第401話 エクストリーム(DAY10-13)

 詩雨シーユーはついに、自分がこの愚かな戦いを終わらせるのだろうと自覚していた。それは本当に心から、自分自身が望んだことでもあったから、後悔はない。

 ただ、思ったより痛いな……それだけが、少々誤算ではあった。肉体が焼かれるというのが、これほど辛いものとは――


 だが、今さら引き下がることは出来なかった。だってこれは、自分自身が望んだことだから……

 命の恩人で、最高の親友である未来みくのためだから……


 詩雨の身体は、容赦なく焼かれ続けていた。目の前に立ち塞がる、あの恐ろしい全裸の怪物によって――

 だが、自分の身体が、傷ついた瞬間再生を始める、いわゆる「超再生」の異能を宿していることで、この程度で済んでいることも彼女は知っていた。もし生身のままだったら、あっという間に肉を焼かれ、黒焦げになって蒸発していたことだろう。

 確かに見た目はそう悪くない。焼かれても焼かれても瞬時に焼かれた部位が再生していくから、パッと見にはそんなに酷い有様にはなっていないのだ。だが、神経組織が絶えず再生するということは、すなわち痛覚も常に正常化され続けるということであり――それはつまり、焼かれることによる痛みを100パーセント復元し続けるということだ。そんな当たり前のことに、今更ながら気付くなんて……


 これでは、いくら肉体が再生されても、私の精神が持たない――

 この想像を絶する痛みは、とてもではないが耐えられるものではない。このままでは、あと数秒も経たないうちにその痛みで気絶してしまう――


 だが、そう思った瞬間、目の前の裸神がその大火球を急速にしぼませていった。もともと瞬間的な爆発だったのだ。永遠とも思えるその灼熱地獄は、実際のところ10秒もなかったのではないだろうか。

 その煉獄の10秒間を何とか耐え抜いた詩雨は、やがて自らの肉体の再生力が本領を発揮し、見る間に元通りの美しい身体を取り戻していくのを実感する。全身を刺し貫く針のような痛みはあっという間に雲散霧消し、ひりつく喉の痛みも嘘のように消失した。そう――肉体が、完全に再生を果たしたのだ。


 目の前の辟邪へきじゃは、信じられないという顔で詩雨を凝視していた。

 まぁ、普通に考えたら今の大火球を喰らって生きているわけがない。それどころか、これほど爆心地に近い位置にいるあらゆる存在は、本来あっという間に蒸発して然るべきなのだ。

 それが傷ひとつ付かずにその場に変わらず仁王立ちしている。辟邪の苛立ちは、きっと頂点に達したのだろう。

 恐ろしい形相で、そのまま詩雨に飛びかかってくる。


 ズッ――バンッ――!!


 辟邪は、そのまま拳ひとつで殴りかかってきた。それは恐ろしいほど重たい鉄拳で、右ストレートは詩雨の鼻の下あたりを直撃し、左フックでみぞおちを正確に狙い打った。

 その直後、彼女の前顎部は完全に叩き割られ、前歯が口の中にめり込み、顎がひしゃげた。腹に受けたパンチは、もしかしたら内臓のひとつくらい破裂させたかもしれない。だが――

 詩雨の肉体は瞬時にそれを再生し、数秒もしないうちに元通りに復元してしまう。


 ウガぁァァアアアアッ!!!!


 辟邪はその様子に、ますます怒りを露わにした。今度は右膝を横薙ぎに詩雨の腰に叩きつけ、次いで回し蹴りの要領で身体を一回転させると、さっきとは反対側から詩雨のこめかみにかかとを叩き込んだ。


 だァ――――ンっ


 横っ飛びに吹き飛ばされた詩雨の身体はおかしな角度にひしゃげ、横腹は真っ赤に腫れ上がった。頭からは、ドロリと赤いものが大量に滴り落ちる。だが――


 やはり詩雨の肉体は、瞬時にそれを再生し、さっきと同じように数秒で元通りの美しい身体を復元する。


 さっきから、やられてばっかりだな――

 詩雨は自嘲気味にひとりごちる。だって、あの辟邪と違って、自分は戦闘訓練など受けていない。兵士ではなく、ただの民間人なのだ。敵との戦闘が、まさかこんな素の殴り合いになるなんて、誰が想像できただろう!?

 こんな相手に、拳で勝てるとは到底思えない――


  ***


 だが、それと同じことを思っていたのは、こちらも同様だった。

 先ほどから、ドローンの送ってくる俯瞰映像にかじりついていた士郎たち。モニターの中に映る詩雨が、ほぼ一方的に殴る蹴るの暴行を喰らい、痛めつけられている状況だけが確認できる。


「――まさか神の戦いが……こんな地下闘技場ファイト・クラブの殴り合いレベルなんて……」


 士郎はかぶりを振る。これじゃあただのサンドバッグだ。こんな戦いを延々と続けたって、意味はない。


「少佐ッ! 何とかならないんでしょうか!? これじゃああんまりだ!」

「そうですよっ! 詩雨、戦闘訓練なんか受けてないんでしょ!?」


 士郎と未来が、口々に訴える。


「将軍っ!?」


 未来が、さらに秀英シゥインに訴えかける。いくら彼女が再生力に優れていたって、これじゃあ戦いにならない。だが、秀英も叶も険しい表情のまま身じろぎしない。まるで何かを待っているかのように――


 そう――確かに彼らは待っていたのだ。単なる殴り合いでは、詩雨に万が一つも勝機はない。それはもちろん、叶も張も分かっていたことだ。ただ、思ったより戦闘が早く始まってしまい、準備が整わなかったのだ。

 だから、ポロンと無線の呼び出し音が鳴った瞬間、二人は飛び上がるように立ち上がったのだ。


『――こちら赤城飛行隊! 約束のモノを運んできました』


 山本少佐――!?

 それは間違いない、ステゴドンの出現により一時退避していたF-38部隊の飛行長、山本の声だった。

 叶が無線に噛り付く。


『山本クンッ! 待ちかねたよ!』

『あぁ、叶さん――スイマセン! 何せ森林地帯ですからね……吊り上げるのに一苦労でしたよ』


 森林地帯!?

 士郎はわけが分からず未来と見つめ合う。それってもしかして、北部の山岳地帯――かざりゆずりはが展開していた戦線のことなのか――!?


『――やっほー士郎きゅんっ!! お待たせなのだー』


 楪の調子のいい声が聞こえてきた。ど、どういうことだ!? ますます訳が分からない。士郎も慌てて無線を開く。


『ゆずッ!? どうしたんだ!?』

『どうしたって……北戦線から引っ張り上げてきてもらったんだ! かざりちゃんも一緒だよ!』

『お待たせでぇっす! かざりちゃん参上!』


 ゴォォォォぉ――――!!


 そうこう言っているうちに、上空にジェット推進音が轟き始めた。慌てて音の方向へ振り向くと、確かにF-38が二機編隊エレメントで急速接近中だ。


「――中尉、悪いが北戦線のオメガを引っぺがしてきたよ。敵部隊ノベンバーの制圧は時間の問題だったからね」


 叶が後ろから声を掛けてくる。北戦線は、森林地帯を少数の分隊に分かれ、多数の敵が森林地帯を踏破して市街地への到達を目指していたはずだ。しかも、グルカ兵という最強の敵を従えながら――

 すると、我が山岳猟兵は見事それらを撃退しつつあるということなのか!? 士郎は、本来なら自分が全体指揮を取らなければならないのに、北方面の戦況をまるで承知していなかったことに愕然とする。


「――しょうがないよ。君は他のことで手一杯だったからね。それに、指揮官の後見役はこの私だ。一応これでも少佐だからね」


 確かに、オメガ特戦群の指揮系統序列で言えば、第一戦闘団指揮官の士郎が何らかの事情で部隊の指揮が取れなくなった時は、本来の階級上は士郎よりも上官である叶が、その指揮を引き継ぐことになっている。彼は特戦群の中でも、最先任なのだ。


「――なに、礼には及ばない。君は十分オメガのポテンシャルを引き出してくれた。それに、戦争とは一人でやるものではない。たまには任せたまえ」


 少佐に言われたら、中尉である士郎は素直にありがとうございますと言うしかない。釈然としないのは、単なる士郎のチンケなプライドだ。


「……そ、それで、なぜゆずとかざりが……!?」

「あのガンダルヴァと対決していないのは、もはやこの二人くらいじゃないかね?」

「――えと、厳密に言えばキノもまだかと……」

「まぁその辺はもうひとつの事情があって、キノちゃんはすっ飛ばしたんだ」

「もうひとつの事情……?」


 その時、また飛行隊から連絡が入る。


『――あと15秒で標的爆撃ルートに進入』


 えっ!? 標的爆撃ルートって……


 だが、考える暇もなく、士郎たちの視界にF-38のエレメントが猛烈な勢いで突っ込んでくる。あっと思う間もなく、上空を轟然と通過していった。その先にあるのは、まさに敵辟邪と詩雨が対峙している場所――!

 だが、士郎は何よりその通過の瞬間、信じられないものを目撃していたのだ。


「――っ! み……未来……今の、見たか……?」

「えっと……あれ、かざりちゃんと……ゆずちゃんだったよね!?」


 そう――それは、間違えようがなかった。彼女たちは、それぞれF-38の機体腹部にのである!!

 それはあたかも、サーフィンか何かでボードに乗っているかのようだった。あり得ない――超音速で飛行する戦闘機だぞ!?


『――ひゃっほーい!!』


 こんな状況で、あんなにはしゃいでいるのはまず間違いなく楪だろう。砂糖菓子のような甘い声が、無線機にビリビリ響く。一体何がどうなっている――!?


「あの辟邪のやっかいな能力――精神攻撃を何とか躱せないものかと思案したんだ」


 叶がおもむろに話しかけてくる。


「――それで、そういうのは恐らく何らかの音波なり、波長を周囲に放射しているものと考えた。しかも、一定の周波数ではないだろう。もしかしたら秒単位で細かく周波数を変えてきているかもしれない――」

「あ――そういうことですか!」

「うむ。なかなかいいアイデアだろう? しかも、それは個人にカスタマイズして、あらかじめ脳波を機体のECCSと連動させておく必要がある。それには、郊外で戦っているあの二人を回収して、調整を施す時間が必要だったのだ」

「それで、戦闘の中心部にいた亜紀乃はスルーしたんですね!?」

「うむ。それにキノちゃんは、これまで十分戦ってきたからね。少しは休ませてあげたかった」


 勝手に会話を進める士郎と叶に、未来が不満そうな表情を浮かべる。


「……あの……私にも分かるように説明してください」

「あぁ、ごめんごめん……要するに――」


 要するに、それはF-38という、電子戦の塊のような機体を使って施した、対辟邪用精神攻撃妨害装置の構築だったということだ。

 現代戦の戦闘機には、すべからく電子戦用の妨害機器が積んである。要するに、ジャミングだ。敵の出す電波を攪乱したり打ち消すための妨害用の電波を発信するいわゆる「ECS」、さらにそれに対抗して敵が周波数を変えてきたら、それを追いかけて更なる妨害電波を発する対電子戦闘「ECCS」。それらはすべて自動化され、コンマ秒単位で刻々と見えない電子の世界の戦いを繰り広げる。

 叶はそれを、辟邪の出す精神攻撃の波長を妨害するために応用したのだ。

 仕組みは、蓋を開けてみれば極めて単純なものだ。F-38が拾う辟邪の脳波に逆位相を掛けた周波数を、オメガの脳波に同期させるだけ。これにより、ゆずとかざりが直接拾う辟邪の脳波を打ち消すのだ。


 だから、二人はF-38に完全に結合している完全被覆鉄帽を被っていたのだ。分かりやすく言えば、それはパイロットたちが着用しているヘッドマウントディスプレイシステム、いわゆるHMDSとまったく同じものだ。もちろん、二機のパイロットにも同じ防護措置を施している。戦闘機を操縦中に精神汚染されてパニックに陥られたら、墜落は免れないからだ。


 そして何より、彼女たちが機体の外側、腹の部分に逆さまで吊り下がっていた理由――

 その答えがたった今、目の前で明らかになる。


 二人は相変わらず逆さまのまま、超音速で飛ぶ戦闘機の腹に立っていた。立っていた――というより、あれは吊り下げられているのだろうか? あるいは、足の裏を機体にくっつけているのか? 素直に背中に乗っていないのは、もしかしてウエポンベイの位置に関係しているのかもしれない。すると彼女たちはおもむろに、背中に挿していた長刀を抜く。


 まさか――!?

 そう思った瞬間だった。二人は戦闘機に乗ったまま、ガンダルヴァに切りかかったのだ――!


 モニターは無音のままだが、まるでザシュッ――と切り付ける音が聞こえたような気がした。辟邪の腕が見事に刎ね飛ばされたからだ。直後――

 逆上した辟邪がまたもや大火球を出現させる。


 しかし、超音速で飛び去るF-38は、すんでのところでその大火球を躱し、逃げおおせる。なるほど――だからF-38に乗ったままなのか……確かにあの速度で飛び抜ければ、敵の反撃は届かない。

 圧倒的身体能力を持つオメガだからこそ、超音速戦闘機の機体に直乗りできるのだ。普通の人間なら、風圧だけで全身の骨が砕かれるだろう。腕を振り抜くことすらできないに違いない。


「えっと――やはり私たちの刀は通用するんですね!?」

「あぁ、ドロイドたちの物理攻撃では傷一つ付けることができなかったが、やはりヒヒイロカネの剣は十分効果的らしい」


 叶がドヤ顔で解説する。まったく、戦闘機に搭載した電子戦技術を応用したことといい、戦闘機をサーフィンボード代わりにして敵に肉薄することといい、確かに叶の考え出した戦法は、クレイジーかつ圧倒的だ。まさにエクストリーム戦法と言ってもいい。


 そして、そうか――

 広美ちゃん――タタライススキヒメ――に鍛造してもらった、ご神体に使われている幻の金属は、いかな量子を操り物理攻撃を無効化するガンダルヴァに対しても、十分打撃を与えられるのだ。


 ガンダルヴァは明らかに怯んだ様子だった。詩雨が、そんな彼女に肉薄する――

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