第37話 8月の星

空港当日・・・


 奈津にとっては、初めての光景だった。空港は、おしゃれをした若い女の子たちでいっぱいだった。大好きな人を待つ女の子たちはみんなキラキラして可愛かった。胸の前でずっと手を握っている子もいる。ソワソワとして落ち着かない子もいる。みんながみんな、今か今かと待っている・・・。BEST FRIENDSたちが姿を現すのを。横では、まなみと加賀先輩が、もう、とうの昔に奈津の存在など忘れて、大好きな人を待つ恋する女の子に変わっていた。初め、2人から離れないように、頑張って張り付いていた奈津だったが、場の空気に押され、気づいたらひとり、どんどん列の後ろの方に追いやられてしまっていた。

「何にも見えない!前に行かなきゃ!」

そう思った時だった。列の向こうの方から

「きゃー!!!」

という黄色い声が飛び交い始めた。

「出てきた!!」

近くの女の子たちも急に色めきだち、一目見ようと身を乗り出し始める。メンバーの名前を呼ぶ声があちこちから聞こえてくる。

「来た!ヒロ!」

少し向こうから女の子の声が聞こえた。奈津はその姿が見えるところまで人混みをかき分ける。周りからは露骨に嫌な顔をされる。それでも、そんなこと気にしてなんかいられない。やっと女の子二人の頭の間にBEST FRIENDSたちの姿をとらえることができるスペースを見つけた。奈津はそこからのぞいた。

「あ・・・」

少し向こうから、白いTシャツにデニムのハーフパンツをはいた、明るいシルバーの髪色の少年が歩いて来るのが見えた・・・。あんなに見分けがつかなかったメンバーたちなのに、奈津には、なぜか彼が「ヒロ」だと分かった・・・。奈津の中で、次第に周りの風景はぼやけていき、「ヒロ」の姿だけが浮き上がる・・・。そして、彼の歩みだけがスローモーションに変わっていった・・・。


前日・・・ 


 「ソウルでBEST FRIENDSのファンミありましたね。」

スーツを着た20代後半の眼鏡をかけた男が、ロングヘアをかき上げながら足早に歩く女性の斜め後ろをついて歩きながら話しかけた。

「そうみたいね。彼、何て釈明したの?なんかまた周りが騒がしいなあとは思ったのよ。忙しくって見てなくて。」

女性は腕時計をチラッと見て、時間を気にしながら答えた。男は、スマホで素早く検索すると目当ての記事を女性に伝えた。

「あ、全文出てますよ。長々と釈明してないですね。短いです。読みますね。

『この度は、ぼくの軽率な行動によって、ファンの皆さんにご心配をおかけしたこと、そして、そのまま、長らく韓国を離れていたこと、誠に申し訳ありませんでした。ここで、改めて、チョン・ヨンアさんとはお付き合いした事実も、キスをした事実もないことをお伝えします。今後は、今まで以上に努力し、皆さんにもっともっと素敵なパフォーマンスをお見せすることを誓います。待っていてくださったファンの皆さん、本当に感謝しています。』

ですね。ごちゃごちゃ言ってないみたいです。」

「ふーん。あっさりしてるわね~。ファンの反応は?」

撮影現場につくと、用意してあった椅子に座り、すらりと伸びた足を組んだ。男はさらにその記事の先を読み続ける。

「久しぶりのステージなのに、彼のパフォーマンスは圧巻だったみたいですよ。彼の謝罪は・・・と、賛否両論ですね~。言い訳を並べず男らしいとか、パフォーマンスで証明していくっていうのがヒロらしいっていう意見が多いですが、中には、キスしたのはやっぱり本当だから、深く突っ込んで釈明できないんじゃないか・・・ってのもありますね。」

女性は渡された鏡でアイメイクをチェックしながら答える。

「ほんとよね~。何もないんだから、もっと潔癖さをアピールしてもいいのにね。わたしだったら、潔癖ですよ!っていうのをさりげな~くもっと盛り込むけどな。『ぼくは絶対ファンを裏切ったりしません。』とか『ファンの皆さん、ぼくを信頼してください』とか。その方がファン受けもいいんじゃない?そこまでは言わないのね。あの子。」

それから、鏡を男に渡すと、しばらく手にあごをのせて考える仕草をした。それから、ニヤッと笑った。

「ふ~ん。あの子3ヶ月自由だったんでしょ。そこまで言わないんじゃなくて、言えない・・・とか?確かにあの時何もなかったけどね。わたしとは!」

そして、いつものようにいたずらっぽく舌を出した。

「憶測!!まあ、映画の前評判もおかげでいいし!わたしのことも世間に知ってもらえたし!もう、いいんだけどね~!・・・でも、・・・あの子がほんとにキスしちゃうような子いたら、なんか悔しいなあ!」

女性は頬を膨らませて、拗ねたような表情を浮かべた。男はその顔を見て笑うと言った。

「あの写真を撮った時、彼、本当に怖い顔して怒ってましたもんね。」

「ほんと!あんなに怖い顔しなくったっていいのに!わたしだって、ヒロのファンなんだから!」

女性は頬をさらに膨らませ、大げさに拗ねてみせた。ちょうどその時、スタッフの声がした。

「ヨンアさん、テイク23撮りま~す!お願いしま~す!」

「は~い!」

女性は、顔をいつもの美しい表情に整え直すと、ウェーブのかかった髪をサラッと一度かきあげ、スポットライトの当たっている場所へと笑顔で歩いていった。


 アスファルトの照り返しが容赦なく注ぐ。夏はさらに夏らしさを主張し、すべてのものを焦がしてしまうような勢いで太陽が照りつけていた。自転車を漕いでいると、それだけで背中を滝のような汗が流れた

「今日もナイッシューだったね!4本も決めて!調子がうなぎ登りじゃん!」

部活が終わり、学校から初めは大人数でワイワイ帰っていた奈津は、最後、みんなと別れて、悠介と二人きりになってから、なんとなく気まずさを感じて、それを払拭するかのように、以前と変わりない調子で話しかけた。

「サンキュー!迷いがなくなったからな!」

奈津とは裏腹に悠介がカラっとした声で答える。そして、自転車をこぎながら横を走る奈津を見ると、

「奈津に!」

と付け加えた。悠介の予想外の言葉に奈津は面食らって、一瞬自転車ごとよろけたが、片足をつき、なんとか持ちこたえた。そして、

「な?」

と目をまん丸にして悠介を見ると、変な声を出した。

「お前危ないって。」

一旦、悠介も自転車を止めたが、奈津がぎこちなく自転車をこぎ始めるのを見ると、悠介もそれに合わせてこぎ出し、話を続けた。

「この前、重たいって言ったけど、あれ、嘘。・・・お前、痩せただろ・・・。」

悠介は奈津を振り返った。

「あいつ学校来てないんだって?加賀から聞いた・・・。」

奈津が首に巻いたタオルで額の汗を拭く・・・。悠介は続ける。

「奈津が好きでも、オレはあいつのことは認めない。・・・っていうか、お前、よく考えろ。ほんとにあいつのこと好きなんか?今までにいないタイプだから好きって錯覚してないか?」

いつもふざけたことしか言わない悠介が、いつになく強い口調になる。

『錯覚・・・』

奈津はその言葉をリピートした・・・。「錯覚」・・・してる?コウキに会いたいという想いも、会えなくてこんなに苦しいのも、コウキのことを「好き」という気持ちさえも・・・「錯覚」?・・・何が何だかもう分からない・・・。だって・・・、「コウキ」という存在自体・・・わたしが見た「錯覚」・・・なのかもしれない・・・。

「ごめん。傷つけるつもりで言ったんじゃないからな。なんか、奈津が元気ないのが嫌だから・・・。」

黙りこくって何も言わなくなった奈津を見て、悠介は言い過ぎたことを反省する。でも、奈津とあいつが上手くいってないことくらいは、鈍いオレにだって分かる・・・。

「そうだ!明日、部活休みじゃんか、映画でも行こっか?ディズニーの実写版の何て言ったっけ?奈津が好きな・・・」

悠介がそこまで言った時、

「明日・・・まなみたちと出かける・・・。」

と奈津がボソッと言った。

「・・・そっか。まなみとね。」

悠介は誘いを断られた落胆をできるだけ見せないように、平気な感じを装って答えた。道は、そろそろ2人の分かれ道にさしかかっていた。手を振って別れる寸前、悠介は意を決して奈津に声をかけた。

「奈津!お前とあいつがどうだろうと、オレには関係ないからな。オレはオレで奈津に迷いははない。それを言いたかっただけだから。」

悠介の視線はまっすぐだった。太陽の光が相変わらずギラギラと容赦なく2人の間に降り注ぐ・・・。奈津には眩しすぎる悠介の目だった。

「悠介、コウキがわたしの前からいなくなったのは本当・・・。突然消えちゃった・・・。でも、わたし、『奈津、ごめん!ごめん!』ってコウキが帰ってくるの、心のどこかで信じてる・・・。明日は、わたしの中の一つの仮説を崩すために行って来る!実際見たら、絶対違うって分かるから。」

奈津は意味の分かるような分からないようなことを言った。意味が分からないまま悠介は聞き返す。

「お前の話は時々難しいんよ!リケジョめ!どんな仮説かしらんけど、崩せず、成り立ってたらどうするん?」

難しい話をただそのまま返しただけだった。深い意味なんてなかった。でも、奈津は次の言葉がなかなか出てこなかった。

「その時は・・・『錯覚』だったって、すべてをリセットしなきゃ・・・。『夢』と現実は交っちゃいけない・・・。でも、大丈夫!きっと違う!」

奈津は太陽が占領している空を一瞬仰ぎ、左腕に力を込めると「ヨッシャー!」とつぶやき、目をギュッとつぶると、謎の気合いを入れた。そして、バイバイと手を振るとそのまま分かれ道を曲がって行った・・・。奈津を見送りながら悠介はキョトンとするだけだった。

「は?仮説?何の?そんで何が違うって?訳分かんねー。」

悠介は首をかしげた。

「それに、ったく、あいつはオレの決死の告白をいっつもいとも簡単に!」

とブツクサつぶやいてから、

「そういや、明日って、まなみと一緒だろ?仮説も何もなさそうじゃん!」

ともう一度、首をかしげた。そして、何かを思い出すと、もっと不思議な顔をした。

「加賀の姉ちゃんも行くやつか!加賀の踊ったグループのファンミだっけ?そういやまなみ行く行く騒いでたわ。へ?でも、奈津も、それ行くんか?なんで?まったく興味ないやつじゃん!・・・え・・・でも、なんか仮説と関係あるとか?」

奈津の背中を見送りながら、悠介の頭の周りをクエスチョンが次々に乱舞し始めていた。


 「明日は、いよいよ日本だな。」

ソファでくつろいだ格好のドンヒョンが言った。

「いろいろあったからな~。久しぶり~。」

ジュンがヒロを見てわざと意地悪っぽく言った。

「うっさい!」

ヒロはジュンの頭を軽く小突いた。

「でも、ソウルのファンミすごく良かったな。ファンのみんなちゃんと待っててくれて。ヒロのコメントもあったかく聞いてくれて。」

ジニがしみじみ言った。

「ほんと。ファンには感謝しかないよ。まあ、ヒロだけじゃなくて、オレたちみんな、ファンを悲しませないように、がっかりさせないように、自分の行動には責任持とうな。」

リーダーのドンヒョンがひとりひとりの顔を見ながら話した。ドンヒョンの話が終わると、

「よ~し、明日は早いぞ。部屋戻ろうぜ!」

シャープが手を叩きながらかけ声をかけた。みんなは、

「ウィーッス!」

と返事をすると立ちあがり、各々の部屋へと向かい始めた。でも、ヒロだけは立ちあがらず、まだ椅子に座ったままだった。ジュンは一度リビングを出ようとしていたが、ヒロがまだ、座っているのを見つけると、Uターンをして戻ってきた。

「ヒロ!帰ってきてからいろいろ順調なのに、なんか時々暗いぞ!」

と声をかけた。

「やっぱ、気にしてんの?スキャンダル起こしたこと?」

ジュンはヒロの頭にポンッと手を置いた。

「いや、それは、もう大丈夫。」

ヒロはクシャッとした笑顔を返した。

「ファンミの後の休み、一緒に日本旅行でもって思ったけど、ヒロは、日本でお世話になった友達に会いに行くんだろ?そうだ!素朴な疑問!その友達って、お前がアイドルって知ってんの?」

ジュンの質問にヒロは静かに首を振ると、

「知らない・・・。自分でも『ヒロ』であること忘れていたくて・・・。ただの高校生として過ごしたくて・・・。」

と静かに答えた。

「心折れたたまま行ったもんな。・・・それにしても、よく修復したな。」

ヒロは窓に目をやると、

「うん。そのお礼を言ってくる・・・。」

と窓の外に意識を向けたまま言った。

「なあ、聞いて言い?それ、好きな子だろ?」

ジュンは唐突に言った。ヒロはびっくりしてジュンの顔を見たが、否定はしなかった。

「ヒロのことは分かるって。ふーん。そうなんだなあ。」

うなづきながら、ジュンはヒロと一緒に窓の外を見た。

「会って、お礼言うだけ?」

ジュンはさらに突っ込んで聞いてきた。ヒロはしばらく黙って考えていたが、やっと口を開いて言ったのは、

「他に何ができる?こんな立場のこのぼくで・・・。」

だった・・・。そして、ヒロは握った拳を唇に押し当てた。

「そうだな・・・。」

ジュンもそれ以外の相づちは見つからなかった・・・。


 ジュンはヒロの背中をポンポンと叩くと、自分の部屋に戻っていった。誰もいなくなったリビングの窓からヒロは夜空を見上げた。ソウルの夜空は24時を過ぎても明るい。ヒロが3ヶ月過ごしたあの場所は、24時どころか20時でももう明かりはまばらで暗かった。でも、その代わりに満面の星が空を覆った。ここでは、あのたくさんの星たちはどこにいるんだろう・・・。急にソワソワとした頼りない気持ちになる・・・。ヒロは星を探した。あるんだろうか・・・。この明るい都会の光にも負けず届く星の光が・・・。

「あった!」

思わずヒロは叫ぶ。一つの星が、ネオンの光にも負けず、凜として力強く輝いていた。

「ここにいるから!!」そう告げているかのように・・・。

ヒロはその星に向かって静かに言った。

「このままもう会わないで、何も告げずフェードアウトした方がいい・・・。そうやって何度も自分に言い聞かせてもみたんだ・・・。」

そして、少し間を置いて、今度は星ではなく、誰かに話すようにそっと告げた。

「でも、ごめん。・・・やっぱりすごく会いたい。」


ヒロは、部屋に戻ると、机の上に置いておいた黒縁の眼鏡をそっとカバンに入れた・・・。

「ヒロ」ではなく、もう一人の自分で、ちゃんと大切な人に会うために・・・。


再び空港当日・・・


「きゃー!!!」

飛行機を降りると、ファンたちが出迎えてくれていた。こんなにも待っていてくれたなんて。BEST FRIENDSのメンバーたちは本当に感慨深かった。メンバーたちは、可能な限り手を振り、頭を下げ、声援に応えながら歩いた。個人名を呼んでくれるファンには顔を向けるように心がけた。「ヒロ!」と呼ぶ声も聞こえる。あんなことがあったというのに、ぼくの名前を呼んでくれファンもいる。ヒロは丁寧に手を振って頭を下げた。少し歩いたところで、ひときわ大きな声で、「ヨンミン!こっち!」「ヒロ、サランへ!!」と連呼している一角もあった。ヒロはヨンミンをつついて一緒にそちらを向いた。

「げ!まなみちゃん!!」

向いてみて、それがまなみだと分かると、ヒロはめちゃめちゃ慌てた!・・・が、もちろんそれは態度には出さず、スマートにやり過ごした。それに、どうやらまなみは横にいるヨンミンに釘付けで、ヒロの何かに気づいた様子はなかった。自分も髪色はシルバーだし、メイクもしているので、そうそう分かるとは思えなかった。でも、まなみの横にいる女性が「ヒロ~!」と叫びながら、しきりに自分の写真を撮っているのは気がかりだった。ヒロは心持ち早めにその場を通り過ぎた。まなみたちから少し離れ、心の中で「ハアー」と安堵のため息をついたとき、斜め後ろの方から声が聞こえた。

「コウキ!」

思わず、反射的に振り返る。今、「コウキ」って聞こえた気がする・・・。視線を向けた先の二人の女の子たちの間から日焼けして小麦色の腕がのぞいた。その瞬間、そこだけがスローモーションに変わる・・・。その腕が二人を押しのけると、そこからショートカットで目のクリッとした少女が顔を出した。ヒロは、その少女と目が合った・・・。


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