第341話 彼女の秘密(DAY8-5)

 亜紀乃は、黒岩の嫌疑が晴れたことに心から安堵していた。

 迂闊にも、ロクに素性も確かめず彼を基地内に引き入れてしまったのだ。駐機場でくるみに見咎められ、一緒に連れている男が何者か聞かれた時に初めて、自分の脇の甘さに気付いたのだ。

 そしてその時の亜紀乃は、どうしていいか分からなくなって、まるで小さな子供のようにその場で泣き出してしまった。


 ガキだな――

 亜紀乃は、自分のことを本当にガキだと自嘲するしかない。普段は澄ました顔してイイ子をやっているのに、やはり完璧とはいかない。些細な失敗を、すぐさまリカバリーする機転さえ持ち合わせていないのだ。

 だが、不幸中の幸いというべきか――彼は潔白だった。元帝国陸軍軍人上がり……苦難の時を経て、ようやく祖国に帰ってきた、実直な日本人。

 確かに、彼は自分が「出雲守備隊の者である」などと、最初から一言も言っていなかった。その時、彼が否定しなかったせいで勝手にそう思い込んだだけで、それは完全に亜紀乃の早とちりだ。だから、厳密に言うと彼は嘘すらついていないのだ。黒岩は、何も悪くない――


 だから基地内を案内する足取りも、自然と軽やかになる。


「――黒岩さんっ! こっちは兵舎区画なのです。守備隊の人たちはもともと地元の人だから、皆さん本当は自宅があるんですが、今回の戦闘で家が燃えちゃった人も多くて、結構な人数が基地の中で寝起きすることになったんです。黒岩さんも今日から兵舎で寝起きしていただくんですよ」

「そうなんだ……いやぁ、今まで野宿みたいなものだったから、それだけでもありがたいな」


 黒岩が、顔をほころばせながら応じてくれる。亜紀乃はそれが何より嬉しい。


「あっ――こっちが野外入浴セット2型という秘密兵器で、なんとお風呂に入れるのです! 基地を開いたばかりで、まだ稼働していませんが……」

「へぇ!? そんなものまで……国防軍は進んでるねぇ」

「えへへ……」


 黒岩も、疑いが晴れたせいか、先ほどより心なしか雰囲気が明るい。


「――それより亜紀乃ちゃん……」


 黒岩が問いかけてくる。


「はい?」

「――亜紀乃ちゃんは、どうして兵士になったんだい?」

「え……?」


 唐突な質問だった。そして――実を言うと、一番触れられたくない質問だったりする。


「――いや、亜紀乃ちゃんはホラ、結構歳も若そうだし……おじさんの頃はさすがにこんな年齢で、しかも女の子が兵役に就くなんてこと、あり得なかったから……」


 なるほど……確かに彼の疑問ももっともだった。


「――それとも、国防軍では当たり前なのかい? 見たところ、他にも若い女性兵士が何人かいるようだが……」


 それは、もちろん他のオメガたちのことだろう。


「……でも、亜紀乃ちゃんはその中でもずば抜けて若く見えるから……」


 どうしよう……正直に言うと、そんなことを面と向かって聞かれたのは、これが初めてだった。

 自分はオメガだ。国防軍にいると、それだけで他の兵士たちは何も聞いてこない。だ。

 DNA変異特性を持ち、人外の圧倒的身体能力と、特殊な力を発揮する。それを「化物呼ばわり」する兵士も中にはいるが、大半の者は、それが放射能汚染に晒された人間の、悲しい運命だと気遣って、そっとしておいてくれる。

 それに、軍はそんなオメガたちに居場所を提供してくれた。その特異能力が、とても役に立つ、ありがたいと言ってくれるのだ。

 士郎中尉だってそうだ。いつも自分たちに一番近い距離にいて、それでも自分たちを特別扱いせず、普通に接してくれる中尉――

 オメガの能力を当たり前のように受け入れ、それを信頼して活用してくれる上官――

 私は、そんな環境がいつも居心地よくて、自分が人とは違う異形の存在なのだということを意識せず、ストレスなく日々を過ごしてきた……


 だから、今こんな風にあらためて訊かれたことに、少なからずショックを受けてしまうのだ。

 でも、よく考えたらこれが普通の反応なのか――


「……え、えっと……私は……私たちは、その……」


 その瞬間、亜紀乃はハッと考える。“自分はオメガという特殊な存在なのだ”という話は、そもそも軍の最高機密ではなかったか。もちろん、最高機密といっても「公然の秘密」という奴だ。国防軍の兵士は誰でも「オメガ」という存在のことを知っているし、その圧倒的な戦闘力も承知している。ただ、なのだ。

 だが部外者は――!?

 先ほども、失敗しかけたばかりだ。黒岩が潔白だったことで、事なきを得ただけなのだ。亜紀乃はゴクリ――と唾を呑み込む。


「そ、それは……秘密なのですっ」


 案の定、黒岩は呆気に取られた顔で自分の方をまじまじと見つめてきた。

 せっかく仲良くなれそうだったのに、こんなけんもほろろの態度を取ったら、きっと生意気なガキだと気を悪くするだろうな……亜紀乃は、嘆息しながら彼をジッと見つめ返した。すると――


「……ふっ……ははっ……ははははッ!」


 ――?

 なぜ……? なぜこの人は笑うの……!?


「――ごめんごめん、いやぁ、女性に対して年齢に関係する質問をするとは、おじさんも無粋なことを聞いてしまったね」

「……あ……はい……」


 亜紀乃は、彼の意外な反応に戸惑いながら、しかしどこかホッとする。良かった……嫌われずに済む――


「……あ、えっと……やっぱり気になりますか……?」

「……まぁ、気にならないと言えば嘘になるかな」

「どうして――どうして私のことを気にかけてくださるのです?」


 亜紀乃は気付いていた。くるみに誰何すいかされた時、彼が咄嗟に自分を庇ってくれようとしたことを――

 今だってそうだ。私が否定的な反応を示すと、すぐさま気を遣って自分の好奇心を引っ込める。とても……紳士的な反応だ。普通の、ガサツな兵士たちでは、こうはいかない――


「……そう見えるかい?」

「は、はいなのです……」


 黒岩は、少しだけ伏し目がちになった。「実は――」


「――実は……似ているんだ……生き別れたままの……おじさんの実の妹に……」


 ――!?


 妹さん……いや……そんなはずは……


「い、妹さん……と、私がですか……?」

「あぁ、とてもよく似ている。初めて君を見た時は、我が目を疑ったよ。本当にそっくりなんだ……ただし、それは今から20年近く前の妹とそっくり、という意味で、もちろん君がそうだと思っているわけじゃない」

「だから……私をその妹さんに重ねて……」


 亜紀乃は、じっと目を伏せる。


「あ、あぁ……すまないね……君には全然関係ないことなのに……勝手に執着したみたいで、気持ち悪いよな……!?」

「い、いえ……そんな……」


 いや――まさか……いくら何でも、そんな偶然……あるはずがない……


「――そういう亜紀乃ちゃんは、なんでおじさんにこんなに親切にしてくれるんだい?」

「……そ、それは……」


 確かに――たまたま出会っただけで、ここまで親切にする義理はない。迷惑をかけた罪滅ぼし!? 自分が勝手に引き入れたせいで、彼は地面に這いつくばらされ、銃を突き付けられ、一時的ではあるが拘束され、監禁までされたのだ――

 だが――


 それらの理由は、ただ単に因果関係を取り繕っているだけだ。

 私がこの人に親切にする本当の理由――それは……


 私のDNAが……この人を欲しているからだ――!


「えと……なぜだか……他人のような気がしなくて……なのです……」

「ほぅ……」

「あ……べ、別に……変な意味ではないのです! なんというか……肌が合う、というか……ハッ!」


 気が付くと、黒岩が少し、頬を赤らめて困惑していた。


「や――やだ! 私っ……変なこと……」


 亜紀乃は、自分の発言がとてつもなく大胆な表現であることに、今さらながら気が付いた。


「ちちち、違う……そんな意味じゃなくてっ!」

「ははは……大丈夫だよ。おじさんは亜紀乃ちゃんを見て、確かに妹にそっくりだなとは思ったけど、それ以上でも、それ以下でもないから……」


 凄い……さすがは大人だ――

 亜紀乃は、つくづく自分のことをガキだと思う。


「――そ、そうだ! 今度は食堂を案内するのです! あーっ! お腹空きましたねっ!」


 亜紀乃は、気を取り直して黒岩を急き立てる。そんな自分を、穏やかに見下ろす彼の視線が、なんというかこそばゆかった――


  ***


『――こちら久遠。取り立てて二人には異常見られず。仲良く基地内を散策しているぞ』

「了解した――いましばらく、我慢して監視を続けてくれ」

『もちろんだ。士郎の命令とあらば、24時間だって続けるぞ――』


 通信を終えると、士郎は叶を振り返った。彼はいつだって、舞台が整ってから颯爽と登場する。


「今のところ、特異動向は見られません。久遠も気付かれずにうまくやっているようです」

「ふむ、さすがは久遠ちゃんと言ったところか――」


 彼女が監視役についているのは、もちろんその『不可視化インビジブル』能力を活かしてのことだ。


「――それにしても、無線機とマイクを取り付けられるだけで、ずいぶんと偵察能力が向上するもんですね!?」

「あぁ、そうだろ? ようやく開発が間に合ったよ……彼女には今まで、相当不便な思いをさせてきたからね」


 久遠の不可視化能力は、その全身の皮膚に『色素胞』というものを持っていることに由来している。要するに、タコやイカ、カメレオンのように、周囲の風景と自分の皮膚色を自在に同化させることができる能力だ。彼女のコードネームが“デビルフィッシュ”すなわち『蛸』である由来でもある。

 ただ、そのカモフラージュ能力を100パーセント活かすためには、彼女は全裸でなければならない。衣服を着ていては、当然ながら服だけが歩いているように見えてしまうからだ。

 そのため、今まで久遠はどんな過酷な戦場であっても、能力を発揮する際は全裸で行動することを余儀なくされてきた。残念ながら、まだSFのような光学迷彩服は発明されていなかったからだ。


 だが、そのことが彼女の身を護る術を、著しく低下させていたのも事実である。

 現に、現世うつしよでの高千穂峡強襲降下作戦の際、久遠は敵の攻撃を受けて重傷を負ってしまった。特戦群の兵士であれば当たり前のように着用している防爆スーツも、防弾装甲も、すべて脱ぎ捨てて敵地を不可視化行動していたせいだ。

 生身――というか全裸で戦場に出れば、遅かれ早かれそうなるのは目に見えていたのに。だって、全裸で森の中を歩けば、何もしなくたって身体中切り傷だらけになるのは、誰にだってわかることだ。

 さらにその後、彼女の遭難位置すら把握できなかったのは、そうした衣類と同様、無線機や生命維持監視ギアなどの装備品を着用していなかった――いや、着用できなかったことが原因だ。


 だから叶は、それ以来彼女が少しでも快適に従軍できるよう、せめて身の回りの装備品くらいは不可視化して持ち歩けるようにするため、全力で開発を進めていたという次第である。

 その結果、小さな装備品程度であれば、ある種のコーティングを施すことで光学迷彩に近い効果を発揮する素材開発に成功したというわけだ。機械系の装備も、この新素材でカバーしてしまえばなんなく持ち歩けるようになる。


 だから今の久遠の出で立ちは、言ってしまえば全裸にガンベルト、ハーネス、弾帯嚢、といった感じだ。特定の嗜好を持ったマニアには大ウケすること間違いなしだ。


 そして、そんな久遠が現在身に着けているのは、無線機と、そして超指向性の小型集音マイク。これを監視対象に向けておけば、数十メートル離れた距離からでも、その会話を余すことなく聞き取ることができる。


「――先ほどキノちゃん、気になる発言をしていたね……」

「……そうなんですか?」

「あぁ、肌が合うとか何とか……」

「あぁ……そうでしたね……それが何か!?」


 士郎は、それが思春期の少女特有の、少しだけ背伸びした発言だと思っていた。事実、本人すら途中でその言葉のいかがわしさに気付き、あたふたしていたくらいなのである。


「――ふむ……あの黒岩兵長の発言も気になるね……キノちゃんが妹さんに生き写しだとか何とか――」

「まさか……やめてくださいよ!? 久遠みたいに、彼女も生まれ変わりとか言い出すの……」


 確かに今までのことを考えると、現世うつしよ幽世かくりよで個体の入れ替えが発生する現象は、比較的よくあることなのだ――と思えるようになった。

 現に、かざり現世うつしよの意識を幽世かくりよの肉体に顕在化することを選んだし、久遠に至ってはその記憶と自我は幽世での“前世”とも言っていい個体から受け継いでいる。

 士郎自身、実の父親は他ならぬ、幽世世界の男だったのだ。


 士郎のケースはともかく、文といい久遠といい、その現象に共通する特徴は、二つの世界の、という点だ。異なる世界とはいえ、その両者は「自分自身」だ。当然、同じ当人同士であるから、両者の見た目は非常に似通っている。

 その理屈でいくと、まるで生き写しのようによく似ている――という発言は、途端に両者の関係性に深い共通点があるのではないか、と疑うに足る状況証拠になり得るのだ。

 今回のケースで言うと、黒岩の妹・綾瀬と、私たちのよく知る亜紀乃が、それぞれ別世界に住んでいる同一人物である、という可能性だ。


「――いや、今回に限っては、それはあり得ないよ」


 叶が、やけに自信を持って断言する。


「だって、キノちゃんはホムンクルスなんだから――」

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