第487話 ソルフェジオ

「――もしかしたら、中国軍司令部の位置を特定できたかもしれません」


 ――!!


 その米国人義勇兵が発した一言は、途轍もない破壊力を持っていた。我々日本軍が血眼になって探し、喉から手が出るほど欲している情報――

 この戦争を終わらせるために、どうしても必要な情報なのだ。士郎は、叶の顔を半信半疑でジッと見つめる。本当ですか――!?

 すると、叶は力強く頷いた。


「マンキューソ技術軍曹、端的に説明してくれるかね?」

「イエッサー! その前に、私のチーム内での役割を簡単に説明してもよろしいでしょうか!?」


 叶は先を促した。


「――では……ゴホン……私の専門は電子戦です。戦場で敵の無線を傍受したり、妨害電波を発射して敵レーダーや火器管制システムを無効化したりします。もちろん、ネットワークに介入してその場で敵の戦術統制システムをクラッキングしたり、無数のドローンを操作して一定地域に監視網を構築したりするのも私の専門です」

「……驚いた……米軍は、そんな専門家ギークを最前線に送り込んでいるのか……」


 士郎は正直に舌を巻く。さすがは米軍だ。我が軍にも『電脳軍』という兵種がいるが、正直彼らはインルーム専門だ。常にエアコンの効いた小綺麗な部屋に籠っている。硝煙と血汗にまみれた最前線で、屈強な特殊部隊員に混じって軍務に就く電脳兵士など、聞いたことがない。


「あ……はい、それで――今回の本題です。実は少し前……と言っても、メイジャーカノーと一緒にここに到着して以降ですが……この戦場一帯で、あるを短時間傍受しました」

「特殊な……電波……?」

「はい。詳しく説明すると専門的過ぎるので省きますが、それは一言で言うと、ある種の音楽のようなものです」

「え……音楽……? 一体どういうことだ!?」

「特定の音階を組み合わせたものです。これは明らかに言語ではありませんし、ましてや一般的な二進法の電子情報でもありません。つまり……音楽なのです」

「そんなものがなんで……」

「問題はそこではありません。私の分析の結果、この音楽は、ある特徴的な周波数を利用していることが判明しました」

「特徴的な……周波数……?」

「そうです。この音楽に使われている音階の、それぞれの周波数が、我々が日常聴いている音楽の周波数とは異なっていた、ということです」

「えと……よく分からんのだが……」


 残念ながら、士郎には音楽の素養があまりない。もちろん音楽鑑賞は好きだし、人並みにカラオケにも付き合う。だが、周波数云々と言われても、正直ピンとこないのだ。

 マンキューソは、辛抱強く説明を始めた。


「えっとですね……まず、現代音楽がCDEFGABの音階で成り立っているのはご存知かと思います」

「――ドレミファソラシドのことだよ中尉」


 叶が助け舟を出す。あぁ……そうか。Cとは「ド」のことで、以降、Dは「レ」、Eは「ミ」に該当する。


「それで、この音階ですが、現代音楽では基本的にA――すなわち『ラ』の音を440ヘルツと定義しています。ここを決めておかないと、人によって基準音がバラバラになってしまい、楽譜があっても正しく音を再現できないからです」

「あぁ……あの、よく楽譜の先頭に『A=440』とか書かれている奴か」

「そうです。で、同じようにC以降のすべての音階には、決められた周波数が割り当てられています。たとえばCは523ヘルツ、Gだったら392ヘルツという具合に……」

「……なるほど。だからギターとかは必ず演奏する前にチューニングするんだな。俺、あれカッコつけてるだけかと思ってた」

「はは……そうですね。で、話はここからです……」


 マンキューソは、グイとその身を乗り出した。


「実はこの現代音楽に割り当てられた各音階の周波数、厳密に等分で割り切れない数字を使っているんです」

「……えっと、急に分からなくなってきたんだが……」

「まぁ、今は音楽の講義ではないので完全に理解していただく必要はないんですが……要するに、五線譜の上ではいかにも同じ間隔で音階が割り当てられているように見えるでしょう?」

「あ、あぁ……五線譜……確かに楽譜には等間隔の線が引かれていて、音符は必ずその線の上に乗っているか、間に挟まったかたちで書かれているよな……」

「そうです。ですから我々は無意識に、それぞれの音階は等間隔で周波数が決められていると勝手に思い込んでいる――」

「……ち、違うのか!?」

「はい。実は、ちょっとだけズレているんです。もしも厳密に各音階を等分するとしたら、たとえばCは523ヘルツではなくて528ヘルツ、Gは392ヘルツではなく396ヘルツにしなければなりません」

「えっと……」


 だからどうだというのだ――

 士郎は、いまひとつマンキューソの話の全体像が見えない。


「――これが何を意味するか……我々人間は、この微妙な音ズレのせいで、音楽を聴くと無意識にストレスを感じるように出来ているんです」

「え……えぇ!?」

「いいですか? 音というのは要するに波、波長です。つまり――音と音が共鳴するのは、この波長が共振しているという意味です。そう言う意味では、各音階を完全に共振させるには、きちんと割り切れる数字で分割した周波数にしなければならない。でなければ、音と音が重なった時に、不協和音になってしまうからです。ところが、基準音階Aを440ヘルツにしたせいで、今度は各音階が綺麗に割り切れなくなってしまったんです。だから――」

「ちょっと待って。ラの音が440ヘルツというのは、最初から決まっていたものじゃないのか?」

「えぇ、これは1939年に初めて国際的に定められた数値です。それ以前の音楽――たとえば古典クラシックなどでは、このAの音は380ヘルツから500ヘルツくらいまで、作品によって割とばらつきがあって……要するに作曲家によって異なっていたんです」


 それは知らなかった――

 叶が補足する。


「――まぁ、そもそも周波数……音の振動数が数値化されたのは19世紀以降だからね。それまでは、音楽家は自分の耳で、基準となる音を決めていたんだ」

「――そうなんです。だからむしろ昔の人の方が、人間の耳で聴いて自然に調和する音を無意識に使っていた……これがA=440ヘルツにしてしまった時から、変わってしまったんです」


 マンキューソが言葉を継いだ。


「――結果的に、現代音楽における各音階の周波数は『平均律』といって、まぁ言ってしまえばだいたいこの辺、という平均の数字を当て嵌めるしかなくなりました……我々が現代音楽を長時間聴いていて、疲れてしまうのはそのせいなんです」


 へぇ……としか言いようがない。しかし、士郎は音楽を聴いていても、特にそれでストレスを感じたことなど今まで一度もないのだが……特に、好きな音楽を聴いた時は、むしろリフレッシュできるし、気分も盛り上がる――

 マンキューソが続ける。


「今回傍受した音楽は、その微妙なズレがすべて修正された、いわゆる『純正律』という手法で各音階の音が作られています。これを聴いて初めて、我々は現代音楽の音階に違和感があることに気付くのです。現代人は、小さな頃から既存の周波数に慣れているので気付きにくいのですが、この『純正律』音階を聴くとその違いは歴然です」


 すると、叶が口を挟んだ。


「――実はこの『純正律』音階のことを、『ソルフェジオ音階』というのだよ」

「ソルフェジオ……?」

「あぁ、一部では“癒しの音階”とか“傷ついたDNAを修復する音”などともてはやされている。ただし……軍曹、続けたまえ」


 叶がマンキューソにバトンを戻す。


「――はい。先ほどメイジャーが指摘した通り、このソルフェジオ音階で作られた音楽は、本来あるべき音の周波数、完全なる調和音ということで、聴く人に癒しの効果を与えるなどと言われていますが、実は臨床的にはその効果が逆であることの方が多いのです」

「えっと……」

「現代人は、既存の音階周波数に慣れている――と先ほど言ったかと思います。実はこの“慣れ”というのが非常に重要でして……我々の脳は、この微妙な周波数のズレを自動で補正するという特性を既に身に着けてしまっているんです。これは完全に現代人の後天的な能力で、我々が生まれて以降、きちんと周囲の環境に順応していることを示しています」

「――そこにいきなり、これが本当の正しい周波数、という音階が飛び込んで来たら、どうなると思うかね?」


 叶が、堪えきれないという感じでまたまた話に割り込んできた。


「――えっと……その正しいはずの音まで、脳が自動的に補正してしまう?」

「その通り。結果的に、普段聴き慣れない、本来正しいとされる音階を、逆にズレた音として脳が認識してしまうんだ。ソルフェジオ音階で作られた音楽を聴いて、却って気持ち悪くなる人が出てくるのはそのせいだ」

「その通りです。ですから、逆にソルフェジオ音階を聴いて癒される人というのは、絶対音感を持っている人か、逆に、普段ほとんど音楽を聴かない、あるいは聴く経験のない――たとえば赤ちゃんのような――人に限られるのです」


 ここまで一気に説明したマンキューソは、一旦説明を中断した。士郎の腹に今の話がキチンと落ちるよう、時間を取ってくれたのだ。

 やがて、話を再開する。


「――これがどういう結果を招くか……お分かりですか?」

「えっと……聴いた人の脳が……混乱して……」

「そうです。人によっては吐き気を催したり、頭が痛くなったりする人もいます。いずれにしても、長時間聴いていられない。ですが、強制的にこれを聴き続けると、今度は脳が防衛機構を働かせようとし始めます。当然、その人の精神には極めて大きな負担がかかる。幻覚を催したり、ある種の脅迫的観念に襲われたりします」

「――要するに、音楽を使って人間の脳にネガティブな干渉を仕掛けることが可能になるんだ」


 ――――!!


 士郎は、最後のトドメのような叶の解説に戦慄を覚えた。


「――それはつまり……軍曹が傍受したというその特殊な音階の音楽は、戦場の我々に対して、何らかの悪影響を及ぼす、いわば音響兵器だったということか――!」

「いえ……厳密には、そのターゲットは我々ではありません」

「……?」

「その音は、あくまで電波として流されていたものです。つまり、それを受信できる特殊な受信機がないと聴こえません」

「と、いうことは……つまり……?」

「その電波は、ある特殊なチップ――具体的には、人間の脳のある部分に埋め込む、いわゆる『ブレイン・マシン・インターフェース』で受信する前提のものだったんだよ。今回、マンキューソ軍曹はその特殊な電波を見事に傍受したというわけだ」

「えっと……脳幹チップなら私のような機械化兵士も埋め込んでいますけど……」


 士郎は、以前戦闘で瀕死の重傷を負ったせいで、その身体のおよそ60パーセントが機械化された、いわゆるトランスヒューマン兵士だ。


「――中尉、だが今回のは、ソルフェジオ周波数の前後に、二進法による特定の数列を表した電波が繰り返し組み込まれていた。これは恐らく、受信する個体を識別するためのものだ。もしも敵が、我が軍全体のチップ埋め込み兵士の混乱を狙ってこの電波を発射したのだとしたら、わざわざこんな識別信号は送らない」

「つまり、敵軍の、特定の兵士に受信させるためのものだったと……」

「あぁ、そして中国軍の大半は、科学技術では我々より100年以上遅れているとされる、異世界の兵士たちだ。一般兵たちがこんなチップを脳ミソに埋め込んでいるとは思えない……そう考えると、この特殊な電波を受信できる可能性のある者は――」


 叶は、ぐるりと周囲を見回した。


「――アイシャちゃんしかいない」


 ――――!!!!


 まさか――!?

 じゃあさっきアイシャが、突然光の粒子のようなものを放出させて息を引き取ったのは……

 マンキューソが続ける。


「えっと……それで、この電波を中国軍がこのタイミングで発するというのは、よほど切羽詰まった事情があったと思われます。現代戦の知識があれば、戦場でこのような特殊な電波を発すれば、発信源が特定される恐れがあるというリスクに気付かない訳はないからです」


 士郎は、あまりのことに言葉を失う。まさか――

 中国軍の切羽詰まった事情といえば、彼らがもはや壊滅寸前にまで追い込まれていたことであろう。そこに来て突然、新手の増援部隊――具体的には上海駐留中国軍――が現れた。

 ということは――


 その電波によって何らかの影響を受けたアイシャは、自分が意図しないまま、上海の中国兵を無理やり転移させられ、そのせいで力尽きた……!?

 

「……なんて……ことだ……」


 アイシャの死は、先ほどの地下空間で友軍兵士から吸い取った生命エネルギーを返したことによる、生命力の喪失ではなかったのか……

 士郎が無言なのを見て、マンキューソが口を開く。


「――そして、このような特殊な電波を発することができるのは、恐らく敵軍の中枢部――すなわち、敵司令部である可能性が極めて高い。その発信源を、今回何とか突き止めることができた、というわけです」


 士郎は、愕然としながらマンキューソに問う。


「……それは……いったいどこなんだ……」

「はい、東京駅の直下、恐らく地下60メートルほどの位置と推測されます」

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