第69話 入院

 朝、目が覚めると病院のベッドの上だった。

 

 交通事故に遭い、頭から血を流していたので検査入院となってしまったのだ。

 現実世界の基準で考えれば、当然の流れだろう。治療をして貰って、体を調べてもらい、異常が無いかを確認してもらって安心を得る。

 しかし、敬太にとっては苦痛でしか無かった。

 ポーションを飲めば頭の傷なんて塞がってしまうのに、頭の傷の周辺の毛を剃られ、傷を縫われた。

 頭の傷はパクッと割れた2~3cmの裂傷だった様で、3針縫ったらしく、側頭部には500円玉サイズのハゲが出来てしまった。

 その後には、頭を打ったのだからと言いCT検査に回され、手首が腫れていたのでレントゲンも撮られた。結果、骨には異常は見られず捻挫と診断された。

 これで帰れるのかと思ったら「後から出る症状もある」とか言われ、様子を見る為に1日泊る羽目になってしまったのだ。


 事故で怪我している事に気が付いた時には、こうやって面倒な事になるのは分かっていたので避けたかったのだが、避けられなかったのだ。あの女のせいで。

 後ろからスポーツカーに乗って追突してきたショートカットでタレントの女だ。




 事故現場にパトカーやらが到着して事故処理が始まると、怪我人だった敬太はすぐに救急車に連れ込まれた。

 救急隊員に痛い所は無いかとか、あれこれ質問され、頭の傷を見せると治療する為に病院に搬送すると言ってきたので「大丈夫」「治療しなくていい」と言い、治療拒否の態度を見せたのだが、そこにあの女が割り込んできて「大事にならない様に治療して下さい」と言い出したのだ。

 それでも敬太は態度を崩さず拒否し続け、最後には「お金が無いから治療費が払えない」と嘘までついて逃れようとしたのだが、グイグイ来る女は「それなら私が出します」と言い放ち、敬太の反撃を退けたのだ。

 結局、それ以上の言い訳が思い浮かばず、言われるがままに病院に連れて来られたって訳だ。


 ハゲは作られるし、無駄な時間を取られるし、ゴルは隠さなきゃいけないし、散々な結果になってしまった。



 ゴルはまだバッグの中で寝ているので、やる事も無くベッドの上でぼんやり考え事をしていると、敬太の個室にノックの音が聞こえ朝食が運ばれてきた。

 昨日の晩にも食べたのだが、病院食はマズいと言うイメージが覆される程美味しくて驚いたもんだ。この品質なら普通に店を出しても客が来るだろう。

 ゴルを起こし、一緒に美味しいご飯を食べながら、そう言えばモーブ達にご飯を用意してなかったな~と思い出し、今頃は味気ない保存食を食べているんだろうなと、罪悪感を感じながら朝食を終えた。


 それから、医師による診察が行われたが、何も異常がなかった様で午後には退院していいと許しをもらい、ようやく解放してもらえる事となった。



 特に何も無い病室、必要な物は「亜空間庫」にしまってあるので不自由はない。あるのは2代目ハードシェルバッグと中に入って静かに寝ているゴルだけ。

 血の染みが出来てしまったシャツも、予備のシャツを取り出せばいいし、パンツもズボンも着替えは一通り、数セット分は予備としていつも持っているので問題ない。

 普通ならば「服を買いに行く服が無い」状態となっていてもおかしくない、交通事故からの入院なので、親族や友達、頼れる人に着替えや必要な物を持って来てもらう所なのだろうが、敬太には必要ないので兄にも入院は伝えてなかった。


 ただ、入院する際に「パジャマに着替えて下さい」と看護師さんに言われたのだが、パジャマを着る習慣が無かった敬太は、看護師さんが勧めてくれたレンタルの病衣を借りる事にした。

 今まで一度も入院した事が無く、始めての入院だったので、甚平の様な病衣を着て入院気分を満喫しようと変なテンションになっていたのは許して欲しい。


 そんな訳で、退院するのにやらけばならない事は、着替えと支払いぐらいだった。


 とりあえず、開け放たれているカーテンを閉め、着替えから始めた。

 男なのでたいした時間は掛からない。病衣を脱いで、畳んでベッドの上に置いて、2日目のパンツを脱ぎ「亜空間庫」から洗ってあるパンツを・・・。


コンコン


 間の悪い事に、40近いおっさんがスッポンポンの状態の時に部屋がノックされてしまった。病室が個室だったのですっかり油断していた敬太は、焦ってパンツを履こうとしたが、捻挫している手首に巻かれたテーピングが邪魔し、いつもの様に出来なくて、かなりもたついてしまい、その間に部屋の引き戸のドアがゆっくり開く音が聞こえて来た。


 これはまずいと、隠れようとしながら「待って」と声を掛けようとしたが、足先に引っかかっているパンツに足を取られ、転んでしまいそうになり、焦って床に手を着けたが、捻挫した方の手を出してしまい、手首に激痛が走り、受け身がとれず、そのままでんぐり返ししてしまった。


「ちょ待っああガアアア・・・。」


 きっと敬太の無様な声と、裸ででんぐり返ししたペチンという音が外まで聞こえたのだろう。それで室内で何かあったのかと来訪者は引き戸を開け放った様だ。


「大丈夫です・・・キャッ!」


 結果、生まれたままの姿で床に仰向けに寝転がるオッサンが現れた。


「す、すいません!」

「・・・。」


 敬太はすぐに身を丸め、股間を隠したが、時すでに遅し。

 敬太と来訪者の2人には沈黙したまま、時間が止まったように動けずに見つめ合っていた。

 一度大きく開け放たれた引き戸は、音も無くゆっくりと閉まって行くのだった。


 来訪者は首にコルセットをはめた、スポーツカーの女だった。名前は難しかったので覚えてない。

 大きなサングラスをかけ、敬太の一部を見ていた気がする。


 どこから見られたのだろう。でんぐり返しした後からだろうか?

 裸で見せつける様にドアの前で待ち構えるオッサン。


 それともでんぐり返しする前からだろうか?

 アクロバティックに見せつけてくるオッサン。


 あれ?ダメだ。どっちにしろダメージがでかい・・・。

 こんなラッキースケベはいらないんだよ!

 敬太は涙を拭きながら着替えを済ませた。


「ふぅ~。」


 一息吐いて、少し気を落ち着かせてから病室のドアを開き、先程尋ねて来たスポーツカーの女を探すと、少し離れた廊下にポツンと佇んでいるのが見えた。

 どうやら「変態!」っと言って警察に駆け込むような事は無く、話ぐらいは聞いてくれる姿勢らしい。先程の丸出し事件は事故だと言い張らないと、警察のお世話になってしまいそうだ。


「先程はすいませんでした・・・。」

「いえ、こちらこそ確認もしないですいません・・・。」


 少し気まずい雰囲気になってしまった。


 立ち話も何なので、自動販売機がある談話スペースに誘おうと思ったのだが、スポーツカーの女に先手を打たれた。


「あ、あの部屋に入ってもいいですか?」

「え、あ、談話スペースがあっちにあるんですが・・・。」

「出来れば目立ちたくないので・・・。」


 病室は個室なので、若い子と2人きりと言うのはまずいと思っていたのだが、病院の中でサングラスをかけるような芸能人の考えは違った様だった。

 特にやましい事は考えてないし、相手がいいならこっちも構わない。


「どうぞ座って下さい。」

「・・・。」


 病室に入り、敬太はベッドの上に腰掛け、女には病室にあった丸椅子を勧めた。

 だが、女は椅子に目もくれず、サングラスを外すと頭を下げてきた。


「あ、あの本当にすいませんでした。」

「あぁ、大丈夫だから、頭を上げて。ほら、椅子に座って、ね。」


 敬太は慌てて止めさせた。謝罪は事故現場でも聞いているし、もう腹を立ててない。これ以上は不要なのだ。それに、さっきの丸見せもあるし、今、謝りたいのは敬太の方だった。

 女は敬太が止めると、コルセットをした首を押さえながら頭を上げて、勧めた丸椅子に腰を掛けた。


 しかし今時、若いのに珍しい子だ。

 最近は加害者が被害者に謝罪なんてしないと思っていた。間に保険会社を入れて全て丸投げして、慰謝料が謝罪代わりになったと思っていたのだ。

 芸能人と言うイメージを大切にする職業のせいもあるかもしれないが、こうやって誠意を見せられると悪い気はしなかった。


「こ、これ良かったらどうぞ。」

「ありがとう。」


 女は高級ブランドのバッグに手を突っ込むと、缶コーヒーを2本ベッドテーブルの上に置いた。案外気が利く様だ。


「そ、それから、これも良かったら使って下さい。」

「え、はぁどうも・・・。」


 今度は先程まで女が持っていた紙袋を敬太に渡してきた。

 なんだろうと、中を覗くと新しいシャツやズボン、パンツまでも見えた。どうやら着替えを買ってきてくれたようだ。

 なんだろう凄く気が利いていて嬉しいのだが、押しかけ女房の様にグイグイと迫る感じがちょっと怖い気もする。


「わざわざすいません。気を使わせてしまったようで申し訳ない。」

「い、いえ・・・そんな・・・はい。」


 なんだか芸能人ってもっとハキハキして自己中な奴がなるもんだと思っていたが、椅子に座って申し訳なさそうに小さくなっている女を見ると、そうでもないのかと思えた。


「じゃ、頂きます。」

「あ、はいどうぞ。」


 折角、差し入れに缶コーヒーを持って来てくれたので、一言断りを入れてから口をつけた。

 「もてなしを受けたら嫌いな物でも一口は口につけろ」って小さい時に誰かに教えられた。父親だったか母親だったか叔父だったか。今となっては思い出せないが、三つ子の魂百までと言う通りそんな小さな教えを未だに守っている。

 それが嫌って訳でも無いし、別にコーヒーがキライって訳じゃないが、そんな事が頭に浮かんできた。


「しかし、ビックリしたでしょう。」

「え、え?は・・・はい。」

「あ、いや先程は失礼しました。って、そっちじゃなくて事故の事です。」

「あっ!・・・はい・・・。」


 「もてなしを受けたらちゃんと返す事」とも教わっていたので、少し固い雰囲気をほぐす為に会話でもして、もてなし返そうと思ったのだが、1歩目から躓いてしまった。


「ちなみに見えちゃいましたか?」

「え、えっと・・・はい、見えちゃいました。」


 そこは答えてくれるのね・・・。


「あの違うんですよ、退院するので病衣から着替えていた途中だったんですよ。」

「だ、大丈夫ですよ。分かってますから・・・。」


 コルセットをしたスポーツカーの女は顔を赤くしながらも、ちゃんと会話をしてくれている。セクハラで訴えないで欲しい所だ。


 それから話は事故関係に移り、敬太が救急車に乗って先に現場を離れてしまったので、その後の現場の様子や、スマホを見ていてブレーキが間に合わなかったと事故の原因を聞いたりした。

 この辺の事は、昨日の夕方病室にやってきた警察の人と話をしたので知っているのだが、スポーツカーの女が自分で話をしたかった様なので、何も言わずに聞いていた。


 そんな感じで、なんだかんだと30分ぐらい話をしただろうか、それぐらいになると女も落ち着いたのか、慣れてきたのか、大分雰囲気が柔らかくなっていた。

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