第323話 転生(DAY6-20)
「――い……いったいどうなってるっ!? こ……この子は……!?」
男は、辛うじて声を絞り出した。だが、それはこちらのセリフである。
5年前に埋葬されたはずの娘――
久遠とそっくりの娘――
墓を掘り返したら、まるで生きているかのような美しい姿のままで発見された娘――
ウズメは、この男が久遠の実の父親だと言い、だが同時に「本当の娘は墓の下に埋まっている」と
「――ど……どーすんですかコレ!? ウズメさま、当然……ご説明いただけるんですよね!?」
士郎は、傍らに飄々と佇む神さまに詰め寄った。
「これこれ、神に喰ってかかるとは、そちも恐れを知らぬのう」
「何言ってんですかっ!? こんな滅茶苦茶なことになってるの、ウズメさまのせいじゃないですか!」
「――ふん、わらわのせいではないわ。だが、これにはちょっとした事情があるのじゃ――」
「……あ、あのぉ」
士郎とウズメが半分痴話げんかのような口論を小声で繰り広げていると、男が割って入った。
「――し、将校さん……さっきからいったい誰と――」
何度も言うが、この世界の住人である男には、神さまであるウズメさまは見えていない。
「――あっ!? えーと……いや……」
神さまと喋っている――などと言ったら、頭オカシイんじゃないかと思われること必定である。
「……ゲフンゲフン、ま、まずはこの状況、ひとつずつ整理していきましょう。久遠――!?」
「は、はいっ」
「あらためて聞く。お前は、この御仁に見覚えはあるか?」
「い……ぃぇ……」
「――そ、そんなっ……わしだ、久遠! お父さんだ!!」
つまり、先ほどからこの男は一方的に久遠を自分の娘だと言い、その前提で「娘が5年前に亡くなったというのは間違いだった」と思い込んでいるのである。
だから、娘の墓を暴くことをいとも簡単に許容したし、実際にそこから出てきた娘の遺体を見て、訳が分からなくなっているのだ。この際、その遺体が極めて鮮度の高い状態で埋まっていたことについては後回しだ。
ウズメはなぜか高みの見物を決め込んでいる。あんたなぁ……
「――お父上……と呼んでいいかどうか分かりませんが、見ての通り彼女は困惑しています。お気持ちは分かりますが、ここはあまり強引に結論を急がないほうがいいでしょう」
「……ま、まぁ……そうかも……しれません……」
「そして、彼女は今、我が国防軍の兵士として極めて重要な任務に就いております」
「――そ、そう言えば……」
そうなのだ。この男が出会った瞬間から客観性を欠いていたことは、士郎も懸念していたところなのである。久遠の見た目が自分の娘にそっくりだったということばかりに気が向いていて、彼女が現世日本国防軍の戦闘服に身を包んでいることに、今の今まで気付いていなかったのだ。
「……なぜこんな格好を……というか、あなた方はいったい――」
男は、あらためて士郎たちを見回す。その装備や見た目は、どう見ても男の知る軍隊ではない。そのことに気付いた瞬間、彼は数歩後ずさった。
「――私たちは、別の世界からやってきた日本軍です。時代も恐らくこちらの世界より100年以上未来から来ました。小官を始め、ここにいる兵たちはいずれも、この世界の者ではありません……」
「……そんな……バカな……」
士郎の言葉は若干正確性を欠いている。少なくとも、士郎本人にはこちらの
「――なので、ここにいる彼女も、当然ですが別の世界から来たのです……」
「別の……世界……で、でも――」
「――分かります。確かに彼女の名前は蒼流久遠。つまり、あなたの娘さんとまったく同じ名前だし、そして見た目もそっくりだ。ですから私は、あなたの娘さんとここにいる蒼流兵曹は、二つの違う世界における同一人物だったのではないかと思うのです」
「――同一……人物……」
「ま、近からず、遠からずじゃな――」
「ちょ!? ウズメさまっ!?」
横からチャチャを入れてくるウズメに、士郎は調子を狂わされる。
「……それって……厳密には違うってことじゃないですかっ!」
「まぁ良いわ。正解というわけではないにせよ、いい線突いておるからの」
「えぇー……」
「あ、あの……どうかなさいましたか……?」
見えない者からすれば、急に小声でブツブツ呟き始めた士郎は、どう見てもイタい人である。
「――い……いえ……なんでもありません! さて――」
士郎はその場を何とか取り繕う。周りで見ている一同には、だんだんとこの遣り取りがコメディに見えてくるから始末が悪い。
「――とはいえ、この二人がまったく関係がないというのも逆に考えにくい。現に、見た目も名前も同じなんですからね……だから……だから……?」
だからどうしたというのだ――!?
「――二人は記憶を共有している。この場合は、一方的に娘さんの記憶がこっちの久遠ちゃんに上書きされているんだと思うけどね」
叶が助け舟を出してくれた! だが……何だってぇ!
先ほどから黙って事の成り行きを見守っていた叶が、ついに参戦する。
「――お父さん……と、今はお呼びしておきましょう。お父さんは、ここにいる久遠ちゃんが、間違いなくご自分の娘さんであると確信されている……?」
「も、もちろんだ。久遠以外の何者でもないだろう!? だって、姿形もそっくりだし、声だって――」
「――人格は? 彼女の性格や、喋り方は? 何か確実に娘さん本人であるという客観的な証拠は!?」
「……そ……そんなもの……」
「どうなんです? ……正直なところ……?」
叶は鋭く切り込む。男を見つめるその視線は、刑事か何かのようで――いや、研究者のそれか――!?
男はその追及に、多少なりとも動揺した様子だった。あらためて、久遠の方をじっと見つめて黙り込み……そしてようやく口を開いた。
「――確かに……喋り方は……少し……違うかも……しれません……」
「それだけですか?」
「……ふ、雰囲気も若干……いや、でもそれは……皆さんとご一緒していたから……」
「確かにその可能性はあるかもしれません……人間なんて、環境が変わればいくらだって雰囲気も性格も変わる……では、今ここに眠るこの女性は……?」
「――そ……それは……」
そう言って叶は、先ほど棺桶の中から現れたこの美しい死体を見下ろす。
「――曹長、このご遺体を……いや、女性の方がいいかな……ちょっと
「え……えっと……」
叶の意図を図りかねたのか、オメガたちが逡巡した様子を見せる。
「私が確認したいのは、今度はこちらのご遺体の方です。娘さんがお亡くなりになったのは、確かこの神社で大きな戦闘があった時のことだと先ほど伺いましたが……」
「え、えぇ……娘はどうやら私の言うことを聞かず、ここに残って中国の兵隊とやり合ったようなんです。里の者曰く、焼け跡から変わり果てた姿で見つかったと……」
そう言って男はうなだれる。その時の感情を思い出したのだろうか。だからそのあとすぐ、久遠をじっと見つめて、またホッとしたような顔をするのが却って痛ましい。
「……変わり果てた……ですがこちらのご遺体は――まぁ、なんでこんなに綺麗なのかということはさておいて――それほど酷い状態ではありませんね……ではやはり別人なのでしょうか?」
「――それは……恐らく納棺師の方が、そこそこ整えてくださったんでしょう。この里にはおりませんが、2日くらい歩けば近くの里に1人おりますので……」
納棺師――
ご遺体を綺麗に死化粧してくれる技能を持った者の総称である。エンバーマーと言った方が最近では通りが良いかもしれない。
知っての通り、人間の遺体は時間が経つごとにどんどん酷い状態になっていくが、その腐敗を一定時間遅らせたり、さまざまな漏出物を抑えたり、それこそ顔に化粧をして生前の血が通ったような顔色に整えてくれたりする。
特に損壊の激しいご遺体の場合は、可能な限り人体を修復して、遺族のショックを和らげたりしてくれる。目立つ仕事ではないし、誰にでもできることではないが、本当に大切な役目を負っている。
叶と男の遣り取りを聞いて、オメガたちがようやく指示の意図を理解したようだった。じゃあ――目の前のこの美しい遺体の裏側に、もしも当時の戦闘の痕跡が見つかれば、こちらも間違いなく娘さんのご遺体ということになる……
「――あぁ、そうか……そうですね……では少しだけ、こちらのお身体を確認させていただきましょう」
そういうと、未来を筆頭にオメガたちが彼女の身体を取り囲んだ。「久遠ちゃんはいいからね――」という誰かの配慮によって、久遠だけは士郎の後ろに隠れるように立つ。
「……あ……」
未来が、小さな声を上げた。この美しい遺体の右腕が、実は大きく損壊していることに気がついたからだ。遺体は白い装束を纏っていた。いわゆる死装束というやつだ。だから、外に露出しているのは首から上の頭部と、そして手首から先だけだ。胴体のほとんどは、触ってみるまでその様子が分からない。
「――よいしょ……っと、亜紀乃ちゃん、今度はそっちを支えてくれる?」
「……はい……こうでしょうか……」
「こっちは綺麗だね……あ――」
未来たちは、あらためて彼女の身体をまさぐり、時には着物をめくってその奥の素肌を随時点検していく。するとそれに従って、手伝うオメガたちの口数が徐々に少なくなっていった。
「――士郎くん……」
一通り点検を終えた未来が、士郎を振り返った。
「……どう……だった?」
「えと……彼女の右腕は、肘のところで千切れていました……骨が砕かれていたので、恐らく大口径の機関銃弾で吹き飛ばされたものかと……あと、胸部、腹部、右大腿部に貫通銃創、右脚は脛のところで複雑骨折、あと背中一面に重度の火傷……それ以外は、腕と肩に無数の切創――これは位置からして防御創だと思われます」
「――つまり、満身創痍だってことか……」
「はい……相当激しい戦闘を経験したようです……」
士郎は、男の方をあらためて見つめた。未来の報告を聞いていたはずだ。
「……そ……んな……」
「――残念ですが、こちらの久遠さんは貴方のお話通り、戦闘によって重傷を負い、力尽きたものと思われます……」
男は気の毒なくらい、その顔が蒼白になっている。あらためて、娘の当時の激闘ぶりを具体的に知ったのだ。その心中は察するに余りある。
なんとかして言葉を紡ごうとしたその時だった――
「――よく……頑張ったね……」
振り向くと、先ほどまで士郎の後ろに隠れるようにしていた久遠が、いつの間にか遺体のすぐ傍にしゃがみこんでいた。まるで慈しむように、その頬を撫でている。
「……私……なんとかしてこの神社を守りたかったんだ……」
「え!? 久遠……!?」
その話しぶりは、既にいつもの久遠ではなかった。彼女の雰囲気が、いつもとガラッと変わっていることに、一同も気付く。
「――神社を焼き払ったのは……この私だよ……中国兵に、ご神体を奪われたくなかったんだ……」
そう言って彼女は、穏やかな微笑みを男に向けた。それを見て、男が大きく目を見張る。
「――く、久遠……なのか……!?」
「そうだよ。お父さん……私も一緒に戦うって言ったのに……無理やり逃がそうとするんだもん……」
「だ、だって……」
「だってじゃないよ……私だってこの神社の巫女だよ……でも……やっぱり力不足だったね……ごめんなさ――」
「何を言ってるんだっ! お父さんこそ! お父さんこそ……不甲斐なくて……悪かった……」
「――え? え!? どういうこと……? 久遠ちゃん!?」
くるみが、説明を求めるように一同を見回した。他のオメガたちも、今日一番の困惑を隠せない。
「恐らく……自分の遺体を目の当たりにして、久遠ちゃんが元の肉体での記憶を蘇らせたんだろう」
叶が助け舟を出す。ということはやはり……こちらの世界の久遠は、その死の瞬間、現世での自分である久遠に乗り移っていたということなのか――
「――これってもしかして……私と逆のパターン……?」
――――!!
そういうことか……!
文の場合は、現世での本体は頭部外傷を受け昏睡状態。意識だけが幽世の自分と繋がって、時折その物理的肉体を拝借していた。それを、最終的に現世の方の文の意識が乗っ取るようなかたちで、今に至る。
それとまったく同じ――ただし、これとは真逆のパターンで、今度は
久遠が口を開く。
「――お父さん……私……頑張ったよ……でも、気付いたら別の世界に生まれ変わってた。だから、こっちの世界の私が死んだのは事実……私は死んで……そして生きている――」
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