25.衝突

 興奮さめやらぬままベースに戻ります。四夏が最後でした。


「さて、みんな無事?」


 それぞれに危地を抜けたり抜けられなかったりしたメンバーを見回して香耶乃かやの。まず視線はいちばん手酷てひどくやられた一人へ集まります。


「ぁ、あたしは平気。結構サクッとダガーでやられちゃったし。それよりごめんっ役に立たなくて!」


 ぴょんと頭を下げる杏樹あんじゅ。平気とは言うものの体のあちこちをかばう動きは痛ましいものがあり。


「あの戦況なら大殊勲しゅくんです。相手の勘が良すぎました」


 折れた刀を足で踏んで曲げ戻したさくが落ちついた声で言いました。その視線が隣へと流れ。


すえ先輩は心配いらないですよね」

「……当、然」


 淡々としたやり取り。同じように剣を踏んだ凛はそれを顔の正面へと立てます。ぴたりと矯正きょうせいされた曲がり。


「お見事です」

「お世辞はいい。あと、これ」


 差し出したのは円形の金属片。うるしに中央を塗り抜かれた月輪がちりんは無惨に根元で断たれ表面は土で汚れています。


「前立て、拾っていてくれたんですか」

「さっきは悪かっ、た」


 ガントレットの手の内で土ぼこりをぬぐうと朔の胸元へ。彼女はどうしたものかといった表情でそれを受け取ります。


「いいんですよ。具足は壊れるものです。祖父もきっと喜んでくれますから」


 目を細めて鎧の懐へしまいこむとフィールド外に設置された中継用カメラをちらりと見ます。ひゅっとおののくような呼気。

 いつの間にか集まって見守るマスタージョエルほか大人組に、ではありません。その後ろを横切りながらこちらを注視するローブ姿の一団。視線の先は。


「四夏ぅ、手どうしたのっ大丈夫!?」


 杏樹の声に、香耶乃が隠すように位置取ります。

 〈たわめ打ち〉でパティに打たれた左手の痛みはもはや無視できないレベルに達しつつありました。


「いつか、ら」

「えっと……ついさっき。ごめん、受けそこねちゃって」


 詰めてきた凛にもにょもにょと答えます。チラッとグローブを脱いでみると指の太さが一回り変わっています。


「薬指ですね。折れてますか?」

「わかん、ない。無理すれば曲げれる、かも」


 ゆっくりと曲げ伸ばししてみれば、操作一つ一つに激痛がともないます。せれば最悪またドクターストップともなりかねない状態。

 ゲートを開閉する門番に何事なにごとか話しかけている医療スタッフと審判団。香耶乃がそっと振り向いて言いました。


「……四夏っちゃん、もし無理そうなら――」

「センパイ」


 手甲にしまいこんだ四夏の手を朔がとります。絹糸威きぬいとおどしの指が手の平をむずと掴み。


「ぃきぃっ!?」

「やるぞー! おー!」


 泣きそうな声をあげる四夏を、ぎゅっと詰まった眉間みけんが見上げてきます。我が身を切るようなその表情にはっとして四夏は歯をくいしばりました。


「ぉ……っおー!」


 ぎゅっと拳を固めると朔の腕ごとそれを突きあげます。あっけにとられた三人も香耶乃をはじめに呼応しました。門番が肩をすくめ、審判団は首をかしげながら位置へと帰っていきます。五人は大きく息を吐きました。

 四夏の左手首と剣柄けんづかを、自身の刀の緒紐おひもでくくりながら朔がしょげた声でつぶやきます。


「すみません」

「ううん、ありがとう朔ちゃん。もっときつく縛って」


 実際ギリギリのタイミング。すぐに健在をアピールしたのは英断だったでしょう。痛みでナーバスになっていた四夏ですが決着をつけずに終わるつもりなどもとよりありません。

 刀を戦場でとり落とさないための真田紐さなだひも糸威おどしと同じグラデーションのそれは弱った握力をなんとか補えそう。


「センパイ……」


 朔がそっと手首を握りました。


「アタシはもう充分です。心残りはありません、だから」


 その唇が何かを言おうとしてせき止めるように開閉。ややあって。


「ここからはセンパイの戦いを」


 四夏は頷きました。気持ちはフワフワとして今もパティと剣を交わしているよう。やられたという悔しさと打ち返したという興奮が波のように前後しています。でも。


「ま、そーだね。ホントいえばもう少しひっぱりたかったけど暴発されても怖いし」


 わだかまる焦燥感はきっと、タイムアウト直前のパティの顔を見てしまったから。四夏の前にいるようでいない彼女の、その内側を知らなければ最後は巨大な穴に吸い込まれてしまう、そんな予感。

 自分とパティどちらが暴発すると思われているのかと考えて、その程度には自分も限界だと気付きます。


「勝負に出よう。エースにエースをぶつける」


 決断した香耶乃へ反論はありませんでした。



§



 一方チームポーランド。

 投げ出された足鎧グリーヴのすき間へ差し入れた指先が感じる熱にミハウは顔を歪めます。


「姉さん、トバし過ぎだよ。右膝はとっくに限界を越えてる」

「……わかってるわ」


 座り込んだパティが抑えた声で応じました。夢うつつのような、外からの干渉を拒むような態度。ミハウはかわりにナタリアへ振り返って言いました。


「棄権も考慮すべき状態です。少なくとも温存する戦略にシフトしないと」


 ナタリアを挟むようにうかがうのはアントニー、レオ。

 ぽつりと、パティがつぶやきます。


「……温存はしないわ」


 確とした意思表示。


「やっとシナツがこっちを見てくれたのよ。啓示けいじを受けてからこの時だけを願ってきた。誰だろうと邪魔させない」


 たとえアナタでも、とミハウをひと睨み。ミハウは光を失った左目をまぶしげに隠しました。


「もちろんしゅを疑いはしないよ。でも彼女が姉さんの運命かどうかは分からない。〈美しい戦争〉なんてものは……あの子だって姉さんが本気を出したら壊れちゃうかもしれない」

「かもしれない、じゃない。壊すわ。でもシナツはきっと受け止めてくれる。壊して壊されて、どうしようもなく奪い合った先にある本当のを、シナツは知っているはずだから」


 静かな表情に浮かぶのは風前にのたうつ業火のごとき戦意。限界のひとつやふたつ、逆風とはらんで燃え盛ろうとする。


なんじの敵を愛せ、ね。お姫のカゲキな解釈は俺らにはサッパリだけどさ」


 柵へ寄りかかったレオがダガーをもてあそびながら言います。


「カノジョが同類だってんなら入れ込むよねぇ、どうする?」


 敵をも愛す慈悲深さではなく、敵をこそ愛してしまう好戦性。互いの存在を賭けて争う対手こそがもっとも己の価値を高めてくれるという認知。好悪という人が当たり前に持つ目もりが存在しない天秤。

 ふられたナタリアは迷いなく答えました。


「トリシャがそうしたいならすればいい」

「ほう、意外だな?」


 一足先にヘルムを脱いだアントニーはどこか肩の荷が下りたような涼やかさ。それを恨むようなうらやむような表情で言葉は続き。


「私たちはそれぞれ少なからずトリシャに救われた。私だってライブハウスの側溝ドブに押し込まれてるのを助けてもらわなきゃ今でも世界を呪う自分を許せないままだった」

「そうな、俺も姫には慢心まんしんを折ってもらった。当たり前だった勝利と戦いの価値を思い出させてもらったとも」


 うなずくアントニーを残してナタリアはパティの前に膝を着くとその顔を覗き込みます。


「トリシャの救いがここにしかないっていうなら見送るしかない、けど」


 そっと肩にかけられた手のひらはすがるよう。


「どんな貴女になっていてもいい。きちんと戻ってきて。そうじゃなきゃ……」


 ぽろぽろと零れる涙。パティはそのあとにそっと口付けます。


「ありがとうナータ。貴女の涙も憤りもとても嬉しいの。でも」


 二つの武骨な鉄甲があやすように頬をはさみ。


「約束はできないわ。――ころしたいと思って欲しいから。そのためならころされても構わないってかなぐりすててほしいから。だからその代わり」


 ナタリアが何か言いかけるより先にパティは彼女を抱いていました。


「シアワセになるわ、ぜったい」

「…………馬鹿……っ」


 長い沈黙のあと、強く抱き返してナタリアは立ち上がります。皮のグローブが目元をぬぐいました。あとにあるのは決然とした騎士の顔。


「三人でトリシャの道を拓くわ。それすら止められない軟弱なら潰して加勢してかまわない。トリシャもそれでいいわね?」

「えぇ、お願いね皆」

「まぁレディ二人がそういうならしょうがないよねぇ」

「……」


 チームがひとつにまとまるなか、ミハウはひそかに拳を握ります。ガギリと、奥歯の軋む音をさせて。



§



『――開始ファイト!』


 再開と同時、四夏は敵戦列へ駆け込みました。

 フラッグ自取により柵を背負ってのの進撃というのがひとつ、さらに相手を〈衝撃突撃Husaria szturm〉へと移行させないために。


「パティ!」


 ターゲットを隠す気もない大音声。先のプレイのように彼女の執着につけこんだものではありません。つきつけるのは相手チームの選択肢。

 すなわち突出した四夏を囲むか否か。四夏以外の三人は戦列を成しています。もし敵が四夏に複数人を割けば戦列へは防戦となるでしょう。逆に無視すればそれは背後に四夏という不安要素を残すことに。ゆえに選択はこうも言い換えられます。

 自軍のエースを信じられるか否か。愚直な一騎打ちを受け潰しチームを勝利へと導く器が、パトリツィア・スヴェルチェフスカに備わっているとみるかどうか。


正面突破ドプソドゥ!」


 返答はナタリアの号令でもって。当り前だ、といわんばかりの一糸乱れぬ統率は流石。即座に形成しなおされた戦列が朔たちのそれとぶつかります。

 わずかに先んじて四夏はパティへたどりついていました。


「っ」

「あはッ」


 これまでとは違う、奇襲でも応戦でもない真っ向勝負。ギシリと張りつめるポーリッシュアクスの間合い寸前で四夏は止まります。

 背後では3vs3の戦端が開く音。できれば視界に収めておきたいですが安易な移動は呼吸を読まれてしまいそうで。


「もうよそ見しないで、なんて言わないわ」


 死線を前に穏やかさすら感じさせる声音でパティが口を開きます。


「ここはワタシたちの戦場だもの」


 その真意はゆっくりと、沁み込むように四夏のなかへ。


(そうだ、もうわたしたち二人の戦いじゃない)


 幼稚園で杏樹と朔を誘わなければ、小学校で朔と学び競っていなければ、失った目標を取り戻すきっかけを香耶乃がくれなければ、四夏はここに立っていません。パティだってきっとそうでしょう。


――)


 この戦場そのものが二人が歩んだ道の縮図。互いの心象の鏡写しであるゆえに。


(――パティだけ、見えてれば充分――!)


 その目窓の奥に、声に、何より互いの剣にあらゆるものは映るはずと信じて四夏は雑念を捨てました。狭まっていく視界。白く霞む世界に自分とパティ二人しか存在しない錯覚。

 飛び出す足と迎え撃つ斧。引き上げた剣の柄で斧刃を打ち上げるとひるがえす剣身を叩きつけます。

 あまりにもたやすく四夏はその境地に至っていました。


「やああッ!」

「っは――ッあ!」


 これほど近くにあった拍子抜け感と、正対したならさもありなんという納得。

 ヒットの直前わずかにねじった上体で剣を受けたパティはすでにその準備を終えていました。


「――竜殺しザビチエ スモーカ

「くぅっあぁああ!」


 四夏全力の打ち込みなどなかったかのように繰り出される左右上下の乱打。押え合いバインドはおろかただ防ぐことすら困難な滅多めった打ち。

 最善手は後退か、否。

 ガードに丸めた身体を開くと、あえて次撃にぶつけるように踏み込み。


(こう、かっ)


 それは直前のパティがみせた動きの模倣コピー

 原理はチームアメリカ・ロデリック選手の〈受け潰し〉と同じ。斬撃の威力が十全に乗る焦点をズラして受けることでダメージを軽減する鎧捌よろいさばき。そして防御と同時完了する振りかぶり。


 ガギィッ!


 打ち込むパティの手首を逆にとらえた刃筋はすじはプレートのぎ目で挟み止められていました。あと一歩閉じられるのが遅ければ篭手こてを断ち折っていた横ぎ。


「ぐぎ、ぅ」

「づぅ」


 防御に差し出した二の腕から砕けた左手指にかけ激痛がはしります。そもそも剣とポールアームでは攻撃力が違いすぎ、同レベルの〈受け潰し〉では四夏のダメージが大きいのは道理。しかし四夏は剣の鋭さとコントロールでそれを補っていました。


(なんとなくわかった、かも)


 パティの実力はまさしく怪物。しかしその根底には幼い日に競ったドイツ剣術がたしかに活きています。攻防一致の〈受け潰し〉、攻撃側有利をゆずらない連打。ただ現代アーマードバトルのルールや自身の能力にあわせて落とし込んだ結果奔放ほんぽうにみえるというだけ。


「厄介だなぁ」


 合理的な甲冑かっちゅう戦闘術を取り込んだ超人的肉体。しかも自分専用オートクチュールに仕立て上げているならまさしく技術体系と個人の理想の関係性。


「あぁ、ころされたと思ったわ」


 相討ち。両者ぐらついて離れながらも機をうかがいます。

 喜悦を隠そうともしない声についほだされそうになる心を引き締めて四夏は剣を握りなおしました。保持は可能。なんとか、まだ。


「ころさないよ。目いっぱいくやしがらせるだけ」

「いいえ、ころすわ。シナツもきっと。ワタシがそうさせる」

「……わかんないよ」


 ただ精いっぱいに戦って優劣を決する。志向するのは同じまじわりのはずなのにどうして結末だけがこうもズレるのかと四夏は眉をしかめます。パティは限界の向こうに突き抜ける終焉を、四夏はその直前で引き返し繰り返すいとなみを。


のかそんなに大事?」

「それは、……知らない。シナツに言ったって仕方のないことだわ」


 急に突き放すように告げるとパティは長柄ながえを肩に担ぐように構えます。


「難しく考えなくていいのよ。その時が来ればきっとわかるんだから」

「なにそれ」


 四夏もまた重心を高く応対しました。パティの斧刃は背後にあれど体幹のバネひとつでこちらの首元を危うくするでしょう。間合いをはかるにもフットワークは必須。小刻みに上体を前後させつつ飛び込むタイミングを計ります。

 浅く速くなる呼吸。白んだ世界が戻ってきて、にじりよるパティの足の指までがけて見えた気がしたとき。

 みたび、四夏にその幻はおりていました。



――体育館ほどのガレージに作られた鋼鉄のリング。

――少女は傷だらけで立っていて、足元にはくずおれた対戦相手。

――胸の前に停止を命じる黄旗フラッグがねじこまれ息が詰まりました。

――どうして? さっきまであんなにワタシだけを見ていたのに?


「――は」


 胸下を襲うポールアクス。フェイントに消費された間が幸いして四夏はからくも防御を間に合わせることができました。斧刃の形を刻まれる十字鍔クロス


(ダ、メだ、さっきから何か……!)


 パティに意識を集中するたび、今ではない何時いつかの情景がよぎります。ただの妄想というにはリアルすぎるそれは目の前の彼女を知りたいという四夏にこたえるようでもあり。

 落雷のごとき一撃をとびすさってかわし、また間積まづもりと見せかけての突撃。ポールを地面から引っこ抜いたパティが初めて守勢に転じます。

 まじる雑念とは裏腹に手足はまるで意思を持つように柔軟に動きました。

 全身をねじっての〈はたき切り〉はパティが防御を上げた瞬間には下段へと落ちています。足払い。


「っひ、ァぁあっ!」


 膝頭ひざがしらを刈った一撃にパティが狼狽ろうばいの色をみせました。上段に張った四夏の防御をも無視した叩きつけ。剣を折られると予想、転がって彼女の足元から逃れる四夏。抜けざまに今度は膝裏ひざうらへと片手切りつけ。それを、


「アッははははッ!」


 哄笑こうしょうとともにパティはいました。両足を跳ね上げると同時、まるでカンフー映画の棒術のごとき身ごなしで斧刃から足先までを一直線にします。天秤棒てんびんぼうがしなるようにそれは四夏の二の腕をち割りました。


「ぐ、ぁ」

「そう、もっとワタシを壊してみせて。ワタシもシナツを壊してあげる」

「……っ!」


 その言葉にわきあがる困惑。

 戦いにおいて弱点を狙うのは当たり前の事。たとえ試合でもそこに手心てごころを加えることは非礼だと四夏は考えています。けれどそれは理屈の上でのこと。本心を言えば選手生命にかかわるケガなど自分にも相手にもなければいいと思っていました。そう、なのに。


(わたし今、壊したいって思った?)


 数瞬前の自分がなにかあさましい感情にとらわれていたことに四夏は身震いしました。長い長い道を歩き、ここで自分に砕かれてもいいと差し出されたパティの足。まぶたに焼き付いたその姿形を思い返そうとすると堪えがたいなにかが四肢へみなぎります。ひしゃげた肩鎧を抱えこむように転がって、四股しこ立ち。


(ちがう、こんなの――)


 追いうちに踏み込んでいたパティが急制動。即座に振り出されたポールは四夏の落ちた重心を狙う下段薙ぎ。踏ん張りがきくかわり機動きどう性に劣る立位に対する最適解。それへ、


(――わたしじゃない!)


 四夏は大きく一歩を踏みこんでいました。ベタ足の武術にみられる半身をひるがえしての直進。重い蹴り足で爆発的な推進を生むそれも、打撃の焦点を外す攻防一致といえるでしょう。

 下段へねじりこんだ剣でポールを止め、さらにもう一歩。


「ふぅ、んぎっ!」


 無茶なねじれに軸足じくあしけんがひきつれる感覚。大きく開いた首元を切りつけたと同時、ここが勝負どころと左右の〈はたき切り〉を連打。


「や、あっ、あっあッ!」


 二発は完全に、その後も間合いを開けようとするパティへ追いすがりながら着実にダメージを重ねます。並の騎士ならそれだけで戦意が折れる猛攻。だというのに。


「おかしいわ、シナツ。もう見えているでしょう?」


 この程度のはずはないと興ざめする声。四夏より頭一つ小さな身体が剣戟けんげきをはじくように懐へ潜り込んでいます。


「っ、あ」

はもういいの。これじゃ何もシナツにあげられないから」


 低く後ろへ構えられたポールをみて悟ります。など、パティにとってはあってないようなもの。


石突いしづき――!)


 しょせん争いをむべき緊張状態としかとらえられない常人の概念。それをこそよろこびとするパティにとって己を鼓舞こぶする意志の力など必要なく。

 のどに突きこまれるポールの終端。刺突禁止のルールの抜け道、それはメインウェポンの刃部分にしか適用されないということ。気付いていながらも四夏たちが暗黙のうちに自重した。


「ごォっ、がハッ」


 突進力を逆用され、後頭部から地面へ落下。喉の奥にイヤな味と臭いが広がり、目の前が赤と白に明滅します。至極しごく危険な状態。少なくともこれより数秒、絶対に動くなと全身が命じていて。


「ぁ、ァァ、アアアアッ!」


 獣のごとく四夏は跳ね起きていました。生理よりも先にたった野性の危機察知によって。


 ジュコォッ!


 地面に突き立つ斧刃。落ちてきた鉄の雷へ砂をかけて四夏は脱兎だっとと化しています。意識が戻ってきたのはあるいはたった今かもしれず。気付けば生きているという奇跡に感謝よりまず疑念が先立ちます。


(わたし、こんなにしぶとかったっけ……?)


 もちろん勝ちたいという思いは打ちを重ねるごとに強まっていて。けれどそれでも今の状態はギリギリアウト、いやとっくにブッ倒れていて当たり前という旗色はたいろ。だというのに今なお身体をひきずってパティの射程からとびのいている事実。


「あぁ、あぁ、そうよ。もっとステキな声を聴かせて?」


 割れるような頭痛に呼応するように脈打つ視界はせわしなく動き、陶然とうぜんとこちらを向くパティを打ち砕く筋道をあさっている。そんな自分に待ったをかけたくて、相反する心がまたそれを押さえつける千日手せんにちて


(あぁダメだ、でもここでふりしぼれなきゃ負けちゃうから)


 続ければ確実に取り返しのつかない傷を負うことになります。それを忌避きひするのは生物として当たり前で、なら。


(負けたくないのは、どうして……?)


 力を競う、武を比べる、それだけならここまでの戦いだけでも十分で、けれども一向に収まる気配のない自身の戦意はどこからくるのか。

 ぐらぐらとする足元は砂上のようで、そんな自分を不甲斐ふがいないと思う自分がいて。


「シィ、ナァ、ツ!」

「ぁあ、もう、わかってるってば!」


 もはや間積もりの時間すら惜しいと向かってくるパティ。わずかな間に交わされる無数のきょじつ


(こんな決着じゃパティは満足しない)


 互いに仕掛けず鍔迫つばぜり合いかという距離でパティが限界まで拳に斧刃を手繰たぐり寄せます。バインドにくる四夏の鍔下つばした、壊れた左手指を狙う短撃ショット。それを。


「まだぁ!」


 回転させた十字鍔クロスで受け止め四夏はバインド。詰まった持ち手ゆえパティの斬り返しは使えず、そこに生まれる押さえ合い。それはあるいは長い彼女と付き合いの中で初めてのものやもしれず。


(あぁ)


 だからこそ鋭敏になる感受のけん。つい今しがたの自分は彼女の心を鏡のように映していたに過ぎなかったと理解して。


「パティは、わたしのになりたいんだね」


 一番でも唯一無二ゆいいつむにでもなく、自分の存在だけが相手を占めている。そんな幼子おさなごの夢のような状況を闘争の場に求めている。ある種荒唐無稽こうとうむけいともいえる指摘にしかし、ヘルムの奥の気配はかあっと赤面したじろいで。


「そっ、な、何よシナツは違うっていうの、このに及んで!?」

「いやいや、及んでもなにも思ったことないけどさ」


 本当はさっき少しだけ共感めいたものを抱いたのですが、それはパティにあてられただけと言い訳しとぼける四夏。


「でもわかるよ。こうやって戦ってると安心する」


 相手を独占しているという感覚。自分を認める相手が少なくとも目の前に一人いるという状況は自分たちにとって特別なのだと思います。コミュニケーションで他人と少しズレた自分たちは浮遊していて、だからこそ釘付けにできる一瞬にかれるのだと。

 けれどその極限を求めるならば行きつく先は。


「安心、そう、シナツはそうなのね」


 落胆、あるいは呆れのにじんだパティの声。斧刃が急に強く押しあげられポールで剣身をり上げます。


「この程度で満足しているから分からないんだわ。ワタシがどれだけシナツを欲しいのか」


 そうして斧刃で引っかけての剣払い。剣道の巻き上げのごとく四夏の手の内がぐちゃぐちゃに振りまわされ剣の柄がそこからまろびでます。直前、思わぬ剛速球に今度は四夏が赤面し、そして。



――汝の隣人を愛せ

――己を愛するごとく、隣人を愛せよ

――汝の敵を愛せ

――父なる神の慈悲のごとく、敵を愛せよ



 それは唐突に、脳裏に大鐘楼だいしょうろうのごとく反響する聖句となって四夏を打ちのめしました。

 有無を言わせぬ圧力に四夏は心の一部が死んだのを感じます。そこはこれまで四夏が感受し写し取ったパティの心象。

 他者との全力の壊し合いの中にしかそれを見いだせない彼女が、人類愛それをこそ原則とする教義にさらされればどうなるか。


――そうすることでしかワタシはかみさまと会えないから


 タイムアウト前のパティの言葉がよみがえります。寂しげなあの表情がもし、この冷水に沈むような宗教的疎外感そがいかんに起因しているなら。


「なに、それ」


 ふつふつと沸きあがる怒り。じゃあ何か、彼女は何にもしてくれないとやらにみさおを立てるために自分と戦っているのかと。

 反比例するようにパティはここへきて一気にテンションを上げていて。


「ワタシを満たして、シナツ!」

「ふっ、ざっっけんなああっ!」


 総毛立つ怒声をあげて四夏はそれに反駁していました。







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