第146話 彼女の願い

「クリーちゃん!?」


 未来みくは、医療ポッドで眠る人物が、自分の良く知る少女であったことに、驚きを隠せないでいた。しばらく姿を見せないと思っていたら、こんなところで再会するとは……


「……どうして……!?」


 クリーは、華龍ファロンに協力して未来を拉致連行してきた中国側の「辟邪ビーシェ」だ。

 もともとウイグル人で、将軍の話によると手段で無理やり自分たちに従わせていると言っていたが、それでもなおレッドチーム味方ブルーチームかと言ったら、華龍サイドから見れば味方兵士のはずなのだ。

 その友軍兵士をこんな医療鞘に入れて、李軍はいったい何をしようとしているのだ!?


 キャノピーの中をよく見ると、中で眠るクリーの顔面は大きくその容貌を変えていた。

 一言で言うと「機械化」しているのである。もともとその両眼は収容所で出会った時から潰されており、ずっとグルグル巻きの包帯をしていて良く見えなかったが、今はその包帯も外され、そして――


 彼女の両眼には剥き出しの機械化眼球が埋め込まれていた。


 しかも、もともと瞼ごと損傷していたためか、機械化パーツは彼女の眼窩そのものに埋め込まれ、まるで暗視装置のレンズ筐体をそのまま顔面に組み込んだような、おぞましい外見になっていたのである。


 そのほかにどこか身体をいじられているのではないか――

 そう思って未来はさらにキャノピー内をあちこち覗き込む。彼女は全裸で、少なくとも身体の前面の外見形状は隅々まで確認できるのだ。幸い、体幹部や四肢に変わったところは見られない。だが――


「……ん!?」


 手首から先に目をやると、先端部分――指先に気になる形状変化が認められた。


 指が異常に長いのである。


 それは、明らかに普通の人間の指の長さではない。元の彼女の指から考えると、三倍以上は伸びているであろうか。

 慌てて足首から先も覗いてみる――案の定だった。


 こちらも足の形が変化し、細長くなっている。脚の指先は、何か鳥類の脚部のように異様に長く、細い指先が何かを掴めるくらいに変化していた。

 まさか……何らかの動物と混合され、キメラ化されたのか――!?


 すると突然、未来と一緒に部屋に入ってきていた浩宇獦狚ゴーダンが低くグルルルル――と唸り始めた。


「しッ――! ハオユーくん、静かにするのよ?」


 未来は慌てて獦狚ゴーダンたしなめる。その言葉が分かったのか、獦狚ゴーダンはスッと大人しくなった。

 廊下から人の声が聞こえてきた。


「……ふぅ……今回はなかなかしぶといですね」

「――あぁ、あれだけやってまた見事に再生するとは……」

「再開は一時間後でいいですか!?」

「構わないとも……コーヒーでも飲んで――」


 声は二人。廊下を話しながら歩いて行って、そして向こう側に消えていった。

 いったい何の話だ!?

 もしかして、向こうの部屋――!?

 廊下に明かりが漏れていたのは、今クリーがいるこの部屋と、もうひとつ奥の方の部屋だ。あちらにも、やはり何かあるに違いない。

 クリーのことに気を取られてしまったが、本来の目的は詩雨シーユーだ。未来は後ろ髪を引かれる思いで部屋を出る。クリーちゃん……必ず助けに来るから――


 再び廊下に出た未来と獦狚ゴーダンは、先ほど男たちが出て行った奥の方の明かりの点いた部屋まで辿り着いた。こちらも先ほどのクリー部屋と同様、擦りガラスの嵌め込まれたスライドドアになっていて、中の様子を窺うことはできない。

 だが、間違いなくこの中にも何者かの気配を感じる。未来は思い切ってドアを開け、先ほどと同様に低い姿勢で部屋の中へ転がり込んだ。すると――


「――――詩雨っ!!」


 予想した通りだった。

 部屋の中央の平らな診察台のうえに乗っていたのは、間違いなく詩雨その人であった。


 それは――肉塊。鳥の胸肉のような外見。時々何かが隆起したかと思うとまたすぐ元に戻り、そうかと思うと何かの亀裂か、あるいは穴のようなものがその表面に開いたかと思うとまたすぐ閉じる。形状が安定しないそのピンク色の外見。今は、眼球と思しき器官がひとつだけ、その表面の真ん中あたりに突き出ている。

 未来は急いで診察台まで駆け寄って、詩雨を見下ろした。


「詩雨ッ!!」


 すると、いつもは元気よく答えてくれる詩雨が、まるで夢見心地のようにぼんやりと反応する。


「……み……く……!?」

「――そう! 私! 未来だよっ!?」

「……み……く……!」


 詩雨は意識朦朧としているようだった。


「……た……すけ……」

「分かってるッ!! 今助けてあげるからねッ!!」


 未来は必死で彼女を抱きかかえようとして――

 途端、廊下から早足で駆けてくる足音が聞こえてきた。

 未来は慌てて周囲を見回すと、手近なキャビネットを見つけて咄嗟にその中に隠れる。その瞬間、ガラッとスライドドアが開いて、先ほどの二人が部屋に戻ってきた。


「おやっ!? なんでコイツがここにいるんだ?」


 ――しまった! 浩宇ハオユーが逃げ損ねた!?


「――まったく。ここはペットショップじゃないんですよ。こんなのにあちこちウロウロされたら、落ち着いて作業もできやしない――」

「す、すいません……今檻に戻してきます」


 どうやら浩宇は獦狚ゴーダンということで疑われずに済んだようだ。もともとこの施設にいてもおかしくない存在ということか。するとジャラジャラと鎖のような重たい音がしたかと思うとドアが開き、「来いッ」という声とともに一人と一頭が出ていく音が続いた。

 どこかへ連れていかれた――


 部屋の中には、先ほど戻ってきた男が一人残る。

 未来は、キャビネットのスリットから部屋の中の様子を窺った。そこにいるのは、白衣姿の禿頭とくとうの小男だ。茶肌色の皮膚は不健康そうで、魔法使いのような鉤鼻、そして落ち窪んだ目。すると小男は、ひとりで詩雨に向かって話しかけた。


「――休憩前に、どうしてもやっておきたい方法をひとつ、思いついたんだよ……いやなに、さっきテレビで料理番組をやっていてね……」

「……い……やっ……」


 詩雨の思念が、キャビネット越しにも伝わってくる。あぁ、詩雨……嫌がっている――!

 どうしてもやっておきたい方法とは……なんのことだ!?

 未来は必死でスリット越しに部屋の中を覗こうとする。視界が狭く、小男がそこで詩雨に対しいったい何をやろうとしているのかよく分からない。ガタンガタンと何かを準備する音だけが聞こえて、そして詩雨の恐怖にまみれた思念だけがずっと未来の頭の中に届く。

 男が何をやっているのかはともかく、彼女を助けなきゃ――!


 そう思っていると、先ほど浩宇を連れて行ったもう一人が手ぶらで部屋に戻ってきた。どうやら浩宇はどこかに押し込められてきたらしい。


「――すみませんリー先生、遅くなりました」

「かまわないとも。これから始めるところだ」


 李先生――!? では、この禿頭の小男があの李軍リージュンなのか!? もう一人は助手か何かだろうか。


 すると、助手らしき男が「準備できました」と李に告げた。


「いや……だ……」


 詩雨の思念が一回り大きくなった。未来は、助けに飛び出そうかどうか一瞬ためらう。今出ていけば詩雨だけは助けられるが、クリーちゃんや、ハオユーくんを連れ出す機会を失うかもしれない。できれば全員……そう思ってほんの数秒だけ飛び出すのを迷ったのが運の尽きだった。


 突然、ザクッと何かを輪切りにする音がしたかと思うと、詩雨の思念がぱったりと途切れた。嫌な予感が走る。


「よろしい――では時間を計ってくれ」

「はい先生」


 そういうと李軍は診察台から離れた。今まで良く見えなかった詩雨の状態が明らかとなる。


「――――!!」


 未来は言葉を失った。

 詩雨が、まるでゆで卵をスライスするように輪切りにされていたのである――!


 彼女の肉塊――胴体は、およそ八片ほどのスライスに切り分けられ、ハムか、刺身か何かのように切り身の状態になっていた。ただし各切断部からは激しく流血しており、診察台のうえは血の海だ。スライスされた断面は隣の肉片が重なっているので良く見えないが、たしかに彼女の体内には臓器らしきものもあって、それらがすべて同じように切断されている。

 その光景を見た瞬間、未来は怒りと恐怖と悲しみがないまぜになって、感情が暴発しそうになる――だがその前に思わず気持ち悪くなって、吐きそうになった。

 ガタン、とキャビネットの中で音を立ててしまう。


「――おや」


 助手の顔色が変わって、未来が隠れたキャビネットに真っ直ぐ近寄ってきた。バンッ! と思いっきり扉を開ける。

 そこには、気分が悪くなって青い顔をした未来が、へたり込んでいた。助手が思わず声を上げる。


「おッ! オマエはッ!!」

「おやおや……これはこれは……」


 助手と李軍の声が聞こえる。李軍が鋭く助手に「睡眠剤!」と指示する声だけが最後に聞こえた。すると間を置かず、シューという音が聞こえて何かを吹きかけられている様子だけが判った。

やがて未来は朦朧となり、意識を失った。


  ***


 気が付くと、未来は先ほどの部屋の診察台に寝かされていた。正確に言うと、縛り付けられていた。だが、なぜだか身体に力が入らない。普段の身体能力であれば、こんないましめすぐにでも引き千切って脱出できるのだが、今は身動きひとつできなかった。

 すると、顔の上に何かが覆いかぶさってきた。李軍の顔だった。


「――気が付きましたか? 日本軍の辟邪ビーシェよ……」


 未来は言葉を発しようとして、声が出せないことに気付く。いつの間にか、猿轡をかまされていた。「んんーっ」という唸り声しか出せない。


「そんなに怒らないでください。大丈夫、手荒に扱うつもりはありません」


 李軍は鷹揚に未来に答えた。助手の姿も見える。


「先生、もうすぐ60分です……今、キメラに反射が確認されました」


 その声に、未来は慌てて頭を横にして隣を見る。するとそこには、先ほどスライスされたはずの詩雨がやはり診察台の上にそのままになっていた。

 ただし、先ほどの切断面が僅かに癒合しているではないか!?

 未来は、さらに目を凝らして詩雨を見やる。確かにそれは先ほど八つほどの切り身状に輪切りにされていたはずだが、その切片はお互い隣同士の切片を繋ぐようにゆるやかな膜がかかり、全体がコーティングされたようになっていた。まさに再生途中といった感じだ。そしてほんの少し、全体が揺れ動いたように見えた。


「やはりバラバラにしても生き返るようですね……これで何度目です?」

「そうですね……えっと、32回目の再生です」


 何の話だ!? もしかして、32回もこんな実験を詩雨に繰り返していたのか!?


「おやおや、恐ろしい顔つきをしていますね。彼女が気になりますか? 大丈夫、生きていますよ……と言うか、今生き返ったところですけどね」


 生き返った!? では彼女――詩雨は、今まで何度もああやって殺されて、そしてそのたびに生き返っていたというのか……!?


「正確には、生き返った、というより再生した、と表現したほうが適切かもしれません。生物の『生』と『死』の定義は難しい……再生した彼女は、果たしてさっきまで生きていた個体と同一の生命体なのか、それとも別の生命体として外見だけ保持しているのか――まだよく分かりませんねぇ」


 李軍は、未来にとってはそんなピント外れのことしか答えない。そんなことを言っているんじゃない! いったいオマエは、私の友人に何をやっているんだ!?


「――おっとそんなことより! この度はわざわざご自分から私に会いに来てくださって、本当に助かりました。お陰でとんでもないDNAサンプルを入手できましたよ!?」


 李軍が喜色満面で未来に話しかけてきた。


「いろいろとお聞きしたいことがあるので、いくつか質問に答えていただいてよろしいでしょうか」


 未来は「んんんーっ!」と唸る。誰がオマエなんかに! ふざけるなっ!!


「おぉっと! これは失礼しました。今その猿轡を解きますね」


 李軍がそう言うと、助手が素早く未来の口にきつく縛り付けてある猿轡を解いた。ようやくしゃべれるようになる。


「あなたッ! 詩雨に何をしたのッ!?」

「――開口一番、お友だちの心配とは……そんなことより、私はあなたのことが聞きたいのです」

「誰が答えるもんかッ!」

「……困りましたね……ではどうすれば協力してくれますか?」

「…………」

「コイツをもう一度切り刻め――」

「待って!」

「ほう――答える気になりましたか」

「こんなの公平じゃない……あなたは私の質問に答える、そしたら私もあなたの質問に答えるわ」

「――ふむ。悪くない取引です。私も本当は手荒なことが得意ではないのです」


 その遣り取りを聞いて、助手が動きを止めた。


「じゃあまず私から質問するわ」


 李軍が黙って頷く。


「詩雨に何をしたの?」

「――再生実験ですよ」

「……再生……?」

「そうです。彼女は見ての通り、何度殺しても生き返る。なぜ再生するのか? なぜ死なないのか? これを調べるのが目的です」

「……そ……んな……」


 確かに彼女は先ほど――見つかる前のことだ――まるでゆで卵をスライスするように輪切りにされて殺された。だが、睡眠ガスをかがされて自分が眠っている間に、輪切りにされた切断面は癒合していて、おまけに動いていた。確かに、殺されて――再生した。

 未来ははたと気付く。それで、彼女は自分に「殺して」と懇願してきたのではないのか!? この様子だと、今まで何度も何度もいろいろな方法で殺されては彼女の特異能力と思われる「自己再生能力」で甦ってきたのだ。その苦しさは筆舌に尽くしがたいものだったろう。自分自身では命を絶つことができない形状をしているから、私に頼んできたのだ。それで本当に死ねるかどうかはともかく、友人である私に、安息を求めて自分の死を願った……なんということだ。


「次は私から質問です。約束だから、答えてくれますね?」

「……分かった」

「先ほどあなたの身体から抽出したDNAですが、極めて面白い現象が起きているようです……これは一体なんです?」

「……テロメラーゼ」

「というと……?」

「一つの質問に対しては一つの答え」

「お、おぉ……」

「じゃあ今度はまた私の質問」

「はい」

「詩雨の実験の目的は分かったわ――最終的な実験の意義は何?」

「……そう来ましたか。はい、これはもちろん、死んだ兵士を生き返らせて、再度戦力化するための理論構築です」

「ゾンビ兵士を作るつもりなの!?」

「一つの質問には――」

「はいはい、分かったわ……どうぞ?」

「……では……慎重に質問しないと……貴女のお歳はいったい幾つなんです?」

「女性に年齢を訊ねるのは失礼極まりないわね――まぁ、でもいいわ……今年で90歳になるわ」

「やはり! 素晴らしい!! あなたは不老不死の遺伝子変異を持っているんですね! どう見てもまだ十代後半にしか見えないのに!」


 それを聞いた助手が驚愕していた。


「じゃあ次は私――向こうの部屋にいたクリーを使って、何をするつもりなの?」

「それはもちろん、彼女の視力を取り戻そうと――」

「嘘をついたら、殺すわ」

「ゴホッ……は、はい……彼女の視力を取り戻して、とある人物を……暗殺します」


 それって……将軍のこと……!?

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