6.開戦

 首都ベオグラードからドナウ川沿いに40キロ。

 中世セルビアにあっては政治の中心として機能した街、スメデレヴォにその要塞跡ようさいあとはありました。

 跡、というのは言葉の通り。全周1.5キロ以上におよぶ石造りの城壁は健在ながら、それ以外はすべてが戦中の爆発事故により失われてしまった文字通り空の城。けれどその威容は街中どこからでも振り仰ぐことができるほど壮大で、内部も青い芝生しばふで整えられています。


「ま、つまりイベントやるならこれ以上ないロケーションってワケだ」


 焼け焦げて上部がわずかに崩れ落ちた四角いタワーをあおいで目を細めた香耶乃かやのが言いました。ずりあげられたカラスばし状の面覆バイザーが高く上った太陽を指します。


 アーマードバトル国際大会〈バトル・オブ・レジェンダリ〉。いよいよの開幕に遅れまいとオープニング用の広場には鈍色にびいろの鎧騎士たちがひしめいていました。これまですれ違っただけでも100人以上。会場の広さを考えればその十倍はいようかという壮観ぶり。

 空には見たこともない色彩のはたがひらめき、そこかしこに木製の柵で試合用の囲いが設えてあります。

 広場の中央には同様に木で組まれた演説台。


「みっえ、なぁい、くっそぅ!」


 小さな曲がりづのをたっぷりの花飾り付き巻布トルスで埋めたグレートヘルムをぴょこぴょこと跳ねさせて杏樹あんじゅ。ピンクのフリルつきマントに無骨な鎧はしまい込まれ、内側からガシャガチャと金属音を響かせるのみ。会場じゅうの多様な鎧のなかにあってなお浮くその色合いは、かつて貴婦人に与えられたドレスをまとってトーナメントを戦った騎士のようだなと四夏は思います。


「杏樹ちゃん、持ち上げてあげようか?」

「やだ、触らないで重たいから服が!」

「バカなこと言ってないで話を聞くフリくらいしてください、恥ずかしい」


 これまた目をひく朔が四夏をたしなめました。

 白、緑、赤の縅糸おどしいとで覆われた黒鉄の和甲冑がつやつやときらめき、頭上の日輪の前立まえだてはそれ自体にかすかな光が宿っているよう。中心をうるしで黒く抜かれたそれは彼女自身の名を表しているのだと聞いています。


 壇上ではちょうど、鎧姿で壮年の男性が優雅な礼をしたところでした。


『――では、もっとも力と経験を備えた者に勝利のほまれがあらんことを』


 IMCF国際連盟会長、と言われても四夏たちにはいまいちピンときません。それより興味をひいたのは次の話し手。

 登壇した、ゆったりした上着チュニックを着た白髭初老の男性。プロフェッサー・フィック、と司会が紹介します。


「って、りんちの剣術の先生?」


 たずねた杏樹に凛はコクリとうなずき。

 彼は会場を見回したあと、特に四夏たちもいる騎士見習スクワイアチームの列へパチリとウィンクしてから語りはじめました。


『――古来、騎士道とは信仰だった』


 おもむろに胸の前で組まれる両手。


『恐れず突撃する勇猛ゆうもうは必ずしも戦果をあげなかったし、正々堂々をよしとする誠実さは多くの命を引き換えにもした。それでも彼らが騎士道にじゅんじようとしたのはそうすることで古い歴史ある社会の一員として評価されたからだ。教会と隣り合ったかつての支配階級においては武事ぶじすら神の意の中にあった』


 腕を振り上げた次は胸を張り、てのひらを胸に当てうなだれる。ボディランゲージのごとく次々と仕草を変化させて彼は明瞭な声を響かせます。それは教授というより政治家や指導者のようでもありました。

 四夏たちはさすがに凛の翻訳ほんやく頼みで一拍遅れてそれを聞きます。


『であれば今、それは足枷あしかせに過ぎない。国を越え社会を越えて騎士が繋がり合う現代に、ただひとつの騎士道は無用である。ゆえに我々は今大会より騎士見習スクワイアトーナメントにいくつかの大きな変更を加えることにした』


 男性の指先がぐるりと会場を囲うような孤を描きます。


『一つ、戦闘回避をはじめとする〈非騎士的行為アンナイトリー〉判定の緩和』


 その場で走り去るように片足を上げ。


『一つ、決着の猶予。致命の一撃クリティカル・ヒットをその基本としスリップダウン・ディスアーム両判定の緩和』


 尻餅と何かを放り捨てる動き。


『一つ、領土の制定。自陣のフラッグを奪われた場合、戦闘は一時停止し騎士は開始線へ戻らなければならない』


 そしてそのまま真後ろへのけぞると足をバタつかせます。

 会場が和やかさとも失笑ともつかぬざわめきに包まれたころ。


『幻滅したかね、そんなものは騎士ではないと? いいだろう、ならばその理想とともに新たなる戦術の風にあらがうといい。新興し淘汰され――歴史の再現もまた中世戦闘メディーバルファイトの醍醐味だ』


 すくりと立ち上がった教授の言葉に会場が水を打ったように静まります。


『戦場は変化した。従来の騎士道をこそ正道とこだわる者、貪欲に勝ちを狙う者。それぞれの理念は衝突するだろう。それこそが新ルールの目的と理解してほしい』


 ぐしゃりと宙を押しつぶした両手を大きく広げると彼は厳粛に告げました。


『若い世代に求めるのは騎士道の破壊と創造。混沌の戦場で、それでもなお騎士であれ。その背で人を導く高き者であれ――』


 満場の拍手のなか教授が降壇したあと、喋りつかれたのか凛は大きく嘆息して眉をしかめました。


「……とんだ建て前。プロフェッサーは本物の戦場を再現したいだけ。プライベートじゃ非殺傷性クロスボウなんて作ってる人間がまともなわけない」

「板金を打ち抜くいしゆみに非殺傷……? えっと、凛ちゃんは挨拶とかしなくていいの?」


 矛盾にみちたワードに怪訝けげんな顔をした四夏はたずねます。凛は首を振りました。


「行っても一方的な会話に付き合わされる、だけ。教授は教えるのは上手いけど、それは興奮してないとき。たぶん今は、無理」


 いつも誇らしげに教え子を名乗るわりには当人の評価は複雑なものらしく。

 朔が人込みで目を回しかけたこともあって一行はいったん日本のテントへ引き上げます。



 天幕は静まり返っていました。

 大人たちはまだ会場にとどまって旧交を温めているようで、留守番はただ一人だけ。


「気の毒に、貧乏くじでしたね」


 その大任を仰せつかったというヨコさんに香耶乃が同情まじりで言います。


「そう思うなら君たちも外を回ってくるといい。こんな機会はそうないんだ、あとで後悔しても遅いぞ」


 ふてくされて鎧のままテーブルに頬杖をついていたヨコさんは苦笑して返します。そんな表情すら絵になるのは異性ながらうらやましいなあと思ってしまう四夏。


「ヨコさーん、そんなカッコつけちゃうから夢見がちな女の子たちから勘違いされるんですよ」

「そうですよ、何か食べたいモノとかありますか。買ってきますけど」


 冗談めかして香耶乃。呆れた調子で朔も同調します。

 開会とはいえ騎士見習スクワイアのトーナメントはもう少し後。加えて四夏たちDブロックの試合は二日目です。今日はひとまず他の試合を観戦しながら大人たちの支度したくを手伝ったり会場めぐりにいそしむ予定でしたが。

 さり、と入り口から砂を踏む音がしました。


「ごめんくださいな」


 教会の鐘が溶けこんだような、聞くだけで耳の裏まで粟立あわだつ軽やかな声。


「セトシナツさんはどちら?」


 逆光の中で、金十字を形どった目庇まびさしと鼻当てが輝いていました。

 ロケット型のヘルムに、女性用に胸部のふくらんだブレストプレート。真っ赤なスカートが腰を、白地を花の文様で囲った飾旗バナーが肩回りを華々しく彩る戦装束いくさしょうぞく

 その目窓めまどの向こうの暗がりをのぞきこんだ途端、四夏はぴんと糸が張ったようにそこから目を離せなくなります。


「あぁ」


 恍惚とした吐息とともに踏み出される足。

 誰より先に反応したのは凛でした。四夏へと近寄ろうとする騎士の喉元のどもとへ、式典用のさや入り剣を鋭く差し入れます。

 あふれ流れる金髪。


「ごめんなさい」


 脱ぎ落とされたヘルムが甲高い音を立てて転がります。

 いつの間にか剣の間合いの内側へ侵入され、ひたいへ手のひらをかざされた凛がはち合わせしたネコみたいに目を見開き。

 わずか一歩でそれを成した彼女はねじりとった剣を凛へ返すと、


「シナツ」


いつかと同じ声で発しました。


「パ、ティ」


 恐る恐る四夏が呼び返すと彼女はくすぐったそうに破顔。


「懐かしいわ。今はトリシャって呼ばれてるから。でもそうね、シナツになら構わない」


 ああやっぱり、昨日の教会前の人影は見間違いにちがいないと思います。いま前にする彼女は生命力にあふれ、その動きは揺らめく炎のように自在でした。


「……えっと」

「不思議だわ、会う前はたくさん話したいことがあったはずなのに」

「わっわたしも!」


 二人は胸のつかえすら新鮮だというようにくす、くすと笑いあいます。

 ひとしきりそうしたあとパティはそっと四夏の手をすくいとり。


「なら、まずは言葉以外のコミュニケーションが必要だと思わない?」


 至近距離での視線のからまりは、映像で見るよりずっと相手を大人びて感じさせるものでした。


「ぁ、パティ、それは……」

「シナツ、想像して? ワタシたちが二人でひとつの楽器になるのを。一枚の絵になるのを。それってとてもステキだと思わない?」

「パティ待って、ここじゃ、っ」


 ふうっと鼻先をかすめた匂いだけが古い記憶を掘り起こす懐かしさで。


「安心して、リードしてあげる。もうきっとシナツよりワタシが上手よ」


 胸甲がふれあうか否かというタイミングでようやく四夏は突き刺さるいくつかの視線に気付きます。


「あ……っタンマ……ストップ、お、おあずけ!」


 ぱっと両手を開いてノータッチの姿勢をとるパティ。できた隙間に杏樹と朔が割り込んで立ちふさがります。

 パティはテントの中を順繰りにながめたあと。


「そうね、せっかくの大舞台があるのにつまみ食いはもったいないわ」


 すずやかに、けれど自分に言い聞かせるように微笑みます。


「それに本命のお願いもあるしね」

「お願い?」

「ええ、シナツにしか頼めない大切なこと」


 変わった声のトーンに香耶乃が腕組み。


「長くなりそうなら一応コッチも通してくれるかな? こんなふわふわしてても大事なエースなんでね」

「いいえ、シナツなら簡単よ。次の試合、傭兵フリーランスとしてウチの助っ人にきてほしいの」


 ひととき固まる空気、そして。


「へ……」

「なぁっ」

「……!」


 一拍おいてなお予想外の言葉に全員が絶句します。

 パティだけがにこにこと上機嫌でした。


「うちのメンバーが一人練習でケガをしちゃって。補欠の子もまだ準備不足なの。でもシナツなら安心して任せられるわ」

「何を勝手な……っ」


 噛みつきかけた朔をとっさに制すると四夏はパティを見返します。


「試してもいないのに?」

「いいのっ試して!?」


 まばゆいばかりの期待の眼差まなざしを正面から受けても今度は気圧けおされることはありませんでした。わかっていたこと。自分はただ彼女に会いに海を越えたわけではありません。いつまでもペースにのまれてやらない、と意思をこめて見返すと。


「……ごめんなさい、あまり人から誘われることがないから。よだれがでちゃった」


 パティは恥ずかしげに口元をおさえて詰めた距離を元に戻します。


「でも、シナツにとってもいい話よ。初陣で死んじゃう騎士って多いから」


 ふたたび警戒の色を強めた周囲をチラリと見下ろして。


「ぇ、死……?」

「アタマがかーっとなって、ぽーんって飛びだしてザクッ、て。その点うちはお客さんに無茶はさせないし」


 よぎった嫌な想像が呼び水になって四夏はつい考えてしまいます。思いもよらない申し出ではあるものの。いやいや、戦うつもりできた彼女と同じチームになるのは。でもそれはきっとすごく。

 じっと注視する香耶乃と目が合うと彼女はフッと肩をすくめました。


「まぁ確かにリングに慣れとくってのはアリかもね。勝ち負け関係なく一回やれるってのはメリットだよ」


 戦略として考えはしたんだよ、と取り成すような言いえを無視したのは凛。

 それまで無言だった凛は近寄った四夏の腕をぎゅっと抱きしめるとパティを睨みます。


「あなたを信用できない」

「り、凛ちゃん」


 鎧ごしに感じる彼女の指が二の腕につよく喰い込み。凛らしからぬ切迫感に四夏はどうしていいかわからず。


「リンっていうのね、篭手ガントレットさん。でもリンが本当に信じられないのはシナツのことじゃない?」


 ひるんだように緩む指。

 パティの細まった目が陶然とうぜんと笑みの形をとりました。


「シナツは必ず勝ち進んでワタシと戦うわ。それが神様のおぼしだもの」


 ね、と四夏へ問いかける瞳。

 前半にだけはハッキリとうなずいて返すと、パティは満足げに背を向けます。


「じゃあ、お友達と相談してよければ来てね。こっちのキャンプじゃお父さんが串焼シャシュウィクを焼いてるし、お母さん直伝の水餃子ピエロギもご馳走するわ」


 ヘルムを拾い上げて出ていったその後姿が見えなくなったと同時、テント内はにわかに騒然。


「あ、あたしたちも天プラ揚げよう!?」

「いや、見た目のインパクトなら寿司スシでしょやっぱ。大人で本業が板前さんの人とかいないかな」

「変なところで対抗意識ださないでください。うちの先生がたは会場の屋台料理に夢中です」

「くっ、どうせすぐ日本メシが食べたいって言いだすクセに……!」

「……芸者ゲイシャ


 地獄の永久凍土のような声でつぶやいた凜に空気が静止します。それまでじっと虚空をにらんでいた彼女は四夏の腕を開放すると。


「冗談。……それよりも四夏。行くの、助っ人?」


 心もち真剣にみえる無表情で訊ねます。

 四夏はその眼差まなざしを受けきれずにうろうろと視線をさまよわせると。


「えっと、い、行っていいのかな?」

「うわー優柔不断」

「そういうとこですよセンパイ」


 周りのヤジにちくちくとやられながら凛の答えを待ちます。


「うん。でも行くならちゃんと、準備した方がいい」

「ちょっと、りんちっ?」


 ビスビスと外套マントを引っ張る杏樹を無言でおしのけて凛は。


「怪我とか、しないように。せっかくの再開、後悔を残さない方がいい」

「そう、だよね。うん。そうする。ありがと凜ちゃん」

「ん」


 真剣にうなずく彼女に心からお礼を言って四夏は剣を握ります。パティたちチームポーランドの試合は一時間後に迫っていました。


「んー、ま、四夏っちゃんだし滅多めったなこともないと思うけど。どうするリーダー?」

「どうするもなにも……」


 難しい顔をする朔は両手を腰にあてて。


「火がついちゃってるでしょうもう。いいですけど、ナメられないようにしてくださいね。センパイの所属はあくまで【三つ編み騎士団オーダーオブブレイズ】なんですから」

「わ、わかった! ひゃっ?」


 四夏は大きく請け合い。そのわき腹に手を差し入れたのは凛。


「……緩衝材パッディングを何枚か、増やしたほうがい、い。動きづらくなるけど、本戦前のダメージ防止が最優先」

「ま、そうだね。全力を見せる義理もないし」

「あーもぅ! お菓子! 食べる? タイムアウトに食べるぶんも持ってってはい!」


 いろいろひっぺがされ押し付けられでもみくちゃになる四夏。それを少し離れた場所からヨコさんが穏やかに眺めていました。


「な、なんですか?」

「ん、いいや、何でもないし言わないよ。まだ年寄り扱いされたくないからね」


 光のあふれる外では歓声が潮騒のように高まりつつあります。

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