第382話 拘束(DAY9-33)

「――别动ビェドン(動くな)!」


 その日本兵は、建物に入るなり中国語で叫んだ。手にはアサルトライフルを構えている。両脇には、長剣を構えた二人の女性兵士が同じように立っていた。

 コイツらは――!


 ファン博文ブォエンは恐怖に顔を歪ませた。なぜならそのうちの一人、銀髪の長い髪をなびかせた女性兵士は、かつてハルビンで自分たちを追い詰めた、あの女だったからだ。生きていたのか――!?


 黄を護衛してきた特殊部隊の兵士たちは、完全に不意を突かれて誰も銃を構えていなかった。まったく、何て役立たずだ! よくこんなことで特殊部隊が務まるものだ! 黄は憎々しげに視線だけを彼らに向けて怒りを露わにする。

 するとそれに気づいたのか、兵士の一人が僅かに腕を動かした。背中のライフルを構え直すつもりなのだ。だが次の瞬間――


 パンッ――


 真ん中の日本兵が、躊躇なくその兵士を狙撃した。ガハッ――と大きな吐息を漏らして、兵士が倒れ込む。見事なヘッドショットだった。

 それを見た他の兵士たちは、すぐさま下手に抵抗することを諦めた。全員両手を挙げ、日本兵たちの方を向く。

 すると黒髪の女性兵士がすかさず中国兵たちの間を回り、まず肩に吊るしたライフルを次々に取り上げていった。続いて全員をその場に這いつくばらせ、両手両足を大の字に広げさせる。脚で腰回りを踏みながら、拳銃などの小火器を発見しては取り上げ、その都度部屋の端に放り投げていった。

 その仕草は実に手慣れていた。この時点で彼らが相当の場数を踏んでいることは、どうやら間違いなさそうだった。


 だが黄が先ほどから薄気味悪く感じていたのは、例の銀髪の女兵士だった。彼女は武装解除の間じゅうずっと、自分の方を見つめている。


「――あなた……」


 突然、その兵士が自分に話しかけてきた。その瞬間、黄の心臓は一気に跳ね上がる。自分が覚えているくらいだ……相手もこちらのことを憶えているに違いない――


「……どこかで……会ったことがありますか?」

「い……いえ……」


 黄は俯いて視線を逸らす。自分がやってきたことは、重々承知している。それが何度も彼女の命を脅かしてきたことも、完全に自覚があった。気付かれたら、お終いだ……


「――どうした未来みく?」


 銃を構えていた男が銀髪に話しかけている。どうやら彼女がこっちの方をずっと見ていることに、何らかの違和感を覚えたのだろう。


「――コイツを知っているのか?」


 あぁ――やっぱり……

 この女は、かつてヂャン将軍が「ミク」と呼んでいた、あの敵辟邪ビーシェ――いや、日本軍で言うところの『オメガ』だ。


「あ、うん……どっかで見たことがあるような気がするの」

「それは……ウツシヨでか?」


 ウツシヨ――!?

 それは、もしかしてのことか!? 日本軍はそれを、ウツシヨと呼んでいるのか……


「……そう……だと思う……」


 ミクの言葉を受けて、男がチラリと自分の方を向いた。銃はまだ、全体に向けたままだ。男は慎重に辺りを見回しながら、黄に近付いていく。


「――おい貴様……こちらの世界の者ではないな!?」

「…………」


 黄は答えられなかった。

 元の世界に居た――と素直に言えば、あの女兵士と接触があったことがすぐにバレてしまう。日本軍は、この銀髪を救出するためだけに、多大な犠牲を払ってまでハルビンに攻め込んできたのだ。自分が銀髪に対しやってきたことを知ってしまったら、恐らく凄まじい報復を受けるに違いない!


「……なぜ……答えない?」


 やがて黒髪の方が中国兵たち全員を統制下に置いた。武装解除を済ませた後、あらためて床に座らせたのだ。全員後ろ手にプラスチックワイヤーで簡易に縛られている。

 それを見た男は、ようやく全周への警戒を解き、あらためて黄に銃口を突き付けた。


 グリッ――と頬に冷たい感触が押し付けられる。それは意図的に押し込まれ、やがて黄の頭は仰け反るような姿勢を取らされた。


「――もう一度聞く。貴様は向こうの世界の者だな……!?」

「……そ、そうだ……」


 黄は、おそらく「違う」と言っても信じてもらえないだろうと咄嗟に判断し、諦めて本当のことを言う。自分はこんなところで死ぬわけにはいかないのだ。下手に逆らうより、ギリギリまで正直に話した方がよさそうだ。


「――どこにいた?」


 男が続けざまに質問を重ねる。


「……ハルビン……」

「え? なに!? もう一度――」

「ハルビンだ! 俺は元華龍ファロンの研究員だ! なぁ頼む! 俺は兵士じゃないんだ。助けてくれ!」


 黄は、無自覚に一気に口走ってしまったことに、我ながら驚いていた。無様な命乞いだ――だが、重ねて言うが、俺は自分の命が第一なんだ。敵だろうが何だろうが、命を助けてくれるならどうでもいい!


「ふぁ……華龍だと!? じゃあ貴様、もしかしてハルビンの戦闘の時に居たのか!?」

「――あッ!!」


 突然、銀髪が驚きの声を上げた。チッ――気付かれたか!?


「士郎くん――私、思い出した! この人、あの李軍リージュンの助手だよ! クリーちゃんを苦しめて……あと、詩雨シーユーさんも――」


 詩雨というのは、元華龍黒竜江省軍団長だったヂャン秀英シゥインの実の妹だ。

 李先生のDNA研究およびキメラ研究の実験台となり、人外のバケモノにされた、哀れな女性。何度でも再生する彼女の特異能力を解明すると称して、黄自身も何度も何度も彼女をさまざまな方法で殺しては再生させるという悪魔のような実験を繰り返した。

 このミクという女兵士に会ったのはまったくの偶然のようだが、あんなバケモノのような見た目の奴とこの女は、意外にも気が合ったらしい。あの時も、バケモノのことでやたら怒り狂って、それであの大爆発を――


 だが黄は、それ故に恐れおののいた。この女は、恐らく自分に限度のない憎しみを抱いている。俺はあの時の関係者――いや、李先生の共謀共同正犯と言ってもいい――なのだ。案の定この銀髪女は、当時の記憶がありありと甦ったのか、見る間にその瞳を青白く発光させていく。完全にスイッチが入ったのだ。


「――よくもおめおめと!」


 言うが早いか、銀髪は構えていた長刀を突如として上段に振り上げた。


「ヒッ――」

「待て! やめろ未来ッ!!」


 ガキィィィィ――ン!!!


 すんでのところで、男が銀髪の振り下ろした刀身をライフルで払いのけた。


「――っはぁッ! はぁッ! なんで止めるのッ!?」


 銀髪は完全に怒りで我を忘れていた。黒髪の方は、捕虜にした兵士たちを見張るためにこちらを振り向けないようだが、完全にこちらに気を取られているようだ。黄は自分の頭の上で刀と銃身が振り回されていることに人生最大の恐怖を感じながらも、必死で捕虜となった隊長に目配せする。


「――未来ッ! 気持ちは分かるが……いったん落ち着け! コイツは生かしておいて、いろいろ聞き出した方がいい!」

「だってコイツはッ! コイツはとんでもないクズだよっ!? 士郎くんも分かるでしょ!?」

「あぁ――だからこそだ! コイツがここにいるってことは、恐らくこの辟邪を奪い返しに来たんだろう」


 そう言って、男は傍に横たわるアイシャを見下ろす。

 そうだよ――その通りだ。俺がわざわざここにいるのは、この忌々しいガンダルヴァを連れ帰るよう、李先生に言いつけられたからなんだ。よく分かっているじゃないか――


 するとおかしなことに、男が突然何もない虚空に向かって話し始めたではないか!?

 いったい何事だ――!?


「――ところでウズメさま……なぜ彼女はここに?」

「……え? そうなんですか!?」

「いやでも……は、はぁ……」


 何だ何だ!? 気でも狂ったのか――!? この男はさっきから、誰と話しているのだ? すると、今度は銀髪までその一人芝居に加わる。


「――じゃあ、今この子は……」

「……そんな……」


 もはや何が何だか分からない。だが――これはチャンスだ!

 黄はもう一度、隊長に目配せする。すると、後ろ手に縛られた隊長は確かにコクリと頷いた。通じた――!

 次の瞬間――


 隊長は突然立ち上がると、ガバッ――とアイシャに覆いかぶさり、次いで間髪入れず彼女を後ろから抱き上げた。完全に背中から羽交い絞めにするような恰好で、人質に取るようなかたちだ。素早く場所を変え、アイシャを抱えたまま壁に背中を押し付ける。


「あッ!?」

「――别动ビェドン(動くな)!」


 今度はこちらが言う番だった。突然の蜂起に黒髪が虚を突かれ、思わず声を上げたが、隊長は隠し持っていたナイフをアイシャの首筋に当て、日本兵たちを牽制した。彼はいったい、いつの間に自分の縛めを解いたのだろう!?


「くッ――」

「す、すまん士郎……ぬかった……」

「――あぁ、しょうがない……無茶するなよ……」


 男が黒髪に声を掛ける。銀髪はと言えば、先ほどから怒りに震えたまま、ジッと隊長を睨みつけている。


「少しでも動いたら、この女の首を切るッ!」


 隊長が啖呵を切った。いや、いっそここで殺してやれ――と黄が密かに願ったのは言うまでもない。

 すると、それまで意識不明だった彼女が、うっすらと目を開けたではないか――


「……あ……」


 アイシャは、最初自分が置かれた状況をまったく理解していないようだったが、やがて今この瞬間がのっぴきならない状況であることに、ゆっくりと気付き始めたようであった。


「――気付かれましたかガンダルヴァさま!?」


 隊長が声を掛ける。すると、アイシャは首を回して背後の隊長を不思議そうに仰ぎ見た。

 だが、同時に自分の首にナイフを突きつけているのが彼であることも、理解したようだった。あぁ……その瞬間に気付いてやるべきだったのだ。意識を失っていたアイシャは、この隊長が自分を殺そうとしているのだと早とちりしてしまったのだ。本当は、彼がアイシャを盾に取りつつも、ここから脱出しようとしていたというのに――


 次の瞬間、アイシャは全力で隊長に反撃した。


 ゴリィッ――!!


 それは、隊長の首が半回転する時に発した、頚椎が骨折する音だった。

 隊長は、まるで糸の切れた人形のようにその場にドサリとくずおれ、そして次の瞬間――


 アイシャは強烈な青白光を発したかと思うと空中にヴン――と浮かび上がった。


 突然のことに、その場にいた全員が固まる。よく見ると、アイシャは満身創痍だった。四肢はズタズタで、それ以上に体幹部分には恐ろしい傷が縦横に走っていた。部分的には――はらわたが覗いているではないか――!? これは……いったいどんな獣の爪にやられたのだ!?

 とにかく彼女は、その全身の傷という傷から、大量の鮮血を滴らせながらも、なお空中に浮かび続け――そして……


 そのまま本殿の天井を突き破って、あっという間に遥か上空に猛烈な勢いで飛び上がっていった。


「チッ――!」

「「あぁっ!?」」


 男が舌打ちをする。銀髪と黒髪が、同時に声を発した。当たり前だ。あれほどの戦闘力を持つアイシャを、みすみす取り逃がしたのだから――


「――ウズメさま……アレはどうなるのですか!?」


 男が、またもや虚空に話しかけている。


「……そんな……じゃああの子はもう……」

「……それも、彼女の運命なのかもしれんな……」


 重苦しい空気が、辺りを支配した。何の話をしているのかさっぱりだったが、とにかく敵が困っているのなら、我々にとっては良いことなのだろう。そう思って、少しだけいい気になって顔を上げた瞬間だった。

 銀髪が、またもやもの凄い形相でこちらを睨みつけていた。


「ひ、ひぃっ――!」


 男が畳みかける。


「まぁとにかく――貴様の身柄は拘束させてもらう。これからいろいろと聞きたいことがあるからな」


 そう言うと、今度は3人で寄ってたかってさっきよりも厳重に縛り上げられた。


「――ウズメさま、他の兵士はどうしますか?」


 また虚空に話しかけている。あそこに、何かいるのか!?


「……は、分かりました。では久遠、そちらの餅を持ってきてくれ」

「これか!?」

「あぁ……今度は一個だけだ」

「分かった……えぃっ」


 黒髪が、突然白い小さな塊を兵士たちの真ん中に投げ込んだ。すると突然――


 かぁァァ――と白い閃光に包まれたかと思うと、唐突に兵士たちがそこから消え失せる。まさか――次元移動か!? 今いったい何をやった――!?


 辺りは突然、しぃーんと静かになる。するとおもむろに、男が黄の肩口を引っ掴み、割とぞんざいにその場に立たせる。


「――いててて……」

「この程度のこと……いちいち大袈裟にしないで!」


 銀髪が不機嫌そうな声を浴びせてきた。相当嫌われているようだ。


「――とにかく、貴様はこっちに来い。あぁそれから……正式な捕虜としての扱いは期待するなよ!? ここは向こうの世界とは違うんだ!」


 それは、あの怒り狂っている銀髪の気を鎮めるための方便なのか、それともそのまま額面通りに受け止めるべきなのか、黄には今一つ判然としなかった。

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