第403話 償いのかたち(DAY10-15)
アイシャは、出雲大社の本殿に連れて来られていた。
先ほど友達になったばかりの
その輪の中心にあるのは、大社のご神体だ。
そのひと抱えもある大きな岩は、先ほどから青白い光が中心から外に向かって放たれていた。岩に刻まれた、何かの文字のような、あるいは模様のような線刻からだ。黒い岩の地肌にクッキリと浮かび上がる青い線は、少しネオンサインにも似ていた。
「――ウズメさま、これから何を……」
士郎が、息を呑みながら恐る恐る訊ねる。目の前に横たわるアイシャの姿が、あまりにも痛ましいものだったからだ。心情的には、まずは手当てをしてやりたいところだった。切断された両腕は、包帯でグルグル巻きにされているだけだ。切断面から、真っ赤な血が滲んでいる。
「決まっておる。こやつの力を使い、在るべきところに在るべきものを表すのじゃ」
「――そ、それってつまり……異世界中国軍を呼び戻すってことですか!?」
「まぁそうじゃな。そしておぬしらも、それと引き換えに向こうの世界に戻るのじゃ。等価交換というわけじゃ。でないと、まぁた九州まで戻って、ちまちまと少しずつゲートをくぐるしか手段はないぞ!?」
「え? そうなんですか!?」
「そうなんですか――って……行きはよいよい帰りは怖いじゃ。歌にも謳われておろうが。転移というのは、行くのは簡単じゃが、戻るのは難しいのじゃ」
『かごめかごめ』が異世界転移のことを説明した歌だとは知らなかった。そう言われてみれば、らしい歌詞かもしれない。だが、今はそんなことより――
「あの……でも……このまま帰っちゃっていいんでしょうか!? それに、我々と引き換えに、中国軍が戻ってくるんですよね……」
「そりゃあそうじゃ。そうしてこそ、そちたちの
「……それは……そうですが……」
なんとなく、士郎は釈然としないのだ。
確かに、現在『
だがいっぽうで、もし現在『現世』にいる中国軍がこちらの世界に戻ってきてしまったら、こっちはどうなるのだろう!? 今必死になって戦っている異世界日本の人々は、その圧倒的な中国軍の軍事力の前に、屈服してしまうのではないか!?
そうなったら、今の今まで必死になって一緒に守っていたここ出雲の街も、義勇兵たちも、彼らの首領である髙木隊長――そしてその家族も、いや……今まで出会ったこちらの世界の人々すべての、淡い希望も打ち砕いてしまうことになりはしないか――
「――なんじゃ!? おぬしらは、そも祖国を守らんとこの世界に進軍してきたのではないのか!? 今ようやく災いの元凶を討ち果たし、こうして軍を引くようからくりを施そうとしておるのが、気に食わんと申すのか――!?」
ウズメが
「……いえ……決して気に食わないとか、そういうつもりはないんですが……ただ、ちょっとその後のことを考えると、手放しで喜べないというか……」
士郎は、他のオメガたちの顔色も窺う。
士郎は諦めて、今度は叶の方を見つめる。すると彼は、士郎に真顔でコクリと頷いてみせた。つまり――彼もウズメ派ということだ。普段は比較的エキセントリックな言動が目立つ叶ではあるが、やはりここぞという時には国防軍将校としての冷静な判断が優先するのだろう。
我々の第一目的は、あくまで元の世界――『
「――ふむ……普段のわらわなら、そのような世迷い事にいちいち付き合わんのじゃが……他でもない、士郎の懸念じゃ。ここはひとつ、相談に乗ってやらんでもない」
「ほっ――本当ですか!?」
士郎は俄然色めき立った。意外な展開に、他のオメガたちもざわつく。だが、叶が背中から撃つような発言を差し挟んだ。
「――だけどね中尉……我々の目的はあくまで現世日本での勝利なんだ。このまま異世界中国軍にはお引き取りいただくのが、今一番重要なことではないかね」
「しかし! じゃあこちらの人たちはどうでもいいってことですか!? ここまで協力してもらったのに!?」
「……まぁ……それを言われると若干後ろめたい気持ちもないとは言えないが……」
「だったら――」
「だが、既に
「――そうですけど……」
二人の遣り取りを見ていたウズメが口を挟む。
「――まぁ叶よ、そうキイキイ言うでない。この期に及んで仲間割れとはちと見苦しいぞ」
「そうは仰いますがウズメさま……もしこれで異世界中国軍の召喚を中止したら、我が日本国とていつまで持つことやら――」
「じゃが、なんぞ増援が来ておると言うておったではないか。少しは余裕が出来たんではないのか!?」
そう言えば――
張将軍も、詩雨も、そんなことを言っていたような気がする。だから玉突きでこっちに派遣されてきたとか何とか――
「……ですが、我々は特にその報告を受けておりません。本当に増援なんているんでしょうか!? 言下の国際情勢において、アジア全域の紛争に介入できるような諸外国はまったく聞いたこともない」
確かに――“増援”というのは、遠く異世界の地で戦う士郎たちを安心させるためのカバーストーリーかもしれない。そうでも言っておかないと、士郎たちは増援部隊を遠慮して、すぐに現世に戻れと言いかねないからだ。そのうえで、自分たちは刺し違える――
士郎の性格を熟知しているが故の、四ノ宮のハッタリかもしれないのだ。
それを聞いていた未来が、詩雨を覗き込む。
「――詩雨? 増援って、本当なの!?」
「あ? あぁ……本当だぞ!? ただ……未来たちにはちょっと眉唾に聞こえるかもしれない……」
何? どういうことだ!? 眉唾って……そんなに信じ難いモノなのか……!?
「具体的に教えてくれっ! どこの国が参戦してくれたんだ!? 台湾か? インドか? アメリカか? どこなんだ!?」
言いながら、士郎はどれもあり得ないと分かっていた。
台湾はもともと日本の保護下にある。それどころか、つい数か月前、再び日本の統治下に正式に入るかどうかで大きな議論が巻き起こっていたくらいなのだ。それはつまり――台湾一国ではこの激動の国際情勢の中で独立を保っていられないということの裏返しであり、そんな国が日本の防衛に参戦する余裕など、1ミリもないはずなのだ。
インドだってそうだ。もともと中国との紛争で核の応酬があり、10億人が蒸発してまだ何年も経っていないのだ。国家は疲弊し、国の運営もままならない。自国の防衛で手一杯なのだ。
アメリカは!?
アメリカだって、東アジアから手を引いてもう相当経つ。彼らは中南米と中東の紛争で手一杯なはずなのだ。もともと日本が軍事大国化したのだって、アメリカがこの地域から手を引いたことが原因だ。
それが今さら日本のために地球を半周して駆け付けるなど、逆立ちしてもあり得ない。もうとっくに、彼らは世界の警察を返上したのだ。
つまり――日本の独立は、日本人だけで何とかするしかない。
それが今の世界情勢だ。そして恐らく、この戦争で日本が負ければ、アジアは大動乱の時代を迎える。中国大陸は複数の軍閥が群雄割拠し、まるで春秋戦国時代のような様相を呈するだろう。東南アジアはもともと政情不安定だ。それが日本に付くか、中国に付くかでモザイク模様のようにころころ敵味方が入れ替わる。そして今、日本も中国もいない、軍事的空白が決定的になった途端、彼らは国盗り合戦を繰り広げるに違いないのだ。まだ20世紀型の経済成長しか知らないこの地域は、資源を確保すること、流通を確保することがすべてにおいて優先されるのだ。
もちろん欧州だってあり得ない。
彼らはそもそも戦争できるほどの国力を既に有していないのだ。もともと21世紀初頭時点で、当時のフランスやドイツの兵力は自衛隊よりも下だったのだ。かつての帝国列強は、今や移民問題とテロで落ちぶれた、辺境の優等生に過ぎない。一昔前の、北欧諸国のような存在だ。そんな彼らが、地理的にも遠く離れたアジアに、わざわざ派兵するわけがない。
あぁそうだ――もしかしたら……南洋諸島国家のどれかが、駆け付けてくれたのだろうか。あの地域は日本の信託統治領でもあるし、世界の緊張からは遠く離れた国々だ。
だが、それにしたってせいぜい数百人規模だろう。それは単なる象徴だ。日本の国難に対し、共にある――ということの意思表示に過ぎない。もちろんありがたい話だが、120万の中国軍を撃退するような戦力には到底及ばない。
さぁどうだ!?
こうやって冷静に分析すれば、現世日本に増援が入ったというのは、大いに疑問だ。
張将軍率いる狼旅団や、森崎率いるドロイド部隊が駆け付けてくれた時は、本当にありがたいと思ったが、よく考えてみると、それほどの部隊を転移させてでも、幽世での戦闘に早く決着つけなければならないほど、現世日本が追い詰められていた――と考えた方が、辻褄が合うではないか。
つまり――現在現世にいる異世界中国軍は、未だ十分手強い脅威なのだ。
「――詩雨ちゃん!?」
叶も、士郎と同じことを考えていたのだろうか!? 士郎の質問に答えるよう、発言を促す。
「……そ、それは……」
「あぁー、もうよいわ! ならば、そちたちの祖国におる中国軍を、この世界に戻さねばよいのであろう? 連中が向こうの世界から消え去り、こちらにも現れない――それで問題解決じゃ」
「そんなことが出来るんですかッ!?」
もしそれが本当に可能なら、それこそが理想的な解決法ではないか!?
今やこの幽世の世界の中国軍はもう一押しで撃退できる。今なら、我々の装備一式をこの世界に置いて帰れば、義勇兵たちだけでも十分対抗できるだろう。何せ彼らの主力はたった今、自分たちが撃退したのだ。アイシャも一緒に連れて帰れば、もはや残存中国軍は取るに足りない存在だ。
「――だったらそれでお願いします! みんなも異論ないよな!?」
オメガたちも、パァっと笑顔になる。まぁ、異世界中国軍がどの並行世界に飛ばされるのか――それだけは人道的に少し気にはなるが、知らない世界のことを心配しても仕方がない。
だが、ウズメの言葉には続きがあった。
「うむ……それでよいならそうしようではないか。ただし、おぬしらも元の世界に戻れる保証はなくなるぞ」
「へ――!?」
今なんて言った――!?
それは……現世に戻れなくなる、ということか!?
「だって、もともと行って来いで交換しようとしておったのじゃ。一方が別の世界に飛ぶなら、もう一方が煽りを喰らって明後日の方向に流れるのは道理というものじゃろう。もっとも、必ずそうなるとは限らん。あわよくば、元の世界に戻れる可能性もなきにしもあらずじゃ」
「そんな……」
「それにもう一つ」
「まだ他にもあるんですか!?」
「この娘――アイシャと言ったかの……こやつも恐らく、命と引き換えになるじゃろうな」
なんで――と言いかけて、士郎は口をつぐんだ。理屈や理由はともかく、そうなると言われたら、それは発生する事実として受け止めなければならないのだ。あーだこーだ文句を言ったところで、その現実が覆るわけではない。
「……そう……なんですね……」
士郎は言葉少なに俯くしかない。要するに、二者択一なのだ。士郎たちが無事に現世に戻るためには、現在現世に転移して暴れ回っている異世界中国軍との等価交換を行うしかない。
それが嫌なら、士郎たちは無事に元の世界に戻れる保証を捨てて、イチかバチかに賭けるしかない。しかも、その場合アイシャの命は失われるのだ。恐らくそれは、これだけの大質量を転移するにあたって、まったく違う座標に送り込むためのエネルギーが膨大に要るということなのだろう。
その時だった。
目の前に横たわるアイシャが、僅かに口を開く。
「……ってください……」
「……え……?」
「……やって……ください……わたしは……これ以上人が……傷つくのを見たく……ない……」
それは、後者の案を採用せよ、ということなのか――
でも、そんなことをしたら彼女の命は……
「――それが……償いというのなら……わたしは……甘んじて受け入れる……」
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