YES NO コミュニケーション

 私がこの部屋から逃げ出したくなるなんて思いもよらなかった。人間にんげん余裕が無くなると大好きなものでもにくらしく見えてしまうらしい。テレ子が起こす『テレビの電源を点ける』という怪現象、もとい悪戯いたずらは五日目の土曜になっても止むことが無く、むしろヒートアップしていた。寝ようと思ってテレビを消しても即座そくざに点け返してくるのだ。私はテレビの音量をゼロにして明るさの設定も最低にする作戦に出た。テレ子はテレビの電源を『おとす』という事ができないのだから、このまま放置しておけば眠れると思った。けれど最低の明るさにしてもチカチカした光が完全に消える事は無く、私は上手く眠ることができなかった。結局、画面が壁の方に向くよう、テレビの向きを反対にして、布団を頭からかぶってようやく眠ることができた。

 日曜の朝、布団から顔を出した私は、こちらに背を向けているテレビを見て思わず『なんでやねん』とエセ関西弁でツッコミを入れてしまった。頭にきていた。電気代がかかって嫌だとかそういう理由じゃない。大事なものを勝手に触られてる事にどうしようもなく腹が立ったのだ。テレビに対して『なにテレ子のいう事を聞いてるんだよ!』という気持ちもあった。

 私はブレーカーを落し部屋を出て、映画館や本屋に逃げ込んだ。でもイライラで映画の内容は入ってこないし、本屋でオカルト本のたぐいあさってみても除霊の方法はみつからなかった。離れるほどあの部屋の事を思ってしまった。テレ子は今頃、私のテレビを抱えながらしてやったりな顔をしているのだろうか。泥棒猫め。時々そんな事が頭に浮かんで、一日中心の中はぐちゃぐちゃに絡まった毛糸みたいだった。

 気がつくと夜八時を超えていた。日曜の夜に突然泊めてくれるような親しい友人もいない私はしぶしぶ部屋に戻ることにした。アパートに向かって歩いていると、初めてこの街に来たことを思い出した。しみったれた街だと頭の中で散々こきおろしていたけど、部屋から追い出され、不機嫌な目つきで寒さに背中を丸めながらトボトボ歩く私が一番しみったれたやつだと思った。悲しくて泣きそうになった。

 戻ってみるとアパートの近くは街灯がいとう一つを残して真っ暗になっていた。隣近所全ての部屋の明かりがついていなかった。それはアパートだけでなく、すぐ手前にある大家の家も含めた隣接りんせつする全ての家々がそうなっていた。奇妙な静けさだった。未知の殺人ウィルスでもばら撒かれた後のゴーストタウンみたいだった。そんな光景を見たのは初めてだったけど、私はここまでくるといっそ清々すがすがしいと思って『自分以外の人間がこの世から全ていなくなったらどうやって生きていこうか』なんて妄想をしながらアパートの階段を上った。


 部屋は奥まで真っ暗だった。テレ子も流石にブレーカーを入れる力は無いか、とほっとしたその時、パチンという音が廊下響いた。リビングの壁がテレビ画面の光を受けて明るくなっている。冷蔵庫がブーンという音を立てた。夏場だったら冷凍室のしもやら氷やらが溶け出していたに違いない。ため息が漏れた。私は土足のままリビングまでドカドカ歩いて行き、リモコンを掴んで振り上げた。テレビに向かって投げつけるギリギリの所で思い直してリモコンの電源ボタンを押した。でもテレビはこっちに背を向けているので、リモコンのいう事をきかない。私は画面の向きを元に戻し、電源を落して吠えた。

「いいかげんにせんかい!」

 テレ子のしつこさにも腹が立ったけど、それに振り回されて馬鹿なことをした挙句、一日中イジイジしていた自分の小ささにもムカムカした。これがテレビでなくストーブやノートパソコンだったら本当にものを投げつけていたと思う。


 またテレビが点いた。もう一度消す。

「何が目的なん!?」

 テレビが点いた。もう一度消す。

「燃やすぞ!」

 テレビが点いた。もう一度消す。


 くだらないやりとりが何回か続いた。もう『ハゲ』だの『アホ』だの頭の悪い罵倒ばとうしか出てこなくなった頃、私はあることに気が付いた。


「待って。テレビ点けるのちょっと待って」

 試しにそう言ってみた。テレビは点かなかった。

「ねえ、何か言いたい事があるの?」

 テレビが点いた。


 この子、私の言ってる事を聞いてる。私の言ってる事に反応している。コミュニケーションがとれる。今までテレビが勝手に点いても『あーもう』と言ったり、じーっとにらみつける事ぐらいしかしてこなかった。会話ができないと勝手に決めつけていた。姿が見えないから勝手にそう思い込んでいた。もう一度テレビを消して、見えない相手に問いかけてみる。


「言いたい事はなに?」

 テレビが点いた。


 私はバカか。この質問と回答で何が分かるっていうんだ。テレ子は律儀りちぎに反応したが、会話は一切進んでいない。相手が単調な返事しか返せないなら、YESかNOで答えられるような質問にしないとダメじゃないか。でもまずは会話を成立させるルールを作らないといけない。私は少し考えた後、テレ子に伝えた。

「私の質問にYESならテレビの電源をいれなさい。NOならそのままよ。OK?」

 テレビが点いた。どうやら理解したらしい。ちょっと命令口調になってしまったが、立場は私の方が上だ。そこだけははっきりさせておかないといけない。どうせテレビを点けることぐらいしかできないんだ、怖がることはない。ふと学校の歴史の教科書にあった人類の進化の歴史の絵を思い出した。毛むくじゃらの猿が歩きながら段々と人間に進化していくやつ。

 ちょっと不器用だけど会話が成立する。こうなったら話は早い。私がここ一週間やりたかった事、いや聞きたかったことを聞きだすのだ。『どうしたら出て行ってくれるの?』かと。

 私は質問を続けた。


「わたしに恨みがあるの?」『NO』


 恨みが無いようで安心した。もしテレ子が私に恨みを持っていたとしたら、求めることは何となく予想がつく。『死ね』だとかそういう物騒なものだ。妄想の中でなら幽霊やゾンビをバシバシ倒してきたが、実際に人を殺したことなんて無いし、死んだ後も恨みを持たれるほど人と深く付き合った経験も無いと思う。

 さあ次の質問。


「わたしにやってほしいことがあるの?」『YES』


 そうか。でもその後の質問に困ってしまった。何をどう聞いていいか分からない。『やってほしいこと』って何だろう?きっと心残りでもあるんだろう。でも考えられる心残りなんて人の数だけあると思った。誰かに手紙を書きたい?行きたい場所がある?見たいものがある?でも私はただの会社員で、そして女だ。ひどくお金がかかることや腕力わんりょくが必要なことはできない。『自殺に追い込んだ元恋人を撲殺ぼくさつしてほしい』なんて要望はちょっと聞けない。それならその元恋人の所へ行ってくれという話になる。人には出来ることと出来ないことがある。私はそれが普通の人よりちょっと小さい方の人間だ。でもわざわざこのテレビに乗り移って訴えてくるんだから、テレ子が望むものは私にしか出来ない事、もしくはこの部屋でしか出来ない事なんだろう。

 私はもう少し考えてみた。もっと核心かくしんに迫れるような質問、もしくはもっと効率のいい会話の方法は無いものかと。そしてカレンダーを見てある方法を思いついた。ノートパソコンを引っ張ってきて『五十音 表』で画像の検索する。いくつか出てきた中で文字ができるだけ大きく見える画像を選んで画面に表示する。私は『あ』から『ん』までの五十音を一つ一つ指を差しながらテレ子の言葉を拾い上げていくことにした。


「いい?私が一つ一つ指差していくから、言いたい文字になったらYESね」『YES』


 よし、これでいこう。さっそく紙とペンを持ってきた。毎回テレビの電源を消して『あ』から順番に指を差していくのは骨の折れる作業だけど、これなら確実にこの子の言葉を聞くことができる。

「じゃあいくわよ」

 テレ子の言いたかった言葉が少しずつ形を成していった。


『こ』

『う』

『と』

『う』

『あ』

『ふ』

『な』

『い』


 八文字の言葉だった。最後の『い』を拾い上げて以降、テレビの電源が点くことは無く『これで全部?』と聞くとテレビが点いた。『YES』つまりこれがテレ子が私にしてほしい事か。文字が書かれた紙をまじまじと見る。その紙をテレビの前で広げてみせ、もう一度聞いた。


「これで合ってる?」『YES』


 『文章になっていないぞ』と言いそうになった瞬間、濁点だくてんが無いことに気づいた。『ごうとうあぶない』だ。テレ子が伝えたい事、私にやって欲しい事がようやく分かった。この子は私をここから逃がしたかったんだ。強盗に狙われているこの部屋から。

 いや違う。まだ私は勘違いしている。ここ数日間で見たもの、起こった事が少しずつ繋がっていった。左隣に住む会社員は目の下にクマを作っていた。右隣に住む女子大生っぽい子は部屋に入る時にため息をもらし、寝坊を繰り返していた。そして不機嫌だった大家。テレ子が困らせていたのは私だけはなかった。この周辺に住む人間に対して同じことをしていたんだ。みんなテレ子が起こす怪現象を怖がり、そして家から出て行ってしまった。テレ子が昨日今日と、しつこく悪戯をしてきた理由が分かった。この場所に残っているのは私一人だけだから。

 おそらくテレ子は強盗をが下見の為にこの周辺を徘徊するようになってから『勝手にテレビを点ける』という警告を始めたんだろう。それが始まってから約一週間が経つ。その強盗が下見を終え、実行に移るとしたらそろそろな気がした。


「この近くにいるの?」『YES』

「このアパートのどこかの部屋を狙ってるの?」『NO』

「どこを狙っているかまでは分からない?」『YES』


 私は金曜にテレビで見たニュースを思い出した。確か先月、隣の県で起きた強盗殺人の犯人が捕まっていないと言っていた。私はノートパソコンでその記事を検索してテレビ向かって見せた。記事が長かったので読めるようにゆっくりスクロールした。


「この強盗殺人の事件。その犯人なの?」『YES』

「もしかして、あなたはその被害者?」『YES』


 いつのまにか背筋が凍っていた。手が少し震えた。怖いと感じていた。恐怖というものを感じるのがとてつもなく久しぶりで自分の体と心に起こった変化に気づくのに時間がかかっていた。私が今まで触れてきた『恐怖』というものは作られた恐怖だった。映画にはエンドロール、お化け屋敷には出口という約束された結末が必ず用意されていた。でも今は違う。私は逃げ出したくなり、リビングを出て玄関へ駆け出した。どこでもいい、少し走った先のあのレンタルビデオ屋でも、コンビニでも、人がいる所ならどこでもいい。そう思い、ドアノブを半分回した所でふと我に返った。『今』その犯人はどこにいる?隣の家?アパートの一階?二階?ひょっとして玄関の扉を挟んだ数十センチ先?それに狙われている家の中で電気が点いているのは私の部屋だけだ、今ここで慌てて出て行ったりしたらどうなる?それを見た犯人に怪しまれるんじゃないか?『気付いたのか?』って。


 私はリビングに戻った。もしテレ子が『あぶない』ではなく『にげて』という言葉を選んでいたら私はこの部屋から飛び出していた。テレビは夜九時前のニュースを映している。私はどうやったら無事にここから逃げられるかを考えた。でも疑問があった。仮に私が上手くここから逃げられたとして、その後はどうなるんだろう。強盗はどうするのか、テレビにとり憑いているこの子はどうなるのか。強盗は人がいなくなった家々で楽々仕事をこなし、また別の土地へ行ってしまうだろう。強盗が殺人を侵したのは隣の県だった。犯人を追いかけてここまで来たこの子は、また同じように犯人について行くだろう。そして辿りついた先でまた同じように心霊現象を起こし、住人を逃がす。犯人はまた易々やすやすと犯行を重ねる。犯人が捕まるまでそれは繰り返されるのだろうか。自分と同じ被害者を出さない為にやったことが犯人の手助けになってしまうなんて皮肉だ。いや、すごく悲しいことだ。それに自分を殺した相手なんてきっと顔も見たくないはず。そいつについていくのはどんな気持ちなんだろう。言葉が話せない気持ち、自分の言いたい事が伝えられない気持ち。自分にできる精一杯のことをしても、それを分かってもらえない気持ち。そんなものをこの被害者の子は抱えなきゃいけないの?間違ってる。


 私はもう一度テレビの前に行き、ノートパソコンを操作した。さっき使った五十音表の画像を表示する。私は言った。


「犯人の居場所を教えて」

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