第218話 子宝祈願は極太の恵方巻らしい。

 101号室を出た後、鹿跳しかばね先輩と僕は、お隣の102号室へ。

 草津くさつ先輩とジャイアン先輩は、次の出番までロビーで休憩されるそうだ。


「ハカリ~、お待たせ~」

「甘井クンは、もう恵方巻えほうまきを食べ終わったのか。予想より早かったな」

「はい。先輩方を、お待たせする訳にはいきませんから」


 102号室の前では、美術部部長の口車くちぐるまはかり先輩が、僕達を待っていてくれた。


「ダビデさん、ごきげんよう!」

犬飼いぬかい先輩、宜しくお願いします」


 広報部部長の犬飼きずな先輩も一緒だ。

 鹿跳先輩と僕を含めた、この4名が、102号室での「食べさせ役」である。


「甘井さん、はい、どうぞ」

「ありがとうございます」


 廊下には恵方巻が沢山載ったワゴンが運ばれており、おなかの大きい女将おかみ先輩が、極太の恵方巻が載ったお皿を1枚、僕に渡してくれた。




「私が有馬城ありまじょうクンに、キズナが今市いまいちクンに、アリミが宇佐院うさいんクンに、最後に、甘井クンが真瀬垣ませがきクンに――という順番だ。祈願のセリフは、打ち合わせ通りに頼む」


「分かりました」


 口車先輩の最終確認に同意し、任務を開始する。

 今回のターゲットは、こちらの4名だ。


【102号室】

【今市 佳乃】 【宇佐院千早】

【真瀬垣里稲】 【有馬城 桜】


 ――トントントン。――ガチャ。


 口車先輩は、住人の返事を待たずにドアを開け、部屋に突入する。

 僕を含めた残りの3人も入口でスリッパを脱ぎ、口車先輩の後に続く。


「――待たせたな!」

「これは、これは、先輩方、お待ち致しておりました」


 口車先輩の挨拶あいさつに、ヨシノさんが、わざとらしく返答する。


 102号室の4人は、うちの部屋と同じようにコタツを囲んで座っており、4人とも体操着の上にジャージという格好だ。


 4年生の2人、宇佐院さんとヨシノさんは笑顔だが、1年生の2人、有馬城さんとリーネさんは、少し緊張しているように見える。


 6年生の先輩方が、そのままターゲットの近くに腰を下ろしたので、僕も先輩方にならってリーネさんの近くに腰を下ろした。




「サクラ、覚悟は出来ているか?」

「はいっ!」


 恵方巻を持つ口車先輩に気合を入れられた有馬城さんは、恵方を向いて正座したまま、口を開けて目を閉じた。


「――親愛なる有馬城サクラが、素敵な旦那だんな様に巡り会えますように。サクラは、かわいいから、何も心配はいらないけどね」


 口車先輩は、低く落ち着いた声で祈願の言葉を述べた後、恵方巻を有馬城さんの唇に優しくあて、ゆっくりと挿入する。


「はむっ……」


 意外なほどあっさりと口の中に恵方巻が入り、有馬城さんは目を閉じたまま幸せそうに口を動かしている。


 まるで、この部屋の中に、この2人だけしかいないような、そんな雰囲気だ。

 口車先輩、イケメン過ぎる。




「私も行きますよ。親愛なる今市ヨシノちゃんが、トップニュースになるような、素敵な旦那様に巡り会えますように! カッコイイ苗字みょうじになれますように!」


「ああ……んんっ」


 ヨシノさんは少し苦しそうだが、犬飼先輩に挿入された恵方巻は口の中に奥まですっぽりと納まっている。


 苗字で呼ばれる事を嫌がっていたヨシノさん。 (第12話参照)

 2年後には、誰もがうらやむようなカッコイイ苗字になれるといいですね。




「次は私ですね~。親愛なる宇佐院チハヤさんが、上級国民の素敵な旦那様に巡り会えますように~。どうか玉の輿こしに乗れますように~」


「あー……んっ」


 宇佐院さんは、鹿跳先輩に挿入された恵方巻を楽にくわえている。普段から大きく口を開けて笑っているので、こういう事は得意なのかもしれない。


 いつも明るく前向きな宇佐院さんなら、玉の輿に乗る事も、夢ではないだろう。




 3名のお嬢様方がイースター島のモアイのように同じ方角を向き、無言で恵方巻を頬張ほおばっている。それは、とても静かで厳かな儀式だ。


 最後はリーネさん――いよいよ僕の出番である。


「リーネさんも恵方を向いて下さい。反対側の方角です」


 リーネさんはコタツに背を向けて、僕の座る方に向き直る。


「そうだったわね。……これでいいかしら?」

「はい。覚悟はいいですか?」


 僕は、極太の恵方巻を右手に構える。

 リーネさんの小さな口には、とても入らないような太さだ。


「ミチノリさん、リーネのだけ、どうしてこんなに太いのかしら?」


「リーネさんの恵方巻は『縁結び祈願』ではなく『子宝祈願』ですから、6年生の皆さんが召し上がるものと同じ太さになっています」


 子宝祈願用の恵方巻は、縁結び祈願用のものより、若干太く作られている。

 理由は不明だが、おそらく発案した先輩の遊び心なのだろう。


「分かったわ。リーネにも、早く入れてちょうだい」


 リーネさんは覚悟を決め、大きく口を開けて目を閉じた。


「それでは、行きますよ。危険ですから、ちゃんと鼻で息を吸って下さいね。

 ――親愛なる真瀬垣リーネさんが、どうか子宝に恵まれますように!」


「――はんんっ! んんっ! んんっ! んんーっ!」


 僕は打ち合わせ通りのセリフを言いながら、リーネさんの口に恵方巻を軽く3回押し込み、最後に深くねじ込んだ。誰が考えたのか知らないが、この「3往復半」が子宝祈願のおまじないらしい。 (注釈:決して「いじめ」ではありません)


 リーネさん、頑張って鼻で息を吸って下さい! その調子です!

 これに耐えられれば、きっと苦しい出産にも耐えられるはずです。


 ――僕は心の中で、リーネさんに、こんな声援を送っていた。




「甘井クン、私は103号室へ向かう。モエの事は任せたぞ」

「はい。脇谷わきたにさんの子宝祈願は、僕に任せて下さい」


 103号室という事は、口車先輩の次のターゲットは、美術部の熊谷くまがいさんか。


「サクラ、お替わりはここに置いておくから、ゆっくりと味わって食べてくれ」


 口車先輩は、有馬城さんの前に恵方巻が載った皿を置いて、部屋を出る。

 有馬城さんは無言で頷き、1本目を完食してから、2本目に手を伸ばした。




「私は104号室に行くけど、ヨシノちゃんも、お替わりする?」


 犬飼先輩は104号室へ向かわれるそうだ。

 ヨシノさんは恵方巻を咥えたまま、両手と首をプルプルと横に振っている。

 この1本で、もうお腹いっぱいらしい。


「それでは、皆さん、ごきげんよう!」

「ごきげんよう」


 犬飼先輩は、お替わり用の恵方巻を鹿跳先輩のお皿に移して、部屋を出た。




「チハヤさんは、もう1本ですか~? それとも、2本食べちゃいます~?」

「あははは。部長、2本は無理ですよ。あと1本だけ頂きます。――あーん!」


 宇佐院さんは、口を大きく開け、鹿跳先輩から2本目の恵方巻を受け取った。


「ダビデさんも、次は109号室ですよね?」

「はい。僕は脇谷さんの子宝祈願をする事になっています」

「奇遇ですね~、私も、次は109号室ですよ~」

「鹿跳先輩は、小笠原おがさわらさんの縁結び祈願ですね?」

「正解で~す。次も2人で一緒に行きましょう」


「そうですね。――それでは、失礼します。リーネさんは無理をせず、ゆっくりと召し上がってください」


 子宝祈願用の恵方巻は、サイズが大きい為、お替わりは用意されてない。

 リーネさんが食べきれない事はあっても、足りないという事はないだろう。


 僕は102号室の4人に頭を下げ、鹿跳先輩と一緒に部屋を出る。


 6年生の先輩方と一緒に遊べる機会なんて、今までにもほとんどなかったし、これからも、ほとんどないはずで、これは僕にとって貴重な経験だ。


 次は109号室で脇谷さんの子宝祈願。こちらも非常に楽しみである。

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