響く。何人かは疑問に思うが自分には関係ないとすぐに無関係を決め込む。
準備が出来たのを確認し合い、女は男の腕をつかむ。
「次の駅で降りましょう」
そう言いながら。
「あなたさっき私のお尻触ったでしょ?」
「な、何バカなこと言うんだ!? そんなことやってないって!」
「私も見たわよ」
「私も見たからね。友達に痴漢しといてそんな言い方ないんじゃないの? 証拠もあるからね」
3人の女が矢継ぎ早にけしかける。彼女らのスマホには彼の手が女の尻に触れている画像と映像がうつっていた。
「何だったら法廷で争っても良いわよ」
「……いくら欲しい?」
「お金は要らない。ただアンタを犯罪者にしないといけないの。我慢してね」
「ま、待て! 300……いや500万出す!」
「もしもし、警察ですか?」
「駅員さん、ちょっと来てください」
「ち、違う! 違う違う違うんだぁ!」
男の人生は終わった。
「はいシャンパン入りまーす!」
「シャンパン! シャンパン! シャンパン! シャンパン!」
ホスト達が合いの手を入れながらシャンパンがグラスに注がれていく。
「ヒューッ!」
「「「ヒューッ!」」」
一仕事終えた
周りのイケメン達がやさしくしてくれているのは自分にカネがあるから、ただそれだけだ。それは彼女自身が一番よく理解していた。
彼らにとっては自分は
夢を見せてくれるだけでも、喜べる。その夢の対価として札束を渡す。カネさえ渡せば自分の様な女でも優しく相手にしてくれることが何よりも嬉しいのだ。
別の日、
やってきたのは、
「!? あいつは!」
気付いた
血走った瞳で彼は彼女をにらみつけるとその辺の安物ではない、アウトドア用の本格的なナイフで
男は彼女を何度も刺して殺したことを確信し、逃げた。
「誰かぁー! 救急車ー!」
事に気付いた従業員の叫び声が客足も遠のいた深夜のファミレスに反響した。
「なにぃ? 血のりだって?」
十数分後、駆けつけた警察官が呆れ顔で返す。
「ええそうです。防刃ベストに血のりを組み合わせて、血が出たように見せかけたんです」
「何でまたそんな事を……」
「物騒な世の中ですから自衛しないといけませんからね。それとも何ですか? 防刃ベストをつけちゃいけないとでもいうんですか? つけてて何か悪いことでもあるんですか?」
そう開き直る。こうなると法律の範囲内でしか動けない警察官も何の罪も犯していない彼女にたいして何もできない。
「とにかく今回は皆さんに迷惑をかけてしまいましたね。すみませんでした」
彼女はあっけらかんとした顔で言い、現場を後にした。
2日後……
「こんばんわ 白猫運輸です。
疑問に思いながらも母親からの荷物であることや、相手は白猫運輸のトラックドライバーの服装をしていたからを受け取らないわけにもいかないので玄関のカギを解除する。
ドアを開けると宅配業者の格好をしているだけの金属バットを持った屈強な男2人が立っており、開くやいなや明弘に襲い掛かる。
「舐めた真似するんじゃねえ!」
男たちから持っている得物を使った暴力の嵐が吹き荒れる。
ガゴッ! ドゴッ! という硬い物と硬い物とが激しくぶつかる鈍い音が響く。
殺さないように頭部こそ殴らないがガードしていた手足、それが折れたら今度は腹と胸を持っていた凶器で何度も殴る。
騒ぎを聞きつけた住人からの通報で命だけは取り留めたが、全治2か月になる重傷を負った。
腕っぷしの強そうな男に痴漢冤罪を黙っている代わりに渉外部として働いてもらってる。
主な活動は
今回の件ももちろん、彼女を殺そうとした男への正当な報復であった。
痴漢冤罪という稼げる商売に、渉外部という暴力装置。彼女は帝国を築き上げていた。世間はもちろん一部の法律すらも味方にした、だれも逆らえない無敵の帝国。
彼女は現在もなおその帝国の皇帝として鎮座している。彼女を止められる者は……いない。
この小説は、フィクションである……事を願う。
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