第65話 世紀の大中継

 その緊急生放送は、結果的に後の世に語り継がれるほどの世紀の大中継となった。


 ちょうど日本では正午のニュースがいつも通り始まったところだった。

 アナウンサーがいつも通り淡々とストレートニュースを伝え、三本目のニュースを途中まで読み上げている時のことだった。

 画面のアナウンサーが急に原稿を読むのをやめ、手元のマイクレバーFUをオフにする。すると、普段は画面に映らない隣の出稿デスクが入り込み、紙を一枚アナウンサーに強引に手渡す様子が映し出された。

 それを一読したアナウンサーはこくりと頷き、あらためて姿勢を正して画面に向かう。


『……失礼いたしました。ニュースの途中ですが、パリから緊急生中継をお送りします』


 するとパッ、と画面が切り替わった。

 最初の数秒、画面が乱れてブロックノイズが全体を覆ったが、すぐに映像が回復する。

 そこには、赤々と燃えるように染まった夜中の空と、その下で各所から黒煙を噴き上げるどこかの街の大引き映像ルーズショットが映し出されていた。

 リポートが始まる。


『……皆さん……ご覧いただけますでしょうか。こちらはフランスのパリです。

 ――パリが燃えています……』


 画面の右上に

〔 ―中継―パリ市内 〕

というテロップが被さる。次いで画面の真ん中下部分に

〔 リポート 石動洋介ディレクター 〕

という名前が映し出スーパーされた。


『……私は今、パリの日本大使館にいます。こちらは現在午前4時……日本とは8時間の時差があります。

 今夜、午前0時を回ったところで、パリは大きな暴動に見舞われました。街中に暴力が渦巻き、今も市内は大混乱です』


 そのリポートとともに画面がVTRに切り替わり、パリ市内の惨状が映し出される(これは洋介がサルマたちを救出に向かう道すがら録画していた映像だ)。

 そこには、ひっくり返った車、燃え盛る商店、あちこちで暴れる不特定多数の群衆の映像が映っていた。


『――この映像は、恐らく世界で一番早い現地からのリポートです』


 そのコメントを聞いて、スタジオの副調整室に詰めていた報道局長が「よしッ!」と手を叩く。絶対にその言葉を言え! と洋介に厳命していたのだ。世界に先駆けての中継だからという理由で、三分間だけ飛び込み中継を許可したのだ。

 なおもリポートは続く。


『……そしてこちらをご覧ください。これは、日本大使館の正面ゲートの様子です!

 私は、大使館の敷地内から外に向けてこの映像を撮影しています!』


 そういうと、洋介は先ほどからフランスの治安部隊が鉄扉の向こうでヘジャブ姿のイスラム女性を殴打する様子をアップで映し出した。


『フランスの警官隊が……ああ! なんてことだ! 女性や子供を無差別に殴打しています!』

『彼女たちは……アラブ人の方々でしょうか!? 女性と一緒に……子供たちの姿も見えます』


「おいッ! この映像は何だ!」


 報道局長が怒鳴る。番組の編集責任者であるニュースプロデューサーが慌てて叫ぶ。


「おいッ! もう中継は終わりだ! スタジオにもど――」

「バッカ野郎! テメェは何を見てんだ!」


 報道局長がプロデューサーを銅鑼声で怒鳴り上げた。


「こりゃひょっとして大スクープかもしんねぇぞ! おいッ! このまま中継続けさせろッ!」

「ひィィィッ!」


 続いて映像はさらに門の内側から女性たちに迫る。


『……いま私は……はぁはぁ……大使館の建物を出て、女性たちのすぐそばまで……はぁはぁ……やってきました』

『彼女たちは一体なぜ日本大使館にやってきたのでしょう!?

 我々の現地スタッフの中にアラビア語が喋れる者がいますので、彼女に通訳してもらいます!』


 サルマが画面に入り込んできて、鉄扉に縋りつくヘジャブ姿の女性に何やら話しかける。

 すると女性は子供を抱き上げて何事か大声で答えたようだった。


『……この女性は何と言っているのですか?』


 洋介がサルマに問いかける。


『ハイ! 私たちはアラブ人だというだけで無差別に暴力を受けている――

 他の大使館は誰も助けてくれないから、日本に助けを求めている―― だそうです!』


 画面には、その女性が後ろから治安部隊に引き剥がされ、再び画面の奥、すなわち道路の方に押し戻される映像が映し出される。

 

 この頃から、街中の街頭ビジョンにこの中継映像が次々に映し出されるようになってきた。

 街ゆく人々はほとんどが足を止め、画面を食い入るように見つめだした。

 山手線の電車の中のモニターも、すべてこの映像に切り替わりつつあった。


『……ということは今パリでは、アラブ人狩りが行われているということでしょうか!?』


 洋介の(わざとらしい)問いかけをサルマが柵越しに女性たちに通訳し、それに対し彼女たちが泣きながら答える。号泣する子供たちを大写しにする。

 

 CNNから国際部に直通が掛かってくる。そちらの映像をそのままスルーで配信させてくれ、という緊急の要請だ。報道局長は二つ返事でOKを出し、編成局にはこのままニュースを続けたいと要請を出す。

 まもなく画面の上部におことわりテロップがダブる。

〔 おヒルDOKIどき列島の時間ですがニュースを続けます 〕


 CNNがこの生中継を同時配信し始めたせいで、現地パリでもこの映像が受信されるようになった。それに伴い、暴徒たちが日本大使館を取り囲むように近づいてきていた。

 洋介たちはもちろんまだそんなことを知る由もない。


『……あ! たったいま八重垣大使が大使館のエントランスに降りてきたようです!

 大使はどうお考えなのでしょう!? ……お話は聞けるのでしょうか!?』


 画面が大使を映し出す。その隣には坂本中佐の姿も映り込んでいて、大使に何やら耳打ちしているようだった。


『――大使! 大使ッ! この事態、どう収拾されますか? 日本政府の見解は!?』


 洋介がマイクをグイっと大使に突き出す。その勢いに気圧され、大使が口をパクパクし始めた。完全に目が泳いでいる。

 そこへ携帯の着信音が鳴り響く。大使のジャケットの内ポケットだった。


『あ……! 少しお待ちください……あの、本省からですので……』


 大使の声がそのまま放送に乗る。


『――おいッ! 八重垣君! キミ分かってるだろうね! 駄目だよ絶対! アメリカもイギリスも他の国もみーんなアラブ人の保護は認めないそうだ! ウチだけ先走っちゃイカンよ!

……ておい! これ放送に乗っちゃってるんじゃないの!?』


 この瞬間、外務省の電話回線はパンクした。

 数千件の抗議電話が殺到したのである。


 ただ、外務省の言い分もあながち間違っているとは言えなかった。

 この頃の欧米でのジハーディストによるテロ事件は深刻な政情不安をもたらしており、人的被害も月に数百人、年間では数千人に及んでいた。

 テロリストの拠点への空爆も激しさを増し、それによって故郷を追われたアラブ人たちが難民化してますます社会不安は増す。そしてアラブ人たちによる果てのない自爆テロ。報復の連鎖。

 今やアラブ人、そしてムスリムは欧米じゅうで忌み嫌われているのだ。同じ西側主要国の一員である日本が彼らを保護するということは、陣営の足並みを乱し、国際社会が一枚岩ではないという間違ったメッセージをテロリストに送ることになる。

 欧米からの強い反発は避けられず、ひいては日本の国益を損ねることになるのだ――というのが外務省の言い分だ。


 八重垣は完全に思考停止に陥っていた。

 目の前には、官憲に迫害される女子供――。

 さりとて本省からは釘を刺された――。

 そして何より、今この状況が本国ですべて生中継されているだと!?

 俺はいったいどうすればいいんだ!!?


 その時、駐在武官の坂本が耳元で囁いた。


「大使――。今こそサムライになるのです」


 すると突然、大使館前の壁に何かが激しくぶつけられた音が響く。

 直後、炎が大使館を包んだ。


『なんということでしょう! 暴徒化したパリ市民が日本大使館に火炎瓶を投げ込んできました!』


 洋介のリポートが続く。

 この瞬間、ネットを含む瞬間視聴率は60パーセントを超えた。

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