第448話 詠唱
知っての通り、
かつて
まぁ、その部分については軍の知らない話だ。
公式記録では、あくまで「月見里文の家族状況」という文脈で、彼女――月見里伊織の存在が記載されている。それによると、彼女は関東近郊の某
だが『
つまり、その系図としてはこうなる。
灯里は文が『幽世』で家族を持った際、生まれた娘で、その灯里が産んだ娘――すなわち文の孫にあたるのが伊織だというのだ。その伊織が産んだのが、再び文だというのだから、これはある種の堂々巡りである。
その異常事態に、叶も四ノ宮も言葉を失った。
「――だ……だけどまぁ……結局のところ
叶が、半ば自分に言い聞かせるように呟く。だが四ノ宮は、その矛盾に気付いていた。
「だが元尚……『幽世』にもともといた文の肉体は、既にこうしてこっちの世界に転移しているんだ。しかも、オリジナル文がその肉体に乗り換えたのは、彼女がまだ家族を作る前だ。ということは、時系列を考えると――」
「あぁー……分かってる……認めるよ……ただ僕は、その事実に目を瞑りたかっただけなんだ」
叶は頭を抱える。分かっているのだ。この系図の中の文が同一人物かどうかは、DNAを調べればすぐにでも分かることだ。
元々『
さっきの系図でいうと、最初の「文」と最後の「文」は、同じ文だと言っても、明らかに遺伝子的には異なる個体となるはずなのだ。つまり――血は繋がっていたとしても、あくまで別人。
だが、正直なところ叶はまったく自信がない。だって、二つの世界の文の見た目は、ほぼ同一……クローンといってもいいくらい酷似しているのだ。
DNAの違いは、外見に顕著に現れる。それがまったくないということは、もはや検査しなくても答えは判っているようなものだった。
「――まぁ……DNA検査はあとで念の為やるとして……だがひとつ疑問があるんだ。初代かざりちゃんが『幽世』の住人で、そこで家族を作ったとして……その孫の伊織さんは既にこっちの世界に居たんだろ? じゃあ、2代目の灯里さんか、3代目の伊織さんの時に、次元転移していたということになるんじゃない? いったいどうやって……!?」
叶は、慎重に言葉を選びながら四ノ宮に問いかける。この手の話は、自分がしゃべる内容すら気を抜いては駄目だ。どこにヒントが転がっているか分からない。それに対し、だが四ノ宮も曖昧に答えるしかない。
「――もしかして、向こうの世界ではこれから次元転移現象が大規模に起きるんじゃないか!?
“石動の例”というのは、彼がもともと『幽世』の血を引いていたという事実だ。
並行世界に転移する際に偶然出会った石動清麻呂という人物が、実は士郎の祖父であったことは、DNA鑑定で既に明らかにされていることだ。そもそも彼がオメガにとって殺戮対象でなかった理由が、それなのだ。
つまり、向こうの世界の住人がいつの間にかこちらの世界に来ていたという実例は、既に確認されているというわけだ。文の家系だって、その現象の結果こちらに移動してきていたとしても不思議はない。
「だが、彼の場合は家系まるごとこちらに転移してきたかどうか、まだ分かっていないんだ。そもそも彼のおばあちゃんはこちらの世界の住人だったわけだろう? つまり石動中尉はハーフ……というかクォーターなんだよ。だったら彼の祖母である七瀬和希さんが、こちらの世界で清麻呂さんとの子供である洋介さんを産み、そのまま彼に繋がっていると考えた方がシンプルだ。時系列の矛盾は未だに解決していないけどね」
「……うーむ……」
話は袋小路に嵌まってしまった。その時だった。
「……あのー」
「ん……あぁ、済まない……どうしたんだいかざりちゃん」
肝心の、張本人がさっきから置いてきぼりだった。二人の遣り取りをじっと聞いていた文は、素朴な疑問を口にする。
「お二人は、私のママと
「なんだって!?」
そんな話は初耳だった。当たり前だ。そんな記録はどこにもない。
ただそれは、未来が自発的に報告していなかったというだけの話だ。さらに言えば、別にそれは意図的に隠していたわけでもない。だって未来が発見保護されたのは、伊織とはぐれてから何十年も経ってからのことなのだ。
「――文、お前の母親はずっとあのPAZで暮らしていたのではないのか?」
四ノ宮の問いに、文は少しだけ困惑の色を浮かべた。軍は私たちの生い立ちのこと、全部知っているわけじゃないんだ――という意外そうな顔だ。
「えっと……私も知ったのはつい数か月前です。以前……あの……ご迷惑をお掛けした時に、実家の思い出箱を中尉と漁っていた時に見つけたんです。私のママと未来ちゃんが、仲良く写真に納まっているのを、偶然見つけて……」
それから文は、その時に発見した数々のスナップ写真の説明をした。それがいかに親しげな様子だったか――そこから読み取れるのは、二人がとても仲が良かった、という事実だ。
四ノ宮と叶は、驚きの混じった顔でずっとその話に耳を傾ける。
「――それで……私その時思ったんです。なんで未来ちゃんは、私に何も話してくれなかったんだろうって――」
確かに文の言う通りだった。そんな仲の良い――いわば大親友にそっくりの子が目の前に現れたのならば、普通なら何か聞いてくるはずだ。なのに未来は……
「――ひとつだけ確かなことは……」
「あぁ、未来は何かを隠している……」
叶と四ノ宮は、お互いの顔を見合わせた。
「――どうやらもう一度、かざりちゃんの実家に行ってみたほうが良さそうだね……」
***
その廃墟は、辛うじて今でも同じ場所に残っていた。
数か月前、文と
だが、焼け落ちた柱や粉々に砕けた壁、そして焼け跡に僅かに残る生活の痕跡――そこには確かに人々が住んでいて、そして命を落とした慟哭の気配が、今でも僅かに漂っていた。
ガサッ――
瓦礫を踏みしめると、それは思いのほか深く沈み込んだ。文はやるせない気持ちになりながら、廃墟の里を一歩一歩奥へと歩き続ける。
幸い、遺体はすべて片付けてあった。ここでは本当に多くの人が亡くなったのだ。
「――かざりちゃん……ここだよ」
そう言って叶と四ノ宮が立ち止まったのは、集落の元集会所だった建物からそう遠くないところにある、少しだけ開けた一角だった。
そこには、鉄パイプのようなものが一本、無機質に地面に突き刺さっていて、そのてっぺんには鉄カブトが無造作に被せてある。墓標だった――
「――各務原伍長……」
文は黙ってその前に立ち止まると、じっと黙祷した。それから微動だにせずに数分間、彼女は無言でその場に立ち尽くす。
やがて眼を開けると、ゆっくりと右手を上げ、こめかみに親指をそっと付けた。それを見た四ノ宮たちも、鮮やかな敬礼を捧げる。
サァーッと一陣の風が吹いた。静寂の中で、森の呼吸だけが時の流れを伝えていた。
「……ただいま……遅くなって、ごめんね……」
そう言って文は、その場に膝をつく。二人がどれだけいいコンビだったか、四ノ宮たちは知っている。だからそれからさらに数分間、彼女が黙ってそうしているのを、四ノ宮と叶は決して急かそうとはしなかった。
「――すみません、わざわざ寄っていただいて……」
文が立ち上がる。膝頭に、黒い土が付いていた。
「もういいのかい……?」
「はい、もう大丈夫……それより、私の実家に行きましょう」
そう言って彼女が連れてきたのは、集落の外れにある、半分潰れかけた小屋だった。
***
「――で、それが思い出箱の中にあったというわけですか……スゴいです」
広美は、テーブルの上に置かれた漆黒の石板を手に取った。
二人が収容されている
「これが文さんのお母さまの形見として残っていたということは、やはり彼女――伊織さんはあちらの世界にいたということになるんでしょうね……」
「それに関しては断定できないよ。だって、これは伊織さんのそのまたお母さんである、灯里さんの遺品だったかもしれないし、もっと言えばそれは、きっとかざりちゃん自身が幽世に持ち込んだものに違いないんだ。というか、これは月見里家の女性に代々伝わる家宝みたいなものだったんじゃないかと考えるのが自然だと思う」
「なるほど……そういう見方も確かにありますね……ただ、いずれにしてもこれは大きな
「タイムパラドクス?」
四ノ宮が怪訝な顔をする。
「――えぇ、だって、これは間違いなく出雲の石板……つまりご神体の一部です。ところがコレは、過去数十年、場合によっては100年以上、彼女の家系が持っていたわけですよね? だとすると、同じ時代に出雲のご神体と、この欠片が同時に別の場所で存在していたことになる。本来ご神体というのは、かねてお伝えしていた通り時空を超越した存在です。こちらの世界のご神体と、別の世界のご神体は矛盾なく唯一無二の存在として、そこにあらねばならない……」
叶はそんな広美を、目を丸くして覗き込んだ。
「……ま、それはさておき――」
「えぇ!?」
広美は、見る間に顔を真っ赤に変化させていく。これは大事なことなんですよ――!? と今にもかんしゃく玉が破裂しそうだ。
「――広美ちゃんの言いたいことも分かるが、今はもっと優先させるべきことがある。取り敢えず例の文字列を完成させてくれないかな? もちろん石動中尉と未来ちゃんの分がないのは承知の上だ」
「――!」
確かに叶の言う通りだった。今や最初に目覚めた4人のオメガに加えて、文までもが目を覚ましたのだ。なぜ彼女が『幽世』で貰った個体ではなく、オリジナルの肉体の方で覚醒したのかという謎もまだ解決していないが、今はとにかくオメガチームを全員覚醒させるのが最優先なのだ。文の欠片が加わることで、さらなる神威の発動が見込めるに違いない。
「――わ……分かりました。ひとまずこの問題については棚上げしましょう。ですが、いずれ解かなければならない宿題です」
「あぁ、分かってるよ。とにかく今は続きを頼む」
どうも叶が言うと軽薄なのだが、言っていることは何も間違っていない。それどころか、ともすれば脱線しそうになるこの複雑怪奇な話を、彼はなんとか元のベクトルに戻そうとしてくれているのだ。
それを理解している四ノ宮も、コクリと頷いてみせた。それを見て、広美はあらためてその欠片を並べる。
“――遠き世の父母より世に生まれ変わり 子々孫々栄え来たり 地の都となる世の来るまで 敵を倒し 我らを助け 突き進め――”
広美は、今まで搔き集めてきたご神体の欠片に刻まれていた文字を、あらためて読み上げていく。そして、ここからが新たに加わった文の部分だ――
“――夜も昼もみそなわす 我らが日の神……”
そこまで広美が読み上げた、まさにその時だった。
石板に刻まれた神代文字が、今まで見たこともないような光度で青白く輝き始める。同時に、隣の
「――な……なにコレっ!?」
「どうした!? 何が起こってるッ!?」
その場にいた全員が、なすすべもなくそこに釘付けとなる。部屋の大気が俄かに重くなり、ツン――と耳が圧迫された。これは……次元転移特有の――
その瞬間――“声”が空間に響き渡った。それは、男の声でも、女の声でもない。いや――男と女の声が重なり合った、あまりにも荘厳な詠唱だった。
『――エヘイェ・アシェル・エヘイェ――』
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