第59話 8月のお日さま

[17歳・・・8月12日]


 大きな木の下に2人でレジャーシートを敷くと、コウキはウーンと両手を挙げて背伸びした。昨日の雨の名残など跡形もなく、青い空がどこまでも広がる・・・。雲はずっと向こうに積乱雲が見えるだけだった。

「ホントに、こんな近場でいいの?」

コウキは芝生の上に敷かれたレジャーシートに腰をおろした。そして、スニーカーを履いた足を前に伸ばした。「ふう。」と手にしていたタオルで汗を拭う。場所はいつも試合のあるサッカー競技場。乗ってきた自転車は金網の向こうに停めてきた。2台並べて。

「こうやって、芝生に座って、レノファの練習をコウキと一緒に見たかったんだよね。」

大きめの保冷バッグを「よいしょ。」とコウキと反対側に置くと、奈津はコウキの顔を見て微笑んだ。

「奈津らしいや。」

コウキは夏の陽射しの中にいる奈津を、眩しそうに見ながら言った。

コウキの細めた目と奈津の目が合う。ゆっくり目を合わせるのは今日会ってからは初めてな気がする・・・。奈津はふと夕べ抱きしめられた感覚とそしてキスを思い出す。慌てて目をそらすと、保冷バッグのチャックを開けようと腰をおろした。

コウキもパッと顔をグランドに向けると、そちらの方向に目をやった。グランドには、サッカーウェアを着た選手達が1人、2人と出てき始めたところだった。

「奈津が目をそらすと、変に意識しちゃうだろ・・・。」

コウキはそう言って、自分のひざに肘をつくとあごをのせた。奈津はそうっと顔を上げ、コウキの横顔を見る。そして、フフッと笑った。

「ごめん、ごめん。ホントだ意識してる・・・。コウキ、耳まで真っ赤。」

そう言いながら、チョコンと、コウキのとなりに座った。保冷バッグから取り出した冷えたペットボトルのジュースを渡しながら。

「もう・・・。」

コウキはジュースを受け取ると、ピアスをしていない耳をもっと赤くして向こうを向いた。


今日の終わりを考えないで・・・今だけを刻むように2人は過ごす・・・。


「普通女の子って、遊園地とかプールとか海とか映画とか、そういうとこに連れて行って欲しいのかな・・・と。」

顔をあっちに向けたままコウキが言う。

「え、何?その、経験者っぽい言い方!もしかして、私以外とデートしたことあるとか?」

奈津がいじわるっぽく言うと、コウキは素早くこっちを向いて、

「あ、デビュー前に少しの間付き合ってた子と遊園地に1回だけ!」

と顔の前で手を合わせて謝るような仕草で慌てて答えた。

「ふーん・・・。まあ、謝らなくったっていいけどね。」

奈津は一瞬ジトッとした目でコウキを見たが、すぐ、柔らかな表情に戻るとそのままグランドに目をやった。

「お日さまの下で、ハイキングみたいなデートがしたくて・・・。お弁当も作ってきたよ!」少し長くなったショートカットが頬にかかっている。・・・出会った頃よりもちょっとだけ大人っぽい。

「奈津・・・。」

コウキは名前を呼ぶ。奈津が「ん?」とこちらを向くと、コウキは静かに口を開いた。

「奈津は・・・ぼくのスキャンダル・・・気にしてたでしょ・・・?」

ずっと奈津に対して使えなかった「スキャンダル」・・・というワードを、今初めて使う。

怖かったワード。ぼくを飲み込んでしまうワード・・・。

奈津は「スキャンダル」という言葉を聞き、ウーンと考えながら上を向いた。あんなに頭から離れなかったヒロのキスの写真・・・。しばらく大きな木の葉っぱの間から空を仰ぐ。青い8月の空を。

「そう言えば、コウキも・・・わたしに悠介のこと訊かないでしょ・・・。見ちゃダメなシーン見たのに・・・。気にならない?」

逆に奈津が質問する。

「それは・・・。」

コウキは一呼吸おく。

「気にならない。奈津が好きなのはぼくだから。」

コウキは答えた。可笑しいくらい自信たっぷりに・・・。しかも少しドヤ顔・・・。奈津は目をまん丸くして驚く。だけど・・・、そんなコウキが嫌ではなかった。むしろ嬉しい・・・そんな風に感じる。

「でも、最初はめっちゃ気になってた・・・。中山かっこいいし。サッカーうまいし。・・・奈津と・・・すごく仲いいし。」

コウキはその頃を思い出してるのか、遠くを見るような目をしていた。

「わたしも同じ。スキャンダル・・・すっごい気になってたけど、今は、気にならない。コウキがわたしをめっちゃ好きだから。」

奈津はコウキの真似をして、いや、より上乗せして、自信たっぷりに言ってみた。コウキがそんな奈津をやっぱり目を丸くして見る。

「・・・書かれてたり、言われてたりしたことは真実じゃないんだろうなって・・・。だって、コウキ・・・まるで、書かれてたようなスキャンダルが似合わないんだもん・・・。だったら、ヒロのスキャンダルだってないでしょ?」

奈津がいとも簡単に言ってのけた。

それから、

「・・・でも、どうやったら、これがあんなにセクシーな目になるのかな・・・?熱愛、誤解されてもしょうがないような色っぽい写真や動画がいっぱいでしょ。」

そう言って、奈津はコウキの顔を覗き込んだ。ったく・・・。ぼくは、深刻な話をしてるっていうのに。

そんなぼくの思いなど、てんで無視して、奈津はニタッと笑う。

「ちょっと、やってみて!あの目!」

「な・・・。」

コウキはまさかの奈津の無茶ぶりにタジタジっとなる。「スキャンダルは・・・?」コウキの頭の中にクエスチョンが何個も浮かぶ。それのなのに、いつの間にか、そんなクエスチョンも忘れて、奈津の挑発にのせられる。

「こう?」

ちょっとあごを上げて目をすこし閉じ気味にする。

「え・・・違う・・・。」

奈津が残念そうに首を振る。

「嘘。自信あったのに!じゃあ、こう!」

少し下を向いて上目遣い。

「うーん。なんか違う・・・。」

奈津は首をかしげる。ムキになったコウキは撮影ばりにいろいろな表情を作ってみせる。それなのに、奈津からは一向にOKが出ない・・・。そして、挙げ句の果ての一言が、

「コウキって、ほんと~にヒロなの?」

だった・・。

コウキはうなだれる。

「くっそ~!いつもは、いい表情だね!ってめっちゃ褒められるのに~!」

苦々しい顔で奈津を見る。フフンという顔で奈津がコウキを見る。

しばらく睨み合った末、2人はとうとう笑い始めた・・・・。

木漏れ日がキラキラと2人を包む。奈津がいる空間はいつだってコウキに魔法をかける。あんなに苦しかったスキャンダルで叩かれてた日々が、すーっと溶けて消えていくような感覚・・・。叩かれていた事実もそんなに大した事ではなかったのかも・・・そんな風にさえ思える・・・。

でも・・・。

「逃げたんだ・・・。スキャンダルが持ち上がって、ぼくは、何もかもが怖くなって、仲間にも言わずに、ここに逃げて来たんだ・・・。」

ぼくがこっちの高校に来た理由なんて、奈津はとっくにお見通しだろうな・・・そう思いながらも、ゆっくり自分の言葉で伝える。

彼女のクルクルとした大きな目が、真っ直ぐぼくを見る・・・。そして、ずっと言いたかった言葉を彼女に告げる・・・。

「奈津、ありがとう。」

どこまでも深い色の奈津の目が、更に深くなった気がした・・・。

「消えてしまいそうだったぼくを見つけて・・・。そして、見つめてくれて・・・。」

聞きながら奈津が目を伏せる。

「奈津がいたから、ぼくは、息ができるようになったんだ・・・。」

一言一言を懸命に発して・・・静かに伝え終わる。

それからコウキは空を見る。

奈津がしたいデート。お日さまの下でのデート。アイドルに戻っていくぼくは・・・きっと、もう二度と叶えてあげることなんかできない・・・。「離したくない。」はぼくのわがままだ・・・。コウキはその気持ちをそっと閉じ込める。

その時、

「違う。」

突然の奈津の声。強めの否定。いつの間にか、奈津はレジャーシートの上で正座して、こっちに体を向けていた。

「コウキは逃げてきたんじゃない!」

いつもの必死な目をして奈津が言う。コウキの左手の肘を強く掴む。

「逃げてきたんじゃなくて、ここに・・・わたしを見つけに来てくれた・・・。強いフリして、笑顔作って、泣くこともできなくて。ほんとはいっぱいいっぱいのくせに・・・。そんな可愛げのないわたしに、『泣いてもいいよ!』って言いに来てくれた・・・。スーパーマンみたいに・・・。」

コウキは奈津の顔をしげしげと見つめた。不思議な感覚がコウキを襲う。

「スーパーマン?」

うん。奈津がうなずく。スーパーマンなんて一度も思ったことがない。それどころか、ぼくは・・・たった1回のゴシップ記事で吹き飛ばれてしまうような、そんな非力な頼りない存在なのに・・・。

「ぼくは、奈津に・・・何もしてないよ・・・。」

ううん。奈津は首を振る。

「コウキは一緒にいてくれた。コウキの傍にいるときだけ・・・自分でいられた・・・。本当のわたしは、すっごく泣き虫で、いっぱいいっぱい泣きたかったんだって、やっとわかった・・・。」

いつの間にか、コウキの肘を掴む奈津の手が両手になっていた。

・・・頭が混乱する。

ぼくとの出会いのせいで、太陽のような奈津が雨雲で覆われてしまったと思っていた・・・。いや、実際今もそう思っている。奈津の幸せを願いながら、奈津への気持ちを止めることもできない自分・・・。今だって、傷つけてしまうと分かっていながら一緒にいる・・・。

ぼくじゃなくて、中山だったら・・・奈津はずっと笑顔でいられたんじゃないか・・・そんな思いがよぎったこともある。

「ぼくは・・・奈津を泣かせてばっかりなのに・・・。」

ボソッと口にする。

ううん、奈津が大きめに首を振った。

「コウキの傍でだけ・・・安心して泣けた・・・。」

いつの間に増えたのか、グランドからは選手達のかけ声が響いていた。

「昨日のあぜ道みたい・・・。わたしたち、出会ってからずっと、どっちも転びながら歩いてたね・・・。手を繋いでたから・・・それでもすっごい幸せだった・・・。」



[27歳・・・5月]


 ドンヒョンが事務所内にあるカフェの窓際の席に腰掛けていた。焦げ茶色を基調にした店内はシックな雰囲気で、ドンヒョンのお気に入りの場所だった。向かい合わせでシャインが座っている。シャインは何冊か音楽雑誌を脇に置き、その1冊を今熱心に読んでいた。今はもう、1人のアーティストとしてだけではなく、曲や映像を作るプロデューサーとしても活躍するシャインは音楽の勉強にも余念がない。そして、それは、シャインだけではなかった。他のメンバーたちも同様に、自分の好きなことをベースに、それぞれが活動の幅を広げていた。ドンヒョン自身もしかりで、先日も作った楽曲を、他の事務所の若手アーティストに提供したばかりだった。

濃いめのエスプレッソを一口飲むとドンヒョンが窓の外を見て言った。

「来年、年明けなんてすぐだな・・・。」

年が明けて2月、ジニが兵役に行く。公式の発表は、まだだいぶ先だが、そのタイミングでBEST FRIENDSはグループとしても活動休止に入る。それは、事務所とメンバーが何度も話し合いを重ね、決めたことだった。休止の期間ができるだけタイトになるように、それぞれのメンバーたちの入隊の時期も大まかに決まりつつある。ただ、日本国籍のヒロだけは例外だった。ヒロはメンバーたちが入隊後、1人残ることになっている。

「ずっと、駆け抜けてきたな・・・。これからBEST FRIENDSがどんな形になっていくかは、まだまだ未知数だ。」

雑誌に目を通しているシャインにドンヒョンは続ける。

「ヒロも熱愛を公表したしな。」

シャインは初めて顔をあげた。

「ああ。」

このカフェで、先月、ヒロがメンバーに彼女を紹介した時のことをシャインは思い出す。彼女をエスコートしながらヒロが入ってきた。

「いい子だったな・・・。それに綺麗な子だった。ずっとジュンがズルいズルい言ってたもんな。」

シャインはハハハッと笑いながら、ホットのカフェオレをすすった。ドンヒョンも思い出して笑う。

「でも、結局、1番風当たりの強い皮切りをヒロに担わせてしまった形だけど・・・。」

ドンヒョンがエスプレッソのカップをそっと置いた。

そうだな・・・。その言葉にシャインも静かにうなずいた・・・。

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