第260話 元凶(DAY2-17)
ソレは明らかに人間だった。いや――少なくとも人間の形はしていた。
久遠はつい先ほどまで、ソレの放つ邪悪な気配に、自らの精神が飲み込まれそうになっていたのだ。発狂しかけていた。抗い難くて、その身を今にも投げ出しそうになっていた。
だが突如として、その邪悪な気が遮られたのだ。久遠は、何かの気配に自分が守られていることを実感した。間違いない――士郎だった。
あぁ……ありがとう士郎……今なら私は、ソレと対決することができる――
その気配のお陰で、久遠は失いかけていた自分を辛うじて取り戻した。あらためてソレと向き合い、凝視する。
銀髪……いや、
ソレはとても美しい白金の長髪だった。肌は浅黒い……というか褐色で、インドあたりの人々を彷彿とさせた。服装も、サリーのような、あるいはベリーダンサーがよく着ているチョリのようなものを纏っていて、エスニックな雰囲気を漂わせていた。ノースリーブの二の腕には、金色のバングルのようなものを着けていた。
顔は彫りが深く、神秘的な美しさを湛えていた。鋭い瞳の下瞼に沿って、オレンジ色の隈取がくっきりと施されていた。眼球の色はきれいなエメラルドグリーンで、ただし白目の部分は青白い光を湛えていた。そう――私たちオメガのように……
この子は……オメガ――!?
いや、確か叶少佐が言っていた。これは……
奈良の博物館で見せてもらった絵に出てくる……何と言ったか……元はインド神の……なんとかダツバ……
がァァァァァァァ――――ッ!!
突然その辟邪が久遠を睨み返し、威嚇してきた。完全に私を認識し、あからさまな敵意を向けてきたのだ!
ひッ――
あまりの迫力に、久遠は思わずたじろいだ。辺りは既に普通の空間ではない。彼女の周囲には、後光なのか何らかのエネルギー輻射なのか、とにかく強烈な白い光が噴き出していて、相対的に周囲の背景は完全に露光オーバーのように白飛びしている。
そして、ソレ自身は空中に……空中に浮いている――!?
間違いない……その辟邪は空中に浮かんで静止していた。相変わらず彼女の周囲には、白い後光が眩く噴き出していたが、彼女自身の輪郭部分は淡いオレンジ光に包まれている。
ズゥゥゥゥゥゥン――
突如として、空間が歪んだ――ような気がした。
彼女の周りの後光が、ぐにゃりとねじれたような気がしたのだ。すると、またもや彼女のその褐色の肌の表面に、いくつもの「顔」のようなシルエットが浮かび上がってきた。それは、現れては消え、消えたと思ったらまた現れる。
どの顔も苦悶の表情を浮かべ、そして声なき声で叫んでいるかのようだった。その様はあまりにおぞましく、久遠はブルっと身体を震わす。さらに――
彼女の露わになった腹の部分が、唐突に膨らみ始めた。胎内に閉じ込められていた苦悶の顔たちが、なんとかして逃げ出そうとしているかのように――
だが、それはあっけなく消失し、一瞬妊婦のように膨らんだ彼女の腹も、すぐに元通りになる。その瞬間――
彼女はまるでメタンフェタミンを注射した直後のようにぶるぶると小刻みに震えたかと思うと、俄かに顔を紅潮させ、歓喜の表情を浮かべた。
直後、彼女の放つオーラがひときわ輝いて、そして強烈な圧力を周囲にさらに開放する。
喰った――のか!?
久遠にはそれが、まるで彼女が「顔」を喰って、その生命エネルギーを自らに取り込んだように見えたのだ。
やはり、生贄だ――――
彼女の前に引きずり出された者はみな、彼女のための供物なのだ。この辟邪は人の生命エネルギーを吸い取って、自らの力としている――!!
つまり、彼女が私に敵意を向けているのは、私が彼女に抗っているからだ。他の子たちのように素直に喰われていれば、ここまであからさまに怒りを示さないだろう。
案の定、辟邪は私に向けて一歩前に踏み込んできた。やはり、どうしても喰うつもりなのだ。
怖い――
久遠が本能的にそう思った瞬間だった。
ダダダダダダダダダダダッ――!!!!
タタタンッ――! タタタタタンッ――!!
「――久遠ッ!!」
「「久遠ちゃんっ!!」」
激しく銃を乱射しながら、何かが目の前に割り込んできた。
この声――!!
「――しッ、士郎!! みんなッ!?」
あぁ! 士郎が助けに来てくれた――!!
「大丈夫かッ!?」
「久遠ちゃんッ!! 下がってッ!!」
言うなり彼らは久遠の周囲を取り巻いたかと思うと、今しがた凄まじい敵意を向けてきた辟邪の前に立ち塞がり、ジャギンと銃を構えた。
「久遠! 怪我はッ!?」
久遠と辟邪の間に立ち塞がった士郎が、肩越しに振り向きざま問いかける。
「だ……大丈夫だ……ちょっといた……痛いけど……」
「――そうか、スマンな……もうちょっとだけ、我慢してくれッ!」
「うん……!」
久遠は、こんな非常時だったのに幸せだった。
彼は「隊長」なのだ。本来なら自分ごときの捜索に、自ら乗り出してくるような立場じゃないのに……だが彼は、こうやって来てくれた。
何より嬉しかったのは、出会いがしらの最初の一言だ。
「大丈夫か」――
「怪我はどうだ?」とも聞いてくれた。
何よりも彼は、自分のことを案じてくれていたのだ。
やっぱり士郎は私の王子さまだ。いつだって、いざという時はこうやって命懸けで助けに来てくれる!
さっきだって、そもそもあの辟邪の邪悪なオーラに飲み込まれそうになった時、彼はその場にいなかったのに、その「存在」で包み込んでくれたのだ。それが何かは分からないが、確かにあの時自分は士郎に守られていた。それはきっと――
士郎が私のことを想ってくれていたからだ――
その時から久遠には確信があったのだ。士郎が、こうやって助けに来てくれることを――
ヴィン――――!!!!
突然、今までとは違う空気がその場に充満した。なに――!?
だが、その正体はすぐに分かった。
未来ちゃん――!!
気が付くと、久遠を庇うように前に立ち塞がっていた神代
それはまるで、邪悪なオーラに対抗する聖なる光のようであった。
「未来ッ――!?」
士郎が叫ぶ。
「――大丈夫……ここは私に任せて!」
そう言い放つと、未来は広げた両手を今度は前の方にゆっくりと突き出した。その動きはあくまで優雅で、まるで扇で風を送るような仕草だった。自分の放つオーラを、あくまで穏やかに、そよぐように相手に送り込む。
すると、それまでズン――と重苦しく沈殿していた周囲の空気が、俄かに軽くなっていく。未来のオーラが、邪悪な大気を攪拌して、打ち消していく。
「――これは……」
その空気の変化に、士郎たちも気付いたのだろう。思わず言葉が漏れる。だが、未来はあくまで冷静だった。
「――士郎くん、ゆずちゃん、今のうちに久遠ちゃんを……」
「わ、分かった……さ、久遠」
そう言うと、士郎は立ち尽くしていた彼女に近付き、いきなりお姫様抱っこする。
「あ……」
「気にするな。さ、行こう。この場は未来に任せるんだ」
久遠はその言葉に素直に甘え、士郎の首に両腕を回す。そのまま頭を彼の胸板にもたせかけると、全身を委ねた。
それを見ていた
「怪我してるんだから、しょうがないよね」
その言葉が合図だったかのように、二人は息を揃えてバンッ――と片脚を踏み込み、高く跳躍した。
あっという間に、洞窟を飛び出る。
すると、それまで無音だった辺りの空気が、唐突にざわざわと震えるのが分かった。何かの「結界」から脱出したような感覚だ。
深い森の中を流れるせせらぎの音が、疲れ切った彼女をいたわるかのように、その心にじんわりと染み込んでいく。
「――未来ちゃん、大丈夫かなっ!?」
楪の問いかけに、士郎が確信を持って答える。
「あぁ! 彼女は任せろと言ったんだ。だったら任せよう!」
「はーい!」
久遠を抱きかかえた士郎、そして楪は、そのまま森の中に紛れていった。
久遠は、少しだけ薄目を開けて周囲の風景を覗き見る。彼女が閉じ込められていたのは、どうやら峡谷の崖が途切れて河原が広がる川沿いに、ぽっかりと開いた洞窟のようだった。
これが、天岩戸――!?
洞窟の入口の所には、古びた
よく見ると、鳥居がへし折られていた。本来なら、洞窟に入る時に必ずくぐるものだ。おそらく敵兵が破壊したものだろう。罰当たりだ――久遠は漠然とそう思う。
「――とりあえず、
***
未来は、目の前の存在に立ちはだかった。なぜだか、そうしなければならないと本能が囁いたのだ。
そして未来にはなぜだか自信があった。この子を止められるのは自分だけだ。
止める――?
この子から感じるのは「怒り」だ。だから「止める」というより「鎮める」と言った方が正確か。まるで荒ぶる神の如く、この子は怒りに任せて
「怒り」に「怒り」をぶつけては駄目だ。その結果は双方の「破滅」しかもたらさない。
だが、「怒り」を甘受して耐えるだけでも駄目だ。「怒り」の矛先が求めるのは、相手を「破壊」することであり「屈服」させることだ。すなわち、怒る相手は、こちらが徹底的に破滅することを望んでいるのだ。そんな相手にどんなに謝っても、怒りの対象とされた方はいつまで経っても許されることはない。妥協点がないからだ。
解決するための「怒り」であれば、本来必ず「赦し」とセットになっていなければならない。それがなければ「怒り」はそれを向けられた方の「憎悪」を生むだけだ。「憎悪」は更なる「怒り」を生み、さらに破滅的な「復讐」を引き起こす。
だから、いわれのない「怒り」に対しては、まずは相手を「鎮める」のが先決だ。鎮まれば、なぜ怒っていたのか本人も気付く。理由に気付けば、その問題を解消するための方策も出てくるだろう。
ウガァァァァァァァァァァ――!!!!
この子の怒りはなんだ!?
先ほど一瞬だけ、怒りが弱まった瞬間があった。その時に、この子が何かのエネルギーを吸い込むのを確かに見た。つまり――
この子は飢えているのか――!?
なぜ飢えている?
「――あなたは、なぜ飢えているの?」
未来は直截的に聞いてみた。
だが、彼女はそれに答えない。未来は質問を変えた。
「あなたはなぜ、ここにいるの――?」
その途端、彼女の「怒り」が噴出した。
ギャァァァァァァァァァァ――――!!!!
まるでケダモノのようだった。未来にはそれが「理不尽に対して怒っている」ように見えた。つまり、彼女は本来ここに居たくないのだ。居たくないのに、無理やり引きずり出されているのか――!?
目の前の荒ぶる神が、叶少佐の言っていた「辟邪」であることは、未来にはとっくに分かっていた。つまり彼女は、クリーと同じように本来はきっと普通の女の子なのだ。それが何らかの経緯によって、今はまるで恐ろしいバケモノと化している。
そして、彼女は間違いなく――この戦場における元凶だ。
彼女から放たれるこの
それは、彼女を目の当たりにした者なら誰であれ、すぐに気が付くことだろう。叶少佐に教えられるまでもない。つまり、彼女を何とかすることが、この戦場の
未来は躊躇うことなく、彼女に向かってその脚を一歩踏み出す。
すると、それまで怒りに任せて凄まじい敵意を向けていた彼女が、急に怯えたように一歩後ずさった。
その様子を見た未来は、再度その歩を進める。彼女は、まるで追い詰められた子猫のように、シャーと威嚇しながら、更に一歩後ろに下がった。
未来にとって「彼女を何とかする」というのは、彼女を受け止め、包み込んであげるという意味だ。
未来は、その美しい顔に穏やかな微笑を浮かべ、彼女を見つめる。
「大丈夫――怖くない……」
果たして言葉は通じているのか分からなかったが、そのニュアンスは間違いなく彼女に伝わったのだろう。未来に敵意がないことに気付いた彼女は、その荒々しいオーラを少しだけ和らげた気がした。
スッ――とその腕を未来の方に伸ばす。
未来もまた、その手をゆっくりと差し伸べた。さぁ――この手を掴んで……
その時だった。
ダァァァァァァァァン!!!
ダダダダダッ!! ダダンッ! ダダダンッ――!!
プィン! プィン――!!
未来の周囲に、突如として破滅的な暴力が吹き荒れた。一瞬にして辺りに硝煙が立ち込め、何も見えなくなった。
あともう少しでお互いの手が触れ合う寸前だった二人は、理不尽な銃撃の中にあっという間に掻き消えた。
中国兵だった。
その身体は半分透き通っていて、まるでクラゲのようにも見えたが――間違いない。
異世界からの後続部隊が、辟邪の後ろから突如として溢れ出てきたのだ。
濃密な硝煙の中に、青白く輝く二つの閃光がきらめいた。
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