第525話 感情ストリーム

 叶の目の前にぽっかりと浮かぶ漆黒の巨大な球体――


 それは、士郎曰く――この世界の中に突如現れただった。

 つまり、その球体の中は……もしもこちらの世界の物質が触れると、その途端に物理的均衡が崩れ、大爆発を引き起こしかねないのだという。

 そして、ここにはもうすぐ、東京湾外縁部に遊弋する戦艦大和から、恐るべき艦砲射撃の第二射が撃ち込まれるのだ――


「――は……早くここから脱出するんだ!! かざりちゃん急いで――」

「待ってください!」


 かざりは、そのオッドアイの銀色の右眼から、先ほどよりさらに眩い閃光を放ち始める。


「ちょ……どうなって……」


 叶は焦っていた。足元には、五人のオメガたちがぐったりと横たわっているのだ。

 先ほど文が必死になって特異点の中から助け出した彼女たちは、未だ意識が戻らず、自力で起き上がることがまったくできない。


 みな、大和の至近弾による衝撃と爆風で気絶しているのだ。厳密に言うと、くるみだけは文に無理やり気絶させられたのだが――


 いずれにせよ、これだけの人数を抱えてここから脱出するのは、容易なことではない。というか……殆ど絶望的だった。

 今や田渕たち特戦群兵士たちも、そして異形化したミーシャさえも、オメガチームの背中を守って殆ど壊滅しているのだ。キチンと生死を確認したわけではないが、見る限り、彼らの生存は絶望的だ。

 要するに、人手が足りないのだ。この五人を文と叶の二人だけでここから連れ出すには、最低でも2、3回、往復しなければならない。


 悠長にしている暇は、まったくないぞ!?

 叶は、半ば強引に文の手を取った。


 刹那――


 ゴォォォォォォ――!!!!!!!


 な――なんだこれはッ……!?


 突如として、叶は圧倒的な感情の激流に飲み込まれる。ぐ……ぐはッ……!

 こ……これはまさか……


 それはあまりに唐突で、あまりにも突然だった。そのせいで、叶の心臓は跳ね上がり、全身の血管がはち切れそうになる。身体中の穴という穴から、何かが勢いよく噴き出しそうになった。


 間違いなかった。まるで大津波にさらわれたかのように、叶は凄まじい勢いで誰かの感情の海に叩きこまれる。もしかしてこれが……オメガたちとの、同期シンクロナイズなのか――!?


 それは、狂った激流のように、叶の感情をいとも簡単に翻弄する。持ち上げられ、叩き落とされ、木の葉のようにクルクルと舞い、石ころのように蹴飛ばされる。


 なんてことだ……これは、今目の前で気絶している五人のオメガたちの、生の感情だ。

 理屈ではない。そうだと分かるのだ。この濁流には、未来みくや久遠やくるみやゆずりはや亜紀乃の……感情の欠片が無数に入り混じっている。


 あぁ……そうか――

 かざりちゃんのあの右眼……それは、どんなものでも見通せると本人が言っていた。その彼女が見通したものが、自分にも伝わっているのだ――彼女の手に、触れたから……!?


 待てよ――

 ということは、この凄まじい感情の嵐は、足元のオメガたちから直接流れ込んでいるのではなく、この漆黒の球体の中にいる石動いするぎ中尉のもので、そしてそれを『ホルスの目』で見ているかざりちゃんを通じて、僕にまで流れ込んでいるのか――


 今、中尉はオメガたちと、シンクロナイズしている――! そしてこの自分も――!!

 文が口を開く。


「少佐、見えますか? 感じますか?」

「あ、あぁ――これが……その……シンクロナイズというものなのかい……?」

「はい。そうです……よかった……少佐にも見えてるんなら、口で説明する必要ないですね……」


 これが、オメガたちの……石動中尉と彼女たちの、絆なのか――


 信頼……愛情……誠実……

 嵐のような感情の濁流の中に、そうした暖かな欠片が、確かに駆け巡っている。


 叶は、思わず泣きそうになった。この“絆”は、どこか――何か懐かしい……

 あぁ……そうだ――

 これは例えるなら“家族”だ。


 お互いがお互いを信頼し合い、かといって決して依存せず、だが誰よりも、何よりも深い愛情で結ばれている……


 そして何より、叶はその“環”の中に、自分が入っていることが嬉しかった。よりによってこんな非常時に――でも……こんなものを見せつけられたら――


 その時、叶はあることを思いついた。それはとても……とても素晴らしい思い付きのような気がしたから、躊躇なく文に提案する。


「――かざりちゃん! この同期イメージだが……全軍に流してもいいかいッ!?」

「え――?」


 天才科学者である叶は、一瞬にしてそのシステム構築を頭の中に思い描いた。イケる――!


「べ……別に構いませんけど――」

「そうか! ありがとう!」


 言うが早いか、叶は自分の完全被覆鉄帽フルフェイスアーマーを脱ぎ、その頭蓋部分の内側をバリバリと剥ぎ取る。そこには剥き出しとなった様々な配線が縦横に走っているのだが、叶はまるで取扱説明書が目の前にあるように、それを素早く巧みに切り分け、引き出し、繋ぎ替え、そしてあっという間に何かのケーブルを二本、ぐいっと引っ張り出した。


「――少佐、それは……?」

「僕の頭の中の映像イメージを、このイルミネーターを通じて全軍に配信するんだ。しばらく僕自身は意識がなくなるかもしれないけどね」

「そんなことしたら、少佐も脱出できなくなるんじゃ……!?」

「いいんだ。このイメージをみんなに伝えることは、僕の命を懸けるだけの価値がある」


 それを聞いた文は、少しだけ微笑んだ。

 叶は続ける。


「――だって、君たちだってぶっちゃけ……ここから逃げるつもりはないんだろ……?」

「やっぱりわかっちゃいましたか……」

「あぁ、だって今や、僕も君たちと同期しているんだぜ? みんなが考えていることくらい、分かるさ……」


 そう言うと、叶はどこか清々しい顔つきで、肩をすくめる文を見つめ返した。


 叶は、手に持ったケーブルをそのまま自分の首筋にカチャリと繋ぎ込む。

 その途端、叶の脳神経とイルミネーターが直結された。これで、叶の頭の中で広がる映像イメージ――つまり、叶が感じたあらゆる感覚が、外部にそのまま配信されるのだ。


 ドドドン――ドドドン――ドドドン――!!!


 遠雷のようなくぐもった轟音がどこか遠くから響いてきたのは、ちょうどその時だ。


   ***


ヂャン将軍! なんか変な映像データが突然、ライブで入り始めましたッ!」

「変な映像データ!?」


 ヂャン秀英シゥインは、チューチュー号が警告を無視して東京駅地下街へ突進していくのを、必死で追いかけている最中だ。

 ヤン子墨ズーモー大佐からは「自分に任せて早くここから退避してくれ」と懇願されたのだが、冗談じゃない。せっかく最前線で一緒に戦うことを容認してくれたのだ。最後まで、その責務はまっとうさせてもらう、と言い張って今に至る。

 だが、最大戦速で突っ走る多脚戦車ゴライアスに追いつくのは、至難の業だった。

 部隊付きの通信兵が、再び報告してくる。


「――発信源は、真っ直ぐ進行方向ッ――東京駅直下ですッ!」

「何ッ!? それって……石動いするぎ中尉たちじゃないのか!?」

「そ……そうかもしれません……ですがその――」

「なんだッ!?」

「送られてくる映像が、なんだかとても変なんです……その……前線映像でもなんでもなくて、もしかしたらバグかも――」


 その通信兵が困惑するのも無理はない。

 通常、映像データの遣り取りは最前線の部隊間では殆ど行われない。仮にそういうことがあるとしたら、最前線部隊から司令部に一方通行で送られる、戦場ライブ映像だ。

 これは、特殊部隊が人質救出作戦の時などに、兵士のアイカメラをそのままリアルタイムで作戦指揮所に送るものだ。これにより、指揮官は現場の状況を逐一把握できる。


 だが、今送られてきている映像は、どうにもおかしいのだ。

 まるで何かのコラージュ映像のように、いろいろと抽象的な画像や記号が、連続的に切り替わっていく。時たま混じるライブ映像らしきものには、明らかに場違いな、穏やかな暮らしのワンシーンとか、男性や女性の楽しそうに会話する笑顔とか、赤ん坊や子供たちのスナップなどが入り混じっている。

 いや――もちろんそうしたものに混じって、凄惨な戦闘場面も時折表示されるから、結局なんだかよく分からないのだ。


 それは、言ってしまえばとてもサイケデリックで、まるで新進気鋭の映像クリエイターが創った、挑戦的なムービークリップのようだった。


 通信装置の故障か――?

 秀英は訝しむが、それでもやけに気になる。


「――なんでもいいから傍受し続けろ! 何か意味があるかもしれん!」

「アイサーッ!」


 通信兵は、念のため赤城にも回線を開く。


『――こちら赤城作戦室FIC

「あぁ――こちら狼旅団だ。現在、東京駅地下が発信源と思われるライブ映像を受信中。そちらは傍受しているか!?」

『……いや……特には……でも、東京駅地下ということは、突入隊からの映像なのか!?』

「いや――それがよく分からないんだ。支離滅裂な映像で、もしかしたら混線か……バグか……でも気になって――」

『じゃあ念のためこちらにその映像を中継してくれ。こっちでも映像を解析してみる。敵の攪乱かもしれないからな』

「了解だ。よろしく頼む――」


 遠雷のような轟音が轟いたのはその時だ。赤城から、やや緊迫した声が返ってくる。


『――聞こえたか? 今、大和が第二射を撃った。大至急そこから退避するんだ! 弾着までおよそ60秒だ!』

「り、了解!」


 通信兵は、真っ青になって振り返った。


「将軍閣下! 大和の第二射が来ますッ! およそ60秒後ッ!!」

「分かっている!」


 秀英は、ギリッと唇を噛んだ。その視線の先には、黒い物体――もうすぐ東京駅に到達する寸前の、チューチュー号が見える。


 次は多分直撃だ……いくら多脚戦車の装甲が厚いといっても、あそこは直撃範囲内だ。今度は跡形もなく吹っ飛ぶだろう。クソ――優秀な将兵をッ……!


  ***


美玲メイリンッ! これ――何だ!?」


 砲手の詠晴ヨンチンが、照準モニターに無理やり割り込んできた謎の映像を、美玲の車長席に送る。


「はッ!? 今それどころじゃねぇよッ!」


 先ほど轟いた大和の艦砲射撃音――

 美玲たちは、1秒でも早く石動中尉の元に辿り着こうと必死だった。中尉のところに辿り着きさえすれば、最悪自分たちが盾となって、砲弾の直撃から彼を守ることができる。

 それで十分なのだ。だから、今美玲の頭にあるのは、とにかく急ぐことだけだ。


「待て待てッ! これって、中尉たちからじゃないのか?」


 機関員の品妍ピンイェンが、手元の小型モニターを横目で見ながら美玲に注意喚起する。


「――えッ!?」


 それを聞いて、頭に血が昇ったままの美玲が、ようやくモニターを凝視した。

 次の瞬間――美玲の瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。


「……ホントだ……中尉、まだ……生きてる……」

「……そうか……よかったな……」


 なぜ、こんな訳の分からない映像が中尉のものなのか、品妍にはさっぱり理解できなかったが、美玲がそうだというならそうなんだろう。きっとそれは――


「愛だねぇ……」


 詠晴が呟く。


「――うん、愛だなぁ」


 品妍が、楽しそうに笑った。それから二人は、絶妙に息の合ったアイコンタクトを交わす。


「……じゃあいっちょ、かましますか!?」


 その途端。


 ズザザァァァァッ――!!!!


 猛烈な勢いで疾走していたチューチュー号が、急制動を掛けた。


 カギィン!! プッ――プシュウゥゥゥ――


 大型ダンプのような油圧ブレーキの音が、車内の三人にまで轟々と飛び込んできた。当然、中の三人も恐るべき制動Gを受ける。特に、急制動を予期していなかった美玲は、喉の奥から心臓が飛び出そうなほどの衝撃を受けた。


「――ちょ……!? 何だよ突然ッ!! ウチ、止まれなんて言って――」


 怒鳴りかけて美玲は、途中でハッと気づいた。詠晴がニヤリと笑う。


「美玲! 中尉、まだ生きてんだろッ!?」

「――早く命令しろよ!?」


 その瞬間、美玲の顔がビックリするくらい紅潮する。私にできること、まだあった――!


「――目標! 大和主砲弾! レールガンによる狙撃よーいッ!!」

「「アイ、マムッ!!」」


  ***


 その映像が旗艦赤城に伝送され始めたのと、大和の第二射が放たれたのはほぼ同時だった。


『――映像の発信源、特定されましたッ! 叶少佐のトークンナンバーと一致!』


 オペレーターの報告に、四ノ宮は飛び上がった。


「それはッ!? いったい何の映像だ!?」

『分かりませんッ! 何かの暗号映像でしょうか――』

「なんでもいいから、メインモニターに映せッ!」


 直後、幕僚たちは嘆息した。

 そこに映し出されたのは、意味不明の奇怪で断続的な映像だったからだ。ずっと見ていると、下手すると吐き気まで催してくる。


 だが、ひとつだけ確かなのは、先ほどの艦砲射撃第一射を、オメガチームが生き延びたということだ。もちろん初撃で直撃するとは思っていなかったが、さすが大和だけあって、その砲術は正確無比を極め、確実に目標を挟叉したところだったのだ。至近弾とはいえ、それは相当な損害を与えたはずなのだが、彼らはまだ、生きている――

 坂本幕僚長が口を開いた。


「――四ノ宮君、これをどう見る?」

「分かりません……分かりませんが、第一射のあと送信が始まったということは、何らかの意思表示かと――」

「私もそう思う。だが、第二射をつい今しがた発砲したところで――」

『中佐! 映像に……これはッ……たった今、映像に音声情報が付加されました』


 困惑したオペレーターの声につられて、四ノ宮は再度モニターを仰ぎ見る。スピーカから聞こえてきたのは――


「――李軍リージュン……最期の……勝負だ……」


 間違いない。それは、石動士郎の声だった――

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