第一章 異世界 10 『試練からの解放』


 荒々しく、まさに、怒りを体現したような姿がイツキの持つ魔石の光に照らされ、現れる。


「お、お前は・・・ガイル!」


 何故ここに、という疑問より先に、身の危険を感じた。

 ガイルはイツキを睨む。鋭く、強い視線で、イツキを焼き殺すほどの視線で。

 その鬼気に思わず、息が詰まる。


「てめぇがここにいるってことは潰してもいいってことだよな」


「ま、待てよ! なんでそうなる!?」


「シルが誰にも言わずに出てったんだ。おまけに女もいねぇ。そんでお前が抜け出した。つまり、そういうことだろぉが」


「待てって。俺は二人を捜しに出てきただけなんだよ。お前が考えてるようなことはしないって」


「この状況でどう信じろってんだよ」


「それはっ・・・」


 フィリセの時と同じだ。状況の説明ができない。

 イツキは完全に抜け出す準備をしてきた。この姿が逃げる姿だと言われれば否定はできないのだ。


「だ、大体、どうしてお前がここにいるんだよ」


 説明から逃避するためにようやく原点の疑問にとりつく。

 正直これはただの悪あがきに過ぎないのかもしれないが。


「てめぇらがここに来た時から怪しい臭いが収まんねぇ。ずっと監視してたが案の定、この様だ」


 十数メートル。その距離を縮めながら、話し出す。


「シルはどうもてめぇらを気に入ったらしいが、俺は認めなかった。聞けばてめぇらはイセカイとかいうところから来たらしいが、そんなもん聞いたことねぇ。おまけにてめぇは奇妙な力ぁ持ってやがる。それがただの人間だなんて思えるか」


「でも、俺の力は亜人ではあり得ないってシルも言ってたんだよ。マナとかいうやつで突然変異起こしたって」


「馬鹿か、てめぇ。んなもん黒いの使えば簡単に騙せるんだよ」


「黒いの?」


「闇の魔石だ、馬鹿野郎。しらばっくれんじゃねぇよ」


 ガイルは、顔を訝しめたイツキに罵声を浴びせる。


「俺達亜人はマナを使って力にしてんだ。黒いのでそれを封じれば誰だってマナの干渉が疎かになっちまう。てめぇらはその習性をうまいこと活用してシルを騙したんだろぉが」


「待て待て、そんなもん知らねぇんだよ。使いようがねぇだろ。大体、そんなもん持ってるなら俺が寝ている間にわかるだろ」


「体に埋め込んでりゃ気付くもんも気付かねぇんだよ」


 目の前まで、近づいてきたガイルに気圧されながら、必死に食い下がり、何とか説得を試みるが、ガイルはそれを認めない。


「とにかく、てめぇは敵だ。ぶっ潰す!」


「待てって―――ぐっおあぁぁ!?」


 叫び、闘気をぶつけてくるガイルを止めようと、両手を前に出す。が、その両手を彼の腕が薙ぎ払った。

 たった一瞬でイツキの手から腕までの骨が砕け、激しい痛みが走る。イツキはその痛みに耐え兼ね、地面に倒れ込み、絶句する。

 立て続けに繰り出された蹴りに吹き飛ばされ、いくつもの木々にぶち当たり、鈍い音を立てて壁に激突。

 意識が朦朧とする中、ぱらぱらと肋骨が砕けていくのを感じる。


「てめぇ、なめてんのか」


 かなり吹き飛ばされたはずなのに、ガイルはすぐそばに近づいていた。


「今更無力ぶっても意味ねぇんだよ! ボケがぁ!」


 再び彼の蹴りが腹部に入り、その一撃でイツキの口から血飛沫が溢れ出す。

 蹴り飛ばされ、地面を転がっていくイツキを、またしても追いついたガイルが足で止め、弱り切ったイツキの体躯の上に伸し掛かり、固く握った拳をイツキの顔面に何度も食い込ませた。


「対抗しやがれ! このクソ野郎! うっぜぇんだよ!」


 殴られ続けるイツキにはもうほとんど意識がない。それでも怒りを治めないガイルは、血に塗れたその拳を止めることなく振り続ける。

 腕が、脚が、肩が、腰が、背中が、首が、完全に間隔を失った。そのとき、ガイルの攻撃が止まったことを、消えゆく意識の中で感じた。


「なんで、ここにいやがんだ?」


「・・・」


 ガイルが動きを止めた原因が、ぼそり、言葉を放つ。それが誰なのか、何故なのか、何を言っているのか、何もわからないまま、イツキは無意識の世界へ向かっていった。






 ずるずると、何かが引きずられる音がする。それはゆっくりと、歩みを続けるようなそんな音だ。


「―――うっ」


 回復した意識が頭痛を引き起こす。

 イツキが感じたのは、自分が何かに運ばれている、そんな感覚だった。


「何が・・・う!? あで!?」


 言葉を発した瞬間、自分を支えていた力が消え、地面に叩きつけられる。

 体は動かず、何が起きたのか確認できない。かろうじて見ることができたものは、目の前にある、白い布のようなものだけ。

 それが何なのか、理解するまではそこまで時間はかからなかった。

 白い視界に、小さな手と細い腕が入り込む。その手がイツキの体を上向きにした。

 そして、新たな視界に写り込んだのは―――


「パルム?」


 イツキを見下ろす形となって姿を見せたのは、白いマントに身を包む小さな少女、パルムだった。


「な、なんで、お前が・・・?」


 イツキの質問に少しビクついて、体を引く。

 しばらくこちらを見つめた後、静かに言葉を音にし始めた。


「シル様が、守れって、言った、から、だから・・・守った」


「ガイルはどうなった?」


 イツキの意識が消える寸前まで、ガイルは近くにいたはずだ。あの力を体感したイツキには、パルムが勝てるなど到底思えない。ましてや、あそこまでの行為をなしていたガイルを説得できるはずもない。


「落とし穴、掘って、落とし、た」


「そんなんでいけるやつかよ」


「すぐ、追い、ついて来る、から、帰らな、いと」


 そう言って立ち上がり、イツキの身体を起こし、背に乗せる。

 イツキは動かない体に力を入れようとするが無意味だ。パルムの支えに身を任せ、一度深く、呼吸する。

 目覚めてから心音が激しくなる一方なのだ。


「はっはっはっ・・・はぁっはぁっ」


 足を引きずられながら、高まる心拍をなんとか抑えようと試みる。が、その吐息がパルムの耳にかかり、彼女の肩がその都度跳ねてしまう。

 その跳ねた肩が、イツキの顔に当たり、痛みが走る。そして気付く。

 パルムの肩が赤く染まっていることに。それもイツキの血液によって。


「どうして、こんなところまで来たんだ?」


「シル様が、言った、から」


 何故、イツキのためにそんなことをしたのか。シルの言い付けとは言え、ガイルを相手にして無事であるとは思えない。そんな危険を冒してまで、イツキに助ける価値は、そんな義理はないはずだ。

 だが、パルムは答えを変えない。


「こんなことお前の、パルムのためにはならないだろ?」


 助けられているのはイツキだが、それでも、パルムの行動の理由が知りたい。だって、イツキはパルムのことを知らないから。


「イ、ツキが、不安そ、うな、か、顔、してた、から・・・」


「―――は?」


 一瞬、彼女が何を言っているのかわからなかった。

 そんな表情は誰にも見せていない。そんな表情をしたのは自分の部屋だけだ。そんな表情をいつ―――


「昼、も、夜も、ずっ、と、何かを、隠し、てたの、わかって、た・・・。不安、だってわ、かった、から・・・味方」


「な、んで・・・」


「味方、がいな、いのは、嫌、だから・・・イツキの味方」


 イツキを支えながら正面に向き直り、目を見つめてくるパルム。

 彼女の言っていることが頭に入ってこない。


「味方・・・」


 その単語を、何度も何度も、何度も、繰り返す。

 ふっと、体が軽くなっていく。


「イツキ、の、味方に、なるから・・・」


 皆を疑いにかけていた。それはパルムも含めている。シルが敵である可能性を考えると、パルムへの疑いは増していった。

 だが、パルムは、イツキの「味方」になると言う。


「もう一人で悩まないで」


 小さい体で、イツキの頭を包み込み、優しく、ゆっくりと、イツキの頭を撫でる。


「―――ぁ」


 固まっていた頭が、黒く染まり始めた頭が、砕け、晴れていく。

 自然に、涙が頬を伝っていくのを感じた。

 温かいパルムの、温かい体に、温かい腕に、開放を与えられた。


「シル様は、帰って、くる。ヒナタも、無事。帰ってく、る。それま、で、一緒、に頑張る」


 パルムはイツキの顔を袖で拭い、再び、目を見つめてくる。

 美しい翠の瞳だ。純粋な瞳だ。優しい、瞳だ。


「―――っ、ありがとう」


 その瞳に、パルムに、縋りつくように、精一杯、礼を。



「もうちょっと、力を貸してくれ」


「どうす、る?」


「俺はパルムを信じる。帰って、二人を待とう」


 パルムはイツキの言葉に静かに頷き、もう一度、その矮躯に乗せようとする。

 イツキはその肩に腕を伸ばし、腕を―――


「腕が・・・!」


 気付けば、折れたはずの腕が自由に動く。

 次第に体の痛みが減っていき、脚が、肩が、腰が、背中が、首が動き始める。その感覚を確かめ、しっかりと地面に足をつけ、立つ。

 その回復ぶりに驚きを隠せないイツキだが、何より驚いたのはパルムだった。それでも、パルムはまだイツキを支えることを止めず体を寄せている。

 自由になったその腕で、思わずパルムの小さな体を抱きしめる。

 始め、パルムは少し跳ねたが、そのままイツキに身を委ねてくれた。

 しばらく、その小さな温かみを堪能しながら、涙が止まらない顔を、彼女に見せないように隠していた。


 ふと我に返ったとき、飛んでもない罪悪感を覚えたのだが。


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