第8話 清濁あわせれば

 父の部屋を退出しようとしたら、私だけ呼び止められた。浦島が部屋の外へ出たのを目で確認してから、父が問うてきた。

「彼が故郷に戻りたいと言い出したら、どうする気だ?」

 浮かれた心に、現実を突きつけられた。

 ……やはり、父には何もかもお見通しか。

 私は一つ息をついてから、きっぱりと答えた。

「彼の望むままにさせます。帰らないでほしいなどとは……私には言う資格もありませんから」

「故郷を見た彼が、それでもまたここへ戻ってくると思うか?」

 私は首を横に振った。微笑ほほえもうとしたが、自嘲気味じちょうぎみな笑みになってしまった。

「思いません。彼なら遅かれ早かれ、親兄弟に会うためにも故郷へ帰ろうとするでしょう。そしてきっと、それっきり竜宮へは戻って来ないでしょう」

「それで構わないのか?」

卑怯者ひきょうものだと思われますか? 手前勝手だと思われますか? 彼にそばにいてほしいと望みながら、何も話さずにいる私を」

 質問に質問で返すべきではないとわかっていても、問わずにはいられなかった。

 父は表情を変えず、ただ静かに淡々と答えた。

「竜宮の原理を人間にかすことは許されん。教えれば竜宮にひずみが生じ、そなたも彼もただではすまん。彼が自ら悟るのであれば、それは自然の流れとなり、影響も出んが」

「確か昔、人間に教える者がいたために災厄が起こりかけたのですよね」

「教えたのは何代も前の王妃だから、我らにとっては祖先だ。竜宮の民が人間とは異なる存在だと話した途端、地は揺れ、天は荒れ狂った。いかずちが降りそそぎ、人間はそれに打たれて命を失った。すると、何事もなかったかのように揺れが収まり、空は青く輝き、穏やかな竜宮に戻った」

 書き留められた事実をそのまま読み上げているような口調なのに、聞いていて胸苦しさを覚えた。

 私が浦島にすべてを明かせば、同じことが起きるのだろうか? わからない。わからないが、可能性は充分ある。可能性があるなら――避けなければならない。竜宮に災厄を招いて滅ぼすことだけは。

 父はほんの少しだけ声をやわらげ、

「そなたは罪を犯さぬよう、さだめの範囲内で出来ることをしたまで。少なくともわしは、とがめる気はない」

「そもそも私が、何も望まなければ済む……違いますか?」

「何も望むな、あきらめろ……我が子にそのような生き方をさせたい親が、いると思うか?」

 思いも寄らない言葉だった。

 私が何も言えずにいると、父は小さく首を振って、

「歴代の竜王が今のわしを見たら、甘いと一喝いっかつされるだろうな」

 胸の奥が、うずいた。

 父に甘やかされたのは、初めてかもしれない。

 笑いたいのか泣きたいのかわからない心を抑えて、それでも私は父に問うた。

「たとえ定めであっても、浦島をあざむいています。それは充分、罪に値するのでは?」

 父は少し考えてから、伏し目がちに、

「彼ならおそらく、真実を知ったとしても同じ道を選ぶ。わしの目に狂いがなければ、な」

「そうだったとしても、やはりこれは罪でしょう?」と問うべきか、「それは希望的観測に過ぎないのでは?」と問うべきかと考え――どちらもやめておいた。

 すでに、道は選んでしまった。私は、手前勝手なひどい女――それでもいい。そばにいたい。いてほしい。


 父の居室から退出すると、廊下で浦島が待っていた。何か聞かれるかと思ったが、黙っているだけだった。私が客間へ案内しようとすると、

「俺の過去に何があったのか、気にならないんですか?」

 不意打ちのように背後から問われ、足を止めた。振り返ると、浦島はどこか寂し気な表情を浮かべていた。

 私はきっぱりと答えた。

「気にならないと言えば嘘になります。ですが、問いただしてまで知りたいとは思いません。話したければ、話してください。話したくなければ、話さなくて構いません」

「共に暮らしてみれば、思っていたのとは違って、とんでもないひどい男だった……なんてことになっても構わないんですか?」

 挑発めいた台詞とは裏腹に、その表情は真摯だった。まるで、こんな男に簡単に心を許してはいけない、と忠告しているかのような。

 私はまっすぐに彼を見つめ、

「たとえひどい男だったとしても、私をどうしようもなくきつける部分もまた、あなたの中には確実に存在します。それで充分。美点だけを求める気などありません」

 浦島は目を見張っていたが、やがて小さく微笑み、

「それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます。過去のことは、いずれ時が来ればお話しします。まだ自分の中でも整理がつきかねているので」

 私たちは、並んで客間へ向かった。お互い無言のままだったが、胸の内には雑多な言葉があふれていた。


 家臣たちを説得するのは、思いのほか手がかからずに済んだ。やはり、先に父に認めてもらったのが大きいようだ。父が許した婚姻に対して異議を唱えれば、下手をすると、父の手腕や威光を否定することになりかねないからだろう。いぶかしんだり戸惑ったりしつつも、最後にはみんな認めてくれた。

 決まってしまえば、後はとんとん拍子だった。家臣総出で婚礼の準備が進められ、私と浦島もそれに合わせて右往左往する羽目になった。私にとっては日常の延長程度だったものの、慣れない浦島はそうもいかない。「目が回りそうだ」と何度もこぼしていた。華美にならぬよう、晴れがましさは最小限に抑えたいと家臣に要望したので、私の婚礼にしては簡素なはずだが、彼にしてみれば大差なかったようだ。

 そして予想はしていたが、婚礼の前に一度故郷へ戻りたいと浦島に告げられた。私はかねてから考えていた理由を話し、説得した。

「今あなたが竜宮を離れれば、家臣も民も不安がります。ご両親には使いを出しておきます。きちんと説明し、お二人が暮らしていけるだけの金銭も渡させますから、もう少し状況が落ち着くまではここにいてください」

 これは嘘ではない。今の彼の立場が不安定で、竜宮に留まっていてくれたほうが何もかも安定するのは確かだ。

 嘘ではないのに、嘘をついたような後ろめたさを覚えるのは……それだけが理由ではないからだ。

 すべて話してしまえ、という声が胸の奥から聞こえる。そのたびに心の耳をふさいで、聞かなかったふりをする。そうしてやり過ごすうちに、婚礼の日を迎えた。

 私も浦島も礼装に身を包み、ごく限られた親族や家臣に見守られながら、城の奥御殿おくごてんちかいを立てた。婚礼の儀式を大っぴらにしなかったのは単純に、派手になることを避けたからだ。だが結果的に、かえって厳粛げんしゅくな雰囲気を生み出したようだった。城内だけでなく竜宮の隅々までそれが伝わり、「さすが姫君の婚礼」と誰もが感じ入っていると、後になって家臣たちから聞かされた。

 儀式がすべて終わった途端、浦島はあからさまにほっとした顔で、「やっと終わった……」とつぶやいていた。彼には慣れないことばかりなのだから仕方ないが、まさに疲労困憊こんぱいという表情に、ついつい笑ってしまった。

 その後に待ち構えていた城での日々も、浦島にとってはかなり骨の折れることだったようだ。漁師のおおらかな暮らしと、竜宮の統治者一族に加わっての暮らしとでは、きっと雲泥うんでいの差だろうから無理もない。まつりごとはもとより、儀礼的な行事もできるだけ参加しなくても済むよう取りはからったが、それも限度がある。話すことも所作しょさも、最小限に省いたものをあらかじめ覚え込ませておくことで、どうにか乗り切った。

 もちろん、待っていたのは苦労ばかりではない。務めの合間を見つけ、二人で過ごしていると、これまでに感じたことがないほど心が満ち足りた。

「千季の間」へ行って花々を眺める。今日あった何気ないことを話す。浜辺をただぶらぶらと歩く――取り立てて何をするでもない。なかなかまとまった時間は取れないし、ぜいたくをしているように思われたくないから、特別なことはしていない。なのに浦島がそばにいるだけで、かけがえのない時間に変わる。いとおしく、いつまでも続いてほしいと願いたくなるような、あたたかな時間に。

 同時に、心の半分ではわかっていた。こんな時間が、いつまでも続くはずなどないと――。

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