第276話 もうひとつの日本(DAY3-5)

 並行世界の日本は、分断国家で、植民地だった――


 北海道はソビエト連邦、それ以外の本州、四国、九州、そして無数の島嶼群はすべて中国が支配していた。

 世界は共産主義独裁が幅を利かせ、自由主義陣営の欧米諸国は衰退。東南アジア諸国はすべて中国の属国化し、唯一気を吐いていたのは非同盟諸国の雄、インドだけだった。

 アフリカ諸国や南米、中東など発展の遅れた地域は、単一の資源採掘場か第一次産業のプランテーション農場と化し、中国など超大国の搾取の場としての価値しかない。


 植民地に成り下がった日本では、日本人はもはや日本人としての尊厳を奪われ、「日本族」という名で偽りの自治区に二等国民として暮らしている。もちろん天皇家などとっくに廃嫡されているそうだ。

 圧政と理不尽に苦しめられていた人々は、ようやく「自由日本軍」というパルチザンを組織し、地下に潜って反政府活動を細々と行っていた――


「……まさにディストピアだ……」


 叶が呻くように呟いた。

 士郎も、しばし言葉が出ない。

 確かに、こちらの世界もたいがい酷い状況だ。戦乱は数十年続いているし、核も何発も落とされた。そのせいで美しい国土は汚され、多くの人々が病に斃れ、不便な生活を強いられている。

 それでも、こちらの世界の日本は独立の尊厳を守っていた。それどころか、世界最高の科学技術に裏打ちされた最強の軍隊を保有し、この地獄のような世界で覇権国家の名をほしいままにしている。


 いったいどこでどう間違ったら、並行世界の日本はこんな酷い有様に陥ったというのだ――!?


「――いやぁ……何か嬉しいなぁ……違う世界とはいえ、こちらの日本はこんなに強くてこんなに尊厳を守っているなんて……故郷くにの仲間が聞いたらどれだけ喜ぶだろうか……」


 そう言って清麻呂は少しだけ涙ぐんだ。


「――そう言えば清麻呂さん……」


 士郎が話しかける。まだ血縁関係があるかどうかはっきりしないから、どう呼んでいいか分からないのだが、自分とさして見た目の年齢が変わらない彼を「じいちゃん」と呼ぶのも気が引ける。

 向こうもそれは同じようで、士郎の呼びかけになんとなくバツの悪そうな顔をする。


「あ……はい……」


 未来みくたちオメガは、そんな二人を不思議そうに見つめるしかしない。


「ひとつ……聞きたいのですが、その、報道班員というのは……」

「あぁ……報道班員。はい、自由日本軍に従軍して、戦場の記録を取る記者のような仕事です」

「というと……戦場ジャーナリストのような!?」

「はい? じゃ、じゃーなりすと?」

「あ、はい、えっと……記者、そう! 新聞記者みたいなものです……かね……ははは」


 なんともぎこちない。だが――

 士郎は今の遣り取りで重大な記憶を鮮明に思い出していた。父、洋介との会話……


(――父さん、なんで今のおしごとをすることになったの?)

(――あぁ、親父に憧れてたんだ……士郎のじいちゃんはすんげージャーナリストだったんだぞ)

(じゃーなりすと?)

(そうだ。誰も気付かない真実を探す仕事だ)

(それって、宝探しの冒険者みたいなもの?)

(ははは、そうだな! まぁそんなようなもんだ!)

(父さんは宝もの、もう見つけた?)

(……どうかな……? 見つけてたらいいな)

(……変なの! 自分で見つけたかどうか、分かんないの?)

(……うーん、痛いところを突くな……いいか士郎、宝物ってのは、人によって違うんだ。父さんが見つけた真実は、ある人にとっては宝物になるし、同時にある人にとっては都合の悪い爆弾みたいになったりするんだ。だから、宝物の価値は自分で決められない。決めるのは、それを見た人ひとりひとりだ。分かるか?)

(――何言ってるかさっぱり分かんない)

(わははは……)


 士郎の父は、あの伝説の「パリ日本大使館全世界同時生中継」でピューリツァー賞を獲った稀代のジャーナリストだ。当時まだ士郎は小さくて、父親の偉業の、本当の意義をよく理解できなかったが、今だったらよく分かる。

 父・洋介は常に「虐げられた者の味方」だった。

 その根源的なモチベーションがどこから来ていたのか今までよく分からなかったが、もしこの並行世界の日本人のことを、彼がその父親から聞いていたのだとしたら、その想いのルーツは明白だ。被征服者として虐げられていた日本人の慟哭を知っていたからこそ、洋介はこちらの世界でも“弱き人々”の代弁者たろうとしていたのだ――


「――士郎……くん?」


 いつの間にか清麻呂が話しかけてきていた。


「あ! あぁ、すみません……少し、考え事をしていたものですから……」


 士郎は慌てて我に返る。そんな士郎を、隣で未来たちがいたわるように見つめていた。


「その、今度は私も聞いていいかな……?」

「あ、はい……どうぞ」

「こっちの世界の、日本軍のことを教えてくれないか? 君はその……将校なんだろう?」

「は、はい……では、どうぞ何なりと……軍機以外ならお答えいたします」

「ははっ! さすが中尉サマだ! ではさっそく――」


 石動いするぎ清麻呂はやはり生粋のジャーナリストだった。その質問は大所から細部に至り、なおかつ現在の戦局、世界情勢、果ては今後の展望にまで及んだ。彼のインタビューは軽く1時間を超えただろう。


「――凄い! すると、こちらの世界の日本軍の総兵力は、100万……!?」

「そういうことになりますね。陸、海、空、電脳、宇宙の全5軍を合わせた兵力と言う意味ですが」

「それで、海外の駐屯地が――」

「中国には大陸派遣軍が10万ほど、中央アジアの東トルキスタンにも先日新しい駐留軍を置きました。台湾には鎮守府があって、南洋方面軍の母港となっています。宇宙には月面基地とラグランジュポイントに――」

「あぁ!! 宇宙!? 地球上だけでなく、月!? 宇宙戦艦まであるというのかい!?」


 清麻呂は、完全にブーストがかかっているようだった。無理もない。植民地と化して、虐げられた暮らしを余儀なくされている並行世界の日本人にとって、それは夢のような「誇り高き日本」だったのだ。


「……なんてことだ……君たちの世界の日本軍の、その十分の一でもこちら側に来てくれれば、あんな酷い世界をあっという間にひっくり返すことができるだろうに……」


 彼の言葉に、士郎たちは苦笑するしかない。確かに、心情的には並行世界の日本人たちを助けてやりたい。そしてそれは、清麻呂の言うとおり、せいぜい10万ほどの国防軍があれば成し遂げられるだろう。彼の話を聞く限り、並行世界の中国軍の実力は、先刻士郎たちが高千穂峡で戦った相手程度なのである。その装備は士郎たちの目から見たらいかにも旧式で、唯一脅威になるとすれば例の荷電粒子砲だけだったからだ。

 だが、世界のバランスを考えた時、並行世界への介入は極めて慎重にならざるを得ない。それは、現在こちらの世界に現れてきた異世界中国軍が、この世界にとっての「異物」であるのと同様、士郎たちが仮に向こうの世界に行ったとしたら、今度は向こうの世界で士郎たちが「異物」になってしまうからだ。

 それに何より、物理的に向こうの世界に渡る手段を持っていないし、仮に行けたとしてもこちらに帰ってこられる保証はまったくないのだ。

 そして最も重要なのは、現時点でこちらの世界は異世界中国軍の軍事侵攻の脅威に晒されているということだ。最優先は、その異世界中国軍をこちらの世界から駆逐することだ。そうしないと、こちらの側まで、清麻呂の世界のようなディストピアになってしまう。

 ポツリと清麻呂が呟いた。


「――せめて、あのビーム砲の人間薬莢だけでも阻止できればいいんだけどな……」

「今――なんと言いました!?」


 清麻呂がボソッと呟いたそのセリフを、叶は聞き逃さなかった。


「え……ビーム砲……?」

「もうひとつ呟いていましたね!?」

「あ、えと……人間……薬莢……?」

「そう! それです!! それって、手足を切り取られた少女が押し込まれた砲弾のことですか!?」

「――ご存知でしたか……まったく、酷いもんです」

「それって……」

「えぇ……中国軍の奴ら、定期的に日本人の子供を攫っては、弾薬の材料にしているんです。これこそ、人類史上最悪の人道犯罪ですよ」


 清麻呂は吐き捨てるように言った。すると、それまで黙って聞いていた秀英が、突然話に割って入る。


「――それじゃあ、あのカートリッジに入っていた少女たちは……」


 清麻呂は、少しだけ気まずそうに秀英を見つめ返した。彼にとって、秀英は憎い中国人でしかない。


「えぇ。何年もかけて何千発、何万発とせっせと製造していますよ。あれの製造はそう簡単にはできませんからね」


 その言葉に、皆が顔を見合わせる。叶が口を開いた。


「……じゃあ……あの砲弾は、清麻呂さんの世界から中国軍が持ってきた……」

「――あぁ、こっちでもぶっ放してましたか……ええ、そうだと思います」


 なんということだ――

 あの子たちは、狼旅団の兵士たちが着けていた旭日旗のワッペンを見て涙を流したから、てっきりこちら側の世界の子たちだと思っていたが、実際は、並行世界の日本の子供たちだったのだ……

 確かに、国を奪われた日本人にとって、戦場で助け出してくれた兵士の肩に旭日旗が着いていれば、別の意味で涙を流したとしても不思議はない。たとえば――彼らの世界の「自由日本軍」の戦士に見えたのだろうか……?

 いずれにしても、そう簡単に製造できる代物ではないということは、簡単に現地調達で作れるような砲弾――いや、生体電池か――ではない、ということで、それはつまり――あの子たちは士郎たちの世界の子供たちではない、ということになる。となると……


「――少佐……」

「うむ――前提条件が崩れてしまった……無理をして福岡のプラズマ防壁を起動させる意味が――いや、待てよ……」


 突然矢継ぎ早に交わされる会話に、今度は清麻呂が困惑した顔を見せる。


「――なに? どうしました!?」

「清麻呂さん!」

「はい?」

「その“人間薬莢”、何万発も製造していると言いましたね!?」

「――えぇ、日本国内に製造工場があって、そこでおぞましくも日々作られ続けています」

「石動中尉……」


 叶が、士郎を見据える。


「――ええ、敵の弾薬工場を潰さない限り、奴らはいくらでもあの荷電粒子ビーム砲を放ってくる……」


 要するに、たかだか数十発のカートリッジを無力化して少女たちを助けたところで、焼け石に水ということだ。日本全国に異世界からの中国軍が展開している以上、ゲートは一箇所だけとは思えない。高千穂峡の出入口を潰したくらいでは、砲弾の供給は止められないし、その圧倒的な敵兵の数を除けば唯一の脅威である、あの生体電池を何とかするには、敵の本拠地に乗り込んでその製造工場を叩き潰すしかないのだ。


「――やはり、清麻呂さんに話を聞いて正解でしたね」


 叶の言葉に、清麻呂は困惑するしかない。


「あ、いえ……というか、どういうことです? 今どういう話になっているのですか!?」

「清麻呂さん……どうやら、我々は全力で清麻呂さんの世界の中国軍を潰すしかないようです」

「え――? ということは、こちら側の100万の軍隊が、こっちの中国軍を征伐してくれる、ということですか!?」

「奴らが我々の世界を侵略してくる以上、その根本を叩く以外ないでしょうな」

「ほッ! 本当ですかッ!? あぁ……なんてことだ……これで日本は……俺の国は……救われる……!!」


 清麻呂は、知らぬうちに滂沱ぼうだしていた。彼の常識を遥かに超えた、超強力なこちら側の日本の正規軍が、植民地化されて虐げられたあちら側の日本に進軍してくるのだという。


「……夢じゃ……ないだろうな……!?」


 だが、どこまでも冷静な叶は、彼に釘を刺すのも忘れなかった。


「ただし――清麻呂さん。まずは貴方の世界に我々が行く方法を見つけ出さなければなりません。そして事が終わったら、無事にこちらの世界に戻ってこられる方法も確立しなければ……兵士たちは皆、これでもこちらの世界の暮らしがあるのです。大切な家族や友人、恋人と二度と逢えないようでは、そちらの世界に行くことはできません」

「それなら簡単ですよ!」


 清麻呂は、今や完全に心弾ませているようだった。

 勿体を付けて、厳めしい口ぶりの叶に、こともなげに応じてみせる。


「――ほう……何やら方法があるのですか?」

「あるも何も……私が行き来しているルートを通ればいい」

「「はぁ!?」」


 清麻呂は、近所に散歩に行くような口ぶりで、とんでもないことを口走った。

 自分が行き来している――って……


「あの……清麻呂さん? 行き来しているって、貴方の世界と、こちらの世界とですか!?」

「はい! ピョンと飛び込んだら、ポンッと向こう側へ! その逆も、同じくらい簡単です」


 一同は、信じられないという顔つきで、お互いの顔を見合わせた。

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