第399話 命の回数券(DAY10-11)

「――彼女のDNAの中にね、初期増殖応答転写因子の無限活性化が認められたんだ」


 ――??

 初期……なに……?


 怪訝そうな士郎たちの顔を見て、叶が言葉を変える。


「つまりね、詩雨シーユーちゃんは元の人間の姿に戻っても、無限に人体が再生する異能だけは維持していることが分かったんだよ」


 詩雨はもともと、李軍リージュンの違法なキメラ実験に巻き込まれた被害者だ。結果的に、その人体は中途半端な再生能力を持つに留まり、切り刻まれて再生するたびに元の身体形状を維持することができなくて、やがて異形のモンスターと化してしまった。

 それが未来みくの覚醒――リセット能力により、その身体が奇跡的に元の人間の姿に戻ったわけだ。当然、キメラ体の時に獲得した能力は、元の人間に戻ったことで失われたと思われたのだが、そうではなかったらしい。

 つまり、彼女は見た目こそ普通の人間だが、その身体はいくら切り刻まれても再生する。そう――まるでヴァンパイアのような不死身の肉体を得たということになる。


「――それは先ほどヂャン将軍から聞きました。理屈は分かりませんが、要するに彼女はどんなに傷を負ってもすぐに再生する、いわゆる超人化したんですよね!?」

「あぁ、そして私は、その能力のブラッシュアップを図ったんだ」

「つまり……?」

「傷の再生速度を限界まで高めたんだ。つまり、彼女はたとえば腕を切り落とされた瞬間、瞬時に次の腕が生えてくる」

「……ということは……?」


 士郎は、少し怒ったような顔で叶を見据える。未来は、やはりまだ少し分かっていないような顔で、不安そうに二人の遣り取りを見つめている。


「……ふぅ……分かったよ――白状しよう。我々は、彼女のその驚異的な再生能力を使って、敵辟邪へきじゃの攻撃を無力化し、最終的にその身柄を拘束するつもりだ」


 ――――!!

 やはり士郎の思った通りだ。つまり、彼女は何度も何度も殺されながら、その圧倒的な再生力で敵の攻撃を最終的に凌駕する、そのためだけにこの場に呼ばれているのだ。

 だが、それって言ってしまえば、かつて李軍たちがやっていた、あの悪魔の人体実験とさして変わらないではないか!?


「――よくもそんなふざけた作戦を!」


 士郎は怒りに我を忘れ、叶の階級が自分よりも上であることを一瞬忘れてしまう。


「……やっぱりそういうことですよね……あまりにもあり得ない作戦だから、私さっき将軍にその話を聞いた時によく理解できない、って思ってしまったの」


 未来も同調する。少しだけ、軽蔑の色を滲ませながら――


「おいおい待ってくれ、これは僕らが強制したことじゃない……彼女が、詩雨ちゃん自身がやらせてくれと言ってきたことなんだ」

「将軍っ!?」

「事実だよ。私にはあの子の気持ちが痛いほど分かる……」


 未来と士郎は、お互いの顔を見合わせた。本当に――!?


「――二人とも落ち着いてくれ……もう一度、詩雨ちゃんの身体のことをキチンと説明しよう。彼女は大丈夫だから……この私が保証する」


 天才科学者、叶が保証する――!?

 ならば、一度心を落ち着けて聞いてみる価値はあるかもしれない。


「――二人は、生物にはもともと再生能力があると言ったら信じるかね?」


 叶は、穏やかに話し始める。


「……それって……トカゲの尻尾みたいな話ですか?」

「いや……うん、まぁ……それも広義の意味では再生だね……部分的ではあるが」


 そうか――確かにトカゲは、尻尾を自ら断ち切ることで、その場のピンチを切り抜ける。切れた尻尾がその後再生し、また元通りになるのは周知の事実だ。

 だが、再生するのはあくまで尻尾だけだ。脚や首を切れば当然、元には戻らないし、恐らく死んでしまう。

 今度は未来の番だ。


「分かった! プラナリアとか!?」

「うむ、トカゲよりは核心に近付いたかな……でもプラナリアも、再生能力という意味では完全ではない」


 叶の説明はこうだ。

 プラナリアという原始的生物が、切り刻んでも元通りになるのは有名な話だ。たとえば胴体を真っ二つに両断しても、頭の方が残った切片からは尻尾が生えるし、尻尾だけ残った切片からは頭が生える。

 つまり、細胞がどの部分に何を再生すれば元通りになるのか、キチンとした再生の設計図を持っているということだ。

 これは、プラナリアの全身に「幹細胞」が存在しているためだ。幹細胞はさまざまな器官に分化する機能を持っており、欠損した部位があれば当然元通りに復元しようとする。

 ただし、1体のプラナリアを2つに切断すると、それぞれが再生モードになり、結果的に2体に増殖する。細かく切り刻んで10個の切片にすると、最終的に個体数は10体に増殖するわけだ。

 これでは「再生」というより「増殖」だ。そう――プラナリアの再生能力というのは、元の個体を復元するというより、無性生殖――すなわちクローン増殖と言った方がよい。


「じゃ……じゃあ……」

「本当の意味での再生能力というのは、僕たちがイメージする通りだ。手脚を切り落とされても再生するし、例えば銃で撃たれてもすぐ傷が塞がり、元通りピンピンした身体になる――」

「まぁ……そうですよね。それが一番しっくりくる“再生”のイメージです。切り落とされた腕からもうひとりの自分が生えてきたらビックリします」

「あなたは何者!? ってね」


 未来も同意だ。叶が頷く。


「そのイメージ通りに再生する生物が自然界に存在するんだ。ホフステニア・マイアミアという原始生物なんだが、この生物は身体のどこを切除されても、僅か一日ほどでその部分を再生させる。トカゲみたいに部位限定ではないし、プラナリアみたいに無限増殖するわけじゃない。キチンと、元の個体が元通りになるんだ」


 二人がふむふむと頷く。


「それで、なぜこの生物に限ってこうした能力が生起するのか、そのゲノム構造を調べた研究者がいたわけだよ。それによると、そのゲノム内でタンパク質をコードしていないノンコーディングDNAの中に――」

「ジャンクDNA!」

「――そう、そのジャンクDNAの中に、傷の再生を制御する初期増殖応答転写因子、いわゆるEGRを活性化させる働きを持つものがあることが分かったんだ」

「それはつまり――言い換えると……身体の再生を可能にするジャンクDNAを持っている、ということですか?」

「そのとおり! このジャンクDNAが、身体部位の無条件再生――これを仮に『超再生』と呼ぶとしようか――のスイッチをオンにするわけだ」

「待ってください――そのEGRは、もしかして俺たち人間も持っている……?」

「そう、人間に限らず、一般的な地球上の生物はみな、このEGRを持っているんだ。ただ、残念なことに、普通この因子は死蔵されている。持っているだけで、機能していないんだ」

「えと……この話をしたってことは……」

「そう――詩雨ちゃんの身体では、このEGRが活性化されていることが分かったんだ。超再生のスイッチが、オンになったんだよ」

「なぜ――」

「なぜかはもちろんまだ分かっていない。ただ、事実として彼女は、彼女自身が持つ未知のジャンクDNAのお陰で理想的な再生能力を持つに至った。だから僕は、今度はその再生速度を極限まで高めようと考えたわけだ。それこそ物語の中のヴァンパイアのようにね」

「――少佐……なんだか良い話っぽくなってますが、再生速度を上げるとか、少佐のエゴ以外の何物でもないんじゃないですか!?」


 未来がジト目で叶を見つめる。すると叶は大袈裟なリアクションでそれに応えた。


「さにあらず! それこそが、詩雨ちゃんの望みだったんだ」

「どういうこと……?」

「彼女は、自身の再生能力について、極めてポジティブな受け止め方をしてくれた。以前の再生は、元の身体の形状を維持できないという致命的な欠陥を抱えていたからね……だから、今回のEGR活性化が判明したことで、僕に言ったんだ……少佐――なんとか再生速度を上げてください、できれば瞬時に再生できるくらいに……そうしたら、私は未来たちの役に立てる――」

「そんな……」


 それが、詩雨の本心なのだろうということを、未来は直感的に悟った。彼女はそういう人だ。きっと、未来に助けられた後、何もできない自分に内心ずっと苛立っていたのだろう。


 それにしても、未来には釈然としない点が残った。自分のリセット能力は、森羅万象のものを「本来るべき姿に戻す」ものだ。だから当時、あの覚醒の瞬間――それはガンマ線バーストとほぼ同じ現象だったと言われているが――生きていた者はすべて、元通りになったのだ。重傷を負っていたヂャン秀英シゥインも、そして異形の怪物と化していた張詩雨も……

 だが、元通り――本来在るべき姿――に戻った詩雨に、そんな再生能力が残っていたというのは、いったいどういうことだ!?

 その理屈でいくと、彼女は元々再生能力を持っていた、ということになるではないか――


「あの……」


 未来は問いかける。


「……そもそも人間は、そんな再生能力を持っているものなのでしょうか? だって――」

「さっきも言ったが、もともとすべての生物にはEGRが実装されている。ただ、その機能がオフになっているだけだ」


 叶が噛んで含めるように言う。


「――太古の昔、人間は今よりもっとずっと寿命が長かったとされているのを知ってるかい?」

「……?」


 士郎と未来は、お互いの顔を見合わせる。


「君たちは旧約聖書を読んだことがあるかね?」

「……えと……原本は読んだことがありません。せいぜい読み物として、断片的なエピソードを知っているくらいで……」


 まぁ、大半の日本人がそうだろう。だから我々はピンとこないが、これがカトリックの人々だと、ドキリとするはずだ。


「だったら創世記第5章を読んでみるといい。そこには、最初に神に造られた人間アダムから、方舟で有名なノアまで、計10代にわたる人間の系図が描かれているんだ。それによると、初代人間アダムは930歳まで生きたと記録されている」

「きゅうひゃく……」

「あぁ、そして2代目のセツは912歳、3代目のエノシュが905歳だ。ちなみに10代目のノアは950歳まで生きた」

「そんなに長生きだったのに、なぜ今の人間はこんなに短命なんですか?」

「創世記第6章によると、“地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾く”から、神々はノアとその家族を除く人類を大洪水で滅ぼし、その後の時代の人間の寿命を“120歳にする”と宣言したんだ」

「……神の……意向で!?」

「まぁ聖書の言う通りだとすると、そういうことになるね。ちなみにノアの次の代からいきなり短命になったのではなく、息子のセムは600歳、その息子アルパクシャデは438歳というように、だんだんと短くなっていき、ノアから10代目のアブラハムになってようやく175歳となる」

「それにしたって、今の人間の寿命からしたら大変な長命だ」

「出エジプト記で有名なモーセは――」

「あの、紅海を二つに割ったという人ですね」

「……そう、そのモーセだよ。彼は〈詩編〉の中で“人の齢は70年、健やかであっても80年”と語っている。恐らくこの言葉は、当時の人間の平均的な寿命を言ったものだろう。つまり、その頃の人間の寿命が、ようやく現代人と合致するんだ」

「でも、中世から近世にかけて、人間の寿命はせいぜい40歳から50歳だったはずです。今だって、底辺国の平均寿命はそんなものだ」

「それは、その時代や底辺国の暮らしが異常だったからに過ぎない。本来人間は、120歳まで生きることを神から約束されているんだ。モーセ自身も実際は120歳まで生きているし、生物学的にも人間は病気に罹ったり途中で殺されたりしなければ、120歳まで生きることができるとされている」

「それはもしかして――」

「そう、未来ちゃんの特異能力とも深い関係のある、例のテロメアを解析した結果だよ」


 未来は、人間の細胞分裂を促すテロメラーゼという酵素を異常分泌し、事実上の不老不死という異能を獲得した存在だ。


「普通の人間は、生まれた時点で細胞分裂の回数が最初から決まっている。もちろんその回数を使い切れば、それ以上新しい細胞を造れなくなり、新陳代謝ができなくなって死に至る。この細胞分裂を促すのがテロメアと呼ばれるもので、研究の結果、その回数はヒトの一生につき約50回が限界ということが分かったんだ」

「……それが、120歳寿命の根拠……」

「その通り。分かりやすく言えば、人間は50回分の命の回数券を持っているようなものなんだ。それを全部使い果たして続けられる時間の旅の限界が、120年――ということだね」


 ……まさか……!?


「じゃ、じゃあ……その回数券の枚数を、神が削った……」

「うむ。それはおそらく人間のDNA改変によるものだ。そして、EGRの機能が停止されているのも、神による操作だとしたら――!?」

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