1分以内に読める超短編集

古びた町の本屋さん

いつだって君の言葉をつぶやいて



深夜。

青々と光る空の向こう側で、太陽が「もう少し、もう少し」とでも言わんばかりに顔を出そうとしていた。

「ああ、なんで、こんな」

と意味もなしに漏れる言葉は、どうでもいいくらいに冷たくて思わず手を離してしまった。


「名前ってさ、なんのためにあると思うの?」

なんて、突然言われたって分かりもしないのに、なんだか少しだけ暖かいような、それでいて生ぬるいような気持ち悪い感覚があったから。

「なんのためにあるのさ」

私はそう聞いて、すぐ後にそれを後悔してもみた。

「名前はさ、生きている証しだよね。名前がもしなかったら生きてないのと同じさ」

柔らかい口調の割に、なんだか少し諦め……、っていうか、寂しさのぬるま湯みたいな。

「私、あなたの名前知らないけど」

「……そう」

と彼は静かに言ってから「だから俺はさ、君にとってはいないようなものなの」と足すのだった。


「それってつまり、私と君は出会ってないみたいな?はじめから?」

彼の家を出た私は、深夜の薄暗い交差点の真ん中で、なんとなしに、誰に話しかけるでもなくそう呟いてみたりして。

 それだっていいか。どうせ、今日初めて会った人。それでいて、今後一切会わない人、それだけだっていうんだから。

 深夜は冷たい……。かじかんだ手よりもっと、私の口から吐き出される言葉の方が冷たい。だけど一瞬、ほんの一瞬のくせに私の唇に残った彼の感触が少し暖かい。

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